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2013年12月31日

『<群島>の歴史社会学-小笠原諸島・硫黄島、日本・アメリカ、そして太平洋世界』石原俊(弘文堂)

<群島>の歴史社会学-小笠原諸島・硫黄島、日本・アメリカ、そして太平洋世界 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 「捨て石」ということばが気になった。第4章「冷戦の<要石>と<捨て石>」の「おわりに」で、著者、石原俊は、つぎのように繰り返し「捨て石」ということばを使っている。「小笠原諸島・硫黄諸島はアジア太平洋戦争において、ミクロネシアの島々や沖縄諸島などとともに日本内地の防衛と「国体護持」の<捨て石>として利用され、住民は難民化や軍務動員を強いられた。そして両諸島は「サンフランシスコ体制」の形成過程で、沖縄諸島などとともに米国の軍事利用に供され、日本の再独立・復興の<捨て石>として利用された。これによって両諸島は米軍の秘密基地として使用され、米国の戦略的信託統治のもとで核実験などに軍事利用されたミクロネシアの多くの島々と同様、島民たちはディアスポラ化(故郷喪失・離散)を強いられた。さらに、日本への施政権返還後も硫黄諸島民の難民状態は継続し、ポスト冷戦期の米軍再編のなかでかれらは帰郷の望みをほぼ断たれ、徹底的に<捨て石>とされていった。小笠原・硫黄諸島民はいわば<日米合作>の形で、幾重にも<捨て石>とされてきたのである」。

 著者の主要な関心は、「19世紀から現代にいたるグローバリゼーションの展開のなかで、島嶼社会や海洋世界を拠点に生きる人びとが、世界市場・資本制・主権国家・国民国家・近代法といった近代的な諸装置の力に巻き込まれながら、どのように生きぬいてきたのかという問いにある。主な研究対象のひとつは、東京都心から約1,000km南の北西太平洋上に位置し、父島・母島とその周辺の島々からなる小笠原諸島である」。「また、父島から約250km南に位置する硫黄島や北硫黄島などからなる硫黄諸島(略)についても、近年研究対象としている」。「本書は、グローバリゼーションと植民地主義の前線でユートピアとディストピアをくぐりぬけてきた小さな群島からの<近代の定点観測>の試み、すなわち小さな群島の眼からアジア太平洋世界の近代を描き直す試みである」。

 本書は、著者が2007年に出版した『近代日本と小笠原諸島』(平凡社)以降に発表した「小笠原諸島・硫黄諸島の歴史社会学的/社会史的研究にかかわる拙稿と、群島世界や海洋世界とりわけ間太平洋世界の近代について論じた拙稿に基づいている」。『近代日本と小笠原諸島』との違いは、つぎの2点にまとめられている。「1点目は、小笠原諸島の先住者とその子孫たちに照準した前者で正面から扱うことができなかった、小笠原諸島民の状況について、本書では多くの紙幅を割いて言及した点である。2点目は、本書では小笠原諸島民・硫黄諸島民の近代経験を、前者のように日本国家との関係に照準するのみならず、間太平洋世界そして「海」におけるグローバリゼーションと植民地主義の文脈-いまふうにいえばグローバルヒストリーの文脈-に、積極的に定位しようと試みた点である」。

 本書で扱う19世紀から、海域に陸域の「国民国家」が帝国的野心をもって進出してきた。その正当性を支えたのが、ヨーロッパ近代法であった。そのことを、著者はペリーの小笠原諸島領有計画に関連して、つぎのように述べている。「ペリーの入念な行動が、19世紀当時のヨーロッパ公法の展開を意識した領有の手順をふんでいる点にある。前章[第1章「世界市場と群島のエコノミー」]でふれたように、「異教徒」の土地に対するローマ教皇の管轄権を正当化根拠として非ヨーロッパ世界の領有権を主張していた、スペイン・ポルトガル勢力に対抗するために、英仏蘭各国は先占の法理を掲げて、「無主地」を「占有」し継続的に利用した人が帰属する国家が、その土地の排他的な領有権を取得することを正当化しようとした。これに対して、19世紀に入るとさらに後発の植民地帝国であるドイツなどが英仏蘭に対抗するために、「無主地」の領有権取得の条件として「占有」よりも強い「実効的先占」を求めるようになっていた。ドイツと同様に後発帝国であった米国のペリーも、こうした「実効的先占」の論理を意識した行動をとったと思われる。ペリー艦隊は日本(徳川幕府)を含む各国に先立って初めて、小笠原諸島とその住民に対して本格的な主権の行使を目指したのである」。

