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2012年10月30日

『「境界国家」論-日本は国家存亡の危機を乗り越えられるか?』小原雅博(時事通信社)

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 著者、小原雅博は、在シドニー日本総領事である。これまで、「アジア局地域政策課長、経済協力局無償資金協力課長、アジア大洋州局審議官などを務め」た外交官である。著書に、学術書に近い『東アジア共同体』『国益と外交』のほかに、『外交官の父が伝える素顔のアメリカ人の生活と英語』『15歳からの外交官が書いた国際問題がとりあえず全部わかる本』といった中高生を読者対象としたもの、中国人を読者対象として中国語で出版した『日本はどこへ向かうのか?』、そして、本書と「併せ手に取って」欲しいという新書『チャイナ・ジレンマ』がある。

 「本書はアジア外交に携わった者の回想も交えた個人的な思索の集成でもある」と著者は「あとがき」で述べ、つづけて著者の思いを読者と共有したいと、つぎのように述べている。「大復興」する中国と「アジア回帰」する米国との狭間に位置する「境界国家」日本の戦略は、明治以来の「アジアか欧米か」という二者択一ではなく、日米同盟と「日中協商」を共に追求する二者両立でなければならない。それは「境界国家」日本にとっての「究極の選択」であり、「外交の真髄」でもある。日本、アジア、そして世界へのインパクトを語り、激動する東アジア秩序の展開と展望を語ることによって、日本の置かれている客観的状況を明らかにし、日本に何ができ、何をしなければならないか、を論じたつもりである。外交の現場に身を置いた者が何を考え、何をしたか、本書でその思いを少しでも共有していただき、共に日本の再生に向けて力を合わせてくださればそれに勝る喜びはない」。

 著者は、「悲観的になる必要はないが、日本は「まだまだ大丈夫だ」とか、「いや世界で最も好かれている」とか、甘い認識を振りまくのは無責任だ」という。そして、現状をつぎのように認識している。「今やアジアの中心に中国がいる。「世界第2位の経済大国」で通用する時代は過ぎた。インドやブラジルなどの新興国も日本を追い上げている。一方の日本は、相対貧困率が15%を超えて先進国中トップの水準である。ワーキングプアは641万人に達した。国力の低下は外交の足腰も弱める。政府開発援助(ODA)は削減が続いている。かつて世界一の援助国として途上国の期待に応えた日本のODA額は、今や5位に後退した。文化予算は中国の5分の1で、韓国より少ない。海外に留学する学生もめっきり減って、世界の知価をリードするハーバードやケンブリッジといった海外の名門大学で日本人学生を見つけるのは至難の業だ。今や日本の存在感は悲しくなるほどに希薄になっている」。

 そのような状況を打破するためには、「国民が強い危機感」をもたなければならない、と何度も強調し、つぎの「2点を読者の方々に知っていただき、アジア太平洋の「境界国家」である日本の外交戦略と経済再生に向けた日本の国家戦略について、国民的議論を高めてほしい。それがこの本を書くに至った私の思いである」と述べている。「第1に、日本のしたたかな東アジア外交であり、私が外務省入省以来一貫して自らに問い続けてきた命題、すなわち日米同盟と「アジア重視」の「共鳴」を目指す外交戦略である」。「第2に、目覚ましい成長を続ける東アジアの統合プロセスに参画していくことによって日本を変革し、日本を再生するという国家戦略である」。

 本書に何度も出てくることばに、「慫慂(しようよう)」がある。『広辞苑』には、「傍から誘いすすめること」とある。あくまでも国民が主体であって、外交官の役割は「傍から誘いすすめること」にあるといっているようだ。著書は、つぎのようにも述べている。「国民を大事にしない国家はいずれ滅びる。太平洋戦争への道はまさにそれに絵を描いたような歴史であった。しかし、自分たちの国家を大事にしない国民もまたいずれ滅びる。国民が主人公である民主主義国家において、自らの選んだ政府をひたすらこきおろすだけのワイドショーに留飲を下げているだけではこの国の未来はない。何が課題で何をすべきなのか、そのために国民一人一人がどう声を上げ、どう行動すべきなのかを自らの問題として考え、社会を動かし、政治を動かす必要がある。世界中で機能不全に陥った観のある民主主義は、政治家任せではなく、圧力団体主導でもなく、「サイレント・マジョリティー」となってしまった圧倒的多数の国民の意識改革にかかっている。危機感を共有し、世界に目を向け、アジアに「国を開く」べく意識変革を行い、日々の生活でそれを実践していくことが、この国を目覚めさせ、奮い立たせ、再生させることにつながる」。

