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2014年07月15日

『近代東アジア史のなかの琉球併合-中華世界秩序から植民地帝国日本へ』波平恒男(岩波書店)

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 本書の要約は、カバー見返しに、つぎのように要領よくまとめられている。「従来「琉球処分」は日本史の狭い枠内で、近代的な国家形成・民族統一・国民形成などの一環として解釈されてきた。「琉球藩」設置は、琉球人遭難事件を口実になされた一八七四年の台湾出兵を可能にするための準備措置だったとされ、日本の大陸への膨張志向の初期的発現と見なされてきた」。「本書は広範な史料・文献を渉猟し、「琉球藩設置」の歴史的真意を解明し、台湾出兵との因果関係に関する従来の謬説を糺す。併合する側の視点と併合される側の視点を往還する複眼的考察に立ち、琉球および朝鮮の併合という「二つの併合」の類比性と関連性に着目する。東アジアの伝統的中華世界秩序の衰退から植民地帝国日本の擡頭への新旧交替という大きな脈絡から、中国・朝鮮・台湾・日本を見渡す視野のなかに「琉球併合」の史実を据えた画期的研究」。

 本書は、5章と補論からなる。その補論「喜舎場朝賢と『琉球見聞録』」では、本書で「最も重要な準拠史料の一つとなっている喜舎場朝賢(きしやばちようけん)著『琉球見聞録』の成立事情を中心に、その著者である喜舎場の前半生と彼が生きた時代環境について考察」している。補論の重要さから、「序章 問題意識と本書の構成」では、本論の5章に先んじて、つぎのように説明している。「私見によれば、従来の「琉球処分」研究の多くに見られる本質的な問題点は、それが日本史研究の一環をなすにせよ、琉球・沖縄史の一部として研究され論述されるにせよ、もっぱら明治国家の側を主体とし、「処分する側」の論理や行動を中心に歴史を描き、解釈してきた点にある。そのため、史料としては松田の『琉球処分』に収められた、またはそれらと同類の明治政府の側の文書が主たる準拠史料とされてきた。もちろん、歴史学や政治史の研究が、時代を動かし、歴史を推し進めたように見える主動者たちの意思や行動にまず着目していくのは、ある意味では当然のことだとも言える。しかし、それらの主動者たちに引き摺られるように歴史を生きた者たちもまた人間であり、主体であったことに変わりはない。だとすると、「処分する側」の立場や視点から書かれた公文書の類を史料批判的な眼で読み、そのような史料に無批判的に依拠しがちであった従来の日本近代史を適切に相対化するためには、処分・併合を「される側」の思想や行動についても均衡のとれた目配りをすべきであり、それらを内在的に理解していく必要があるだろう。近代日本による琉球併合の研究に要請されているのは、こうした複眼的考察の上に立ったより客観的で、より正確な歴史像を再構築していくことではなかろうか」。

 本論全5章は、序章第二節「本書の構成」で、各章それぞれつぎのように要約された。第一章「近世東アジアのなかの琉球王国」では、「上記のような問題意識と歴史の大きな見通しの下に、琉球併合の歴史的与件を明らかにするため、近世琉球王国の歴史や内的特質とともに、前近代の東アジア国際秩序に目を向け、近世から近代への移行期における琉球と朝鮮との類比性・関連性について論じている」。第二章「琉球藩王冊封とその歴史的意味」では、「「琉球処分」=琉球併合過程の起点をなす一八七二(明治五)年の「琉球藩王冊封」について考察し、その歴史的意味について詳しく論じている」。第三章「征韓論政変と台湾出兵」では、「七二年の藩王冊封と七五(明治八)年の松田道之の琉球出張との間に生起した征韓論政変(明治六年政変)と台湾出兵という二つの出来事について考察する。いずれも七五年以降、「琉球藩処分」が本格化する背景を明らかにすることに目的がある」。第四章「「琉球藩処分」の本格化から強制併合へ」では、「一八七五(明治八)年の対琉球政策の転換と松田道之の最初の琉球出張から七九年の「廃藩置県」=琉球併合までの歴史過程を考察する」。第五章「近代東アジア史のなかの二つの併合」では、「琉球併合から韓国併合に至る時期における東アジアの国際関係に再び視野を広げ、近代東アジア史の脈略のなかで二つの併合とその意味について考察する」。

 そして、つぎのような文章で「序章」を結んでいる。「戦後の研究では、「琉球処分」を「民族統一」という視点から論じるというのが研究者に共有されたパラダイムとなった。しかしながら、今日では沖縄や日本を取り巻く問題状況も大きく変わり、そのパラダイムは崩壊ないし雲散霧消したといってよい。だが、個々の史実解釈では、その時代に確立され、しかも往々にして学問外的動機によって歪められた解釈が、今なお通説として無批判的に流通している場合が多いように思われる。本書の論述は、それらに対する根底的な批判を企図している」。

