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2014年01月28日

『ラオス史』マーチン・スチュアート-フォックス著、菊池陽子訳(めこん)

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 日本の約3分の2の国土に、わずか632万人(2008年)が居住するラオスに注目するのは、それなりに訳がある。因みに、ラオスは、6億を超す東南アジアのなかでも、シンガポール、ブルネイ、東ティモールを除けば、人口のもっとも少ない国である。

 ラオス人民民主共和国の歴代の国家主席や首相の名前を、ひとりも知らなかった。それでも、専門は「東南アジア史」と言ってきた。19世紀末にフランス領インドシナ連邦に編入され、インドシナ戦争を経て1975年に共和制国家が成立したが、ベトナムの「付け足し」のような感じで、とくに関心はなかった。ところが、東南アジアの大陸部の歴史を知ろうとしたとき、国民国家の担い手になった低地の主要民族だけではなく、高地の「少数民族」に目を向けなければ、地域としての歴史も、それぞれの国民国家の歴史もわからないことがわかってきた。その「少数民族」の比率が高く、地形的にも高低差の大きいラオスが、東南アジアの大陸部を理解する要のひとつのように思えてきた。さらに、このような国家が「生き残る」ことが、今日のグローバル化社会に生きる個々の人びとにとって重要なことではないかと考えるようになった。

 本書は、「ラオス語以外で書かれた初の本格的なラオス通史」である。著者は、「国民国家ラオスを支えるナショナルアイデンティティーの形成にとって歴史叙述がいかに必要とされているか」、「序章」でつぎのように述べている。「ラオスは東南アジア諸国の中でも包括的ナショナルアイデンティティーの構築をイデオロギー的に支えるナショナリストによる歴史叙述が最も発達していない国となった。このことは、ラオスの歴史家にかなり重い課題を課している。近代ラオスの構造はもろく、ナショナルアイデンティティーのための確固とした支えを、おそらく包括的で一元的な歴史叙述に求めているからである」。

 「したがって、私はラオスの歴史叙述には、現在国際的に国民国家であると認められている国家の存在を支える「語り」が、今この時点で求められていると考える。この点において、私の考えていることはラオス国内だけでなく国外の難民社会におけるラオス人の願望、信念、確信をも反映していると信じている。もちろん、私が書いた歴史はラオスの人々に向けたものではない。そういう歴史はラオス人歴史家だけが書くことができる。この歴史は、国外に離散したラオス人の西洋化した子供たちを含め、外からラオスを眺める人々のために書かれたものである」。

 本書を読むと、ベトナムの「付け足し」でもなければ、自主性を奪われ、ただたんに従属していただけではないこともわかってくる。フランス植民支配下の状況は、つぎのよう説明されている。「直接統治の県においてさえフランス人官吏の数は非常に少なく(遠隔地にある小さな県ではたった3、4人であった)、フランスの統治は実質的に間接的であった。これは、ラオ・トゥン[山腹ラオ]やラオ・スーン[山頂ラオ]などの少数民族管理においてよりはっきりしていた。たとえば、ラメット族の場合がよく知られているが、上メコン内の県に居住するラメット族の小集団に対してフランスはラメット族のムアン[くに]を創設し、ラメット族の村長を任命した。そのムアンはラオ人のチャオ・ムアン[地域の支配者]の管轄下にあったルー族の徴税人によって監督された。そして、そのチャオ・ムアンはほとんどがベトナム人である県の行政職員に報告をした」。

 また、1975年に立憲君主制から共産主義の人民共和制に体制が移行したときは、ベトナムのように「革命」的ではなかった。「前国王のサワンワッタナーを国家主席(大統領)顧問に、そしてスワンナプーマーを政府顧問に任命することで、王制から人民共和制への移行に伴う急激な変化を緩和させるための努力もなされた。前皇太子のウォンサワンは最高人民議会の構成員に任命された。前政権の指導者たちは、こうして、彼らの威光と人気を新政権に付与するために利用された。ルアンパバーン王家の王子であるスパーヌウォンが新生共和国の国家主席の地位に就任したこと、そしてほんの少し歌詞を変えただけの前政権と同じ国歌と、ラオス王国政府の旗(頭が3つある象の図柄)に代わって前ラオ・イサラ[自由イサラ]旗の採用が決定されたことで、さらに継続性が強調された」。そして、「1976年中頃までに、[首都]ビエンチャンに住んでいた2万人の中国人と1万5000人のベトナム人の半数が、資産を金(きん)に換え、身に付けて去った」。

