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2013年04月30日

『反市民の政治学-フィリピンの民主主義と道徳』日下渉(法政大学出版局)

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 リピーターが多く、やみつきになる国や地域、社会がある。そんな国のひとつがフィリピンで、著者もその虜になった。「あとがき」で著者は、その理由をつぎのように述べている。「私は、フィリピンをこよなく愛している。いつもフィリピンに帰ることを待ち望んでいて、まるで日本で暮らす出稼ぎ労働者のようだ。誕生日もフィリピン独立記念日であり、運命を感じている。研究の道を進むことになったのも、学者になりたかったからではなく、フィリピンとの関わりを失わず、もっと深めていきたかったからである。フィリピンで得た複雑な感情や経験を、何とか言葉にしていきたかったのである」。「フィリピンを好きな理由を問われれば、最終的には「人が好きだから」と答えるだろう。彼らは、とにかく優しいのだ。フィリピンに行くまで、人にこんなに優しくされたことはなかったようにさえ思われる。フィリピンに行くたびに、彼らの優しさをどうにかして日本社会に持ち込むことはできないものだろうかと真面目に考えている」。

 「学部生時代にワークキャンプ活動を通じてフィリピンに惚れ込」んだ著者は、卒業論文を書く過程で、つぎのようなことに気づいた。「「フィリピン人」という共同性は、厳しい抑圧や貧困に抗して、より自由で平等な社会を作り出そうとする人びとの実践から作られているのだと知り、胸が熱くなった。何でも国家に依存しがちな日本人とは対照的に、フィリピンでは国家が人びとの豊かさや生活を保障しないため、市民が自ら立ち上がり率先して政治を変革しようとしているのだと知り、強い感銘を受けた」。

 にもかかわらず、愛すべきフィリピン人が願うように「自由で平等な社会」はなかなか実現せず、それどころかやたら流血事件が起き、多くの人が殺害される。その標的となるのが、事実を伝えようとするジャーナリストであり、フィリピンはジャーナリスト受難の国としても知られる。それでも、立ち上がる人びとが後を絶たないところに、著者は惚れ込んだのだろう。だが、本書はそんな著者の思いを背景にしながらも、きわめて客観的にフィリピン社会を眺め、考察した成果である。それが著者には気になったのか、「本書では、社会の分断、対立、敵意など、フィリピンの否定的な面を描きすぎたかもしれない」と吐露する。著者を「虜にしたフィリピンの魅力は、人びとの優しさや濃密な共同性」にあると、フィリピン人に直接かかわりをもたない日本人に伝えることがいかに難しいことか、地団駄を踏んでいるのは著者だけでなく、多くの日本人フィリピン研究者も同じだろう。学問的な社会分析が誤解を招くのではないだろうか、といつも心配になることも。

 本書は、序章、6章、終章からなる。序章「フィリピン民主主義と道徳政治」の冒頭で、「本書の課題は、現代フィリピン民主主義を、市民社会で争われる道徳政治、という視座から分析することである」と述べた後、つぎのように説明している。「ここでいう「道徳政治」とは、善とされる集団と悪とされる集団をつくりだし、両者の間に境界線を引いていく政治、すなわち善悪の定義をめぐる政治を意味しており、資源配分をめぐる「利益政治」と区別される。この道徳政治の分析にあたっては、市民社会において、いかなる勢力が「我々」を善と定義して正当化し、知的・道徳的主導権を打ち立てるのか、というヘゲモニー闘争への着眼が決定的に重要になる」。

 1986年にフィリピンでは、「ピープル・パワー革命によってマルコス権威主義体制が崩壊し、民主化が達成され」、「民主化以降、中間層出身の活動家が数多くのNGOを結成し、様々な分野で活発な政治参加を展開していった」。「こうした実践は、エリート支配から自律的な中間層が、高い道徳的意識を持つ市民として政治に参加し、民主主義の定着と深化に寄与していると評価されている」。「しかし、近年のフィリピンでは、道徳的市民を自負する中間層の活動や言説が、逆に民主主義を阻害したと解釈できる事例もある」。

