« 『虹の少年たち』アンドレア・ヒラタ著、加藤ひろあき・福武慎太郎訳(サンマーク出版) | メイン | 『中国抗日映画・ドラマの世界』劉文兵(祥伝社新書) »

2013年12月03日

『アジア主義は何を語るのか-記憶・権力・価値』松浦正孝編著(ミネルヴァ書房)

アジア主義は何を語るのか-記憶・権力・価値 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 「アジア主義」を、まず世界史のなかに位置づけたこと、さらに今日の地域主義と結びつけて時事問題を考えるためにも有効であることを示したことが、本書の特徴であり貢献である。日本学術振興会科学研究費補助金(基盤A)助成プロジェクト(「アジア主義のビジョンとネットワークに関する広域比較研究」)で、ここまでできるという見本のような成果が、本書である。

 相対化すべき従来の日本のアジア主義研究を、編著者松浦正孝は、つぎのように「序章 「アジア主義」の広域比較研究」の冒頭で述べている。「これまでの日本のアジア主義研究では、主に日本の侵略・戦争をもたらしたイデオロギーを、思想史の文脈で分析することが中心であった。アジア主義は、西洋帝国主義による侵略に対してアジア連帯を呼びかける良い面も持っていたが、それが次第に日本による侵略のイデオロギーとなり、その残滓が戦後にも日本資本主義による「大東亜共栄圏」の復活として噴出してくる。そのような言説が、従来のアジア主義に関する思想史的研究のステレオタイプとしてあったように思われる。そして、アジア主義とは、日本を中心としたアジアへの膨張・連帯のイデオロギーであることが、自明の大前提であった」。

 「本書の内容の紹介と、本書や本研究から得られた成果をもとに検討を加えた理論的考察」については、76頁にわたる「序論」に記されている。「本プロジェクトの最終的な目的は、アジア主義の広域比較研究を通じて、各地域のアジア主義やその背景にある自民族中心主義を克服して相対化し、それによってアジア、ひいては世界における各民族、各国家の共生の可能性と条件を探ることであった」。そして、「本プロジェクトを通じて得られた印象」をつぎの2つにまとめている。

 「第一に、比較研究をすることだけでも、我々の意識に変化や化学反応を起こすことができるのではないか、ということである」。「各報告者も、報告を準備する段階で、自分の研究を広域比較研究の場に置き、理論化を含めた可能性を模索する作業を意識するであろう。報告する側も聴く側も、相対化の訓練をしなければならなくなる。議論をする中で、さらなる対話と自己抑制的な考察に身を曝さなければならなくなるから、多くが自民族を扱うアジア各地からの研究者から成る広域比較研究というアプローチをとることは、予想以上の効果を産むことになると考えられる」。

 その研究成果を時事問題にまで広げて考えることを、編著者は領土問題を例に、つぎのように述べている。「成熟し信頼し合う、国民から委任された当局者同士の相互関係がない場合には、歴史認識問題にもつながる具体的なイシューを二国間で議論することによって実りある結果を産むことは難しい。しかし、日韓・日中の共同歴史研究の短い歴史を見ると、対話を重ねることを通じて、双方がどのようなことを問題としているのかを始めとしてお互いに差違を持っていること、そしてそれぞれにとってそれらの差違が大事であることは、少なくとも研究者同士でなら、ある程度認識できることがあるように見受けられる。ナショナリズムを動員する感情的な論争に歴史や政治を性急に巻き込まないためにも、まずは各種の専門家レベルでの対話を増やしていき、その後徐々にその成果を広げていくべきではないだろうか」。

 第2の印象は、「アジアの地域統合、あるいは平和的共存を考える場合には、成熟した世論に基づく公式の討論、西洋的価値観に基づく「民主主義」的で公開された外交交渉などに基づく手続きとは異なる回路を考えることも、必要ではないかということである。アジアという共通の場を有しているからには、友情を含む情念のレベルで、何らかの錯覚が生まれる可能性もあろう。これは、アジアを他の地域と対抗させようということではない。本書で明らかにしてきたように、アジア主義の歴史は、地域主義が、非常に政治的に操作の装置として極めて大きな力を持ちうることを示してきた。それは、対立を増幅させるための歴史であるばかりではないはずである」。