 著者が本書で国民に求めていることは、至極もっともなことばかりだ。判断するだけの基本的知識をもたない「サイレント・マジョリティー」にたいして、本書が書かれたことも頷ける。問題は、「サイレント・マジョリティー」は本書のような本を読まないし、議論もしないことだ。民意を軽視することはもってのほかだが、民意を信頼しすぎ、あてにすることも危険だ。危機感をもって民意を向上させるためになにをしなければならないかを考えることも必要だが、民意が向上しない場合にどうするかという対策も必要な深刻な事態に陥っている。このままだと、「独裁者」が出現すると「サイレント・マジョリティー」が文字通り黙ったまま従ってしまう。「世界中で機能不全に陥った観のある民主主義」をどう立て直すかが急務の課題であるが、その解決はもはや外交だけでは無理だろう。かつてのような狭義の外交だけではなくなっている。芸能やファッションなど、文化的なものはすでに「国境」を意識しなくなってきている。経済もTPPなど「国境」をなくす試みが活発である。政治だけが、時代に乗り遅れている。とくに東アジアでは、世界や地域が国家に負けず劣らず重要になっている時代に、国民統合や愛国主義が取りざたされている。国家を軽視するというのではなく、総合的に考えて、どう具体的に発言し行動するかが、ひとつの鍵になっている。Win-Winな関係が求められているなかで、両敗倶傷になる争いは避けたい。そのためにも、本書のような外交の現場からの「声」を大切にしたいが、それをどう国内外の民意と結びつけるかが大きな課題となっていることは、本書からも明らかだろう。

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2012年10月23日

『フィリピン近現代史のなかの日本人-植民地社会の形成と移民・商品』早瀬晋三(東京大学出版会)

フィリピン近現代史のなかの日本人-植民地社会の形成と移民・商品 →bookwebで購入

 本書は、30年間余にわたって研究してきた日本・フィリピン関係史をまとめたものである。通常、還暦、退任といった節目にまとめるものを、一足早くまとめた。多くの研究者がまとめることができずに出版しなかったり、出版しても序章・終章のない既発表論文の寄せ集めで終わるのをみてきたからである。早く出版すれば、これで終わりではなく、「つぎ」へ進むことができると思った。

 本書は、これまで書いてきたもののなかから8論文を選び、3部に分けた。3部のタイトルは、つぎの通り学術書としてふさわしくないものかもしれない:「フィリピンで汗を流した日本人」「フィリピンの生活必需品となった日本商品」「フィリピンと戦争を挟んで交流した日本人」。また、「索引」は21頁で、どうでもいいような職種や雑貨名が並ぶ。これも本書の特色のひとつで、「索引」はたんなる付録ではなく、学術書の1部として自己主張している。これらのことは、従来学術書で充分に扱われてこなかったことを議論していることを示している。

 本書の「序」と「結」は、近現代日本・フィリピン関係史を研究してきて、ずっと気になっていた基本的なふたつの問いでまとめた。「序」は、つぎの文章ではじまる。「本書を通じて問いつづけていることが、ふたつある。ひとつは、フィリピンは、なぜ近代を代表する大国アメリカ合衆国の植民地であったにもかかわらず、けっして「自由と民主主義」を謳歌し、物質文化に恵まれた「豊か」で、政治的に安定した国家にならなかったのかである。もうひとつは、日本とフィリピンとの交流が長く、密接であるにもかかわらず、なぜ広がりをもつ蓄積あるものにならなかったのかである」。「これらのふたつの問いは、たんにフィリピン史や日本・フィリピン交流史研究にとどまらない、大きくて深い問題を投げかけている。今日、そしてこれからの世界を考えるにあたって、前者は大国主導ではない世界秩序の構築を、後者は多文化共生が重視されるなかでの交流のあり方を問うているからである」。そして、「結」で、それなりにこたえたつもりである。