 このような近年のフィリピンの状況を背景として、著者は本書の命題をつぎのように提示している。「市民社会におけるヘゲモニー闘争は、組織化されていない一般の人びとも含めて「我々/彼ら」という道徳的な対立関係を構築しており、その偶発的な変化の動態が民主主義の促進と阻害を強く規定している」。「フィリピンの場合、階層分断が特に深刻な影響を及ぼしており、本書ではそのことを分析の基盤にすえるために「二重公共圏」という概念を導入したい。これは、言語と教育、メディア、生活空間の格差によって分断された中間層と貧困層の生活世界および言説空間を、それぞれ「市民圏」と「大衆圏」として捉えるものである」。そして、「本書では、このような二重公共圏を舞台とする「我々/彼ら」の道徳的な対立関係の動態こそが、フィリピン民主主義の促進と阻害に決定的に重要な役割を果たしてきたことを明らかにする。そのうえで、善悪の対立に基づく道徳政治が、資源の配分をめぐって争われる利益政治を周縁化することで民主主義を蝕んでいることを主張したい」。「要するに、これまでのフィリピン市民社会論に欠けていたのは、一般の人びとも対象に含めながら、「市民」と「大衆」の対立や協働といった流動的かつ偶発的な関係が、政治過程と民主主義に与える影響を明らかにする分析枠組みなのである」。

 第1章「分析枠組みの提示」の後、第2~6章では、著者が2002年4月から翌年4月にかけてマニラ首都圏ケソン市の不法占拠地域に住み込んでおこなった大衆圏にかんする参与観察と、それを補完するために2008~10年におこなったインタビュー調査に基づいて、具体的な事例をあげながら議論が展開されている。

 終章「道徳政治を越えて」では、「フィリピンにおける道徳政治について得た知見を整理」し、つぎのような社会的分断に抗する処方箋を示唆して、本書を閉じている。「まず、複数公共圏の間で、具体的な人びとが出会う接触領域を拡大していくこと。次に、接触領域において、善悪をめぐる最終的な定義を保留したコミュニケーションを継続的に実践し、道徳的対立の昂進を抑制すると同時に、政治をあらためて利益のレベルに落として不平等の改善に取り組むこと。そして、「すべき」という道徳の統合力に頼るのではなく、人びとの自発的な共感や共苦を礎にして緩やかな共同性を新たに紡ぎ出していくことである。もっとも、これらの処方箋はまだ示唆の段階にすぎないため、理論研究を深めると同時に事例研究に基づいてその有効性を検証していく必要がある。分断を経たうえでの新たな共同性の可能性、これを今後の研究課題としていきたい」。

 日本に暮らすフィリピン人は20万人を超えている。日本人とフィリピン人のあいだに生まれた子どもはフィリピンに数万人いるといわれ、日本や世界各地に暮らす日本国籍、フィリピン国籍、「無国籍」の者をあわせて何人いるのか、その実態は定かでない。かれら/かの女らを支えているのも、「人びとの優しさや濃密な共同性」である。格差社会がすすみ、「豊かさや生活保障」をしなくなってきている日本や世界で、フィリピン人のもつ「優しさや濃密な共同性」が大切であると思ういっぽう、国家に頼れないむなしさも感じる。フィリピン人から学ぶことの大切さが、本書から伝わってくる。

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2013年04月16日

『グローバル社会を歩く-かかわりの人間文化学』赤嶺淳編(新泉社)

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 フィールドワーカーの本音が聞こえてくる。それは、編者の赤嶺淳が執筆者に、「「わたし」という一人称を主語に文章を綴ってほしい」とお願いしたためである。かつてのお行儀のいい研究成果報告ではなく、現地の人びとと苦労や悩みを分かち合いながら試行錯誤している様子が伝わってくる。

 本書の目的は、「グローバル社会のフィールドワーク-編者あとがきにかえて」の冒頭で、つぎのように述べられている。「社会学や文化人類学など、人間と自然、人間と文化/社会といったさまざまな関係性(かかわり方)について学ぶわたしたちが、フィールドワークの過程で感じたこと、悩んだこと、考えたことに焦点をあて、今後の人文・社会科学系学問のあり方を提示することにあった」。

