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2012年11月20日

『資源の戦争-「大東亜共栄圏」の人流・物流』倉沢愛子(岩波書店)

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 「本書を通じて訴えたかったことは、住民にそれだけの犠牲を強いて実施した経済施策は、全く現地の実情や民生の向上などを考えず、そのために意図せざる人的被害を現地の社会にもたらしたということ、そしてそれだけの犠牲を強いて実行した資源取得政策が、日本の目的にさえかなわなかったこともあったということである。どこに怒りをぶつけたらよいのか分からない戦争の理不尽さ、資源の無駄遣いを具体的に指摘することを、本書は一つの目的としている」と、著者倉沢愛子は「序章 「大東亜共栄圏」の人流・物流」を締めくくっている。

 東南アジアの地域研究を専門とする著者は、その序章で、戦時期の日本経済史研究を高く評価し、「本書が目指すもの」をつぎのように語っている。「戦時期の日本経済史研究の蓄積は非常に厚く、日本がどのような経済的戦略で戦争を遂行し、何がうまく行かなかったから戦争経済が破綻したのかについてはすでに語りつくされている感があり、筆者がその学問分野に直接貢献できることはおそらく何もない。したがって、東南アジアの地域研究者としての筆者にできることは、こういった日本の戦時経済政策の分析を、現地の社会の状況分析と突き合わせていくこと、日本があるいは「大東亜共栄圏」全域がその時その時に置かれていた状況をできるだけ理解して、日本の政策決定や経済動向を東南アジアにおける推移と結びつけて語ることであろうと考えた」。

 そのために、著者は、「これまでの研究の多くはインドネシアに関するもので、フィールド調査の成果をもとに村落社会の住民の視点で歴史を再構築することに主眼を置いてきた」ことに加えて、「本書は、大胆にも専門外で、しかもフィールド調査を踏まえていない地域(マラヤ、シンガポール、ビルマ)にまで守備範囲を広げた」。「あえてそのような無謀なことをしたのは、「大東亜共栄圏」内の他の地域をも視野に入れないと、物資や労働力の「相互調達」と「移動」が前提となっている資源の問題は十分に解明できないとの考えからである。とはいえ、地域的な守備範囲は、インドネシア、英領マラヤ、シンガポール、ビルマに限定された。それは、現地での聞き取り調査か、一次資料(文書館資料)へのアクセスが可能であった地域のみを対象にすることにしたためである」。

 本書のための聞き取り調査は、著者が30年ほど前に集中的におこない、その後断続的におこなったもので、文書館調査はここ数年、イギリス、オランダ、シンガポール、マレーシア、インドネシアなどで精力的におこなったものである。庶民から直接聞き出すだけでなく、「庶民の生活を多少なりとも描き出した諜報レポートや住民の尋問レポートなど」から、「民衆が生きていた当時の社会の土の匂いや空気の匂い」を伝えようとしている。本書は、4章からなり、「労働力、食糧(コメ)、商品作物、石油などコモディティごとに章・節を立て、それぞれに対する日本側の政策を論じ、現地の状況を手もちの限られた情報で分析」し、「できうる限り「土の匂いのする」記述を試み」ている。

 本書の副題に、「大東亜共栄圏」が使われている。「南方共栄圏」ということばもある。その違いはなんだろうか。著者は、「あとがき」をつぎのように書き出している。「日本は一九四一年一二月、日中戦争継続のための資源確保を目的として東南アジアにまで戦火を拡大した。資源の豊富なインドネシア、マラヤ、シンガポールなどで、その獲得をより確実なものにするために日本が選んだのは、「軍政」という直接支配であった。これは、「作戦終了までの一時的な統治」という本来の語義を越えて強い権力を行使するもので、「公式帝国」(略)に近い。つまり、ナショナリズムの隆盛を受けて満州国や中国の占領地で行われていた「非公式帝国」型の統治から見ると一歩後退で、植民地支配に否定的になりつつあった当時の世界の潮流に逆らうものであった」。管見のかぎり、「大東亜」ということばは、一次資料では意外と使われていない。「南方」のほうがはるかに多い。このことは、著者が指摘しているとおり、「大東亜」を一体と見ていなかったためかもしれない。