 本書の特徴のひとつは、「一言でいえば、「近代文献史学を超えるための現代の歴史学」ということになるだろう」。各章は、文献史料から得られるデータを集計し、その事実から議論を展開している。「意図的であるかないかを問わず、恣意的な資料の「つまみ食い」という弊害を避け、資料の全体像を明らかにしたうえで、分析・考察するために」、「資料の整理、研究工具の作成・刊行と同時並行して」書いてきたものである。

 つぎの特徴として、首都中心の近代の歴史像からの解放を目指したということである。日本側の対アジア貿易、アジア向け商品の製造の中心であった大阪・神戸に注目し、港別貿易統計を使って、東京・横浜中心史観の日本の対外関係史では軽視されてきたことを明らかにした。また、その日本商品が普及したフィリピンの都市の下町や地方社会に目を向け、日本商品が貿易統計以上にフィリピン社会に影響を与えたことを論じた。

 もうひとつの特徴は、つぎのように日本人や日本商品を受け入れたフィリピン社会の特性を念頭に置き、さらに今日のグローバル化のなかでのヒトとモノの移動を考えたことである。「ここで忘れてはならないのは、日本人や日本商品を受け入れたフィリピン社会が海域に属していたことである。流動性が激しく、安定していない海域世界では、ヒトやモノの移動が日常的で、「よそ者」は新たな知識や技術などをもたらしてくれる歓迎すべき存在だった。自分たちの生活を豊かにしてくれるヒトやモノを拒む理由はなかった。これまで「棄民」ということばで象徴的にあらわされてきたネガティブな移民像から脱却し、「よそ者」をポジティブに受け入れてきたフィリピン社会を念頭に日本人移民を考察していくことも必要だろう。そして、今日、グローバル化のなかでさまざまな影響が歓迎/危惧されるなかで、自分たちも気がつかないうちにほかの人びと・社会に影響を与えるかもしれないことを自覚しなければならないだろう」。

 これで、フィリピン研究を「卒業」するつもりでいる。「卒業」は引退ではなく、新たな出発である。フィリピン研究だけをやっていると、日本で発行されたフィリピン関係の本は全部読んでいなければならない、最新のフィリピン研究を把握するためにフィリピンに足繁く通い本を買ってこなければならない、というような「強迫観念」がつきまとった。結果として、視野が狭くなり萎縮して、学び発展しようという意識が薄らいできていたような気がする。フィリピンにこだわらなくなることで、新たな問題意識ができたり、フィリピンだけでは解決し得なかった問題の糸口が見つかるかもしれない。そう期待して、「つぎ」へ進みたい。

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2012年10月16日

『中国は東アジアをどう変えるか-21世紀の新地域システム』白石隆、ハウ・カロライン(中公新書)

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 中国の台頭にたいして、ひじょうに危機感をもつ必要があるというものと、それほど心配する必要はないとするものが、入り乱れて報道されているため、いったいどっちに基づいて考え、対応すればいいのかわからなくなる。本書は、後者のようだ。

 本書は、「はじめに」で目的が述べられ、章の終わりに「まとめ」、最後に「結語に代えて」があるため、わかりやすい。目的は、つぎのように書かれている。「中国の台頭にともなって東アジアは確かに変わりつつある。しかし、それがどのような変化かと問えば、それは非常に複雑で、錯綜(さくそう)し、多方向で、多義的である、というほかない。本書の目的は、そうした変化の大要を、東アジア地域システム、中国周辺の国々の行動、中国の経済協力、東南アジアのチャイニーズ(華人)の変容に注目しつつ検討し、いま中国の台頭によって東アジアがどう変化しつつあるか、それを素描するとともに、それを理解するために、なにをどう検討すればよいか、その一つの試みを提示することにある」。

 「第一章 東アジア地域秩序の変容」では、つぎのようにまとめている。「東アジアの地域システムは安全保障システムと通商システムの間に構造的緊張がある。しかし、このシステムは、機能別、ネットワーク型に構築され、きわめて柔軟でもある。中国の台頭によって、東アジアの地域システムが中国中心に再編成されるといったことは、まったくおこっていない。おこっているのは、中国をこのシステムに取り込み、それがもたらす構造的緊張を管理するということである」。