 「具体的には、わたしたちが日本をふくむ世界各地で実施してきたフィールドワークの具体例をつうじて、①「グローバル社会」がかかえる問題点をあきらかにするとともに、②そうした問題群に対し、調査者がいかにかかわってきたのか、③そうした「かかわり」をとおして調査者がどのように変化し、④結果として、そのことが調査研究にいかなる変化をおよぼしてきたのか、を再帰的に考察することが本書の目的であった。七名の調査者の個別経験を束ねることで、複雑怪奇なグローバル化時代の動態をあぶりだす手法としてのフィールドワークの意義はもとより、よりよい社会を構築していくための学問-人間文化学-の実践的ツールとしてのフィールドワークの可能性を再確認したいと考えたことが、本書編纂の意図である」。

 本書は、Ⅲ部6章からなり、それぞれの部は2章からなる。第Ⅰ部「人間と環境」では、「一九七〇年代以降の現代社会を特徴づける環境主義-野生生物を守ろうという社会運動-の世界的高まりのなか、野生生物を利用してきた人びとや地域がかかえる問題を紹介し、そうした問題群に地域社会がいかに対応しているかを報告」している。第1章「ともにかかわる地域おこしと資源管理:能登なまこ供養祭に託す夢」では、「いわゆる絶滅の危機に瀕した野生生物の国際取引を規制するワシントン条約」の「俎上にあるナマコにやどる地域史をほりおこす作業」が紹介されている。第2章「自然の脅威と生きる構え:アフリカゾウと「共存」する村」では、「野生動物保護を夢みて青年海外協力隊員として東アフリカのタンザニアで理数科教員として働いた経験をもつ」執筆者が、「もっとアフリカのために役立ちたいと大学院に進学し、環境社会学を修め」て、「外来のものではない、村人たちによる内発的な野生動物管理の方法を試行錯誤」している様子を伝えている。

 第Ⅱ部「ことばと社会」では、「南ヨーロッパの少数言語と中・西部アフリカの手話言語の保護と普及の問題」を扱っている。第3章「言語を「文化遺産」として保護するということ」では、「言語に「絶滅」というラベルをはりつけるのは研究者だと主張し」、「国連やユネスコといった国際機関が少数言語の保護をうたうということの政治性を、自身が研究するフランスやイタリアの地域的文脈から問いなおして」いる。第4章「フィールドワーカーと少数言語:アフリカと世界の手話話者とともに」では、「手話言語を少数言語ととらえ、日本手話、アメリカ手話、フランス語圏アフリカ手話など複数の手話言語を話す」執筆者が、「フィールドワーカーと少数言語との関係は、調査手段と研究対象以外にもあるはずだ、という疑問にはじまり、コートジボワールでの調査経験をふまえ、手話言語を習得し、手話言語で発言していくという行為が自身の研究の遂行に必須であり、かつ調査対象である少数言語集団の権利の擁護に貢献するという実践的側面をもつことを指摘して」いる。

 第Ⅲ部「調査と現場」では、「自主避難」と日本の社会調査について論じている。第5章「「自主避難」のエスノグラフィ:東ティモールの独立紛争と福島原発事故をめぐる移動と定住の人類学」では、東ティモールと福島という一見なんの繋がりもないかのようにみえる両者を、ともに「故郷に帰るべきである」というイデオロギーに拘束される人びとの苦悩という観点で、その移動と定住の日常性を描いている。最後の第6章「海外研究・異文化研究における調査方法論:社会調査の前提をとらえなおす」では、「日本の社会学が想定している社会調査が自文化(つまり日本社会)のみを対象としてきたことを指摘し、人類学や地域研究の方法論と比較しながら、異文化理解のための社会調査の方法について示唆に富む提案をおこなって」いる。

 歴史学には、ある失敗がある。ヨーロッパ中心史観という批判はもう半世紀以上前からあるし、ナショナル・ヒストリーへの批判もいわれるようになって久しい。にもかかわらず、いまだ同じ批判が繰り返され、その批判が克服されないまま歴史教育がおこなわれている。理由は簡単である。ともに近代化を中心に扱ったからである。近代をリードしたヨーロッパの概念であらゆる時代・地域の歴史を観、近代化を目指した国民国家の視点で自国史を観てきたからである。とすると、いま、グローバル化している面を中心に観ていくと、以前からその社会に存在していたグローバルな面を近年起こったように認識したり、グローバル化とは無縁な現象を切り捨てたりするおそれがある。グローバル化を相対化しないで、現代をグローバル社会と位置づけると、見落としたり見誤ったりすることが起きてしまう。

