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2013年10月29日

『戦争記憶の政治学-韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題と和解への道』伊藤正子(平凡社)

戦争記憶の政治学-韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題と和解への道 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 本書を読んで、韓国は日本の植民地支配や従軍慰安婦問題など、日本にとっての負の歴史を持ち出して批難・攻撃する資格はない、などと考える人は、これからのグローバル化した協調社会のなかで生きていくことを、自分自身で難しくしていくことになるだろう。国家においても社会、個人においても、なにかしら「負の歴史」は存在するもので、それをほじくり出して批難・攻撃すれば、互いの中傷合戦に終始し、成熟した関係を築けなくなる。著者、伊藤正子は、「あげあし」をとることではなく、そこから日本が学ぶことを本書の目的にしている。

 いっぽう、「過去にフタをして未来へ向かおう」というベトナム政府の方針も、続けていくことはもはや困難である。「ベトナム戦争で韓国軍が虐殺行為を行っていた」という事実が明るみに出たのは、1997年にホーチミン市で大学院修士課程に入学し、ベトナム史研究を始めた韓国人女子留学生ク・スジュン(具秀姃、1966年生まれ)が共産党政治局の内部資料「ベトナム南部における南鮮軍の罪悪」を入手したことがきっかけだった。韓国とベトナムの学生交流もさかんになり、2013年6月末現在韓国のベトナム人留学生は3450人で、前年同期の3044人から増加した。また、わたしが所属している留学生が8割近くを占める大学院アジア太平洋研究科修士課程で、韓国人とベトナム人が机を並べていることも珍しいことではない。このように交流の活発化したなかで、過去にフタをすることは不可能で、逆にフタをしようとすればするほど新たな負の歴史が明るみに出てくることになるだろう。

 本書の内容と目的は、帯の表と裏で的確に要約されている。表は、「「残余の記憶」の語り方、交錯、そして抗争」と大書し、その上につぎのような説明がある。「ベトナム戦争で韓国軍が虐殺行為を行っていた-『ハンギョレ21』[週刊誌]の告発は韓国世論を戦慄させ、事実の解明と謝罪を求めるNGOの活動と、「正義の戦争」に拘泥する保守派の反発を招いた。そして被害者であるはずのベトナム政府は経済発展を優先し、事件を封印している。戦争をめぐる記憶のあり方は、同様の問題をいまだ抱える日本にも新たな視座を提示する」。

 「本書の目的は(中略)韓国社会を鋭く割った言論の対立の構造を解きほぐし、自国の負の歴史を直視することの困難さについて考察することにある。(中略)「自国の負の歴史を直視すること」がいまだできているとは言い難く、国家として過去の植民地支配や戦争について、周辺国・地域との和解を成し遂げることができない日本にとっては、この問題は他人事ではないからである。『ハンギョレ21』の試み、そしてそれに続くNGOを含めた謝罪活動と未来の平和へ向けての地道な努力から学ぶべきことは多いはずである」。

 この事件を明らかにした韓国人留学生にしろ、本書の著者にしろ、迷いがあった。ともに、日本も韓国も「成熟した社会」になっていないからである。留学生は、「ベトナム側の一方的な報告書であるかもしれないので検証が必要だと考えたこと、さらには韓国人には、自分たちは外国を侵略して他国に迷惑をかけたことはないとの「神話」があるため、ベトナムで虐殺事件を起こしていたことを公表することで、社会に与える衝撃をはかりかねたこと、また日本の嫌韓右翼に利用されてしまうのではないかという懸念があったからである」。

 いっぽう、著者の迷いは、つぎのように「はじめに」で述べられている。「この問題を日本で取り上げるのは、韓国ではこの問題が依然として「扱いにくい」タブーであるからである。外敵に侵略されることが多かった歴史のために、韓国には自分たちはいつも「被害者」であったとの「神話」ができ上がっている。その歴史認識を覆し、自分たちも加害者側に回ったことがあるという事実を認めることは、相当な心の葛藤を伴うものである。加えて、この問題を否定する参戦軍人たちの団体の中には、暴力的な行動をとるところもあり、韓国人が韓国でこの問題を取り扱う場合には、実際に身の危険が生じる可能性さえあり、相当の勇気と覚悟、信念が必要である」。