 同じく「あとがき」で、著者は「住民を飢餓状態に追い詰めながらも強制的に供出させたコメなどが、輸送力不足のために現地で投棄されたり、倉庫に眠ったまま腐るという事態を生じさせた」と述べている。この事態は、第一次世界大戦時にも起こった。輸出用商品作物栽培が普及したジャワでは、すでにコメは自給できず、フランス領インドシナやイギリス領ビルマから輸入していた。それが、ドイツによる無制限潜水艦作戦などの影響で船舶が不足し、輸入できず深刻な食糧不足に陥った。その経験が「大東亜戦争」にどのように影響したのか、第一次世界大戦時とのかかわりで日本占領下のジャワ農村社会を考えることもできるだろう。

 このような課題は、著者が充分に認識しているため、つぎのように続けている。「本書は、そのような基本的な歴史理解に基づいたうえで、東南アジアの現地社会に根差した具体的な事例をできるだけ多く取り上げ、日本経済史研究者による戦時経済研究につなげることを目指した。扱った地域に偏りがあり、カバーしきれなかった経済のメカニズムや社会の諸相も多々ある。また、東南アジアの研究者たちの成果も十分取り込んでいるとは言えない。したがって、これが研究の集大成であるなどとは決して思っていない。むしろ、今後さらに筆者自身、あるいは若手の研究者たちが発展させていくための入り口を提示したものだと思っている」。

 本書を、東南アジア側に偏りすぎているととらえる読者がいるかもしれない。著者が「民衆が生きていた社会の土の匂いや空気の匂い」にこだわるのは、日本に占領された民衆の目線を大切にしたいと思っているからである。偏向した記述が多いとして教科書検定基準を見直す動きがあるが、それは東アジアの若者の交流を活発にしようとする平成19年に当時の安倍首相のときにはじまったJENESYS(21世紀東アジア青少年大交流計画プログラム)などと矛盾することになる。日本の占領下にあった国や地域の若者は、学校教育だけでなく、家庭や社会で日本がなにをし、人びとがどう思ったのかを学んでおり、そのことを知らないで日本側に偏った学校教育を受ける日本の若者との交流が深まれば、当然その認識の違いの大きさに気づき、日本/日本人にたいして不信感を抱くことになり、逆効果になるおそれがある。日本の伝統文化に誇りをもてるようにすることは、もちろん大切なことであるが、国際交流がさかんになるなかで、かつての日本がなにをしたのかを相手目線で知っておくことも交流の深まりと継続のために大切なことである。歴史に謙虚に向き合うことが、日本人としての自信と誇りにもつながることがわかるような歴史教育を考えていかなければならない。

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2012年11月13日

『スペイン帝国と中華帝国の邂逅-十六・十七世紀のマニラ』平山篤子(法政大学出版局)

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 帯に、「マニラにおけるスペイン政庁設立の1571年から1650年前後まで、スペイン人と華人との邂逅を地球一元化の過程における画期と位置づけ、両者の関わりにおいて惹起された事件を軸に、「ヒトの移動と邂逅」を考察」とある。著者平山篤子は、「序章 本書の課題と構成」で「考察の対象を、マニラにおけるスペイン政庁設立の一五七一年から一六五〇年前後までとするのは、舞台である東アジアもスペインが位置するヨーロッパも共に十七世紀中期に時代の転換期を迎え、概ねこの時期を境として政治や経済的環境が大きく変化するため、それ以前と以後では諸条件が異なるからである」と説明している。

 本書で、著者は従来の通説を原史料に基づいて批判し、新たな事実・解釈を随所に示しているだけでなく、本書全体を通してより広い視野のなかで根本的な問題を提起し、「現代の「地球一元化」が惹起する問題と同質にして最初の議論」を展開している。そして、より説得あるものにするため、構成に充分な注意を払っている。本書の構成は、「序章」、第一章、2部7章と「終章」からなる。第Ⅰ部に入る前に、61頁と比較的長文の「第一章 スペイン・カトリック帝国とフィリピーナス諸島(一四五〇頃~一六五〇頃)」があり、「スペインの海外発展の特徴を整理・確認」している。つぎに、各部の「はじめに」で部の全体像を示し、課題を明らかにしている。各章のほとんどには「はじめに」と「小括」があり、各章の課題と明らかになったことが整理されている。そして、「終章 ヒトの移動と邂逅」では、「第Ⅰ部、第Ⅱ部を比較考察する視点を維持し、スペイン人のチナ認識の経年変化、両者の間に維持される関係、惹起される事故や事件にスペイン人のチナ認識がいかなる影響を与えるのかに注視し」、総括している。