 本訳書の原著は、1997年に出版された。その最後は、つぎのような文章で終わっている。「ちょうどラオス王国体制下でもそうであったように、ラオス人民革命党は、国民が統合とアイデンティティーの意識を強く持つようになることを最優先にしていた。政治文化全体の発展に関していくらかの進歩は見られたが、少数民族の生活水準向上という約束を果たせなかったことと地域主義によって、せっかくの成果が損なわれる恐れがあった。政府が国民和解に立ち向かうことに気乗りしなかったのは、教育を受けたラオス人はラオスよりも海外に多く居住しているからで、一方、国のほうは、ある国への依存から他の国へ-アメリカからソ連、ベトナムへ、さらにタイ、中国、世界銀行へと依存先をそっと移していた。ASEANへの加盟は、ラオスに逃げ場と脅威の両方を提供した。逃げ場というのは、加盟国としてラオスに地域的な援助が与えられるという意味であり、脅威というのは、経済的統合が加速化することでラオスの独自性が大きなタイ文化に吸収されてしまうかもしれないという意味である。しかし、ヨーロッパ連合の中でルクセンブルクが他とは異なる存在として生き残っている以上、東南アジアの中でラオスもまた同じような意味で「生き残る」ことができるであろう。ラオスに準備ができていようといまいと、将来的に地域の他の国々とより密接に一体化していくことは避けられないであろう」。

 さらに、2010年の日本語訳出版に際して書き下ろされた「終章」は、つぎの文章で終わっている。「行政の至る所で汚職が蔓延しているので政府予算が吸い上げられ、保健、教育、社会サービスの分野は資金が欠乏している。NGOや2国間援助がその隙間を埋めているが、党のエリートがその問題に取り組もうとしないのを見て援助供与国ががっかりしてしまう恐れがある(2008年、スウェーデンはラオスに対する援助計画の終了を発表した)。もしも将来の経済発展の恩恵、特に期待の水力と鉱物からの歳入がより公平に配分されるべきであるとしたら、改革とそれをやりとげる指導体制が絶対的に必要である。しかし、ラオス人民革命党がその任務を成し遂げるために不可欠な政治的意思を持ちあわせているということを示す兆候はほとんどない」。

 著者の「ラオスへの愛着ゆえの厳しさ」をもって、こう書かざるをえないのは、本書を通読すればわかるだろう。だが、たとえ、国家としてのラオスが生き残ったとしても、そこに居住する「国民」が生き残れるとは限らない。そのことは、このグローバル化時代の格差拡大社会のなかで、どこの国民も同じことが言える状況になってきている。ラオスの将来は、他人事ではないことを認識することが必要だろう。また、有力一族の主導権争いが統合の弊害になっている国は、東南アジアなどどこにでもある。グローバル化時代の国民統合とはなにか、近代の国民統合とは違う次元で考える必要がありそうだ。

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2014年01月14日

『海洋境界画定の国際法』村瀬信也・江藤淳一編(東信堂)

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 「陸は海を支配する」「国際法が主権国家の合意により形成される」ということを、基本に本書は書かれている。この大前提が近代の所産であり、これを変えなければならないと思う。「近代国際法の父」といわれるオランダのグロティウスは、1609年に『自由海論』を出版し、海はすべての人びとにとって自由に利用できるものであり、いかなる者も排他的に領有し得ないことを説いた。『自由海論』は、古代からの多くの先例をひいて体系的に論じ、また古代からのアジア諸国・地域との海上交易の慣習を重視して、東南アジアの海洋民が居住するマカッサルやマラッカの海事法を参考にした。その自由な海を、近代の主権国家が排他的に利用しようとしている。海を主体的に見、国境を越えて海とともに暮らす人びとの自律性を尊重する考えはないのか。さらに、海を人類共通の財産と見、個々の主権国家の利害から海を守る権利は「地球市民」にないのか。南極のように、自然を守るために開発を禁じる保護区を設けることできないのか。