 さらに、韓国側だけでなく、ベトナムにも複雑な様相があり、それを示すことが、ベトナム地域研究者としての著者の第2のより大きな目的となると、つぎのように説明している。「被害者ベトナム側も、各級行政組織(国家、省<日本では県に相当>、県<日本では郡に相当>、社<行政村>、村<自然村>、集落)や、また地域によって、そして時間の経過によっても、韓国軍の虐殺行為に対して、実はバラバラの記憶の語り方を示しているのである。それらの記憶の語り方(あるいは「語らない」という語り方も含め)は、しばしばベトナム国家の公定記憶が幅をきかせて、現在では必ずしも虐殺の生き残りの人々の意向を反映したものではなくなってきている」。具体的にいえば、「虐殺の記憶の語りが県レベルを超えて国民に共有されるようになることは望ましいことではなかったからである。「反韓」感情が国民の中で強くなり、ひいては外交・経済交流に悪影響を及ぼすような事態になることを懸念して、ベトナム国家はこの問題が全国的に継続的に報道されることを許さなかった」。

 しかし、このようなほんとうの被害者を排除したかたちでの両国家の「友好・親善」は、「真実・和解」のためにはならないと、著者は、「おわりに-「残余の記憶」を拾いつくそうとすること」で、つぎのようにまとめ、結論としている。「韓国軍が虐殺事件を多発させた地域において、韓国に対するイメージを塗り替え、ベトナム人の韓国に対する憎悪を薄め、親近感に変えて来たのは、まさに『ハンギョレ21』の報道とそれを追ったベトナムの『トゥイチェー』紙の記事、ク・スジュンやナワウリ[NGO]の活動であった。韓国のNGOや個人など民間の地道な活動が、虐殺を生き延びたベトナムの人たちの心を解きほぐし、記憶を捻じ曲げたり誤魔化したり過去にフタすることによってではなく、記憶を新たにすることで、許しと和解が生まれていく過程を本書では描いてきた。ベトナム研究者である筆者がこの問題を取り上げる目的は、「売国奴」とまでののしられたというク・スジュンたちの活動こそ、実は被害者であるベトナムの人々との真の和解を成し遂げることにつながっていることを、分裂したままの世論を抱える韓国社会に、第三者の立場から訴えるためである。「許し」・「和解」は、事実を覆い隠したり、誤魔化したりすること、また国家間の物質的援助の垂れ流しによってだけでは、決して成し遂げられないと考える」。

 そして、日本人が「ク・スジュンたちの実践から学びとるべきなのは、個々人の記憶の重要性を認識し、その掘り起こしと積み重ねによって、ナショナルヒストリーからはじき出されてしまっている、例えば先に述べたような様々な記憶、あるいはまだ大きな注目を浴びていない記憶を、丹念につないで行くこと以外にはないのではないか。それらの記憶こそ、記録していかねばならない「残余の記憶」であり、真実を含むものであろう」。

 本書では、韓国とベトナムとが、日本の戦後処理を例に議論を戦わせる場面がある。『ハンギョレ21』が告発して10年が経った2009年に、「韓国国会で審議された法律の条文の中の「ベトナム戦争参戦勇士は世界平和の維持に貢献した」という文言に、ベトナム政府がかみついたのである。二〇〇一年のキム・デジュン大統領の謝罪とは異なる韓国政府の姿勢に対し、ベトナム政府は、韓国が反発する日本の政治家の靖国神社参拝問題を取り上げて、韓国政府に再考を促した。日々経済関係が深化する中での突然のベトナム側の反発に、韓国政府は素早い事態の収拾をはかった」。この2001年の大統領の謝罪は、「日本のように曖昧にしないことを外交的に誇示したという点においては賞賛に値する」と評価されていた。

