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2013年05月21日

『黄禍論と日本人-欧米は何を嘲笑し、恐れたのか』飯倉章(中公新書)

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 「さて、お楽しみいただけたでしょうか。「面白くなければ歴史ではない」などというつもりはもちろんないのだが、諷刺画を扱っているからには、読者の皆さんにはその皮肉や諧謔を味わってもらいながら、当時の歴史を実感していただければと思った。現代の感覚で、当時のユーモアを理解するのは容易ではないでしょうが……」。本書の「あとがき」は、このような文章ではじまる。最後の「現代の感覚で、当時のユーモアを理解するのは容易なことではないでしょうが……」から、著者、飯倉章の苦労が偲ばれる。さらに、著者は、読者に西洋「紳士の嗜(たしな)み」とされる「高度なユーモアやウィット」を理解してもらおうとしている。

 ある意味で風刺画の黄金時代とされる、本書で論じられている19世紀終わりから1920年代半ばまでの歴史と社会を読み解くためには、それが描かれた背景を知る必要がある。著者は、つぎの3点を「序章 諷刺画の発展と人種主義」で確認している。「まず諷刺画家は歴史家ではない。従って、諷刺画も通常の意味で歴史の資料となりうるものではない。ただ、諷刺画を通して、歴史的事件の隠された側面や、外交文書・記録や新聞・雑誌の記事では窺(うかが)い知れない多様な意味が明らかにされることはある。また、表現そのものが荒唐無稽(こうとうむけい)な想像力の産物であったとしても歴史的に意味を持つ場合もあるかもしれない」。

 「第二に、諷刺画を読み解くにはそれが描かれて発表された時のコンテクスト(文脈)を十分理解する必要がある。本書で取り上げる諷刺画は、時事諷刺漫画や政治漫画とも呼ばれるものであり、時代と切り離して普遍性をもって鑑賞される絵画とは異なる。発表された日付や年月、題材としているであろう事件や出来事を理解しないと、まったく違った意味に解釈してしまうおそれがある」。

 「第三には、諷刺画家自身の信念・信条と課せられた制約条件も理解しておく必要があるだろう。諷刺画家は信念・信条を持っているが、思うがままに描けるわけではなく、さまざまな制約条件を課せられている。制約条件とは、読者であり、諷刺画を掲載する媒体の編集者であり、社会や政府である。諷刺画家は、まずは読者のために描くと言えよう。それもたいていはその媒体が売られている地域の特定の読者のために描く。一〇〇年以上も経ってから鑑賞されるとは想定していないだろう。彼らは、さらに自らの作品を掲載する新聞・雑誌の編集者を意識して描く。むろん、諷刺画家が常に読者や編集者に媚(こ)び迎合しているというのではない。その時代の雰囲気を理解しながら、想像力でその一歩先を行くようなものを描くこともあるだろう」。

 本書は、黄禍論を通して、「近代的な人種概念に裏づけられた人種主義」をみようとしている。黄禍論は、「自分たちのみが優等であると信じる白色人種社会が、黄色人種への蔑視に基づく政治・外交を当然と考えていた時代の産物である」。「とくに東アジアの黄色人種、日本人と中国人が連合して攻めてくる、といった脅威」を「黄禍」と名づけた。著者は、さらにつぎのように説明をつづけている。「黄禍思想は、日清戦争後に流布したものである。これは自由・平等・博愛・民主主義・人権尊重を根幹とする西洋近代思想と比べれば、はるかに薄っぺらなものだ。しかし、大衆化が進む西洋メディアのなかで、新聞・雑誌の記事から未来小説、さらにはヨーロッパから新大陸に普及した諷刺画(ふうしが)の格好のトピックとなっていく。さらに、三国干渉後、ドイツの皇帝(カイザー)ヴィルヘルム二世は後に「黄禍の図」と呼ばれることになる寓意画(ぐういが)を西洋の指導者に配ったが、西洋ではこれをパロディ化する諷刺画も多く生まれた」。

 「本書は、そのような人種主義に裏打ちされた「黄禍」としての日本・日本人イメージが、主に欧米の新聞・雑誌の図像、とくに諷刺画のなかで、どのように表彰・表現されていったかを明らかにするものである。一九世紀末から二〇世紀初頭の日本や日本人は、時に極端に歪曲(わいきよく)されて醜く描かれることがあった。しかし、興味深いのは、時々の国際関係のなかで、日本を支持したり頼りにした国々において、「黄禍」をパロディ化して嘲笑(あざわら)ったり、批判している諷刺画もたくさん描かれたことである」。

 そして、「黄禍思想は、日本・日本人に対する西洋人の認識のなかに根を下ろして、日本との対立が顕著になった時に露骨に唱えられることもあった。近代の日本人につきまとった黄禍論を吟味しながら、その影響下で描かれた日本人像」をみた著者は、つぎのように結論して、本書を終えている。「日本は、アジアにおける非白人の国家として最初に近代化を成し遂げ、それゆえに脅威とみなされ、黄禍というレッテルを貼られもした。それでも明治日本は、西洋列強と協調する道を選び、黄禍論を引き起こさないように慎重に行動し、それに反論もした。また、時には近代化に伴う平等を積極的に主張し、白人列強による人種の壁を打ち破ろうとした。人種平等はその後、日本によってではなく、日本の敵側の国々によって規範化された。歴史はこのような皮肉な結果をしばしば生む。そう考えると、歴史そのものが一幅の長大な諷刺画のように思えないでもない」。

 後に「黄禍の図」と呼ばれた寓意画を描かせたドイツ皇帝ヴィルヘルム二世は、いろいろお騒がせな君主だったようだ。第一次世界大戦休戦直後に退位させられたが、本書からも退位させられた理由がわかったような気がした。いっぽうで、かれの言動から、ヨーロッパがアジアをみるときの本音も感じた。

 新幹線のなかで読む本2冊を鞄に入れるはずが、自宅を出た後1冊もないことに気づいたときは、一瞬途方に暮れた。幸い、駅の本屋に立ち寄る時間はあった。そんなときに買った本だったが、それなりに楽しめた。この時代、欧米がけっこう東アジアに注目していたことも確認できた。それだけ、東アジアは欧米にとって魅力的な「侵出地」であったともいえる。

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