 この「終章」では、各部で論じ、明らかにしたことを、つぎのようにまとめている。「第Ⅰ部 スペイン・カトリック帝国の対チナ観」では、「フィリピーナス諸島を中心舞台として政庁樹立の初期に起きた明国宣教に関する議論を、それに参画した三人の論者を中心にして論じた。これは当事者が「チナ事業」と呼ぶもので、明国の宣教のための軍事侵攻・統治までを想定した計画、およびその正邪に関する議論を主題にしている」。そして、「議論の動機は他者の権利擁護などという現代の人権派的発想にあるのではなく、正に国王も含めた個々の人間の魂の救済にあるのであり、それゆえにこそ、これほど真剣、かつ長期に亘るのである。つまりここでカトリックは公私の世界を繋ぐ「公共善の鎹」の役割を果たしていると言えよう」。「そして、本稿で取り上げた議論は、新大陸での宣教問題では征服民と被征服民という関係の非対称性ゆえに見逃される面を有する。即ち、チナに対しては「高度文明の他者」という観念が働くことで、自他を対等に位置させねばならないという意識を引き出した。この点で現代に与える示唆は新大陸の議論よりも大きいと結論づけた」。

 「第Ⅱ部 スペイン政庁の対華人観、対明観-マニラにおける華人暴動を通して」では、「スペイン統治期前半に起きた大規模な華人の暴動としては五回が記録されているが、その最初の二回を取り上げた。暴動に関する報告書が、平時には語られない状況、本音や習慣等を露わにする可能性が大きいことに注目したからである。各事件に言及する史料に沿って経過確認をした後、その原因と対応行動、および双方の行動の理由に焦点を当て、時代背景の推移にも注目しながら論じた」。そして、つぎのようにまとめている。「地球規模でモノ・ヒト・カネ・情報が動く現実に気がつき、その問題点に深い憂慮を抱きながらも止められない、それが地球現象として日常的に人々の口に上り始めたのはごく最近のことだが、この点でも当時期マニラはそのプロトタイプの経験をしていたことになる。政治システムも文明の原理も全く異なる両者が、世界に変革を来すほどに達するモノの量を扱いながら、決定的な負の関係に陥ったのは、八十年余りの中で二度しかないと見るならば、共存を維持するのが常態と言え、関係維持の姿にこそ特筆すべきものがある」。

 最後に、本書の限界、今後の課題をつぎのように述べて、締めくくっている。「両者の関わりの解明は、まだ圧倒的にスペイン側の史料に拠っている。対呂宋交易が数量面で圧倒的な量を誇っていたとすれば、明・清国側史料によっても証拠づける余地はまだあるはずである。第二次暴動では、諸島居留の漳州華人のほとんど死に絶えたゆえに史料が残らないとも言われるが、本稿では脱出した華人も多いのではないかと推測した。その観点に立てば、清国側史料を絶望視するのは少し早いと考えられる」。「一方、帝国の重要な使命としてのカトリック化では、華人の改宗過程について未詳の部分が大きい。彼らの改宗過程、改宗の原理などという華人教会発展のプロセスを、現地修道会の文書等を通じて具体的数量で明らかにしていくのがその一つの方法と考えられる。この両面から進めていくなら、緒についたばかりのこの地域の「ヒトの移動と邂逅」に関する研究は、地球一元化が惹起する窺うに最も困難な局面の解明をもう一歩進めることになるのではないだろうか」。