 日本人である著者が、専門であるベトナム側の資料に加えて、韓国語の基本文献を読みこなし、インタビュー調査した成果は、新たな事実と考察・分析を可能にした。インタビュー調査では、「韓国人が来たらインタビューには絶対答えない。日本人が来たと聞いたからここに来たのだ」と著者に語った者もいる。しかし、ベトナム、韓国、両国で、著者の想定外の問題が生じたことを「あとがき」で、つぎのように述べている。「ベトナムはベトナム戦争の被害者なのだから、虐殺の生き残りの人たちの証言を聞いてまわること自体、ベトナム政府の機嫌を損ねるようなことは何もないはずだ、少数民族を研究対象としていた時のように政府の警戒を生むことはありえない、などと甘い思いこみをしていたのだが、地元でのフィールド調査を始めるやいなや、ベトナムの「過去にフタをして未来へ向かおう」というスローガン(安倍晋三首相にはお気に入りのスローガンかもしれない)が大きく立ちふさがってきた。スローガンが、公定記憶以外の過去の記憶の掘り起こしと記録に対する大きな障害となっていることに、気づかざるをえなかったのである。また韓国社会では二〇〇〇年代後半から揺り戻しがあって、「負」の歴史の清算を重要と考えている人々というのは思っていたほど多くはなく、世論は鋭く対立したままで、「社会の成熟」とはとても言い切れない状況も見えてきた。しかしそれでも、「右傾化」が指摘され、失言その他で国家や政治家の歴史認識について海外での評判を著しく落としている現在の日本よりはましである、と思う」。

 朝鮮戦争(1950-53年)の結果、壊滅的な打撃をうけた韓国は、60年代初めまでアメリカの援助に頼るしかなかった。そのようななかで、1964年の韓国軍医療団などにはじまるベトナム戦争への参加、しかもベトナム共産主義との戦いは北朝鮮との戦いでもあると認識して「国防」のために戦った韓国。延べ31万人が派兵され、最盛期には5万人を数え、これらの兵士や出稼ぎ民間人の本国への送金が、その後の韓国の経済発展を支えた。いっぽう、1986年にドイモイ(刷新)路線を採択して、韓国から1991年から2008年までに総額9045万ドル、年平均503万ドルの無償援助をえていたベトナム。しかも、その援助はベトナム戦争中に災禍を引きおこした中部に集中し、「補償」の意味が込められていた。両国とも、「韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題」を取り上げたくない理由は、日本の「過去にフタ」をする理由の比ではない。

 このほか、本書では取り上げられていない、韓国軍兵士のベトナム人女性にたいする強姦などによって出生した子ども(ライダイハンと呼ばれる)が最大3万人いるとされる問題、2010年に首都ハノイを中心に開催された「タンロン・ハノイ千年大記念祭」にソウル市が参画を試みたものの結局失敗に終わったことなど、韓国とベトナムとのあいだには微妙な問題が存在する。歴史的には、ともに中国の属国であった時代があり、長く科挙制度の影響をうけていたので、わかりあえる共通認識もあるはずだ。また、国家間の思惑を超えて、しかも「新聞に書かれていることと現実の社会認識にはしばしばずれがあるし、NGOの設立が[一般に]認められていない」ベトナムで、事件調査をした韓国のNGOの活動も、それに協力しNGOのメンバーとなったベトナム人の活動も、「成熟した社会」への一歩となる。日本の歴史認識問題も、市民が成熟し「成熟した社会」をつくることによって「和解への道」が開かれることが、本書からわかる。偏狭なナショナリズムは、これだけグローバルな交流があるなかで、ナショナリズムの負の面が明らかになり、逆にナショナリズムの危機を招いてしまうことになるだろう。

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