 「第二章 周辺諸国の行動」では、東南アジアのタイ、インドネシア、ヴェトナム、ミャンマーの4ヶ国をとりあげ、つぎのようにまとめている。「中国の台頭にともない、東南アジアの国々が次々と中国になびく、といった情勢にないことは明らかだろう。どの国も、国内体制の維持が最大の課題である。そのためには、いかなる国にもあまりに依存することのないよう、使えるものはなんでも使って、行動の自由をなんとか守り、できることなら少しでも拡大しようとする」。

 「第三章 中国の経済協力」では、冒頭で「中国の台頭とともに、中国の市場が成長し、中国と近隣諸国の貿易が増え、中国からますます多くのヒト、モノ、カネ、企業が、国境を越えて周辺の国々に溢れ出している。これは東アジアをさまざまのかたちで変えつつある」と述べ、事例としてミャンマー、ラオス、インドネシアの3ヶ国を検討して、つぎのようにまとめている。「中国の経済協力のトランスナショナルな効果は、国によってずいぶん違う。中国の周辺、ミャンマー、ラオスにおいては、中国のヒトとモノとカネと企業は、ときにはタイの政府、企業と連携しつつ、事実上、この地域を「中国化」しつつある」。「しかし、それによって、大陸部東南アジア、さらには東南アジア全体が「中国化」されるとは考えられないし、そもそもその前に、「中国化」とはなにか、その意義はなにか、あらためて検討する必要がある」。

 「第四章 歴史比較のために」は、「第一-三章が二〇-三〇年、第五章が一〇〇-一五〇年程度の時間の幅で中国と東アジアを考察しようとしていることに鑑み、超長期の観点から比較史的に、同じ問題を考えること」を試みている。そして、この章だけ「まとめ」がなく、最後の「比較史的考察から」で、つぎの3点を指摘している。「第一に、中国がいかに台頭しても、中国がかつてのように圧倒的な力をもつことは、まずありえない」。「第二は、海のアジアと陸のアジアの勢力配置の変化である」。「そして第三に、現代の国際秩序においては、かつての朝貢システムの時代とは違って、国際関係においても、それ以外のきわめて広範な政治、経済、社会、文化の領域においても、形式的平等と自由と公平と透明性の原則が、ごくあたりまえのこととして受け入れられている」。「中国の台頭によって、世界的にはもちろん、東アジアにおいても、この秩序がラディカルに変わり、形式的不平等と序列(ヒエラルキー)を一般原則とする二一世紀型朝貢システムが復活するとは考えられない」。

 そして、「第五章 アングロ・チャイニーズの世界」では、「中国の外、特に東南アジアにおいて、いま、どのようなチャイニーズが主流となりつつあるのか。それは中国の台頭とともに変容する東アジアにとって、政治、経済、社会、文化的に、どのような意味をもっているのか」と問い、「まとめ」で、まずつぎのように述べている。「中国=チャイナとはなにか、チャイニーズとはだれか、チャイニーズをチャイニーズたらしめるものはなにか、だれがそれを決めるのか、こういう問いに答えはない」。そして、第四章をうけて、「大陸ではチャイニーズであることがしばしば自明のことと受けとめられるのに対し、その外、特に東南アジアでは、チャイニーズは常に商業/資本と同一視され、また一九世紀末以降、海のアジアにおけるイギリス、そしてアメリカのヘゲモニーの下、アングロ・チャイニーズとなりつつあるということである」と述べて、つぎのように本章を結んでいる。「中国(中華人民共和国)の経済的台頭とともに、おそらく中国語(普通語)を学ぶ人は増え、簡体字の新聞が普及し、中国のポピュラー文化、特に歴史ドラマがますます人気を博するようになるかもしれない。しかし、それとまさに同時的なプロセスとして、大陸のチャイニーズも変わりつつある。中国(中華人民共和国)の台頭とともに、中国=チャイナとチャイニーズの意味も変わる。そして、そこで重要なことは、そうした変化はリニアなものではなく、その表象のプロセス、そこに作用する力、その可能性と限界がどう変わりつつあるか、常に考え、観察しておくことである」。

 最後の「結語に代えて」では、つぎの3点「第一は、中国の台頭と東アジアの地域システムの変容」「第二は、近年の東アジア諸国の行動」「第三は、中国から国境を越えてヒト、モノ、カネ、企業等が東アジアに溢れ出す、そのトランスナショナルな効果」にまとめ、これまで述べてきたことを繰り返して、今後を展望している。