 小笠原諸島を含む「無主地」は、こうして帝国列強の領有するところとなった。だが、ヨーロッパ「公法」への対応が遅れた中国や朝鮮などは、「主権を行使」する機会を失った。尖閣諸島も竹島も、その機会を失った国ぐにが、いま「主権を行使」しようとしている。「島」「諸島」「群島」「島嶼」、陸の論理でさまざまに表記される「空間」は、そこに居住する人びとにとってどういうものか。本書からも、近代国民国家が主張する「空間」とは、まったく別次元の空間があるように感じられる。

 本書の帯には、「領土問題を考えるための必読の1冊!」とある。

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2013年12月24日

『ビルマ・ハイウェイ-中国とインドをつなぐ十字路』タンミンウー著、秋元由紀訳(白水社)

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 こんな本が、東南アジア各国・地域の人、あるいは東南アジア出身の人によってもっとたくさん書かれれば、東南アジアのことがもっとよく理解してもらえるのに、とまず思った。つぎに、こんな本を書いてみたいとも思ったが、外国人研究者には書けないと思い直した。むしろ、外国人研究者だからこそ書けるものを考えるべきだと思った。

 まず、現在のビルマのことがわかると思って、本書を開いて不思議に思った。目次の後に、4葉(4頁)の地図があった。それぞれのタイトルが、「紀元前1世紀の中国、ビルマ、インド」「紀元前1世紀のビルマと近隣国」「17世紀のビルマと近隣国」「2011年のビルマと近隣国」だった。いったい、なんの本だ?、と思った。

 本書は、プロローグ、3部、エピローグからなる。第1部「裏口から入るアジア」では、ビルマの現状を、歴史と文化を踏まえて語っている。第2部「未開の南西部」では中国、第3部「インド世界のはずれ」ではインドを、それぞれビルマとの関係、歴史と文化を背景として語り、現在直面している問題の根底にあるものを探っている。

 本書の帯では、つぎのようにまとめている。「東は雲南(中国)、西はナガランド(インド)と国境を接するかつての「辺境」が今、空前の活況を呈している-。気鋭のビルマ史家が二大文明に挟まれた小国の歴史をたどり、自ら旅して「アジア最後のフロンティア」の実像に迫る」。

 著者タンミンウーは、つぎのように紹介されている。「歴史家。一九六六年生まれ。ハーバード大学卒業、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際関係大学院修了。ケンブリッジ大学にて博士号(歴史)取得。カンボジアや旧ユーゴスラビアの国連平和維持団や国連本部での勤務を経て、現在はヤンゴン・ヘリテージ・トラストの会長として歴史的建造物の保存に取り組むほか、ミャンマー大統領の国家経済社会諮問評議会の評議員や、ミャンマー平和センターの特別顧問なども務める。元国連事務総長のウー・タン(ウ・タント)は祖父にあたる」。

 訳者秋元由紀は、本書の大前提をつぎのようにおさえ、「訳者あとがき」で述べている。「中国とインドというアジアの二大文明に挟まれているその位置こそが、ビルマにとって最大の資産である。ビルマは、南アジアと東アジアをつなぐ活発な交差点として、自国だけでなく中国やインドの人びとにも恩恵をもたらす可能性を秘めている」。

 つぎに、帯に大書されている「アジアの「裏口」ミャンマー(ビルマ)を知るための必読書」の「裏口」に引っかかった。著者は、第1部のタイトルを「裏口から入るアジア」としていることから、「裏口」にしたのだろうと思った。日本人にとっても、いちばん西の遠い東南アジアということで、わかりやすいだろうとも思った。しかし、アメリカで育ち、生活した著者にとって、「裏口」でもないだろうと思った。本書を読むと、著者は「イギリスは当初、ビルマが中国への裏口となることを期待していた」ということから、「裏口」という表現を使ったことがわかった。それでも、著者にとっては、「アジアへの入り口」だった。著者は、8歳のとき国連事務総長だった祖父の葬儀のために、初めてラングーンを訪れ、それからほぼ毎年ビルマに行くようになった。