 どうもそのような理想的で、悠長なことをいっている状況ではないことが、本書からわかる。そして、その主権国家間の紛争を回避するために、多くの人びとが努力してきたことがわかる。その基準となるのが、「国際法」である。しかし、「国際法」であるかぎり、その当事者は近代主権国家である。

 本書は、「国際法の観点から多面的に検討し、問題状況を分析するとともに、解決のための方策を考えようとするもの」で、その背景をつぎのように説明している。「海洋基本法の下で新たな海洋立国の実現をめざす、海に囲まれた日本にとって、その主権ないし主権的権利の及ぶ範囲を定める海洋境界画定問題は避けて通れぬ重要な国際法上の課題である。隣国間の画定問題については、すでに多くの条約慣行と国際判例の蓄積があり、わが国をめぐる海洋境界も、それらに準拠して画定されなければならない。もっとも、境界画定の原則にはまだ不確定のまま残された問題もあり、また、領土紛争がその海域に影を落としている場合には、境界画定が容易ではないことも事実である。場合によっては、境界画定を棚上げにして「共同開発」を進めることも一つの方法である。隣国間の問題に加えて、200カイリを越えて遠く広がる大陸棚の限界を定めるという課題も重要である」。

 国際法は、条約作成中、「各国は近隣諸国との具体的な事案を念頭に置きつつ、事態に適用のある法を自国に有利な内容とすることによって立場を強化しようとし、条約文の確定後は規定の解釈として自国の立場を明確に維持しようとしている国が少なからず存在するとみられる」。日本も個別に原則と例外を使い分け、実効支配している尖閣諸島と、実効支配されている竹島では、別の原則をとる。「島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるもの」で、「人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない」と海洋法条約で定義されているにもかかわらず、日本は「高潮時にわずかに北小島及び東小島の二つの岩礁が約50cm海上にでるにすぎない沖ノ鳥島の周囲にEEZ[排他的経済水域]を設定している」。つまり、どこの主権国家も、「国益」を優先させ、「国際法」を無視するのである。

 そんな主権国家の主張に踊らされて、戦争に巻き込まれることはごめんであるが、それぞれの国民は偏狭なナショナリズムに絡みとられて、「地球市民」としての利害を忘れるようだ。近代主権国家が「国益」のために主張することを、それなりに尊重したうえで、個々の国民は国を超えた利害を考えることで「地球市民」としてのつとめを果たすことができる。そのためにも、それぞれの主権国家が、国際法とどのように向き合っているのかを知ることが重要で、本書がその参考になる。

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2014年01月07日

『フィクションの中の記憶喪失』小田中章浩(世界思想社)

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 記憶喪失や殺人といった非日常的なことが、テレビドラマなどで頻繁に都合よく使われる。現実味の乏しい設定に、うんざりすることもある。そんな記憶喪失も、「虚構の世界、たとえば小説に描かれるようになったのはさほど古いことではない」という。

 著者、小田中章浩が問題にするのは、「さまざまなフィクションが記憶喪失という現象をどれほど正確に再現しているかということではなく、記憶喪失を基にしながら、フィクションの制作者たちが想像力を駆使してどれほど興味深い物語を作り上げたかということである。別の言い方をすれば、記憶喪失が虚構の世界においてどのように「表象」されているか」である。つまり、滅多におこることのない記憶喪失を使って、いかに虚実ない交ぜの社会を描き、読者や観客を「楽しませる」かが、制作者の腕の見せどころとなる。