 東南アジア各国は、それぞれ欧米列強が侵出してきたとき、それを利用するかたちで、近世においては近世国家を、近代においては近代国民国家を形成した。いま、中国の台頭を利用して、現代に通用する国家、社会に再編しようとしているようにみえる。その中心が、つぎの特徴をもつエリートである。「多くはバイリンガル(略)、トリリンガル(略)の高等教育を受けたビジネスマン、行政官、医者、会計士、法律家、大学教師等のプロフェッショナル(専門職業者)で、米国、オーストラリア、英国などに留学したことのある人たちも少なくなく、国境を越えた人的ネットワークをもち、アングロ・サクソン的なものの考え方、ビジネスのやり方をよく理解しているということである」。東南アジアだけでなく、中国や韓国でもおこっているこの現象がおこっていないのは、日本だけである。日本人、とくに若者は、国際的にだけでなく、東アジアのなかだけでも取り残されていっているが、本人たちにその危機感はない。それを教え、どう対応するのかをともに考えるのが、いまの日本の喫緊の教育課題のひとつだろう。優秀な若者を海外に出すときは、帰国したときのポジションを用意することも忘れてはならない。

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2012年10月09日

『北一輝-もう一つの「明治国家」を求めて』清水元(日本経済評論社)

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 本書は、1983年に発足した日本経済思想史研究会が世に問うシリーズ「評伝・日本の経済思想」の1冊である。このシリーズには、柳田国男など、一見、経済思想とは無縁であるかのようにみえる人物も含まれている。革命思想家として知られる北一輝も、そのひとりである。そして、著者もけっしてその道の専門家ではない。だからこそ、本書は価値があるのかもしれない。あまたある北一輝論で、これまで扱われなかった「北の経済思想らしきものに焦点を当てて」論じているからである。

 著者は、「経済」を狭義の経済ではなく、つぎのように「economyの原義に立ち戻って、北の「経済」思想をその生涯と交錯させながら叙述しよう」とした。「「経済」の語は、「共通する規範」という意味のギリシア語のオイコノミアに由来する英語のeconomyの翻訳語だが、この語が内包する意味の範囲は、狭義の経済にとどまらず、はるかに広い。ちなみに、手もとの英和辞典を繰ってみると、economyには、経済・理財・家政のほかに、組織・制度・社会、有機的統一、自然界の秩序、天の配剤、摂理などの訳語があがっている。本来、economyとは、自然法則にしたがい動く自然界の循環を含めた人間を養うシステム全体のことなのである」。

 著者は、北の代表作「『国体論及び純正社会主義』において、economyの原義に近い、人類史を総括するような普遍的な社会理論の構築を目指したことは明らかである」とし、第1~5章で北の社会理論、社会主義思想を読み解いていく。そして、第6~7章では、北の思想と生涯の概略を最後までたどれるようにしている。

 1936年の二・二六事件に関与した北は、「今度の事件には関係ないんだね、然し殺すんだ、死刑は既定の方針だから已むを得ない」という陸軍省当局のシナリオによって、ただひとりの純粋な民間人として銃殺された。事件を、「軍のあずかり知らぬ外部の不逞思想の影響を受けた青年将校の暴走によるものとして決着させられなくてはならなかった」からである。

 北の思想の今日的意味を、著者はつぎのようにまとめて、本書の結論としている。「人間の解放に大きな役割を果たして来た市場経済の機能を維持しつつ、この機能を導く原理、価値の根源は、マルクスのいうとおり、商品と商品との関係には決して還元されることのない人間の関係としての「社会」に求められなくてはならない。その中核をなすのは、みずからにとって大事な人すべてで「自己」だと実感できるような「共同体」であろう。そうした「共同体」としてのそれぞれの自己が、自然を介して重層的に多様な関係をとり結ぶ「社会」という価値原理を決して手放すことのない、しかも個々自由な目的を一般的ルールにしたがい追求できる市場経済においてしか、生が充足され、真に人類が解放されることはあるまい。埒もない話だが、われわれの目指すべき道は、「資本」主義ならぬ、「社会」という価値原理に基づく「社会」主義市場経済にしかないのではないか、としか今はいえない。北一輝は、このような問題を時代の制約のなかでぎりぎりのところまで追い詰めた先駆的思想家である。本書は、歴史的な転換期にある日本の新しい経済社会を考えるうえで、この先覚者が、完璧な「倫理的制度としての国家」を希求するのあまり、スターリニズムの逆説をも呼び寄せかねなかったという、その壮大なあやまりをも含めて、何らかの「よすが」になってくれればという思いから書かれた」。

