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2013年07月16日

『新・ローマ帝国衰亡史』南川高志(岩波書店)

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 「これはすごい!」、まずそう思った。本書のタイトルの「新」の後に「・(ナカグロ)」がある。その意味を問い、理解することが本書の価値を知ることになるとも思った。

 表紙裏開きに、つぎのような要約がある。「地中海の帝国と言われるローマ帝国は、実は「大河と森」の帝国だった? 衰亡の最大原因とされる「ゲルマン民族」は存在しなかった? あの巨大な帝国は、わずか三〇年で崩壊した?-歴史学の最新の知見から<二一世紀の衰亡史>を語り、栄えた国が衰えるとはどういうことか、国家とはそもそも何なのかを考えさせる、刺激的な一書」。たしかに「刺激的」だった。本書は、「歴史学の最新の知見」を要領よくまとめた概説書ではない。著者、南川高志は欧米を中心とした最新の歴史学を踏まえて、「独自の考え」のもとに新たな歴史像を提示している。

 まず、1970年代以降に歴史学界で新しい解釈の傾向が生じ、90年代に有力になったローマ帝国史を、つぎのように説明している。「古代の終焉期に関する新しい研究においては、ローマ帝国の「衰亡」や西ローマ帝国の「滅亡」を重視しないのである。「変化」よりも「継続」が、政治よりも社会や宗教が重視されるようになり、「ローマ帝国の衰亡」を語るのではなく、「ローマ世界の変容」が問題とされるようになった」。「こうした新しい研究傾向と並行して、ゲルマン民族の大移動の破壊的な性格を低く見積もり、移動した人々の「順応」を強調する学説が提唱されるとともに、ギリシャ人、ローマ人以外の古代世界住民の歴史と文化をより重視しようとする動きも見られた」。

 しかし、著者は、「こうした学界の傾向とは異なり、ローマ帝国という政治的な枠組みの意義を重視する」。そして、つぎのような希望を述べる。「この国家の枠組み、およびそれによって作られていた世界が衰退し崩れ去る局面を取り上げたい。二一世紀に入って、欧米の学界で「ローマ帝国の衰亡」を重視すべきという主旨を持つ著作がいくつか発表されるようになって、今後の学界の動向が注目されるが、それらを参考にしつつも、この書物では私の独自の考えで「衰亡史」を語ることとする。「独自の考え」とは、衰亡の過程の史実に関する創見を意味するのではなく、ローマ帝国の本質に関する見方のことである。長らくローマ帝国の最盛期を研究してきた成果を踏まえて、衰亡史を書いてみたい」。

 「ローマ帝国は、イタリアに発し、地中海周辺地域を征服して帝国となった。そのため、ローマ帝国は一般に「地中海帝国」と理解され、性格づけされている」。しかし、著者はつぎのように別の角度から衰亡史を見ようとしている。「国家生成期はともかくとして、最盛期以降の帝国をも「地中海帝国」とみなせば、ローマ帝国の重要な歴史的性格を見誤ると私は考えている。イタリアや地中海周辺地域だけでなく、アルプス以北の広大な帝国領を念頭に置く必要がある。イタリアに中心を置く立場からは辺境と呼ばれるようなこの地域こそが、最盛期から終焉期にかけて、ローマ帝国の帰趨を決めるような歴史の舞台になったところにほかならない」。

 さらに、つぎのように、その理由を述べている。「私は、イタリアやローマ市といった帝国の「中核」地域から論じる伝統的なローマ帝国論よりも、帝国の辺境から考察するローマ帝国論のほうが、新しい研究と解釈の可能性を秘めていると感じている。辺境地域は、帝国の外の世界との対立や交流を通じて、軍事面でも社会文化的な面においても帝国の本質が顕現する場である。私はここしばらくブリテン島やライン川、ドナウ川周辺の帝国領の研究をしてきたが、こうした辺境属州の実態や動向を知ることで、ローマ帝国の統治や生活・文化の形式について、その特質をより深く理解できると考えている。本書ではそうした視角から見た独自の帝国論を、衰亡を語る基礎としたい」。

 このような著者独自の「ローマ帝国の衰亡の理解、扱いもまた、時代の子」で、本書の目的を「序章 二一世紀のローマ帝国衰亡史」の最後で、つぎのように述べている。「栄えていた国が衰えるというのはどのようなことなのだろうか。それまで当たり前の存在と思われていた世界が動揺し、やがて崩壊してゆくのはどのように理解されるべきだろうか。この重い問いに対して、黄昏ゆくローマ帝国について語りながら、歴史と未来を考える素材を読者に提供すること、これがこのささやかな書物の目的である」。