 本書で、それぞれの執筆者が、悩み、傷つきながら、調査地の人びとと向き合っているのも、近代のようにものごとを単純・合理化してとらえることができないからだろう。それは、帯にあるつぎの文章からもよくわかる。「人やモノ、情報が瞬時に国境を越えるグローバル社会。人類社会が単一化・均質化していっているかのように見えるなか、さまざまな地域に生きる人びとといかにかかわりあい、学びあい、多様性にもとづくあらたな関係性をともに紡いでいけるのか。フィールドワークの現場からの問いかけ」。本書から、この問いかけに応えることができる人材を育てようとする意識も伝わってきた。

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2013年04月09日

『草の根グローバリゼーション-世界遺産棚田村の文化実践と生活戦略』清水展(京都大学学術出版会)

草の根グローバリゼーション-世界遺産棚田村の文化実践と生活戦略 →bookwebで購入

 本書は、著者、清水展(ひろむ)が1997年から2009年までの12年間に毎年必ず1度は調査村である北部ルソン山地のイフガオ州ハパオ村に出かけ、集中的な調査をおこなった成果である。本書の論述と考察の中心は、ふたりの男の活動と語りである。「一人はハパオ村で植林運動を推進するリーダーのロペス・ナウヤックであり、もう一人は世界的にも著名な映像作家キッドラット・タヒミックである。英語によるアメリカ式の高等教育を受けたキッドラットは、考え方や感じ方までアメリカの影響によって染めあげられてしまった自分を真のフィリピン人として作りなおすために、ナウヤックを「魂のグル」あるいは心の師と仰ぐ」。

 著者は、ふたりとの出会いを通して、自分自身の研究対象がどのように変わったかを、「あとがき」でつぎのように述べている。「ハパオ村に興味を持ったのは、ナウヤックが主導する植林運動、とりわけ「グローバル」というネーミングと意味づけの仕方に説得力があり、バギオの彼の自宅で初めてお会いした際に魅了されたからであった。また、キッドラットの運動への関わり方とナウヤックに学ぶ姿勢にも啓発された。当初の研究テーマは植林運動と棚田・環境の保全であった。後に開発に関する、次いで文化資源に関する科研プロジェクトのメンバーに加えていただいたことにより、関心の対象が広がった。しかし時間の経過とともに拡大(拡散?)していった関心が、最終的には書名が示すようにグローバリゼーションを考えることを主テーマとして収斂していったのは、初心に戻ったということであろう。それは、ナウヤックとの出会いの際の新鮮な驚きという初心であるとともに、自身の研究テーマの初心である出来事への注視という回帰でもある」。

 著者がふたりの男の活動をきわめて興味深いと感じたのは、つぎの3つの点においてだった。「まず第一には、キッドラットがナウヤックの理念と言動に深い敬意と関心を抱き、二〇年近くにわたって、その植林と文化復興の活動をドキュメンタリー映像として撮影し続けてきたことである。フィリピンにおける英語教育の優等生として自己形成してしまったキッドラットにとって、ナウヤックは、魂の脱植民地化を成し遂げ、自己のアイデンティティをいったん解体し再構築するための模範やインスピレーションの源泉となっている」。

 第二に、「ナウヤックがグローバル化の進行という時代状況のなかで村人たちが固有の文化を保持する先住民として誇りを持ち、豊かに生きてゆく方途を探り実践していることである。ハパオ村にまで迫り来るグローバル化の大波を拒んだり、それから逃げたりするのではなく、それと対峙し積極的に便乗し利用してゆくチャンスとして捉えている点が興味深い。歴史を振る返ると、フィリピンがスペインに植民地化されて以来、イフガオもまたグローバル大の政治・軍事パワーの代理勢力による遠征介入を断続的に受け続けてきた。それらに対する果敢な抵抗は、先祖伝来の地を守るための陣地防衛戦であった」。

