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2013年09月10日

『エビと日本人』村井吉敬(岩波新書)

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 本書が出版された1988年に、『あるくみるきく』が廃刊になった。民俗学者、宮本常一が所長を務めていた日本観光文化研究所から1967年に創刊された雑誌である。研究所も翌1989年に解散した。「あるく」「みる」「きく」は、宮本の研究に対する姿勢と調査方法を端的に表したことばであった。本書の「プロローグ」の最後の見出しは、「歩く・見る・議論する」である。

 四半世紀前に出版され、2007年には『エビと日本人Ⅱ-暮らしのなかのグローバル化』が、同じく岩波新書の1冊して出版されている状況で、本書を読む価値があるのか? 残念ながら、本書で取り上げられた問題の多くは、いまだ改善されていないどころか、悪化しているものもある。したがって、本書は今日の問題の原点としても読む価値があると言える。また、本書と姉妹関係にある1982年に同じく岩波新書の1冊として出版された鶴見良行『バナナと日本人-フィリピン農園と食卓のあいだ』とともに、その後、東南アジアの地域研究のためのフィールドワークのモデルのひとつとなったという意味で、読む価値があるだろう。

 バナナに続いて、エビを取りあげることになった経緯について、著者村井吉敬は、つぎのように説明している。「何回かの話し合いで「バナナのつぎはエビをやろう」と、私たちは決めた。バナナのように巨大多国籍企業による支配構造があるのかどうかすら知らなかった。ただ、日本と第三世界との関係を考えてゆくにあたっては、格好の商品のように思えた」。「まず第一に、エビは人気食品である。〝輸入果物の王者〟がバナナであるなら、〝輸入海産物の王者〟がエビである。エビを通じて話を第三世界へとつなげてゆけるとしたら、多くの人たちに、第三世界について語りかけることができる」。「第二に、エビの輸入先は第三世界が多い」。「第三に、エビ生産地、輸出地から、いくつかの問いかけがあった。それは私たちには耳の痛いものだった」。

 本書は、「プロローグ」と5章、「エピローグ」からなる。それぞれの章では、「エビを獲る人びと」「エビという生き物」「エビを育てる人びと」「エビを加工する人びと」「エビを売る人、食べる人」が、著者たちが「歩き、観察し、インタビューしたなかから得た情報の主要な部分」をもとに紹介されている。

 「エピローグ」では、「「現場」情報を消費者に」伝えた後、「エビ輸入と第三世界」との関係を整理し、著者たちの「関心事に対する答え」をつぎの3点にまとめている。第1点は、「エビを大量に第三世界から買うことは、第三世界の経済にどのような影響を与えているのか」である。これにたいして、著者は、つぎのように答えている。「個別の問題から言うと、雇用創出への貢献(冷凍工場や流通業)や外貨獲得に貢献している」。「ただし、分配は均等ではない」。「貧富の格差は大きくなったと言えるだろう」。第2は、「食糧・資源・エコロジーの問題として考えてみたい」で、つぎのように答えている。「どう考えてみても、美味しい大型のエビは、第三世界の人びとの口に入りにくくなった」。「資源量自体、断定的には言えないが、かなり減っていると判断されうる。同時に、トロール漁で混獲される「くず魚」は、大ていの場合、海に棄てられているので、この面でも資源の無駄を招いている」。第3に、「資本制漁業が伝統漁業を破壊し、伝統社会を資本主義に巻き込んでいく」という指摘をしている。

 そして、最後の「顔のみえる関係を」では、「エビを獲り、育て、加工する第三世界の人びととエビ談義ができるような、生産者と消費者のあいだの、顔のみえるつき合いを求めてゆきたい。私はそのように思っている」と結んでいる。「あるくみるきく」との違いは、「議論する」というところにある。それは、「現場」の人びととの議論だけでなく、研究会のメンバーとの議論も含まれている。本書でも、多くの人びとの調査結果や体験が引用されている。このように議論しながら「歩く・見る・聞く」の調査方法も、フィールドワークのひとつのモデルを提供した。本書が、42刷(2011年6月6日)を重ねているのは、内容の古い新しいが問題ではなく、「歩く・見る・聞く」の基本が、「現場」の人びとや仲間との対話とともに語られているからだろう。

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