 著者が歴史にこだわるのは、現在のビルマの国境が過去のものとはまったく違うことが、今日のミャンマーの問題の根底にあり、中国やインドとの関係にもそのことが大きく影響していると考えているからだ。著者は、つぎのように説明している。「今日、地図上ではインドとビルマ、中国は国境を接している。しかしイギリス支配が始まるまで、インドと中国それぞれの権力中枢の間に広がる高地地方はどの国の支配下にも入ったことがなかった。ビルマの王国も小さく、その周りには数千キロにわたり、どの国にも属さない民族が暮らす土地が広がっていた。それらは小さな領主国や部族で、上位の権力に忠誠を誓ってなどいなかった」。

 「イギリスはビルマで二つの対照的な統治方法を用いた。低地地方である「ビルマ本土(プロパー)」、つまりイラワディ川流域やそれに続く沿岸部では、イギリスは直接統治を行った。王政を廃止し、貴族や各地の有力一族を排除して、代わりにイギリス政府の公務員と現地採用の事務員を置いた」。

 「高地地方の扱いはまったく異なるものだった。イギリスはもとからいた世襲の藩主の一部(植民支配を拒否した者)を排除したが、ほかは残し、一部の藩主の権力を強化した。またビルマ以外の植民地と同様、地元の長や役人が仕切っていたやや秩序に欠ける行政を合理化し、体系化した。二十世紀には、シャン侯国は三四人の「ソーブワー」のもとに組織されていて、そのソーブワーたちは厳格な「優先順位」に従って序列が決まっていた。また山岳部には東のワや北のカチンなど、山奥の部族の長がいた。彼らはソーブワーより位が低かったが、イギリスは(忠誠と、歳入の一部と引き換えに)彼らの権力保持を認めたので、彼らの多くは以前と同じように営みを続けることができた」。「ビルマの低地地方が左翼政治やナショナリズムが渦巻いて騒然とした状態だったのに対し、高地地方はほぼ全域が平和だった」。

 その高地地域にたいして、ビルマ軍指導部は、「統合のゆるい連合国家の一部として少数民族居住地域に自治を認める連邦制という国のあり方自体にたいへんな嫌悪感を抱いていた。軍人として訓練されてきた彼らにとって、ビルマが民族ごとに分裂することは現実の脅威であり、考えられる最悪の悪夢だった」。

 このように考える裏には、長い歴史があることを、著者はつぎのように説明している。「ビルマ語は、もともと話されていたイラワディ川中流域から、セイロンの非常に保守的な上座部仏教に由来するビルマ仏教の流派とともに、数世紀かけて広がった。古い年代記に出てくるカンヤン人やピュー人、テッ人などは、進化するビルマ民族文化に吸収されていき、もはや存在しない。十八世紀にビルマ王国は、ラングーン周辺の古いモン語王国を併合し、モン人も縮小を続ける少数民族となった。ビルマ文化の辺境というものがあり、軍事政権はこの辺境を国のいちばん端まで広げたいと望んでいた」。

 現在、国境周辺に住む人びとの中には、つぎのような人がいることを、著者は紹介している。「公式の書類を持っていなくても問題なく国境を越え、中国国内を移動できた。またビルマ語とシャン語の名前に加え、中国語の名前さえ持つようになってもいた。「マンダレーではロンジーを着け、ビルマの音楽を聴いてくつろげる。シーボーではシャン人の友人に会い、シャン語でしゃべる。中国では、中国人は私のことを純粋な中国人だと思っている」。

このような人びとの暮らす地域は、ミャンマー側だけでなく、中国側にもインド側にも広がっている。そして、このような地域の平和と安定が保たれるかどうかによって、両極端の筋書きが考えられる。著者は、その鍵となる条件をつぎのように述べている。「ビルマが持つさらに重要な財産は、中国とインドの間にあるというその戦略的な位置で、まさにこれこそが今後、国全体にとって途方もなく有意義な機会をもたらす可能性がある。しかしその機会を活用して一般市民に恩恵をもたらすには、根本的な転換が必要だ。つまり、数十年続いた武力紛争を終わらせること。支配者層が、ビルマの民族的そして文化的な多様性を、単に対処するべき問題として扱うではなく、国にとって好ましいものとして見ようとすること、数世代にわたってビルマの政策を決定してきた排外主義に代わり、コスモポリタン精神が生まれること。そしておそらくもっとも重要なものとして、国民からの信用と信頼を受ける強く効果的な政府ができること」。

 長いタイムスパンと地域の特色をよくつかんだうえで展開される、ナショナルヒストリーを超えたビルマ史を堪能することができた。自分自身の足で現地を訪ね、未来を見据えて語られるだけに説得力があった。このような歴史が数多く語られ、地域も時代も重層することによって、地域史としての東南アジア史やインド史、中国史を叙述することが可能になるだろう。だが、本書に匹敵するものを、ほかの国や地域に求めることは容易いことではない。それだけに、本書は「ミャンマーを知るため」だけの必読書ではない。