 本書は、文献史料を丁寧に読み込むことによって、新たな発見と解釈を導き出すことで、学問的に大きな貢献をしている。その背景にあるのは、著者が「圧倒的にスペイン側の史料に拠って」いながら、東アジア・東南アジア側の視点を取り入れることによって、文献史料では見えないものを感じながら本書を執筆したことだろう。それは、つぎの一節からよくわかる。「本稿で扱う時期、フィリピーナス諸島の社会構成はいかなるものであったのか。ドミニコ会士フアン・コーボが一五八九年に母修道院に送った報告書に拠れば、特にマニラには多様な人がいた。公式には語られないポルトガル人も少なくなく、現地人に次いで華人が多く、日本人がそれに次いだ。日本人の数は当時それほど多いとは思えないが、日本人に強い関心を持っていたコーボは彼らに注目したのであろう。アジア系ではシャム、カンボジア、ジャワの人間、他にはベンガルなどかなり西方の人々や「ターバンを巻いた人々」、更には、「ギリシアから来たギリシア人」や「クレタ島から来たクレタ人」にも言及しており、公文書には現れない多様な人々が開放空間である諸島にはいた可能性を示唆する。他方でコーボが言及しないにもかかわらず、確実に存在したのは新大陸の先住民で、メキシコからの補充兵力のかなりを彼らが占めた。彼らは諸島住民と同一視されていたので、コーボの関心を喚起しなかったのだろう。以上の多様な人間集団は、スペイン人到来当時の報告や華人の記録には現れないので、スペイン人の到来が喚起した現象と言えよう」。

 見えないものは、当然書くことができない。しかし、見えないものを感じながら、より広い視野のなかで考察することによって、近代では克服できなかった西洋中心史観やナショナル・ヒストリーから脱することができる。著者は現代を意識し、現代とのつながりを求めながら研究し、執筆していることから、現代に通用する歴史を本書で具現したということができるだろう。

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2012年11月06日

『コロニアリズムと文化財-近代日本と朝鮮から考える』荒井信一(岩波新書)

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 近年日本と韓国の学術交流がさかんになって、日本人研究者が韓国で発表する機会も増えている。これらの日本人研究者、とくに日本考古学、日本近現代史を専門とする者は、本書で書かれているようなことを充分に認識しているのだろうか。もし認識していなくて、交流を通じてもそれに気づかないのであれば、その交流は逆効果に終わってしまう。

 最初の日本による朝鮮の文化財略奪の舞台となったのは、高麗時代の13世紀にモンゴル侵攻によって30年間王都があった江華島で、1875年に日本軍が攻撃したときだった。その後、江華島だけでなく、約500年間高麗の王都があった開城付近で、無数の墳墓があばかれ、「どの山もどの丘も一面蜂の巣のごとくに穴だらけとなっている」という状況になった。江華島では、日本より早く1866年に攻撃し、島の一部を約40日間占領したフランスが「古文書その他の宝物を奪い建物を焼いた」。欧米帝国主義諸国は、世界各地で帝国的侵出をし、文化財を略奪した。日本もそれにならったことを、著者はつぎのように述べている。「軍事的威圧を背景とする不平等条約の強要といい、文化財の略奪といい、近隣諸国に対する明治国家の最初の対外活動は、欧米「文明国」の範にならったものであり、江華島はその象徴的な初舞台であった」。

 帝国日本による朝鮮での略奪の実態は、第1章と第2章の見出しを含めた目次から、軍官民学が一体となっていたことがよくわかる。「第1章 帝国化する日本、そして文化財」「1 最初の文化財略奪の舞台-江華島」「「天然の要塞」」「江華島事件」「文化財の略奪」「四つの史庫」「貴重図書の返還」「史庫の略奪」「河合弘民と「河合文庫」」「高麗古墳の盗掘」「伊藤博文と磁器収集」「武装巡査に護衛された遺跡調査」「2 日清戦争と文化財」「文明国としての体裁」「九鬼の帝国博物館構想」「「東洋美術唯一」の代表」「軍主導の文化財略奪」「3 なぜ鉄道建設なのか」「帝国大学の学術調査」「植民地経営と鉄道」「建築調査に秘められた目的」「古市公威と山県有朋」「縦断鉄道を熱望する」「強制収用と農民の嘆き」「こわされる先祖の墓」。

 「第2章 学術調査の名のもとに」「1 関野貞の古蹟調査」「朝鮮史をどのように認識したか-「植民地史観」」「関野貞の古蹟調査」「高句麗壁画と日本」「影の主役たち、アマチュア・コレクターと軍」「仏教遺跡でも」「取締りは可能か」「2 朝鮮半島の日本人たち」「日本人の移住」「ジョージ・ケナンの見た日本人」「出土品目当ての濫掘・偽造ブーム」「タダ同然の「重宝」、白玉仏」「和田雄治の功罪」「植民地エリートたちの差別意識」「密掘は合法か不法か」。

