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2014年01月14日

『海洋境界画定の国際法』村瀬信也・江藤淳一編(東信堂)

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 「陸は海を支配する」「国際法が主権国家の合意により形成される」ということを、基本に本書は書かれている。この大前提が近代の所産であり、これを変えなければならないと思う。「近代国際法の父」といわれるオランダのグロティウスは、1609年に『自由海論』を出版し、海はすべての人びとにとって自由に利用できるものであり、いかなる者も排他的に領有し得ないことを説いた。『自由海論』は、古代からの多くの先例をひいて体系的に論じ、また古代からのアジア諸国・地域との海上交易の慣習を重視して、東南アジアの海洋民が居住するマカッサルやマラッカの海事法を参考にした。その自由な海を、近代の主権国家が排他的に利用しようとしている。海を主体的に見、国境を越えて海とともに暮らす人びとの自律性を尊重する考えはないのか。さらに、海を人類共通の財産と見、個々の主権国家の利害から海を守る権利は「地球市民」にないのか。南極のように、自然を守るために開発を禁じる保護区を設けることできないのか。

 どうもそのような理想的で、悠長なことをいっている状況ではないことが、本書からわかる。そして、その主権国家間の紛争を回避するために、多くの人びとが努力してきたことがわかる。その基準となるのが、「国際法」である。しかし、「国際法」であるかぎり、その当事者は近代主権国家である。

 本書は、「国際法の観点から多面的に検討し、問題状況を分析するとともに、解決のための方策を考えようとするもの」で、その背景をつぎのように説明している。「海洋基本法の下で新たな海洋立国の実現をめざす、海に囲まれた日本にとって、その主権ないし主権的権利の及ぶ範囲を定める海洋境界画定問題は避けて通れぬ重要な国際法上の課題である。隣国間の画定問題については、すでに多くの条約慣行と国際判例の蓄積があり、わが国をめぐる海洋境界も、それらに準拠して画定されなければならない。もっとも、境界画定の原則にはまだ不確定のまま残された問題もあり、また、領土紛争がその海域に影を落としている場合には、境界画定が容易ではないことも事実である。場合によっては、境界画定を棚上げにして「共同開発」を進めることも一つの方法である。隣国間の問題に加えて、200カイリを越えて遠く広がる大陸棚の限界を定めるという課題も重要である」。

 国際法は、条約作成中、「各国は近隣諸国との具体的な事案を念頭に置きつつ、事態に適用のある法を自国に有利な内容とすることによって立場を強化しようとし、条約文の確定後は規定の解釈として自国の立場を明確に維持しようとしている国が少なからず存在するとみられる」。日本も個別に原則と例外を使い分け、実効支配している尖閣諸島と、実効支配されている竹島では、別の原則をとる。「島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるもの」で、「人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない」と海洋法条約で定義されているにもかかわらず、日本は「高潮時にわずかに北小島及び東小島の二つの岩礁が約50cm海上にでるにすぎない沖ノ鳥島の周囲にEEZ[排他的経済水域]を設定している」。つまり、どこの主権国家も、「国益」を優先させ、「国際法」を無視するのである。

 そんな主権国家の主張に踊らされて、戦争に巻き込まれることはごめんであるが、それぞれの国民は偏狭なナショナリズムに絡みとられて、「地球市民」としての利害を忘れるようだ。近代主権国家が「国益」のために主張することを、それなりに尊重したうえで、個々の国民は国を超えた利害を考えることで「地球市民」としてのつとめを果たすことができる。そのためにも、それぞれの主権国家が、国際法とどのように向き合っているのかを知ることが重要で、本書がその参考になる。

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