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2013年12月17日

『民主化のパラドックス-インドネシアにみるアジア政治の深層』本名純(岩波書店)

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 著者、本名純の専門は、「インドネシア政治・東南アジア地域研究・比較政治学」である。欧米をモデルとした近代政治学ではない。著者は、終章「民主化のパラドックス-アジア政治の深層をみる目」をつぎのことばで結んでいる。「グローバル政治経済の大きな力学に阻まれ、ひ弱な改革勢力が骨抜きになっていく事態はみたくない。そのためには、民主主義の現場で何が起きていて、権力と利権をめぐる政治がどう運営されているのかをローカルな立場から発信し、安易な民主化評価に警鐘を鳴らすことが大事である。それがグローバル化時代に生きる地域研究者の存在意義のような気もする」。「本書を通じて、その思いが読者の皆さんに伝わることを祈りつつ、この終章を締めくくりたい」。

 本書の目的は、「民主化が孕むパラドックスの実態を描く」ことである。その例として、インドネシアを取り上げる。著者は、「スハルト体制崩壊から一五年が過ぎ、「民主主義の一五年」を振り返る催しが盛んな今、民主化に潜むウィルスの進行を冷静かつ正確に観察することは、地域研究にとって重要な仕事ではないだろうか」と問いかける。

 著者は、その目的を達成するために、「六つの政治局面を観察」し、それぞれ1章をあてて論じている。まず、第1章「デモクラシーのグローバル化とスハルト体制の崩壊」では、「スハルト後」の理解に決定的に重要な意味をもっている「スハルト体制の「終わり方」について、「民主化運動はいかに発生したのか。そして政治エリートたちは、どのような思惑でスハルト退陣劇を演出したのか」を議論する。

 第2章「ポスト・スハルト時代の政治改革」では、「「スハルト後」の民主改革の発展をみる。改革の軸は大きく二つあり、一つは市民の政治的自由の拡大、もう一つは国家の権威主義体質からの脱却である。どのような改革が、どのような目的で実施され、それによって政治はいかに変化したか」を議論する。

 第3章「民主化移行期の混迷する権力闘争」では、「レフォルマシ[改革]が最も盛んに叫ばれた時期、すなわちスハルト退陣からハビビ政権、ワヒド政権、そしてメガワティ政権における政治エリートの権力闘争を考察する」。

 第4章「民主化定着期の劇場政治-ユドヨノ政権の権力闘争」では、「二〇〇四年からの「民主化定着期」を考察する。同年の議会選挙と大統領選挙は、大きな混乱もなく行われ」、ユドヨノ政権が誕生した。「民主的な選挙が定着し、有権者の意志が直接的に政治に大きな影響力を持つ時代になり、「人気者」を担ぎ上げる政治ゲームが盛んになっていく。「人気者」はどう創られるのか。この劇場政治の舵を取る政治エリートたちの権力闘争に迫る」。

 第5章「分離独立運動・テロ・住民紛争-治安維持の政治」では、「治安に焦点を当てる。民主化は時に暴力を生み治安が不安定になる。これをどう抑えるか。これが治安の統治である。民主化で国家の治安の統治メカニズムはどう変わったのか。その問いに多角的に迫るために、分離独立運動、テロリズム、住民紛争という三つの性格の異なる治安問題を考察する」。

 第6章「民主化とアンダーグラウンドの力学」では、「「裏社会」の変化にスポットライトを当てる」。「政治の民主化によって、裏社会はどう変容しているのか。どのようなアウトローたちが衰退し、どのような新興勢力が台頭しているのか。利権のパイが一番大きい首都ジャカルタにおける裏社会の秩序再編と、そのインパクトを分析する」。

 そして、終章では、「これまでの考察を踏まえて、民主化のパラドックスとは何を指すのかを定めた上で、その力学が他国でも存在しうることを論じる。また今の国際環境が、それを助長している実態を明らかにする。今、アジアを含めた世界各地で進行しつつある「民主化ドミノ」と、その促進を意図した国際的な民主化支援に関する課題も浮き彫りになろう。パラドックスのジレンマを乗り越えることはできるのか」を考える。

