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2013年09月24日

『忘却のしかた、記憶のしかた-日本・アメリカ・戦争』ジョン・W.ダワー著、外岡秀俊訳(岩波書店)

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 「忘却のさせられかた、記憶のさせられかた」とも読めた。本書は、『敗北を抱きしめて』の著者ダワーが、1993年以降に発表したエッセイ・評論に、それぞれ自ら書き下ろした解題をつけた論集である。そのときどきに書いたものは、そのときどきの社会的背景や著者自身の環境などがあって、読み返すと何年か前の自分に反論したくなり、本書のように1冊にまとめることができないことがある。それを可能にしたのは、「訳者あとがき」に書かれているように、「歴史家としてのダワー氏の姿勢の一貫性である」。だからこそ、過去と現在との対話ができるのである。

 本書の要約が、表紙見返しにある。「冷戦の終焉、戦後五〇年という節目において、またイラクやアフガニスタンでの新しい戦争が進行するなかで、日本とアメリカは、アジア太平洋戦争の記憶をどう呼びおこし、何を忘却してきたのか-」。「ポスターや着物に描かれた戦争宣伝や修辞、ヒロシマ・ナガサキの語られかた、戦後体制のなかで変容する「平和と民主主義」、E・H・ノーマンの再評価など……。過去をひもとき、いまと対置することで「政治化」された歴史に多様性を取りもどす、ダワーの研究のエッセンスが凝縮された、最新の論集」。

 本書の特色のひとつは、最初の章に「第一章 E・H・ノーマン、日本、歴史のもちいかた」をもってきたことだろう。著者は、「動乱の一九六〇年代に歴史家としての道を歩み、その出発点で孤高の歴史家ノーマンと出会った。日本ではひろく名を知られながら、反共マッカーシズムの犠牲になり、英語圏では封印された研究者である」。博士論文を書き終えてまもない著者が編集したノーマン選集への序論(1975年)を抄録したのが、この第一章である。「ノーマンは、米上院公聴会で「信頼できない人物、たぶんは共産主義者スパイ」だと非難されてのち、一九五七年四月四日に、カイロで自殺した。当時四七歳」。「戦後や占領後の学界の傾向は、「明治国家の権威主義的な遺産」というノーマンの考えにたいし、根源的な敵意をもっていた」。

 「訳者あとがき」では、著者がノーマンから引き継いだ資質を3つにまとめている。「ひとつは、比較史学という手法である。西欧の古典史を学び、数カ国語を自在に操ったノーマンは、時代と地域を縦横に往還して参照する特異な手法を発展させた。それは、ある国の歴史を閉ざされた「物語」としてえがこうとする「一国史観」の対極にあり、欧米など特定の時代や地域を標準とし、そのモデルとの対比で「達成」や「遅れ」を測る発展史観とも対立する」。「ダワー氏は、軍国化した日本の近代史を、後進性ゆえの「突然変異」として異端視したり、日本よりも「進んだ国」には無縁の歴史として排除したりするのではなく、欧米にも「ありえた歴史」ととらえる」。

 「二つめは、歴史という繊細で複雑な「継ぎ目のない織物」(ノーマン)に対する忠誠である。ノーマンが、ミューズのなかでいちばん内気な歴史の神クリオに誓いをたてて、その単純化や図式化を拒んだように、ダワー氏もまた史実にのみ忠誠を誓い、他のどのようなイデオロギーにも拝跪(はいき)しない。その結果、史料に向きあう姿勢はいちじるしくリベラルでしなやかな一方、歴史を稔じ曲げようとする不実にたいしては、仮借ない批判を浴びせる」。

 「三つめは、歴史に大書されることのない無名の人々への愛着である。丸山真男がその追悼文で「無名のものへの愛着」と指摘したように、ノーマンの書く文章には、国家単位でおきる出来事の記述から漏れ落ちる無数の人々の暮らしにたいする畏敬と愛惜がにじんでいる。『敗北を抱きしめて』でダワー氏がその資質を遺憾なく発揮したように、浮かんではすぐに消える「蜉蝣(かげろう)」のような雑誌や漫画本、流行歌や替え歌にも歴史家として気を配るのは、そうした移ろいやすい「史料」の断片にこそ、当時生きた人々の思いや感情が切実に刻印されていると考えているからだろう」。