 「このプロジェクトの出発点であり、また目的でもあった」のは、「一度、アジア各地域における様々なアジア主義、言い換えれば、自らの地域を中心として多様な場所から見える「アジア」の風景とその中にある自己認識とを集め、その中に日本のいわゆる「アジア主義」を置いて相対化することで、アジア主義とは何かを再考してみよう」ということであった。

 その結果、「アジアの多様性・複雑性を示しつつ相違を類型化する図式として、様々な理論化を準備する切り口や枠組みを、ある程度見つけることができた。たとえば、「アジア」以外にも色々な地域的枠組みを持っている中国・ロシア・アメリカ、「アジア」よりもまず普遍主義的な枠組みへと向かうインド、常に「アジア」「アジア主義」という括りを考えながらも「アジア」と自らを切り分ける傾向のある日本、大国の狭間にあって「アジア共同体」のような枠組みを発信し続ける韓国・東南アジア、といった国々の違いが析出されてきたことは、本プロジェクトの一つの成果と言えるであろう」。「第二に、時間軸において、これまで曖昧にされてきた戦前と戦後との関係について、その連続性を論じることもできた」。「第三に、空間軸において広域にわたった事例を扱い、ユーラシアやイスラームといった広域圏、アメリカ・イギリス・オーストラリア・ロシア(ソ連。但し、ロシア・ソ連の場合はアジアとの関係が他とはやや異なる)といった域外要因や加入要因、複数の異種ネットワークが接触・交錯する「コンタクト・ゾーン」などの多くの論点に触れることができた」。

 全5部(「アジア主義とは何か」「西洋への対抗・競争としての「アジア」」「中国をめぐる「アジア」観」「日本帝国とアジア主義」「戦後アジア地域秩序の形成」)、28章からなる本書の全体像を紹介することは容易ではない。編著者は、各章ごとに工夫して、つぎのような見出しをつくり、要領よくまとめている。「ネットワークとしてのアジア主義」「アジア主義の両面性と補完性」「韓国における「東アジア論」と「東アジア言説」」「モンゴルにおける「帝国の記憶」」「ヨーロッパとアジアの狭間としてのロシア」「西洋列強と対抗するアジアに期待したハワイ」「アジア概念から自由な多様性としてのインド」「オーストラリアが創り出したアジア人包囲網」「戦前のアジア主義に無警戒だったイギリス」「西洋との対抗のため結びついた汎イスラーム主義と汎アジア主義」「汎イスラーム・汎アラブ・汎アジアを結びつけたパレスチナ問題」「日本のアジア主義から日本盟主論を削ぎ落とした中国知識人」「アジア認識の稀薄な中国」「東南アジアでの通商競争における華商と日本との提携の可能性」「覇権に従いダイナミックに変化するアジア空間」「アジア観念が重要ではなかったガーンディー」「朝鮮キリスト教のアジア主義における役割」「汪精衛政権のアジア地域概念」「台湾知識人の日華親善論・東亜平和論における二面性」「大川周明に汎アジア主義への転回とインドとの出会い」「相互理解なき打算によるアジア主義とイスラーム主義との交錯」「満州事変による汎アジア主義とトゥーラン主義との接合」「自国利益のための汎アジア主義と大タイ主義との野合」「日本の汎アジア主義の悪夢から生まれたスターリンのアジア主義的政治操作」「大亜細亜主義の延長および反共主義としての戦後のアジア主義」「アジア主義との対決の歴史とアジア太平洋国家化の間で苦しむオーストラリア」「アジア内部に浸透するアメリカとこれへの反発」「「四つの論理」と「三つのアジア」」。

 編著者は、「研究会を進めるにつれ、同じ地域の「アジア主義」を扱っても、研究者によってその見解は異なるし、「アジア主義」についての捉え方もそれを捉える人の数だけある、ということがさらに明確になってきた。アジア主義は、定義づけによってどこまで客観的で比較可能な概念になり得るのだろうか。それは、本プロジェクトにとって、永遠の課題でもある」と述べている。本プロジェクトだけでなく、学問上のキーワードとなるものは、その定義づけを明確にしておかなければ、その時代、社会、人びとによって都合のいいように使われ、紛争のもとになる。編著者が、繰り返し今日の問題と照らし合わせながら論じているのも、その危険性を充分に認識しているからだろう。その意味で、「永遠の課題」のために労を惜しまず、本書をまとめた編著者に敬意を表したい。

→紀伊國屋ウェブストアで購入

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://booklog.kinokuniya.co.jp/mt-tb.cgi/5579