 その終章で、著者は、つぎのように問うている。「一方で国際社会のリーダーたちや、経済をみている多くの人たちからは、インドネシアの民主化の定着と安定が高く評価され、他方で批判的な人たちからは汚職や暴力や権力乱用が問題視される。結局、民主化は成功なのか、それとも問題なのか。その答えはどこにあるのか」。

 その問いにたいして、著者は、つぎのように答えている。「本書を通じてみえてくるのは、「両方とも正しい」という答えである。言ってみれば、問題が温存されているから安定しているのである。つまり、旧体制からの既得権益が持つ政治エリートたちが、それなりに今の民主主義の政治ゲームを謳歌できているからこそ、それを壊そうという動機を持ちにくく、その結果、今のシステム(すなわち民主主義)が持続して安定しているのである。国軍であれ警察であれ、国会議員であれ地方首長であれ、汚職官僚であれ実業家であれ、皆がそれぞれ、ある程度の権力と利権の分配に組み込まれている今の状況は、システム全体をひっくり返そうという政治勢力を生み出さない。だから安定しているのである」。「旧体制下で影響力を持っていた「非民主的」な勢力の権力と特権を温存できているからこそ、「民主主義」が定着して安定する。これがインドネシアにみる民主化のパラドックスである」。

 けっして健全ではないこのような「民主主義」を批判することは、難しいことではない。しかし、その「民主主義」をたんに否定するのではなく、健全な方向に向かうよう「ローカルな立場から発信し、安易な民主化評価に警鐘を鳴らすこと」が地域研究者としての役割だろう。著者は、外国人地域研究者としての「礼儀」を、つぎのように述べている。「忘れるべきでないのは、今の質の悪い民主主義の実践を変えていこうと日々頑張っている人たちが、政府のなかにも政党のなかにも市民社会のなかにもいるという事実である。そういう勢力の努力をサポートすれども邪魔はしないということが、外国人である私たちにとって重要なのではないだろうか。問題まみれの政治の実態を、「民主主義の運営が安定している、定着している」と高く評価し、国際投資のチャンスだと宣伝するグローバル経済のアクターたちや、中東での外交政策の失敗をカモフラージュするかのごとく、アジアの民主主義を賛美する欧米の政策決定者たちに無批判でいることは、質の悪い民主主義を謳歌している権力エリートたちを喜ばすことはあっても改革勢力の助けにはならないし、むしろ妨害にさえなりかねない」。

 近代政治学で理解できないことを、アジア政治の未熟さや腐敗などのせいにするのではなく、アジアをモデルとする現代政治学があってもいい。本書でも、書けないこと、書けても理解してもらえないことが多々あることを背景として読まなければならないだろう。とくに東南アジアは、流動性があり、地域差が大きいために、1国単位で語る場合にも統一性を欠く議論になることがある。本書で議論されたことが、ほかのアジア、とくに東南アジアの国ぐにでどれだけ適応できるのか、それぞれの国・地域の文脈で考える必要があるだろう。本書を手がかりとして、アジアにとってふさわしい「民主主義」とはなにか、過渡期としてなにが許されなにが許されないのか、考えるきっかけになりそうだ。

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2013年12月10日

『中国抗日映画・ドラマの世界』劉文兵(祥伝社新書)

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 「中国では、なぜ抗日をテーマにした映画・ドラマが製作されつづけるのか?」「中国人が抱く日本へのネガティヴなイメージを作り上げた根本的な原因が、両国のあいだの政治的摩擦よりも、そもそも日中の歴史問題にあったのはいうまでもない。戦後生まれの中国人が日本に対して抱いているイメージは、戦争経験者の証言や、学校での歴史教育にくわえ、そのかなりの部分が映像によって形成されている」。「二〇一二年の一年間、中国全土をカバーする衛星テレビ放送のゴールデンタイムに放映されたドラマおよそ二〇〇作品のうち、七〇作品以上が抗日ドラマであった。しかし、そのほとんどの作品は、超人的英雄としての中国共産党軍と、残忍だが愚かな日本兵の対決という、一定の図式のもとで、過酷(かこく)な歴史をエンターテインメント化しているという傾向が目につく」。

 本書は、抗日映画・ドラマの歴史的変遷を整理したもので、著者劉文兵は、つぎのように「あとがき」でまとめている。「抗日映画(ドラマ)は、過酷な戦争やそれに対する中国国民の生々しい記憶を映しだすドキュメントであり、またつねに中国国内政治や日中関係、国際関係の変化に左右され、多大な抑圧にさらされるプロパガンダでもあり、さらに勧善懲悪的な痛快さと軽やかな娯楽性に彩られたエンターテインメントでもありました」。

