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2013年07月09日

『捕虜が働くとき-第一次世界大戦・総力戦の狭間で』大津留厚(人文書院)

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 「第一次世界大戦を通じて捕虜の数は九〇〇万人ほどと考えられている」。そして、帯には、「敵国のために働くとは?」とある。これまで考えが及ばなかった領域に足を踏み入れる予感があった。

 「おわりに」で、本書の意義について、つぎのように説明されていた。「本書は第一次世界大戦の捕虜について、特にその労働について詳しく論じたものである。第一次世界大戦の捕虜の労働について一冊の本の形で論じたものは国際的に見てもこれまでなかったものである。第一次世界大戦が終わって一〇〇年が経過して初めて研究の水準がそこまで達したということになるだろう。大戦が終わってすぐには参戦国の政府、軍、外交当局が自国の勝利(敗北)に向けて取った政策や戦略が問われた。またそれとは視点を変えて、いかに平和を維持するかという問題意識から行われたとは言え、カーネギー財団の支援による大戦の研究も、国家の政策に力点が置かれたという点では、同様であった。ただし個人的な経験としての大戦に関する記録は大戦間期に大量に出版されており、それがその後の研究の進展を支えることになったことも事実である」。

 なぜ捕虜兵の労働について語られなかったのか、著者、大津留厚はつぎのように説明している。「大戦の開始とともに一国の総動員体制の中に組み込まれ、それぞれの労働の場から切り離されて戦場に投入された兵士が、戦いの中で捕虜になり、いったん総動員体制から排除される。その後捕虜は敵国の総動員体制の中で労働力として再登場することになる。総力戦体制が一国の人的、物的資源を総動員する体制と考えたときに、「働く捕虜兵」の存在はその狭間に置かれた存在だった」。「第一次世界大戦が人類が経験する最初の総力戦だったとすれば、それは狭間としての働く捕虜兵の存在を前提にして初めて可能になるものだった。なぜなら交戦各国は戦争が長期化し、国家の人的、物的資源を総動員しなければ戦争を遂行し得ないことに対して備えができていなかったからだ。そこで捕虜兵の労働力が不可欠なものとなった」。「しかし「次の」総力戦をもし戦うとすれば、それは始めから準備をしていなければならなかった。そのときに敵国の総力戦体制を支えることになる可能性のある「捕虜」の存在は排除されることになる。働く捕虜兵の存在は歴史から抹殺されることになった」。

 しかし、それは国家から見たときのもので、個々の捕虜兵には、生活があり、経験があった。本書の「記述の中心は、第一次世界大戦の間にほぼ二〇〇万人の自国兵士を捕虜として失うと同時にほぼ同数の敵国兵士を捕虜として収容したオーストリア=ハンガリーに置かれる。すなわち、シベリアを中心にロシア各地に収容されたオーストリア=ハンガリー捕虜兵とオーストリア=ハンガリーに収容されたロシア人、イタリア人、セルビア人捕虜兵約四〇〇万人がその対象となる。日本で収容されたドイツ、オーストリア=ハンガリー捕虜兵約四六〇〇人は四〇〇万人に比べればわずかな数でしかないが、そこには四六〇〇人それぞれの経験があり、その一千倍の世界を覗く貴重な窓の役割を果たしている」。

 個々の捕虜兵には、生活があった。当然のことが、思い浮かばないのも、戦争という非常時のせいだろうか。そこに生活があれば、戦争が終わり捕虜でなくなったとしても、その地に留まる者がいても不思議ではない。いったん帰還した旧捕虜が、元の収容地に戻ることも珍しいことではない。国家としての戦争は終わっても、「戦時」が続く者がいる。未帰還兵などである。第一次世界大戦中の「一九一七年のロシア革命の発生は一部の捕虜にとっては自発的な帰還を可能にしたが、多くの捕虜が衣食住の保障も失ってシベリアに取り残されることになった。その中には「残る」ことを選択するものもあったし、帰還する意志も失って留まっているものもあった。そこには無数の「戦時」があった」。  これだけ、戦争について長年語られながら、語られないことのほうがはるかに多いことを、改めて考えさせられた。「脱走兵、捕虜、難民、民間人の抑留、自国民政治犯の収容、住民の強制移住、外国人労働者など一国的総力戦論では捉えきれない」多くの重要な課題が残されていることも、本書から学んだ。

 いっぽうで、この第一次世界大戦時の問題は、第二次世界大戦にどのように引き継がれたのだろうか気になった。日本でも、約4600人の捕虜を収容したことが、その後の捕虜の考え方にどのような影響を与えたのか? 「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓への影響はなかったのか? 「引き続く世界大戦」としての捕虜の問題が語られると、第一次世界大戦に「疎い」日本人にも、より身近になってわかりやすくなる。この点について、本書ではつぎのように語られている。

 「日本政府はハーグの陸戦条約を改定した一九二九年のジュネーヴ条約を批准しなかった。その論理は、内海愛子が『日本軍の捕虜政策』で的確に指摘しているように、「相互性」の否定にあった。「帝国軍人の観念よりすれば俘虜たることは予期せざるに反し外国軍人の観念に於ては必しも然らず従て本条約の形式は相互的なるも事実上は我方のみ義務を負う片務的のものなり。」捕虜の「尋常な」労働を保障する国際条約を否定した日本陸軍には捕虜の「強制的な」労働への道しか残されていなかった。国際的に見ても第二次世界大戦における過酷な捕虜体験は戦後にPOW(prisoner of war)研究を大きく進展させたが、第一次世界大戦の数百万人に及ぶ捕虜の「尋常な」労働体験は、「総力戦」と「総力戦論」の狭間で忘れ去られてしまった。本書はこの歴史の欠落を埋めようとするささやかな試みである」。

 本書によって、「総力戦」研究の新たなページが開かれた。

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