 その観点から、著者は自身がかれらに受け入れられた理由をつぎのように解釈している。「彼らから見れば私は、かつては山下[奉文(ともゆき)]将軍に率いられた大軍を送りこみ、しかし今は経済的に豊かになりJICAが気前の良い援助をしてくれる日本から来た、利用価値がおおいにありそうな人間であった。本書は、そのことを直視し、私自身が巻き込まれやがては支援者や同伴者として深く関与してゆく植林運動について、その渦中で見聞し入手した情報や資料に基づく報告と考察である。すなわち、ハパオ村を中心とするフンドゥアン郡およびイフガオ州の一帯をコンタクト・ゾーンとし、古谷[嘉章]の言う「人々が自らの文化をめぐって他の人々と交渉」してきた歴史のなかで、人類学者として私自身もまたそうした交渉の一端に巻き込まれ、日本からの支援の獲得に深く関与したことの記録である」。

 そして、第三の点は、「ナウヤックを発起人かつリーダーとして住民主導で始められ進められてきた植林と社会開発、文化復興ならびに住民のエンパワーメントを目指した運動が、参加型開発の可能性と問題点を具体的に示していることである。ナウヤックは、北部ルソンの山奥の辺鄙な村をグローバルな関係の広がりのなかに位置づけ、とりわけ日米両国と歴史的に深いつながりを持つことを強調する。それによって、私自身を運動の同伴者や協力者として引き込み、日本のNGOやJICAから資金援助を得るために巧みに操り、一九九〇年代の半ばに手弁当で始めた草の根の植林運動を、郡庁や州政府まで巻き込んだプロジェクトとして拡大展開することに成功した。二〇〇〇年から八年間のあいだに日本から獲得した助成金の総額は八〇〇〇万円を超える」。

 著者は、これら3つの側面を、学問的に「それぞれ、表象、グローバル化、社会開発とコミットメント、というキーワードを核として、大きな広がりを有する問題系と直接に結び」つけ、つづけてつぎのように説明している。「いずれも重要であり、それぞれ個別に章を設けて報告し考察を加えてゆく。が、本書のタイトルで示しているように、この小さな村の事例が何よりも興味深いのは、二〇世紀の終盤に至って加速度を増しながら進むグローバル化という事象あるいは問題系に関して、フィリピンの山奥という途上国の辺境に暮らす先住民の側から、もうひとつの視点と視界を提供してくれるからである。それはニューヨークやロンドンや北京や東京などのグローバルな中心からでなく周辺からの、そして多国籍企業や帝国のパワーエリートたちによる上からではなく下からの、貧しく小さな者たちに主導された新たなフローへの着目と理解である」。そこには、「巧みに操」られながらも、著者自身の戦略も存在している。

 以上のことを簡潔に理解しようとするなら、本書の第1章のタイトルとそのなかの3つの節のタイトルをみればいいだろう:「第1章 北ルソンの山奥でグローバル化を見る・考える-応答する人類学の試み」「1 山奥でグローバル化に対峙・便乗する二人の男-そこに巻き込まれ、深く関わる人類学者」「2 グローバルとローカルが接合する人類史」「3 山奥から見えるグローバル化の風景」。この第1章につづく4部9章の概略を理解しようとするなら、4頁にわたるカラー写真の口絵をみればいいだろう。それぞれの頁には、つぎのようなタイトルが付されている:「1995年に世界遺産に登録されたイフガオの棚田」「木を植える男、ロペス・ナウヤック」「日本の草の根の国際協力と交流」「海外出稼ぎの形でグローバルに散開出撃する村人たち」(キーワード?のフォントが大きい)。

 著者が本書の結論として言いたいことは、最終章である「第10章 草の根の実践と希望-グローバル時代の地域ネットワークの再編」にまとめられている。その課題と展望は、つぎの6つの節のタイトルからうかがえる:「1 宇宙船地球号イメージ」「2 共有地の悲劇、あるいは成長の限界」「3 暗い未来に抗して」「4 グローバル化と地域社会」「5 「グローカル」な生活世界」「6 遠隔地環境主義の鍛え直し」。そして、つぎの文章で本書を終えている。「北部ルソン山地のハパオ村で進行する草の根のグローバル化は、個々人の出稼ぎやNGOとの連携をとおして、国境を越えて日本やアジアや中東、欧米と結ばれるネットワークによって、人々の生活をグローカルに再編成している。それがもたらす、地球を超えた地球大の規模でのつながりの自覚は、地球環境の深刻化という危機に対抗する活路を開き、あるいは国際市民社会を創り出すための草の根の小さな実践を導き切り開く、希望の所在である」。

