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2014年05月20日

『現代日本人の中国像-日中国交正常化から天安門事件・天皇訪中まで』馬場公彦(新曜社)

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 本書は、前著『戦後日本人の中国像-日本敗戦から文化大革命・日中復交まで』(新曜社、2010年)の続編である。前著を踏襲したものなどの共通点や扱った時代の違いからくる相異点などは、まず「本書を読まれる方へ」で、つぎのように著者、馬場公彦は述べている。「前著が一九四五年の敗戦から日中復交がなされた一九七二年までの二七年間を扱ったのに対し、本書は翌一九七三年より天皇訪中の九二年末までの二〇年を扱う。より現在に近い時期を扱うので、タイトルを「戦後日本人」から「現代日本人」に改めた。取り上げる素材、分析方法、叙述の仕方などは前著をおおむね踏襲している」。

 だが、本書から明らかになった「中国像」は、前著とはかなり違ったものになった。「この差異は、何よりも前著の二七年間が日中断交時期であった(いっぽう台湾の中華民国政府とは国交があった)のに対して、本書は国交がなされた(いっぽう台湾の中華民国政府とは断交した)後の時期であるという違いによるものである。人・物資・情報が直接往来可能な二国間関係と、それが不可能であるか極めて制限されている二国間関係とでは、交流のあり方が根本的に異なり、他者認識のありようも大きく異なってくる」。

 本書と前著のさらなる違いは、「戦後日本人の台湾に対する認識、モンゴルに対する認識についても専論した」ことで、著者には「日本人の中国像を、比較のなかで相対化させることで際立たせてみたいという意図」があった。また、つぎのような意図もあった。「草創期の日中関係には、今からは想像を絶するような蜜月時代があり、大平正芳・中曾根康弘、かたや鄧小平・胡耀邦と、良好な両国関係の樹立に尽力したトップリーダーがいた。その間に継起した出来事を日本人はどう認識し、歴史に刻んできたのか。新しい日中関係の嚆矢となる創世の歴史を、記録としてとどめておきたいという意図が、本書にはある」。

 さらに、著者は「序章 日本人の中国像の変遷-戦前、戦後、そして現代へ」で、前著で得た成果、本書で明らかになったことから、本書で扱ったつぎの時代を展望して、日本人の中国像を「市民外交」「国民世論」という視点から読み解き、また中国自身がどう変わったのかを理解したうえで、「本書のねらいと時期区分」を書いている。「本書のねらいは、前著の問題意識を引き継ぎ、一九七二年の中国国交正常化以降の日中関係を、日本で発行された総合雑誌に公表された中国関連記事の動向に着目することで「市民外交」の視点から明らかにすることにある。時期としては前著がカバーした七二年末を継いで、七三年から、八九年の天安門事件を経て、天皇訪中があった九二年末までの丸二〇年間を扱う。資料は前著同様、日本の総合雑誌に掲載された全一一誌、総計一六〇四篇の論文を分析の素材とする」。この20年間を時期区分とした理由として、つぎの3つをあげている。「第一に、日中二国関係においても、世界のなかの日中関係においても、この二〇年が一つの画期性を帯びた時期だからである」。「第二に、九〇年代以降、日中関係は不可逆的とも言いうる変化を見せるからである」。「第三に、日本人の中国像の析出する前著および本書での作業方法は、九〇年代以降、その有効性がますます限定的になっていくからである」。

 本書は、前著のアプローチを踏襲しているが、日中国交正常化はふたつの大きな構造的変化をもたらし、日中の相互認識のありようを探求するうえでふたつの注意が必要になった。ひとつは、容易に想像がつく「相互交流の拡大と深化にともなう認識のありようの構造的変化で」、「本書では、中国の日本認識については資料的制約もあって充分には考察されておらず、断片的な叙述にとどまっている」。もうひとつは、「日中国交は日台断交であり、中国像にもう一つの認識対象が加わったことである。日台断交は政府間の公式外交関係の遮断を意味したが、民間外交・非公式外交はむしろ大いに活発化した。そのことで、それまでは戦後日本人の視野にはなかなか入ってこなかった台湾および台湾人の存在感が高まり、「二つの中国」が現実味を帯び、あるいは中国認識のオルタナティブ経路あるいはサブ経路としての台湾認識経路が新たに加わっていった」。