 政府が見せたいもの、一般の中国人が見たいものは、つぎのように説明している。「中国政府が見せたい抗日戦争の歴史とは、どのようなものか。それは、中国共産党の指導によって苦難の末に勝利を得て、ようやく安寧(あんねい)の日々を取り戻したという努力の歴史にほかならない。そのため、日本軍の残虐さと侵略の不当性を訴えつつ、その犠牲の上に今日の平和と繁栄が築(きず)かれているという両面が描きだされなければならない」。「いっぽう、一般の観客や視聴者からすれば、重苦しいドラマよりは、カンフーの達人がさっそうと日本兵を倒す痛快な活劇のほうが楽しい。抗日ドラマを日常のうさ晴らしとして観たい。そのため、ドラマのストーリーや表現はしだいと過剰になり、公式の歴史像から逸脱(いつだつ)する結果となっていた」。

 しかし、視聴者は、これらの「抗日」ものを、けっして「史実に基づくドキュメンタリー的なドラマ」としてとらえているわけではない。「史実に基づくフィクションであることを、観る側もつくる側も認識したうえで、ファンタジーの世界を消費しているわけである。しかし、フィクションだということが分かっているにせよ、視聴者が知らずしらずのうちに、そうした短絡(たんらく)的な思考法に染まっていくという潜在的な影響が考えられる」。

 そして、冒頭の問いにたいして、著者はつぎのように答えている。「日本兵を悪役とした抗日ものだけは、いつの時代になっても絶えることがなかった。中国にとって、抗日ものが孕む対外的なメッセージ性を配慮する必要はないかのようだ。少なくとも日本に対してはそうである。なぜなら、日本はかつて明白な加害者だったからだ。そういう意味で、旧日本軍は、敵としてあつかいつづけても問題の少ない安全牌(ぱい)である」。

 しかし、このようなことはけっして好ましいことではないことを、著者はよくわかっており、さらに日本にたいしても、つぎのように述べている。「他者のまなざしを取り入れることのないまま、単純な物語がひたすら内向きに広がっていくという傾向は、けっして健全ではない。それは、中国の抗日ドラマだけではなく、日本の歴史表象についてもいえるだろう」。「たとえば、第二次世界大戦をあつかう、近年の日本の戦争映画やテレビドラマでは、侵略の過程における日本人の加害者・収奪者としての側面が、まったくといってよいほど無視されている。つまり、加害の史実そのものが表象の舞台から排除されているのだ」。「批判的な自己認識の前提としての他者のまなざしを考慮することなく、自己愛的な物語をひたすら内向きに消費しつづけるという点において、日本の歴史表象は、中国の抗日ドラマと同じ位相(いそう)にあるといえる。否、加害の史実まで隠蔽(いんぺい)し、否認する歴史修正主義の傾向がさらに批判されるべきであろう」。

 最後に、著者は「あとがき」で、つぎのように今後のあり方を述べている。「閉鎖的な状況のなかで、私たちは政治やメディアに左右されることなく、相手国に対する冷静な判断力を涵養(かんよう)しなくてはなりません。そして、メディアがつくり出したイメージとは異なる相手国の実像に触れ、新しい交流の回路を模索し、それを地道に積み上げていくしか道はないのではないかと思います」。

 著者のような中国人がいるかぎり、「反日」はまったくなくなるとまではいえないが、いずれおさまっていくことだろう。隣国同士は、日中にかかわらず、愛憎半ばで、良い関係のときはそれができるだけ長くつづくように努力し、悪いとき冷静に静まるときを待つしかない。その基本は、互いに良いところを認め、尊重しあうことだ。本書を通じても、「抗日」のなかに日本/日本人の優れた部分を認めている場面があった。けっして、一方的な目で見ない限り、好転の機会は訪れる。そう信じたい。

 著者は、「近年の日本の戦争映画やテレビドラマでは、侵略の過程における日本人の加害者・収奪者としての側面が、まったくといってよいほど無視されている」と述べているが、『ビルマの竪琴』(竹山道雄、1947-48年に雑誌連載、56年85年に映画化)にみられるように、敗戦直後からその傾向はあった。その意味で、日本側の戦後責任は重い。また、著者が心配している「加害の史実まで隠蔽(いんぺい)し、否認する歴史修正主義の傾向」が、特定秘密保護法で強まるなら、日本への信頼はさらに低下し、抗日ドラマは今日の問題としてつづくことになる。