 さらに、本書の狙いは、つぎのように説明されている。「神話や伝説における変身や試練といったモチーフと同様に、記憶喪失には新たに物語を作り出すための仕掛け(ギミック)としての面がある。これは特に連載漫画や連続テレビドラマのように、大きな物語の枠組みの中で常に新しい物語を生み出していかなければならない場合に便利である」。「テーマとしての記憶喪失とギミックとしての記憶喪失。両者の違いは、フィクションの制作者が、記憶喪失という現象そのものにどこまで興味を抱いているかということである」。「記憶喪失が物語のテーマになっているにせよ、物語の構成要素にとどまっているにせよ、それは物語が作られた時代や文化的な背景によってさまざまに変形される。こうした変形の中の興味深いものについて見ていくのが本書の狙いである」。

 記憶喪失が虚構の世界で描かれるようになったきっかけのひとつに、戦争がある。とくに総力戦となった第一次世界大戦で知られるようになったシェルショックについて、つぎのように説明されている。「記憶喪失(健忘)の中でも特に解離性健忘と呼ばれるものを扱ったフィクション、すなわち登場人物が事故または精神的ショックによって過去の記憶の一部または全てを失い、何らかのきっかけによって思い出すというモチーフが広がる大きなきっかけを作ったのは、第一次大戦(一九一四~一八)である。表象としての記憶喪失は、この戦争で知られるようになったシェルショックという現象と関係している。シェル(shell)とは英語で砲撃を意味し、シェルショックは戦場での精神的なダメージによって兵士に引き起こされるさまざまな症状を指す。具体的には心身が痙攣したり、目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったり、意識を失って昏倒したりすることであり、さらに一時的に記憶を失ってしまうことがこれに含まれる。しかし当時従軍した医師を困惑させたのは、シェルショックが戦場を離れた後の兵士にも残存することであり、それが治らなかったことである。今日の用語で言えば、シェルショックは戦場での体験がトラウマとなって引き起こされるPTSD(心的外傷後ストレス症候群)の一つであるということになる」。

 記憶喪失が治ることは、けっしていいことばかりとは限らない。記憶喪失は、一種の現実逃避であり、治ることによって現実に連れ戻されることになる。つまり、記憶喪失によって戦場から逃れた者は、治ることによってふたたび戦場に赴くことになる。当然、記憶喪失のふりをすることによって、現実から逃避する者も現れる。虚構の世界を描く者にとって、登場人物を天国にでも地獄にでも導くことができる、なんとも便利なものになる。

 本書は、4章と終章からなる。その構成を著者は、つぎのように述べている。「本書の具体的な展開としては、まず第一章から第三章において記憶喪失というモチーフを使った作品の中から興味深いものを取り上げ、それらを時代的な背景の中で論じていくことにする。ただし、こうした歴史的な叙述では拾い上げることのできない作品も多く存在する。そこで第四章において、虚構の世界における記憶喪失モチーフの主な機能について、こうした作品の一部を使いながらまとめることにした」。

 そして、終章では、「これまでの内容では検討することができなかった二つの問題を挙げ、結びの代わり」にしている。ひとつは、「小説や映画からゲーム、漫画へとジャンルを超えて用いられる記憶喪失というモチーフが、今後どのような形を取るのかという問題がある」。それにたいして著者は、「それらの一部はさらにゲーム化するだろう」と結論している。もうひとつは、「表象することが不可能な記憶に関する問題」で、つぎのように本書を締めくくっている。「表象不能な「純粋持続」としての記憶がある一方で、人間は今後も失われた記憶を仮想的に蘇らせるという「遊び」によって「死」と戯れることを止めないだろう。なぜならそれは人間にとっての究極の気晴らし=娯楽であるだけでなく、記憶が「動いている」ことを実感することによって、自らの生を確認する方法だからである。十九世紀末に無意識や解離性健忘が発見されて以来、あるいは記憶の柱の一つとしてその哲学を作り上げたベルクソンや、記憶をめぐる壮大な物語が作り出したプルースト以来、私たちは記憶というものと向き合い、その働きについて考えないではいられない「記憶の時代」を生きているのである」。

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