 著者は、「アジア太平洋戦争における日本の振るまいにかんする、おなじみの右翼側による否定のすべてがふたたびニュースになり、今回は二〇一二年一二月の安倍晋三首相の登場によって、それが加速化されている」ことを憂えている。それも、日本への愛情をもってのことであることは、「日本の読者へ」のつぎの文章からわかる。「日本の帝国主義、軍国主義の過去の汚点を消しさろうというキャンペーンは、一九五二年、長びいたアメリカによる日本占領がやっとおわった時期にまでさかのぼる。それは六〇年にわたってますます強く推しすすめられ、おわる兆しはない。一九七〇年に始まり二〇一二年におわった教職の期間に、私が同僚や学生、ジャーナリスト、ふつうの物好きな知人から最もよく受けた質問は、あえていえば、「どうして日本人は、自分たちの近現代を否定せずにはいられないのか」というものだった。それにたいし私はこう答えた。それは「日本人」一般にはあはまらない。日本の戦争責任にかんする主要な研究の多くは日本人の研究者やジャーナリストによってなされ、書店でもひろく手に入れることができる。平和にたいする日本の戦後の献身は模範的なものだ。日本政府は、とりわけ中国と韓国にあたえた侵略と苦痛をみとめ、謝罪する多くの公式声明を出してきた。-だが、どんなにこうした反論をしても、ほとんど効き目はなかった」。本書からも、著者が「戦争と記憶について日本における考えがいかに「多様であるか」について」、「英語圏の読者につたえようとしたのか」、よくわかる。

 著者は、「こうした多様な声が、「愛国的な歴史」の喧伝に専心する有名な日本人の甲高いレトリックや主張、シンボリックな行為(靖国参拝のような)によって圧倒されてしまうこと」が、国益を損ねていることを、つぎのように述べている。「こうした類(たぐい)の愛国的な偽りの歴史には、ひねくれた矛盾がある。公に宣言する目標は「国家への愛」をうながすことでありながら、一歩日本の外に出てみれば、そうした内むきのナショナリズムが日本に莫大な損失をおよぼしてきたことは歴然としている。それは、戦争そのものによる害とはちがって、日本の戦後のイメージに、消えない汚点を残すのである。中国人や韓国人の激昂した反応は大きな注目を集めるが、それは彼らだけにかかわる問題ではない。わたしたちはアメリカでも英国でも、オーストラリアでも欧州でも、日本の信頼性が侵食されるのを目にしている。国連ですら、批判の合唱に加わった(ここに書くように、国連はふたたび、とりわけ慰安婦問題にかんして、日本に引きつづき義務をはたすことができていないと非難した)」。「日本が一九五二年に独立を回復して六〇年が過ぎたが、その日本がいまも、近い過去と折りあいをつけて、隣人や盟友から全信頼をかち得ることができないことは、深く悲しむほかない」。

 「「歴史」が「記憶」としてどのように操作され、社会にひろまるのかという問題であり、さらには、過去から何かを選びとって記憶することが、他のことを忘れたり、わざと無視したりすることと、いかに分かちがたいのか」、本書から多くのことを学ぶことができ、それが近隣諸国との関係を「悲劇的な物語」にしてしまっていることに気付かされる。しかし、「日本のネオ・ナショナリストの政治家」には、著者の嘆きと憂慮はなかなか伝わらない。伝えることができるのは日本国民だけで、それを各自が自覚することによって、永遠に続くかのように思える「歴史問題」から日本国民は解放されるだろう。

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2013年09月17日

『エビと日本人Ⅱ-暮らしのなかのグローバル化』村井吉敬(岩波新書)