 いっぽう、中国人留学生に訊くと、若者には抗日ドラマは人気がないという。しかし、夫婦共働きで、子育てを祖父母に任せている家庭では、祖父母とともに幼子が抗日ドラマを観ている。「西から昇ったお日様が東へ沈む」ではじまる人気漫画の主題歌を、日常生活で東西南北を意識しない都会の子どもたちが、ずっと信じていたという話がある。「刷り込み」の影響が、将来出るのかでないのか。「ギャグ」として、笑い飛ばせる余裕があるといいのだが・・・。

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2013年12月03日

『アジア主義は何を語るのか-記憶・権力・価値』松浦正孝編著(ミネルヴァ書房)

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 「アジア主義」を、まず世界史のなかに位置づけたこと、さらに今日の地域主義と結びつけて時事問題を考えるためにも有効であることを示したことが、本書の特徴であり貢献である。日本学術振興会科学研究費補助金(基盤A)助成プロジェクト(「アジア主義のビジョンとネットワークに関する広域比較研究」)で、ここまでできるという見本のような成果が、本書である。

 相対化すべき従来の日本のアジア主義研究を、編著者松浦正孝は、つぎのように「序章 「アジア主義」の広域比較研究」の冒頭で述べている。「これまでの日本のアジア主義研究では、主に日本の侵略・戦争をもたらしたイデオロギーを、思想史の文脈で分析することが中心であった。アジア主義は、西洋帝国主義による侵略に対してアジア連帯を呼びかける良い面も持っていたが、それが次第に日本による侵略のイデオロギーとなり、その残滓が戦後にも日本資本主義による「大東亜共栄圏」の復活として噴出してくる。そのような言説が、従来のアジア主義に関する思想史的研究のステレオタイプとしてあったように思われる。そして、アジア主義とは、日本を中心としたアジアへの膨張・連帯のイデオロギーであることが、自明の大前提であった」。

 「本書の内容の紹介と、本書や本研究から得られた成果をもとに検討を加えた理論的考察」については、76頁にわたる「序論」に記されている。「本プロジェクトの最終的な目的は、アジア主義の広域比較研究を通じて、各地域のアジア主義やその背景にある自民族中心主義を克服して相対化し、それによってアジア、ひいては世界における各民族、各国家の共生の可能性と条件を探ることであった」。そして、「本プロジェクトを通じて得られた印象」をつぎの2つにまとめている。

 「第一に、比較研究をすることだけでも、我々の意識に変化や化学反応を起こすことができるのではないか、ということである」。「各報告者も、報告を準備する段階で、自分の研究を広域比較研究の場に置き、理論化を含めた可能性を模索する作業を意識するであろう。報告する側も聴く側も、相対化の訓練をしなければならなくなる。議論をする中で、さらなる対話と自己抑制的な考察に身を曝さなければならなくなるから、多くが自民族を扱うアジア各地からの研究者から成る広域比較研究というアプローチをとることは、予想以上の効果を産むことになると考えられる」。

 その研究成果を時事問題にまで広げて考えることを、編著者は領土問題を例に、つぎのように述べている。「成熟し信頼し合う、国民から委任された当局者同士の相互関係がない場合には、歴史認識問題にもつながる具体的なイシューを二国間で議論することによって実りある結果を産むことは難しい。しかし、日韓・日中の共同歴史研究の短い歴史を見ると、対話を重ねることを通じて、双方がどのようなことを問題としているのかを始めとしてお互いに差違を持っていること、そしてそれぞれにとってそれらの差違が大事であることは、少なくとも研究者同士でなら、ある程度認識できることがあるように見受けられる。ナショナリズムを動員する感情的な論争に歴史や政治を性急に巻き込まないためにも、まずは各種の専門家レベルでの対話を増やしていき、その後徐々にその成果を広げていくべきではないだろうか」。

 第2の印象は、「アジアの地域統合、あるいは平和的共存を考える場合には、成熟した世論に基づく公式の討論、西洋的価値観に基づく「民主主義」的で公開された外交交渉などに基づく手続きとは異なる回路を考えることも、必要ではないかということである。アジアという共通の場を有しているからには、友情を含む情念のレベルで、何らかの錯覚が生まれる可能性もあろう。これは、アジアを他の地域と対抗させようということではない。本書で明らかにしてきたように、アジア主義の歴史は、地域主義が、非常に政治的に操作の装置として極めて大きな力を持ちうることを示してきた。それは、対立を増幅させるための歴史であるばかりではないはずである」。

