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2013年02月12日

『フィクション論への誘い-文学・歴史・遊び・人間』大浦康介編(世界思想社)

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 本書は、京都大学人文科学研究所の共同研究「虚構と擬制-総合的フィクション研究の試み」の成果をもとにした論文集である。本書の狙いは、「なによりまず読者にフィクション論の諸相にふれてもらい、「フィクション論的思考」とでもいうべきものを知ってもらうことにある」。その理由を、編者大浦康介は、つぎのように「まえがき」の冒頭で説明している。「「フィクション論」は、おおよそ一九七〇年代以降、欧米では着実に地歩を築いてきた研究の一分野であるが、日本ではまだまだ馴染みが薄いというのが実情だろう。じっさい、フィクション作品(小説、演劇、映画等)を論じればフィクション論だといった短絡的な誤解も根強い」。

 「フィクション論の「守備範囲」は広い。それはおそらく虚構を生み出し、虚構を用い、虚構と戯れるということが、人間の基本的な文化的営為のひとつだから」であり、「夢想や妄想といった心的現象までフィクションに含める」と、「フィクション」の意味は無闇に広くなる。しかし、「フィクション論の可能性も、難しさも、そこに潜む陥穽もこの点に由来する」。

 本書は、序論、それぞれ3章からなる4部全12章、7つのコラム、8つの読書案内(フィクション論の基本文献)からなる。まず、「序論」で「フィクション論ではいったい何が問題となるのか、どこがフィクション論の「勘どころ」なのかを、先行研究の成果も踏まえながら概説」する。「フィクションは身近な存在であるが、それを扱うフィクション論が何かはよく知られていないからである」。4部からなる本論部分の第Ⅰ部「フィクションの諸相」では、「小説、映画、マンガなどをおもな分析対象として」論じる。第Ⅱ部「フィクション論の新たな地平」では、「これまでフィクション論であまり問題にされることのなかったジャンルを正面から」扱う。第Ⅲ部「フィクションと歴史叙述」では、「テーマを絞って、フィクションと歴史叙述の関係を問題」にする。最終第Ⅳ部「原理的問いかけ-現実、表象、語り」では、「「現実(性)」、「表象」、「語り」などをキーワードとして、フィクションに関する「原理的問いかけ」」を試みる。

 編者は「序論 フィクション論の問題圏」で、「フィクション論が提起する問いには、大きく分けて二種類ある」とし、つぎのように説明している。「ひとつは「フィクションとは何か」という、いわばど真ん中の問い。虚構性、すなわちフィクションをフィクションたらしめている属性に関する問いである」。「もうひとつの大きな問いは、フィクションの効用にかかわるものである」。これらふたつの問いは、「ときに交錯しつつ、フィクション論のフィールドを形づくっている。もちろん、問いはこれに尽きるわけではない。「フィクション能力」の獲得をめぐる心理学的問題、フィクション概念の成立をめぐる歴史的問題、西洋圏とそれ以外との差異に関する比較文化的問題など、いずれもスケールの大きな問題が後に控えている。本論では、これらすべてを十分に論じることはむろんできないが、少なくとも諸問題の位置関係を明らかにし、大まかな理論的見取図のようなものを提示できればと考えている」。

 この「序論」では、アリストテレスが歴史叙述との対比において、「自然の模倣であると同時に創造でもあるポイエーシスの普遍性」を主張したことを、つぎのように引用している。「詩人(作者)の仕事は、すでに起こったことを語ることではなく、起こりうることを、すなわち、ありそうな〔本当らしい〕仕方で、あるいは必然的な仕方で起こる可能性のあることを、語ることである。〔……〕歴史家はすでに起こったことを語り、詩人は起こる可能性のあることを語る〔……〕。したがって、詩作は歴史に比べてより哲学的であり、より深い意義をもつものである。というのは、詩作はむろん普遍的なことを語り、歴史は個別的なことを語るからである」。

 これにたいして、第Ⅲ部第9章「歴史叙述と「想像力」-戯曲を素材に」で、小関隆は、現代アイルランドを代表する劇作家フランク・マクギネスの『ソンム川に向かって行進するアルスターの息子たちを見守り給え』をとりあげ、第一次世界大戦中の1916年のソンムの戦いで多くのアルスター兵が犠牲になった事実を通して、「歴史学とフィクションの関係という難問に関するなんらかの示唆を得ること」を試みている。

 そして、「むすびに代えて-「史実」とフィクション」で、つぎのように考察を深めている。「『ソンム川』が強烈なインパクトをもつ作品として評価されたのは、複数の声の対話という戯曲の特性に依拠しつつ、マクギネスが存分に駆使した、歴史学を取り巻くさまざまな制約から相対的に自由な「想像力」が、「史実」べったりでは到達しがたいある種の「真実」に迫りえたからこそであった。そして、もう一歩踏み込んで、フィクションが突破口を開いたがゆえに、「ソンムの血の犠牲」のアカデミックな再検討が可能になった、と論ずることもできるかと思われる」。

 「さらに、「想像力」を過度に排除しない「新しい歴史学」の模索を促すメッセージを『ソンム川』に聞きとることも、間違いではないかもしれない。それは「実際に起こった出来事」だけでなく「起こりえたかもしれない出来事」までをも引き受ける、現実には封じ込められた可能性へと「想像力」を適用してゆく歴史学である」。

 そして、つぎのように言い切る。「歴史にifをいうな、との常套句には、こう応答しよう。有意なifを歴史に投げかける能力こそ歴史研究者に求められるものであり、この能力を「想像力」と呼ぶことは決して的外れではない、と。聡明な「想像力」から発せられる限り、歴史にifをいうことは奨励されてよい」。「新しい歴史学」者は、アリストテレスのいう詩人の能力をもつことによって、歴史を普遍的、より哲学的で、深い意義をもつものにすることができるようになる。

 フィクションのない社会、人間関係はつまらないことが、本書をとおしてわかった。いっぽうで、フィクションがもつ影響力の大きさ、深刻さにも気づかされた。わたしたちが、フィクションと上手につきあっていくための基本的知識が、本書にはいっぱい詰まっている。

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