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 「二〇年経った」で始まる本書は、『エビと日本人』(岩波新書、1988年)の続編である。著者、村井吉敬は「この二〇年、エビとそれを取り巻く世界もかなり大きな変化に見舞われた。その変化が何なのか、そのことを本書のなかで記していきたい」という。

 「この二〇年の間にエビ生産に関して起きたもっとも大きな変化は、二〇年前にすでに予兆があったことだが、養殖エビの大隆盛である」。それより大きな変化は、消費の側でおこった。20年前には、世界第2位の経済大国日本が消費者で、生産者はアジアの第三世界の国ぐに・地域だった。アジアの南北問題として語ればいい単純なものだった。それが、つぎのように変わった。「この二〇年ほどの間にエビ輸入(消費)の世界で起きたことは、北米や中国、ヨーロッパでエビの消費量が伸びた一方、日本では一九九七年をピークに消費量が減少傾向にあり、輸入世界一がアメリカにとって代わられたということだ。もはや「日本人は世界一のエビ好き民族」と言えない状況になってきている。アメリカが輸入世界一になっただけでなく、中国、韓国、マレーシア、タイなどアジア新興工業国が台頭してきている。中国は輸入金額で第八位、マレーシア一二位、韓国一三位、タイ一八位となっている。エビは「経済成長商品」であると言えよう。『エビと日本人』で、わたしは「北は食べる人、南は獲る人」と言った。この構図は大きくは変わっていない。二〇〇四年の輸入金額データを見ると、アメリカ、日本、EUの世界輸入全体に占める割合は実に九三・四%にもなる。EUすべてが先進工業国でないとしても、二〇年経った現在も「北は食べる人」の構造は変わっていない。しかし、南は「獲る人」だけでなく、今や「養殖する人」にもなった。そして「南」であったアジアは経済成長のなかで「食べる人」に変身しつつある」。

 国単位で考えてきた近代の関係が、グローバル化のなかで複雑になってきたことがわかる。「にもかかわらず、エビ貿易の世界に「民主化」という言葉が当てはまるかどうか分からないが、「食べる・生産する」の南北分業から見る限り、エビ貿易の民主化はまだまだという現状がある」。つまり、国と国との関係だけではなくなっても、生産、流通、消費の基本構造は変わっていないということである。

 著者は、「エビを通して見えること」で、エビは「食べ過ぎ」だろうかと問い、「安易な結論を出すつもりはないが」、つぎの4つの要因をあげて、「やはり食べ過ぎであると言わざるを得ない」と結論している。「まず第一に、養殖エビは環境にやさしくない。多くの養殖池は、マングローブ林を破壊して成り立っている」。「第二に、エビは安全な食べものかどうかということに対してはっきりと「イエス」とは言えない面がある。わたしが池の現場で目撃した抗生物質やその他の薬品について、残念ながらはっきりした答えが出せていない。日本の検疫でも食品衛生法違反の事例が多数あげられている」。「第三に、輸入に依存しすぎるという問題がある」。「自給率一〇%にも満たない」。「ひとたび輸入に多くを頼ると後戻りするのは至難の業なのかもしれない」。「第四、これはもっと厄介なことである。背ワタを朝から晩まで取り続ける労働者のこと、あるいは池でその日その日に雇われ、最低賃金水準すら稼げない人びとのことである。労働疎外や貧困に関わることである」。

 そして、著者が行き着いたのがフェアトレードである。つぎのように説明して、本書を閉じている。「フェアトレードの「商品」を通じて見ると、思わぬ関係性が見えてくる。この「商品」は、ただ需要と供給という市場原理で価格づけがなされる商品ではない。安全性、公正、環境の持続性、これらを含む新たな価格づけがなされた「商品」である。消費者も生産者も、この新たな「商品」に自覚的に向き合うことが求められる。ひたすら背ワタを取り続ける労働は疎外労働である。ただ電子レンジで「チン」するだけの消費行動は人間的な消費とは言えない。労働者も生産者も消費者も、やはり、互いに「顔の見える関係」に向かって歩んで行くのがよいと考える。その意味で、「フェアトレード」はそのための大事な手だてではないだろうか」。