 著者の思惑通り、グローバル化をこれまでとは違う視点からみることができ、学ぶことがひじょうに多かった。さらに本書で明らかになったことを理解するには、本書で何度も強調される「山奥」も、海域世界に属しているということに目を向けることだろう。ムラユ(マレー)世界ともよばれる海域東南アジアは港と後背地の関係が深く、歴史的に海域が騒がしくなるとその後背地も大きな影響を受けた。フィリピンではスペインによる植民地化、アメリカによる植民地化、日本軍による占領などがその時期にあたる。流動性の激しい海域世界では、後背地のヒトやモノもさかんに動いた。それは「巻き込まれた」わけではなく、ここをチャンスと外へうって出たからである。近年のグローバル化にたいしても、主体性をもって巧みに利用している。その意味で、グローバル化は中央から周辺へという近代システムと違い、周辺からも中央やほかの地域への発進力があるということだろう。

 そこには国や組織を超えた個人と個人との人間関係、信頼関係に基づいた判断、行動がある。たとえば、本書では、フィリピン共産党の軍事部門である新人民軍が活動拠点として入り込んで問題が起きたときに成立した停戦合意を、当事者であった郡長は、つぎのように説明している。「新人民軍とある種の停戦協定を作るための話し合いを始め、合意に達しました。それは文書に書かれたわけでなく、フィリピン政府や国家警察軍が認めたものでもありませんでした。しかし国軍も国家警察軍も、直接に関係する部隊は密かにその合意を尊重してくれました。それは一ヶ月ごとに、新人民軍と国家警察軍が交替でフンドゥアン郡内で自由に活動するというものでした。一方が活動しているあいだは、他方は部隊を引揚げ、いっさいの干渉や攻撃を控えるというものでした」。このことは、「重要なことは口頭で」という人と人との信頼関係に基づいた海域世界の論理が有効であったことを示している。

 また、著者もこのことを理解していて、つぎのように述べている。「グローバル化の弊害は、極論すれば、流動的で暴走しがちな資本が引き起こす。その悪影響への対抗策となりうるのが、国境を越えて活動するNGOのネットワークであり、それをハブとしてさらに広がる草の根レベルの対抗的・主体的なミクロなグローバル化の動きと可能性である。本書で紹介したハパオ村の「グローバル」植林運動も、そのような視点から見直せば、将来に向けたひとつの可能性を示してくれている」。

 実際、国家が暴走したことで取り返しがつかないと思われた人間関係も、草の根の交流によって修復された例が、とくに日本人にとってうれしいことが、本書でつぎのように紹介されている。「ハパオ村の一帯は、戦争末期に大量の日本兵が逃げ込んできたために、村人たちは山の奥深くに避難し多くの犠牲者を出した。イフガオの側では戦争の記憶がまだ鮮明に残り、語られているのに対して、戦後にハパオ村まで訪れる日本人は遺骨収集や山下財宝探しを目的とするグループか棚田見物に来る少数の観光客以外は、ほとんどいなかった。だから日本と日本人のイメージは日本兵のイメージと結びつけられており、必ずしも良いものではなかった。平地民と異なり、海外出稼ぎ先として日本を訪れたものはハパオ村で一人もおらず、現代の日本に関する情報は限られていた」。「ところが、日本人の一橋大学、新潟大学、立命館大学の学生(略)が村に住み、植林と環境保全と生活向上のためにいろいろと工夫をして手伝ってくれた。実際に植林活動や社会開発にどれほど役に立ったのかは別として、村人たちの共通の評価は、「彼女たちの行動を見ていると、無償の奉仕、友愛の気持ち、一所懸命さを強く感じるし、それが確かに伝わってくる。それで、日本人が大好きになった、日本人のイメージがすごく良くなった」という言葉に集約される。等身大の若い女性、生身の、優しい、まっとうな日本人と身近に接し交流できたということが、村人にとってはとてもうれしく、日本人と日本に対する具体的なイメージと好感を抱く大きな要因となった」。

