« 『一つの太陽-オールウエイズ』桜井由躬雄(めこん) | メイン | 『はじめて学ぶ日本外交史』酒井一臣(昭和堂) »

2013年08月13日

『海のイギリス史-闘争と共生の世界史』金澤周作編(昭和堂)

海のイギリス史-闘争と共生の世界史 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 ずいぶん挑戦的で、挑発的な本である。このような本が編集できるようになったのも、日本の西洋史研究がヨーロッパから学ぶ段階から脱し、独自の西洋史観をもって歴史学を語ることができるようになったからだろう。それは、歴史学の基本を踏まえて、世界史のなかでヨーロッパを語ることを意味している。この当たり前のことを、ヨーロッパ人の西洋史研究者のみならず、かれらから学んできた日本の西洋史研究者も、なかなか気づかなかった。これまで、ヨーロッパ史はヨーロッパ世界のなかだけで語られ、ヨーロッパ外のことに関心がなかった。

 本書の「総説 海の歴史のルネサンス」は、まず「歴史学の定義」から入る。編者、金澤周作は、つぎのように本書で共有する定義を説明している。「歴史学、それは、知られざる過去の人間の営みを、現在の地点から、可能な限り確かな証拠と可能な限り飛躍のない論理に基づいて再構成した上で、現在を生きる私たちの歴史像に一石を投じる学問である」。

 そして、おもしろいはずの歴史をつまらなくしているのは、この「定義からの逸脱が原因である」、「つまらないと感じる歴史は、現在の自分にも既存の歴史像にもなんら響かないものなのかもしれない」という。つまり、歴史を現代の目で見ていないからつまらないのである。とすると、イギリスの歴史も、イギリスが世界の超大国として繁栄した時代のひとりよがりの歴史観でみているからつまらないのであって、現代の日本人の目から見れば、おもしろくなるということだろう。

 イギリス史を「とてもおもしろい」ものにするために、編者は「人と海の歴史的な関わりを多面的に扱う海の歴史」(海事史)に注目した。「海の歴史は、一方で、イギリス近世・近代史のバランスのとれた、多面的な姿を描き出す上で非常に適し、他方で、「イギリス」を主要なアクターないし背景にするグローバルな人間行動を再構成する前提として不可欠な視角なのだ」。さらに、海の歴史は、イギリス史叙述を引き裂いてきた「三つの「二重性」-微視的/巨視的、陸的/海的、強い/弱い」を、3つながらに統合する可能性を秘めているという。

 おもしろい「海のイギリス史」を書くために、「本書の提案」として「四つの心構え」をあげている。まず、「海の歴史に関わる主体をなるべく多くすくい上げること」、つぎに「誰かのイメージとして、あるいは交流の事実の集積の結果として、独特な個性を持った海域ができるという」こと、「より曖昧で不正確な表象や言説にも注意を払っていく」こと、そして4つめとして、「イギリスの海事は、ナショナルな条件の下で展開したが、やはりグローバルな舞台を忘れるわけにはいかない」ことをあげている。

 本書は、「イギリスの海の歴史「研究」の全貌をまとめ上げ、基礎的事実とともに多彩な研究動向とこれからの方向性を提示する、イギリスでも日本でもおそらく例のない「研究入門」のための書」で、つぎの3部構成をとっている。「第1部では海の歴史の光の面、すなわち概してイギリスの強さをあらわす側面を扱う」:「第1章 探検・科学」「第2章 海軍」「第3章 海と経済」「第4章 港」。「第1部とは対照的に、第2部は、影の面、すなわちイギリス史の本流から外れるような、イギリスの弱さを示す側面を扱う」:「第1章 海難」「第2章 密貿易と難破船略奪」「第3章 海賊」「第4章 私掠」。第3部では、「網羅的に整理したイギリスの状況を、他地域の事例から相対化する」ため、第3部の執筆者は第1部・第2部の執筆者たちと対話を重ねた上で執筆している:「第1章 近世フランス経済と大西洋世界」「第2章 近世フランスの海軍と社会」「第3章 ポルトガル・スペインと海」「第4章 オランダと海」「第5章 近代中国沿海世界とイギリス」。さらに、本書には20のコラムが挿入されている。

 「総説」の「おわりに-メッセージ」には、本書の目的が「本書が開く世界」の見出しのもとに、つぎのように述べられている。「まず、イギリス近世・近代という、世界の歴史において特筆すべき存在感を示した対象を、今までよりも深く、また違った仕方で理解するために、海の歴史にまつわる基本的な史実や論点を整理すること。しかし、イギリス近世・近代だけを見てイギリス近世・近代の「個性」を描いてしまうような愚を避け、同時代の西欧諸国、そしてアジアの海の歴史の成果と対話しながら、より相対化された像を提供することも目指している。これは同時に、イギリス史にとって鏡の役割を果たしてくれる当の諸外国の歴史を相対化することにもなろう。さらに、過去というそれ自体混沌としかいえない対象に、どこからどうやってどのような網をかけ、その混沌を「歴史」という物語として再構成していくかについての、アイデアの数々を提供することも本書が意図していることである」。

 そして、最後に、「読者の皆さんへ」「この本が、斬新な研究の炎を諸所で燃え立たせることができるような、消えない埋め火であらんことを願いつつ、あなたを以下の本編が描き出す万華鏡のような海の歴史の世界に送り出したい」と結んでいる。ここまで書くのであれば、読み終えた読者に、編者の思いと同じだったか、問いかけてほしかった。読者は、編者の思いを越えて、あるいはとんだ思い違いをして読んだかもしれない。短い「あとがき」でもあれば、読者は編者と思いを共有できたことを確認して、本書を安心して閉じることができただろう。

 歴史をつまらなくしている原因のひとつに、いまだに近代をリードしたヨーロッパを中心とした歴史観がある。編者もそのことに充分気づいているから、第3部第5章の「近代中国沿海世界とイギリス」があり、同部第3章や第4章などもヨーロッパ世界にとどまらず世界を扱おうとしている。それで充分でない部分は、コラムで補っている。しかし、残念なことに西ヨーロッパや東アジア以外は、「海の歴史」に関心のある研究者が少なく、研究があまり進んでいない現実では、補いようがない部分もある。西洋中心史観が時代にふさわしくない歴史観であることは、近代の終焉を感じ始めたかなり以前から気づいていたにもかかわらず、それにとってかわる歴史像が描けないために、時代遅れなままの状況が続いている。

 もうひとつ、歴史をつまらなくしているのは、陸地中心史観で、陸の概念で陸から海を一方的に見てきたからだ。これについては、まだ気づいている人が少なく、研究はまったくないといっていいほど少ない。陸から海へ・海から陸へ、双方向から見る視点がないのは、海を主体的に見る発想自体がなく、海を陸の従属物と見ているからだろう。今日、海を陸地の延長だと見て、紛争の海にしているのも、一方的な陸地中心の見方からだ。古来から、海は、グロティウスが唱えたように、利用する者にとっての「公海の自由」がある。陸地の支配者が占有するものではない。大切なことは、海の歴史研究の発展を、紛争の海を助長するために利用されることなく、平和な海に戻すために役立てることだ。そうしなければ、現実の問題に役に立たない歴史は、つまらない「趣味」の世界のものだと思われてしまうだけでなく、紛争の種になる有害なものになってしまう。

→紀伊國屋ウェブストアで購入

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://booklog.kinokuniya.co.jp/mt-tb.cgi/5334