 「序章」のこれらの提起を受けて、「終章」では各章で考察したことを、つぎのように整理し、不充分な点を補っている。第一章では、「琉球の士の性格やいわゆる士族率の問題などを中心に、近世琉球の特質を指摘するとともに、琉球の中華世界および徳川日本への「両属」の問題や近世東アジア世界における琉球と朝鮮の類比性について考察した。まず、前者について言えば、同じ近世とはいっても日本と琉球とでは相当に異なった政治社会であったことを指摘し、安易な類推が通用しないこと、その点では明治維新と「琉球処分」の関係についても同様であることを論じた」。

 第二章では、「「琉球処分」の起点をなす一八七二年の「琉球藩王の冊封」について」、従来「主に「琉球藩の設置」と記述され、明治政府による琉球の「両属」解消に向けた最初の措置として解釈されてきたが、本書ではそれを「(琉球)藩王冊封」と呼ぶべきことを主張し、従来の歴史記述の見直しを提起した」。そして、「従来、この藩王冊封(≒琉球藩設置)を前年末の台湾での琉球人遭難事件と関連させ、それが台湾出兵のための準備措置だったとの説が唱えられてきたが、そのような解釈は誤りであり、実証的検証には耐え得ないことの積極的論証を初めて体系的に試みたことも、本書の大きな独自性をなしている」。

 第三章では、「日本政府には朝鮮についてもこれを皇国日本に「藩属」させようという考えがあったこと、まさに朝鮮(韓国)を力ずくでも藩属させようという思想こそが当時の「征韓論」の思想だったことを」指摘した。また、「「琉球処分」の諸段階やその起伏にも留意し、七五年以降「琉球藩処分」が本格化した背景を征韓論政変や台湾出兵という事件、およびその過程で生じた明治政府による冊封の論理からの離反(万国公法の原理への転換)という方針転換に関連させて体系的に説明することを試み」、「藩王冊封(≒琉球藩設置)と台湾出兵問題とは切り離して考えなければならない」と結論した。

 第四章では、「日琉交渉の様子を、喜舎場朝賢を援用しながら琉球側の視点からも描き出し、従来の歴史像の相対化とその大幅な訂正を試み」、「従来の多くの研究や歴史書でもいわば日本派と清国派に分裂していたという類いのことが書かれて」きたが、「喜舎場の記録と併せ読めば、それも明治天皇政府の優秀な官僚としての単なる作文にすぎないと言っても過言ではないほどである」ことを明らかにした。「琉球の士分層はおしなべて琉球の社稷(しやしよく)の保存、その国家的存在と自己統治の存続を願う琉球派だったいうのが正確なところで、清国との関係を絶たれては琉球という国家的存在を保つことは不可能であろうと考えたがゆえに、清国を頼りにし、明治政府の命令に最後まで抗ったのである」。

 第五章では、「一八七九年の琉球併合から一九一〇年の「韓国併合」に至る時期の東アジアの国際秩序に視野を広げ、この二つの併合の意味や類比性について考察し」、「併合後の「同化」と「皇民化」の政策や、その反面としての差別と排除など、多くの共通性や類比性」を指摘し、「特に本書で取上げたのが、併合やその事実の正当化説としての「日琉同祖論」と「日鮮同祖論」である」とした。いっぽう、重要な相異点として、「アジア・太平洋戦争での日本帝国の敗戦によって、朝鮮半島は当然ながら独立を果たし、「日鮮同祖論」も一夜にして説得性を失って放棄されることになるが、「日琉同祖論」のほうは戦後にまで生き延びた。というより、むしろ戦後においてこそより熱心に唱えられ、より広く人口に膾炙した」と論じた。

 本書は、従来の日本から見た「琉球処分」ではなく、琉球から見た琉球併合の実態を明らかにした。そして、韓国併合とあわせて考えることで、「東アジアの伝統的中華世界秩序の衰退から植民地帝国日本の擡頭への新旧交替」の過程を鮮やかに描いた。近代日本中心史観から解放され、琉球を中心に据えたことで、中国から見た「琉球廃滅」を考察することも可能になっただろう。そうすると、琉球と同時期に、中華世界秩序から離脱した国や地域のことを考える必要がある。本書には、つぎのような記述がある。「琉球併合の後には日清間の対立・交渉の焦点は朝鮮に移り、八二年に壬午(じんご)軍乱、八四年には甲申(こうしん)政変と事件が続いた。同じく八四年には、インドシナ侵略を本格化させていたフランスと、ベトナムの救援を目的として戦争に踏み切ったが(清仏戦争)、福建海軍は壊滅してすぐに敗れ、八五年天津条約を結んでベトナムに対する宗主権を放棄させられた。同じく八五年末には第三次ビルマ戦争があり、翌年一月には朝貢国のビルマがイギリスの実質的植民地となっている」。

 東南アジア大陸部には、両属どころか、清国のほかベトナム、ビルマ、タイ、カンボジアに二重、三重に朝貢する大小さまざまな国が存在した。朝鮮よりむしろ琉球に近い国ぐにであった。これらの国ぐにをめぐって、清国はフランスやイギリスにどのように対応したのだろうか。それがわかって、東南アジアを含めて「近代東アジアのなかの琉球併合」がより明らかになってくる。中国研究だけでなく、東南アジア研究、西欧の植民地研究からの視点で見ることによって、世界史と結びついた地域史が見えてくる。そのとき、本書の成果が重要な役割を果たすことになる。

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