 ハパオ村の人びとは、世界遺産となった棚田をもっている。木彫りの技術ももっている。それらをもって、「巻き込まれる」という消極的な受け身ではなく、ここをチャンスとグローバル化の波に泳ぎだしている。著者も恰好の「獲物」として巻き込まれた。その「文化実践と生活戦略」の具体例を、「元気が出る民族誌」である本書から学ぶことができた。

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2013年04月02日

『ホロコースト後のユダヤ人-約束の土地は何処か』野村真理(世界思想社)

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 「ホロコーストの嵐が吹き荒れるなか、ユダヤ人に逃走する理由がありすぎるほどあったとすれば、戦後、彼らはなぜ、もとの居住地に帰還して生活を再建せず、ヨーロッパを去ったのか。彼らは、どこに行きたかったのか」と、著者野村真理は「帯」で問うている。「序」で、1946-51年にパレスティナ/イスラエルに渡ったヨーロッパ・ユダヤ人は38万人以上、アメリカはじめパレスティナ/イスラエル以外に移住した者は約16万5000人と記されている。この数字から、当時現場にいた連合国軍最高司令部元高官は、つぎのように「特記に値する」と述べている。「イスラエルは、シオニズムと主権をもつユダヤ国家設立願望との賜物とみなされるより、ユダヤ人の移住に対して世界が設けた理不尽な障壁のために、必要に迫られた選択の結果と見ることができるだろう」。

 本書は、「ホロコースト後、イスラエル建国にいたる事情は、正確に知られているとは言いがたい」ドイツ史研究者を中心とする研究と、戦後ポーランドの歴史的状況にいたるまで視野におさめることが容易ではないパレスティナ近現代史研究との隙間を埋めようとする試みである。

 本書は2部からなり、それぞれの部は3章からなる。著者は、「第一部と第二部の各章を通し番号とすることによって、それらが時系列的に発生したかのような印象を与えることを避け」ている。「第一部と第二部で述べることは、ほとんど同時並行的に、互いにほかの出来事の引き金となり、また結果となりつつ進行し」、「第一部では、ユダヤ人DP[Displaced Persons]問題発生の経緯と、この問題に対するアメリカ、イギリスの対応について詳述」している。「第二次世界大戦後のDPとは、第一義的には、戦争に起因する事情によって本来いるべきところから移動させられた(desplaced)人々をさす。それゆえ戦争という原因が消滅すれば、帰還によってその人数は減少するはずである。ところが、ユダヤ人の場合、戦後になってポーランド等を脱出したユダヤ人が、上述のDPの定義を混乱させつつDPと認定され、その数が一九四七年にいたるまで増加し続けるという、特異な経過をたどった」。

 「これに対して第二部は、視点をユダヤ人DPとシオニストの関係に移し、イスラエル建国にいたるまで、シオニストがユダヤ人DP問題に対し、必要に迫られ、あるいは戦略的に、いかにかかわったかを明らかに」している。「以上の第一部、第二部を通じて明らかにされるユダヤ人DP問題は、第二次世界大戦後のヨーロッパで発生した膨大な数のDPおよび難民問題の一部であった」。

 本書のキーワードである「DP」「ユダヤ人」など、だれのことをさしているのか、はっきりしないという厄介な問題がある。そこで著者は本論の流れを中断することを避けるために3つのコラムを設けて説明したり、「序」で説明するなどの工夫をしている。それでも本書で取り上げられている人口は目安にしかならない。ことばも、決まり切っているわけではない。たとえば、「ホロコースト」という「古代ユダヤ教で犠牲の動物を祭壇で焼き、神に捧げる燔祭(はんさい)を意味するギリシア語に由来する」語が意識的に避けられることもあり、フィルムでは「ショアー」という「ヘブライ語で大惨事を意味する」語が使われた。

 本書から、ヨーロッパ世界の基層が見え隠れし、より深層にいたる道筋の一端が示されたように思えた。進んでいるようにみえるホロコースト研究にも偏りがあり、より広い視野のなかでの考察が必要なことがわかった。いまだ問題の解決の糸口さえ見出せない中東問題を考えるには、本書のように基本から掘り起こしていくしかないだろう。その意味で、「序説」からの進展を期待したい。

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