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2013年12月31日

『<群島>の歴史社会学-小笠原諸島・硫黄島、日本・アメリカ、そして太平洋世界』石原俊(弘文堂)

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 「捨て石」ということばが気になった。第4章「冷戦の<要石>と<捨て石>」の「おわりに」で、著者、石原俊は、つぎのように繰り返し「捨て石」ということばを使っている。「小笠原諸島・硫黄諸島はアジア太平洋戦争において、ミクロネシアの島々や沖縄諸島などとともに日本内地の防衛と「国体護持」の<捨て石>として利用され、住民は難民化や軍務動員を強いられた。そして両諸島は「サンフランシスコ体制」の形成過程で、沖縄諸島などとともに米国の軍事利用に供され、日本の再独立・復興の<捨て石>として利用された。これによって両諸島は米軍の秘密基地として使用され、米国の戦略的信託統治のもとで核実験などに軍事利用されたミクロネシアの多くの島々と同様、島民たちはディアスポラ化(故郷喪失・離散)を強いられた。さらに、日本への施政権返還後も硫黄諸島民の難民状態は継続し、ポスト冷戦期の米軍再編のなかでかれらは帰郷の望みをほぼ断たれ、徹底的に<捨て石>とされていった。小笠原・硫黄諸島民はいわば<日米合作>の形で、幾重にも<捨て石>とされてきたのである」。

 著者の主要な関心は、「19世紀から現代にいたるグローバリゼーションの展開のなかで、島嶼社会や海洋世界を拠点に生きる人びとが、世界市場・資本制・主権国家・国民国家・近代法といった近代的な諸装置の力に巻き込まれながら、どのように生きぬいてきたのかという問いにある。主な研究対象のひとつは、東京都心から約1,000km南の北西太平洋上に位置し、父島・母島とその周辺の島々からなる小笠原諸島である」。「また、父島から約250km南に位置する硫黄島や北硫黄島などからなる硫黄諸島(略)についても、近年研究対象としている」。「本書は、グローバリゼーションと植民地主義の前線でユートピアとディストピアをくぐりぬけてきた小さな群島からの<近代の定点観測>の試み、すなわち小さな群島の眼からアジア太平洋世界の近代を描き直す試みである」。

 本書は、著者が2007年に出版した『近代日本と小笠原諸島』(平凡社)以降に発表した「小笠原諸島・硫黄諸島の歴史社会学的/社会史的研究にかかわる拙稿と、群島世界や海洋世界とりわけ間太平洋世界の近代について論じた拙稿に基づいている」。『近代日本と小笠原諸島』との違いは、つぎの2点にまとめられている。「1点目は、小笠原諸島の先住者とその子孫たちに照準した前者で正面から扱うことができなかった、小笠原諸島民の状況について、本書では多くの紙幅を割いて言及した点である。2点目は、本書では小笠原諸島民・硫黄諸島民の近代経験を、前者のように日本国家との関係に照準するのみならず、間太平洋世界そして「海」におけるグローバリゼーションと植民地主義の文脈-いまふうにいえばグローバルヒストリーの文脈-に、積極的に定位しようと試みた点である」。

 本書で扱う19世紀から、海域に陸域の「国民国家」が帝国的野心をもって進出してきた。その正当性を支えたのが、ヨーロッパ近代法であった。そのことを、著者はペリーの小笠原諸島領有計画に関連して、つぎのように述べている。「ペリーの入念な行動が、19世紀当時のヨーロッパ公法の展開を意識した領有の手順をふんでいる点にある。前章[第1章「世界市場と群島のエコノミー」]でふれたように、「異教徒」の土地に対するローマ教皇の管轄権を正当化根拠として非ヨーロッパ世界の領有権を主張していた、スペイン・ポルトガル勢力に対抗するために、英仏蘭各国は先占の法理を掲げて、「無主地」を「占有」し継続的に利用した人が帰属する国家が、その土地の排他的な領有権を取得することを正当化しようとした。これに対して、19世紀に入るとさらに後発の植民地帝国であるドイツなどが英仏蘭に対抗するために、「無主地」の領有権取得の条件として「占有」よりも強い「実効的先占」を求めるようになっていた。ドイツと同様に後発帝国であった米国のペリーも、こうした「実効的先占」の論理を意識した行動をとったと思われる。ペリー艦隊は日本(徳川幕府)を含む各国に先立って初めて、小笠原諸島とその住民に対して本格的な主権の行使を目指したのである」。

 小笠原諸島を含む「無主地」は、こうして帝国列強の領有するところとなった。だが、ヨーロッパ「公法」への対応が遅れた中国や朝鮮などは、「主権を行使」する機会を失った。尖閣諸島も竹島も、その機会を失った国ぐにが、いま「主権を行使」しようとしている。「島」「諸島」「群島」「島嶼」、陸の論理でさまざまに表記される「空間」は、そこに居住する人びとにとってどういうものか。本書からも、近代国民国家が主張する「空間」とは、まったく別次元の空間があるように感じられる。

 本書の帯には、「領土問題を考えるための必読の1冊!」とある。

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