 1988年発行の『エビと日本人』は、構造が単純でわかりやすかった。しかし、20年後、世界的に見ても、1国内で見ても、より複雑になってきている。「最上流」の労働者も「最下流」の消費者も、なにも考えなければ、ただたんに生活のために小金を稼いだり、うまいものを求めて食べたりするだけである。「フェアトレード」は、たしかに生産者と消費者を結びつける。著者は、「石油やエネルギー」もフェアトレードできないか、「やや真面目に」考えはじめていた。FTAだのTPPだの、モノやヒトが動けば動くだけ、利益を得るものがいる。大量に扱えば扱うほど、支配力が強くなる。そんななかで、フェアトレードがどう生き延びるのか、本書が提起したことを今後も考えていきたい。

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2013年09月10日

『エビと日本人』村井吉敬(岩波新書)

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 本書が出版された1988年に、『あるくみるきく』が廃刊になった。民俗学者、宮本常一が所長を務めていた日本観光文化研究所から1967年に創刊された雑誌である。研究所も翌1989年に解散した。「あるく」「みる」「きく」は、宮本の研究に対する姿勢と調査方法を端的に表したことばであった。本書の「プロローグ」の最後の見出しは、「歩く・見る・議論する」である。

 四半世紀前に出版され、2007年には『エビと日本人Ⅱ-暮らしのなかのグローバル化』が、同じく岩波新書の1冊して出版されている状況で、本書を読む価値があるのか? 残念ながら、本書で取り上げられた問題の多くは、いまだ改善されていないどころか、悪化しているものもある。したがって、本書は今日の問題の原点としても読む価値があると言える。また、本書と姉妹関係にある1982年に同じく岩波新書の1冊として出版された鶴見良行『バナナと日本人-フィリピン農園と食卓のあいだ』とともに、その後、東南アジアの地域研究のためのフィールドワークのモデルのひとつとなったという意味で、読む価値があるだろう。

 バナナに続いて、エビを取りあげることになった経緯について、著者村井吉敬は、つぎのように説明している。「何回かの話し合いで「バナナのつぎはエビをやろう」と、私たちは決めた。バナナのように巨大多国籍企業による支配構造があるのかどうかすら知らなかった。ただ、日本と第三世界との関係を考えてゆくにあたっては、格好の商品のように思えた」。「まず第一に、エビは人気食品である。〝輸入果物の王者〟がバナナであるなら、〝輸入海産物の王者〟がエビである。エビを通じて話を第三世界へとつなげてゆけるとしたら、多くの人たちに、第三世界について語りかけることができる」。「第二に、エビの輸入先は第三世界が多い」。「第三に、エビ生産地、輸出地から、いくつかの問いかけがあった。それは私たちには耳の痛いものだった」。

 本書は、「プロローグ」と5章、「エピローグ」からなる。それぞれの章では、「エビを獲る人びと」「エビという生き物」「エビを育てる人びと」「エビを加工する人びと」「エビを売る人、食べる人」が、著者たちが「歩き、観察し、インタビューしたなかから得た情報の主要な部分」をもとに紹介されている。

 「エピローグ」では、「「現場」情報を消費者に」伝えた後、「エビ輸入と第三世界」との関係を整理し、著者たちの「関心事に対する答え」をつぎの3点にまとめている。第1点は、「エビを大量に第三世界から買うことは、第三世界の経済にどのような影響を与えているのか」である。これにたいして、著者は、つぎのように答えている。「個別の問題から言うと、雇用創出への貢献(冷凍工場や流通業)や外貨獲得に貢献している」。「ただし、分配は均等ではない」。「貧富の格差は大きくなったと言えるだろう」。第2は、「食糧・資源・エコロジーの問題として考えてみたい」で、つぎのように答えている。「どう考えてみても、美味しい大型のエビは、第三世界の人びとの口に入りにくくなった」。「資源量自体、断定的には言えないが、かなり減っていると判断されうる。同時に、トロール漁で混獲される「くず魚」は、大ていの場合、海に棄てられているので、この面でも資源の無駄を招いている」。第3に、「資本制漁業が伝統漁業を破壊し、伝統社会を資本主義に巻き込んでいく」という指摘をしている。