 著者のいう「ローマ帝国の本質」とは、帝国を支えた「ローマ人」のことであり、その「ローマ人」が増え、「ローマ人」の居住空間の拡大がローマ帝国の拡大となった。そして、その「ローマ人」には、「ローマ国家の約束ごとに従い、その伝統と習慣を尊敬する者なら誰であろう」となれた。属州の民や外部世界から属州に入って生きていこうとする「新しいローマ人」は、「ラテン語を話し、ローマ人の衣装を身につけ」、「ローマの神々を崇拝し、イタリア風の生活様式を実践」すればよかったが、実際には「ローマの生活様式、文化の浸透は緩やかで、都市市民など限られた人々に行き渡った」にすぎなかったようだ。それでも、「ローマ人である」というアイデンティティが、「多様な人々を、排除ではなく、統合する機能を与えて」いるかぎり、帝国は安泰だった。

 著者は最盛期のローマ帝国を、つぎのようにまとめている。「担い手も領域の曖昧な存在であったにもかかわらず、一つの国家として統合され、維持されていた。そして、その曖昧さこそが、帝国を支える要件であったのは、本書で見てきたとおりである。そうした曖昧さを持つローマ帝国を実体あるものとしたのは「ローマ人である」という故地に由来するアイデンティティであった。アイデンティティなるものは本来、他と区別して成立する独自性を核としている。にもかかわらず、最盛期のローマ帝国がこのアイデンティティの下で他者を排除するような偏狭な性格の国家とならなかったのは、それが持つ歴史とその記憶ゆえであった」。

 ということは、「ローマ人である」というアイデンティティが失われたとき、帝国はその存在意義を失い、あっけなく崩壊することを意味した。「四世紀の後半、諸部族の移動や攻勢の前に「ローマ人」のアイデンティティは危機に瀕し、ついに変質した。そして、新たに登場した「ローマ」を高くかかげる思潮は、外国人嫌いをともなう、排斥の思想だった。つまり、国家の「統合」ではなく「差別」と「排除」のイデオロギーである。これを私は「排他的ローマ主義」と呼んだが、この思想は、軍事力で実質的に国家を支えている人々を「野蛮」と軽蔑し、「他者」として排除する偏狭な性格のものであった。この「排他的ローマ主義」に帝国政治の担い手が乗っかって動くとき、世界を見渡す力は国家から失われてしまった。国家は魅力と威信を失い、「尊敬されない国」へと転落していく」。

 そして、著者は、「終章 ローマ帝国の衰亡とは何であったか」を、つぎのような文章で締めくくっている。「ローマ帝国は外敵によって倒されたのではなく、自壊したというほうがより正確である。そのようにローマ帝国の衰亡を観察するとき、果たして国を成り立たせるものは何であるのか、はるか一六〇〇年の時を隔てた現代を生きる私たちも問われている、と改めて感じるのである」。近隣諸国の人びとを「他者」ではなく、ともに新たな地域社会をつくっていく「仲間」ととらえることで紛争を抑え、また、そういう思潮をかかげることで、日本という国家は魅力と威信を保ち、「尊敬される国」になることができる、と本書から学ぶことができた。

 本書を読んでいて、たびたびうれしくなった。「辺境」や「曖昧さ」、「可変的」などということばは、歴史学ではこれまであまり重視されなかった。東南アジアを語る場合、これらのことばを抜きにすることができなかっただけに、古代ローマも東南アジアも、同じ次元で語ることができると思った。東南アジアのような「辺境」から、世界や時代を見ることができることを本書は、実証している。「ローマ人」という曖昧さは、東南アジアの集団を語るときに有効である。また、「集団のアイデンティティも可変的である」というのも、東南アジアにあてはまる。これらのことは、近代に発展した固定的な概念で、前近代も現代(ポスト近代)も語られてきたことを意味し、近代化が遅れたり、未発達な国や地域、人々を軽視してきた歴史観に変更を迫るものである。ようやく歴史学も、近代を乗り越えようとしていると感じた。しかも、ヨーロッパを主戦場としてきた古代ローマ帝国史研究に、日本人が新しい見方を提示したことに誇りを感じる。

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