 このような近代の負の遺産は、世界の帝国がからんでいるだけに、二国間だけで解決できない複雑な問題を孕んでいる。そのため、「第3章 同化政策とつくられた歴史」で日韓併合から日本の敗戦までの植民地時代に日本が朝鮮でなにを「破壊」したかにつづいて、「第4章 文化財は誰に属するのか-講和から日韓交渉へ-」、さらに「第5章 世界で進むコロニアリズムの清算」と時代を追って視野を広げて考察し、「終章 文化財問題のこれから」へと議論を展開する必要があった。

 第5章は、つぎのような説明からはじめている。「文化財の保護が大きな課題となったのは、第二次世界大戦の特徴のひとつであるが、この戦争をきっかけとする脱植民地化の進行のなかで、国外にもちだされた文化財の返還問題が、コロニアリズム清算の一環として強く意識されるようになった」。「自国内で発見された、コロンブスの新大陸到着以前のすべての遺物について、メキシコが所有権を宣言し、多くの中南米諸国がこれにならった。イタリア、ギリシャその他の地中海諸国やイラクからの文化財の不法な搬出が、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカなどの先進国との間で紛争を招き、また時には国内問題となっている。本章では国際社会の対応や、いくつかの事例について考えてみたい」。

 韓国がことあるごとに歴史認識問題をとりあげ、日本を攻撃するのは、つぎのように日本によって奪われたものを取り戻すことによって、国家・民族としての誇りと帰属意識のよりどころを確たるものにしたいと思っているからである。1919年の「三・一独立運動によって危機に見舞われた植民地支配をたてなおすために、総督府は民衆のなかの朝鮮王朝の記憶を抹殺する政策をとった」。「しかし五百年以上つづいた朝鮮王朝の記憶、史蹟や歴史遺物は朝鮮半島の全域に存在し、人々の国や地域への誇りや帰属意識のよりどころになってきたことは否定できない」。「ソウルの宮殿だけをとっても、併合百年を記念する事業として二〇一〇年には、日本が破壊した慶煕宮(キヨンヒグン)の復元や、保護条約強制の現場である重明殿(チユンミヨンジヨン)の歴史博物館化などがおこなわれている。植民地支配の清算が基本的枠組みとなるが、具体的には歴史資料などの文化財は、その成立した環境・背景におくことによりその真価が理解できる」。

 韓国の人びとが、日本にたいして問題としているのは、返還が順調におこなわれていないだけでなく、ほかの欧米帝国諸国と同じように、政治的に利用するために、「留保」していることである。たしかに、関係が悪化したときに返還すれば、効果的かもしれない。しかし、それでは根本的解決にならない。本書の帯にある通り、「国家間、民族間問題の未来を拓くカギとして」は、完全に清算したうえで、対等な立場に立って交流することが望ましい。もう先送りすることは、やめようではないか。

 もうひとつ、韓国の人びとが「反日」を繰り返す理由は、このような歴史を日本人が教育していないことである。しかも、日本史を専門としている研究者が知らず、知っていても深刻に考えていないことである。それどころか、国家や世論をリードしなければならないはずの、大学がこの問題にかんしては足を引っ張っている。「学術調査の名のもとに貴重な文化財を略奪したり、国外にもちさる例は中国や朝鮮にかぎらず、同じ時代の中央アジア、南米、アフリカなどでもひろくおこなわれた。帝国主義の時代に世界に拡大した文化的コロニアリズムの産物であった」。そして、「二〇〇六年の国連総会は「文化財の原産国への復帰または返還」決議を採択した」。しかし、依然として「帝国主義国家」は「合法」的に取得したと主張したり、返還後の管理能力の問題をあげたりして、多くの「復帰または返還」に応じていない。これらの文化財は、もはや1国家や1民族の遺産ではない。人類の遺産であることを考えれば、原産国に戻し、とくに「略奪」した国家や研究者が中心となって管理していくべきものだ。大学は、その先頭に立つことによって、世界をリードする大学になる。

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