 そして、最後の「顔のみえる関係を」では、「エビを獲り、育て、加工する第三世界の人びととエビ談義ができるような、生産者と消費者のあいだの、顔のみえるつき合いを求めてゆきたい。私はそのように思っている」と結んでいる。「あるくみるきく」との違いは、「議論する」というところにある。それは、「現場」の人びととの議論だけでなく、研究会のメンバーとの議論も含まれている。本書でも、多くの人びとの調査結果や体験が引用されている。このように議論しながら「歩く・見る・聞く」の調査方法も、フィールドワークのひとつのモデルを提供した。本書が、42刷(2011年6月6日)を重ねているのは、内容の古い新しいが問題ではなく、「歩く・見る・聞く」の基本が、「現場」の人びとや仲間との対話とともに語られているからだろう。

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2013年09月03日

『戦争社会学の構想-制度・体験・メディア』福間良明・野上元・蘭信三・石原俊編(勉誠出版)

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 まず、いろいろ学ばなければならないことがたくさんあることを教えられた。第Ⅰ部「「戦争」研究の系譜と社会学」では、「この分野を切り拓いてきた代表的な研究者」から、「自らの学問を生み出すに至った経緯やその社会的・学問的背景」について学んだ。第Ⅱ部「「戦争」を社会学するための方法論」では、「戦争社会学を構想するうえで必要な方法論」について考えさせられた。そして、最後の第Ⅲ部「戦争の社会学/社会史の展開」では、「戦争社会学の今後の可能性に向けて」、比較的若い世代がさまざまな試みをしていることを教えられた。

 つぎに、本書の基本は、タイトル通り、「社会学」であって、本書「第11章 「歴史学と社会学の交差」についての偶感-『戦争社会学ブックガイド』をめぐって」で、一ノ瀬俊也氏が批判的に、つぎのように述べていることとは違うと感じた。「なぜ「戦争学」ではダメなのか」、「「戦争学」には歴史学、文学をはじめとする人文学、社会科学、ひいては理系の諸学問分野も入ってくるだろうが、戦争を学問的に論じるのであれば、名前だけでも誰かを排除するよりは誰にでも開放されている名付け方をしてスタートしたほうがいいのではないか」。近代西ヨーロッパを基盤に成立した社会学は、その後近代化した西ヨーロッパ以外の国ぐにでも受け入れられ、国民国家のための学問となった。本書でも、方法論は欧米、事例は日本中心に議論されている。日本が戦場とした東南アジアについては、だれもなにも語っていないし、参考文献にもあがっていない。執筆者の視野にあるのは、せいぜい沖縄や小笠原までである。したがって、本書で議論されていることは、近代の学問としての社会学を基盤としており、それを越えるという意味での「戦争学」ではない。

 「はじめに」の「二 領域の定義をめぐって」では、「しいて定義めいたものをするとすれば、「戦争と社会との関わりを考察する研究領域」といったところであろうか」と述べ、つぎのように説明している。「戦争社会学の範囲や境界を明示的に確定させることに、さほどの生産性があるとは思われない。何が戦争社会学であり、何がそれでないのかを定義したところで、そこに知的な膨らみはあるまい。「戦争と社会との関わり」およびそれを駆動する社会的な力学を問うことが第一義であって、その思考を豊かなものにするためには、当然ながら(狭義の)社会学以外の分野から吸収すべきものもあり得よう」。