 「終章 日本人の対中国認識経路を通して見た中国人像」では、前著および本章でえた日本人の中国像をまとめ、1990年代以降現在までのものを概観した後、「対中認識経路をめぐる一〇のアスペクト」を通して、その変遷を概術している。10のアスペクトとは、交流ルート、中国論の担い手、中国情報、輿論と世論、メディア、学知、世代、論題と知見、イメージ、パラダイムである。

 そして、終章最後の節「四 多彩な論者による豊かな中国像のために」では、「中国観察家による社会科学的アプローチ」と「人文知を取り戻す」にわけて論じている。まず、現代中国研究者は、「現代中国語を使いこなし、豊富なデータを比較的容易に入手しうるアドバンテージをもち、専門知識を駆使して現状分析を行なう技能を備え」ているが、「足場は地域研究にあり、地域研究は諸学理を総合的に動員するものではあるものの、諸学理は社会科学系統の学知に偏り、文学・歴史・哲学といった人文科学系統の学知は総じて手薄である」と指摘している。そのうえで、つぎのように終章を結んでいる。「新たなパラダイムの構築に向けて、社会科学系の学知だけでなく、文化的資産を尊重し、人文精神を認識の拠り所とする人文系の学知もまた取り込んでいく努力が求めされている。国交回復以降は、人文科学系は中国古典学として前近代を研究対象とし、社会科学系は現代中国論として現代を研究対象とするというような学術界の慣行によって、両者が学界内部で棲み分けられてきた。今や両者を融合する総合的・学際的学知が求められているのである」。

 本書は、だめ押しをするかのように、前著同様に「総解説 中国という巨大な客体を見すえて」で5人(若林正丈、西村成雄、濱下武志、船橋洋一、毛利和子)の長時間インタビューを採録している。

 2012年に日本で学ぶ中国人留学生は8万6324人、それにたいして中国で学ぶ日本人留学生は2万1126人にすぎない。この差が気にかかる。また、日本人留学生は、中国で何を学んでいるのだろうか。戦前にも、日本に来て学ぶ中国人留学生がいた。それにたいして、漢文読解などで圧倒的に劣る日本人は、敬意をもって中国学を学んだ。戦後は、共産主義を理想化する知識人を中心に、共産主義国家を建設した「清新な「新中国」」に憧れをもった日本人がいた。互いに尊重しあい、学ぶことがあった。そして、その「新中国」は論壇誌で紹介され、ノンポリの若者も読んで一定の知識をもっていた。前著で扱った時期と本書で扱った時期では、論壇誌の読者層にも変化があっただろう。ひと言でいうと、数も減り質も低下しただろう。本書で扱った時期以降では、もはや論壇誌を考察の対象とすることはできないかもしれない。こう考えると、今後の日中関係は悲観的になってくる。

 だが、本書には、日中関係を改善する多くのヒントが隠されている。まず、国交回復以降、「市民外交」といっても国家と国家との関係を中心に考えすぎてきたことがある。台湾の中華民国政府との断交後、むしろ交流が深まったように、市民同士の交流を主役にすれば、国家間の問題は後景に退くはずである。インターネットを使った若者の交流もさかんで、そこには二国間交流だけでなく、多国間のなかの日中交流がある。領土と国民の生命や財産を守るという近代国民国家の「使命」を尊重しながら、いかに地球市民として国家とつきあうかが鍵になる。けっして、国家を焚きつけて関係を悪化させる世論つくりをする偏狭な国民であってはならない。

 本書で扱ったつぎの時期を考察することで、ホップ、ステップ、ジャンプと、つぎへ飛躍できる気がするが、そのジャンプにあたる1992年以降を考察することがきわめて難しいことは、5人のインタビューからもよくわかる。

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