 「このプロジェクトの出発点であり、また目的でもあった」のは、「一度、アジア各地域における様々なアジア主義、言い換えれば、自らの地域を中心として多様な場所から見える「アジア」の風景とその中にある自己認識とを集め、その中に日本のいわゆる「アジア主義」を置いて相対化することで、アジア主義とは何かを再考してみよう」ということであった。

 その結果、「アジアの多様性・複雑性を示しつつ相違を類型化する図式として、様々な理論化を準備する切り口や枠組みを、ある程度見つけることができた。たとえば、「アジア」以外にも色々な地域的枠組みを持っている中国・ロシア・アメリカ、「アジア」よりもまず普遍主義的な枠組みへと向かうインド、常に「アジア」「アジア主義」という括りを考えながらも「アジア」と自らを切り分ける傾向のある日本、大国の狭間にあって「アジア共同体」のような枠組みを発信し続ける韓国・東南アジア、といった国々の違いが析出されてきたことは、本プロジェクトの一つの成果と言えるであろう」。「第二に、時間軸において、これまで曖昧にされてきた戦前と戦後との関係について、その連続性を論じることもできた」。「第三に、空間軸において広域にわたった事例を扱い、ユーラシアやイスラームといった広域圏、アメリカ・イギリス・オーストラリア・ロシア(ソ連。但し、ロシア・ソ連の場合はアジアとの関係が他とはやや異なる)といった域外要因や加入要因、複数の異種ネットワークが接触・交錯する「コンタクト・ゾーン」などの多くの論点に触れることができた」。

 全5部(「アジア主義とは何か」「西洋への対抗・競争としての「アジア」」「中国をめぐる「アジア」観」「日本帝国とアジア主義」「戦後アジア地域秩序の形成」)、28章からなる本書の全体像を紹介することは容易ではない。編著者は、各章ごとに工夫して、つぎのような見出しをつくり、要領よくまとめている。「ネットワークとしてのアジア主義」「アジア主義の両面性と補完性」「韓国における「東アジア論」と「東アジア言説」」「モンゴルにおける「帝国の記憶」」「ヨーロッパとアジアの狭間としてのロシア」「西洋列強と対抗するアジアに期待したハワイ」「アジア概念から自由な多様性としてのインド」「オーストラリアが創り出したアジア人包囲網」「戦前のアジア主義に無警戒だったイギリス」「西洋との対抗のため結びついた汎イスラーム主義と汎アジア主義」「汎イスラーム・汎アラブ・汎アジアを結びつけたパレスチナ問題」「日本のアジア主義から日本盟主論を削ぎ落とした中国知識人」「アジア認識の稀薄な中国」「東南アジアでの通商競争における華商と日本との提携の可能性」「覇権に従いダイナミックに変化するアジア空間」「アジア観念が重要ではなかったガーンディー」「朝鮮キリスト教のアジア主義における役割」「汪精衛政権のアジア地域概念」「台湾知識人の日華親善論・東亜平和論における二面性」「大川周明に汎アジア主義への転回とインドとの出会い」「相互理解なき打算によるアジア主義とイスラーム主義との交錯」「満州事変による汎アジア主義とトゥーラン主義との接合」「自国利益のための汎アジア主義と大タイ主義との野合」「日本の汎アジア主義の悪夢から生まれたスターリンのアジア主義的政治操作」「大亜細亜主義の延長および反共主義としての戦後のアジア主義」「アジア主義との対決の歴史とアジア太平洋国家化の間で苦しむオーストラリア」「アジア内部に浸透するアメリカとこれへの反発」「「四つの論理」と「三つのアジア」」。

 編著者は、「研究会を進めるにつれ、同じ地域の「アジア主義」を扱っても、研究者によってその見解は異なるし、「アジア主義」についての捉え方もそれを捉える人の数だけある、ということがさらに明確になってきた。アジア主義は、定義づけによってどこまで客観的で比較可能な概念になり得るのだろうか。それは、本プロジェクトにとって、永遠の課題でもある」と述べている。本プロジェクトだけでなく、学問上のキーワードとなるものは、その定義づけを明確にしておかなければ、その時代、社会、人びとによって都合のいいように使われ、紛争のもとになる。編著者が、繰り返し今日の問題と照らし合わせながら論じているのも、その危険性を充分に認識しているからだろう。その意味で、「永遠の課題」のために労を惜しまず、本書をまとめた編著者に敬意を表したい。

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