 本書は、「まずはこれまでの研究蓄積や方法論をいったん整理し、さらに今後の広がりを考え得るような書物」の必要性を感じたところから企画された。その限界については、つぎのように説明されている。「もっとも、本書が「戦争と社会」をめぐる研究のすべてを網羅できているわけではない。ことに欧米圏に目を向けると、軍事社会学や近接する政治学・平和学の研究蓄積には相当に厚いものがある。それらも当然に戦争社会学に密接に関わるはずのものであろう。一部の章ではそれらの整理・言及がなされているものの、これらの領域を包括的に扱えていないのは、本書の限界かもしれない。だが、ひとまず、おもに日本の研究者によってなされつつある仕事を整理することにも、一定の有用性はあるだろう。別の見方をするならば、それに絞ったとしても、全十五章に及ぶ分量を要している。これまでの戦争社会学の方法論を俯瞰しつつ、今後の新たな展開をどう構想していくのか。本書を通して、こうした議論が喚起されることを願っている」。

 本書の「構想」は、戦争社会学研究会の発足を契機とし、つぎのような「呼びかけ」をおこなった。「第一に、(さしあたり)研究と議論の対象をアジア・太平洋戦争に関わる戦争と人間に絞ってはどうかと思います。理由は三つあります。一つ、アジア・太平洋戦争は、日本近現代の戦争の総帰結(戦後の戦争体験を含めて)であり、戦争と人間の研究にもっとも多様な問題を投げかけているからであります。二つ、アジア・太平洋戦争は、韓国・朝鮮や中国をはじめ多くのアジアの人びと、また沖縄や広島・長崎の人びとを巻き込み、苦難と犠牲を強いた戦争であったという意味でも、日本近現代の戦争の総帰結だからであります。三つ、残されたわずかな機会において、アジア・太平洋戦争の生き証人の体験を聞いて記録することは、社会学がなすべき焦眉の課題だからであります。ただし、さしあたりアジア・太平洋戦争に対象を絞るといっても、研究は、日本近現代の戦争と人間の全般に関わる問題群と不可分の関係にあります。したがって、研究の射程は、当然、それらを包摂せざるをえません。第二に、戦争体験の研究といっても、中身は多様なテーマから構成されます。研究会においては、テーマを限定することなく、会員が各自の関心をもとに研究を進め、議論し、その中から戦争社会学の形成に繋がる発見(実証と理論)を蓄積していくことになるのだと思います」。

 アジア太平洋戦争を事例に、実証と理論を蓄積するためには、日本が戦争空間として密接に関わった「大東亜共栄圏」全体を視野に入れて、議論していく必要があるだろう。しかし、本書の視野に、東南アジアは入っていない。研究の進んでいる日本、中国、韓国・朝鮮にたいして、研究の遅れている東南アジアは事実関係を確認するだけで大量の時間を消費し、深い考察になかなか入っていけない。ましてや、現地語や植民宗主国の言語の習得に時間を費やし、なんとか論文を書いた大学院生や若手研究者が、「戦争学」の基本さえ知らない、と日本や中国、韓国・朝鮮を研究している人に批判されると、新たな研究者が育つはずがない。出てきても、地域研究のなかに埋没し、「批判」される外の世界へ出て行こうとしなくなる。また、中国や韓国の研究者と議論するような場も、東南アジア関係だと限られてくる。日本語文献を読むことができる東南アジアの研究者が、ひじょうに少ないからである。日本の東南アジア研究者や東南アジアのアジア太平洋戦争研究者を含めて、アジア独自の方法論で「戦争学」を議論することができるようになるのは、いったいいつの日のことだろうか。

 「これまでの戦争社会学の方法論を俯瞰しつつ、今後の新たな展開をどう構想していく」かを考えるのなら、これまで議論されてこなかった分野・領域やテーマにはどのようなものがあるのか、考える必要があったのではないだろうか。わかるところから研究し、議論を深めていくという近代のスタイルから脱し、わからないことも視野に入れたうえで研究するのが現代の挑戦ではないだろうか。そう考えるようになると、進んでいない研究への関心や配慮も違ってくるだろう。

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