 ほかにも、本書には今日的意味を感じさせる記述がある。1919年の五・四運動を目の当たりにした北が、つぎのように述べているのを、著者は引用している。「「ヴェランダの下は見渡す限り此の児[養子の中国人]の同胞が、故国日本を怒り憎みて叫び狂ふ群衆の大怒濤」、しかもその陣頭指揮にあたる者は、「悉く十年の涙痕血史を共にせる刎頸の同志」である。これを地獄といわずして何というのか」。ここでも、北は「明治国家とは異なる「日本の近代」」をみていた。「闘い敗れた「急進的ナショナリスト」が目指したもの」から、今日のために学ぶことがあることが本書からわかる。

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2012年10月02日

『「お雇い」鉱山技師エラスマス・ガワーとその兄弟』山本有造(風媒社)

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 著者、山本有造は、本書を楽しんで書いている。その理由は、長年(40年)疑問に思っていたことを、専門の数量経済史から離れて書くことができたからである。だからといって、まったく専門から離れたわけではないことが、本書を読めばわかる。これまでに培ってきた研究があったればこそ、それから距離を置いた本書が書けたように思える。幕末から明治にかけて日本にやってきた「お雇い」外国人兄弟を通して、当時の日本という国家の位置、社会の様相だけでなく、東アジア情勢や世界情勢まで、その一端がわかってくる。それは、ザ・ヤトイthe Yatoiということばが、「今日では「お雇い」を指す言葉として英語でも通用」し、「彼らは日本における「文明開化」の尖兵であった」ことと関係している。

 著者の疑問は、開港期の幕末・維新史の文書や史書に、頻繁にガワーという名前をみつけたことによる。しかも、「出所によって、ガワルだの、ガールだの、ガワールだの、果てはゴールなどと呼ばれて最初はとまど」い、「また職業も「お雇い」鉱山技師であったり、領事であったり、貿易商であったり、時には画家あるいは写真家らしかったりして、これにも振り回される」ことがあったからである。

 著者は、「はじめに」の最後で、つぎのように述べて、「この小さな好奇心から生まれた、一九世紀日本とイギリスとイタリアを結ぶ探求の記録」をはじめている。「横浜貿易商それも「英一番館」の番頭、「お雇い」鉱山技師、そして「英国領事」を名乗る三人のガワーが、安政六年(一八五九年)まさに三港開港の直後から、明治一〇年(一八七七年)すぎまで、横浜を中心に日本各地に出没した、らしい。彼らはどこから来たのか。なぜ日本に来たのか。彼らは何を日本に残したのか。彼らはどこへ消えたのか。幕末・維新史に興味があるものであれば、これを知りたいではないか」。

 その結論は、「おわりに」の最初の1頁で、つぎのように述べられている。「開国以降の幕末・明治初期に、三人のガワー姓のイギリス人が日本に現れる。はじめに現れるのはイギリス総領事館(公使館)補佐官として一八五九年(安政六年)に来日したエーベル・ガワーであった。彼はイギリス領事として日本各地を転任し、一八七六年(明治九年)兵庫・大阪領事を最後に、日本を離れた。次に現れるのは「英一番館」ジャーディン・マセソン商会横浜支店の支店長として一八六二年(文久二年)に着任したサミュエル・ガワー、われわれのいうS・Jであり、彼の離日は一八六五年(慶応元年)春であった。三番目が「お雇い」鉱山技師として一八六六年(慶応二年)箱館に現れるエラスマス・ガワーである。彼は箱館、佐渡、東京、長崎で仕事をし、一八八〇年(明治一三年)に新しい仕事を求めてタイ、インドへ去った」。

 「彼ら三人が、イタリア・トスカーナのリヴォルノ(レグホーン)市在住のイギリス人商人・ジョージ・ヘンリーと妻アンの同腹の兄弟であることを小著では明らかにした。S・Jが一八二五年生まれの長男、エラスマスが一八三〇年生まれの次男、エーベルが一八三六年生まれの三男であった。粗々の計算で、S・Jの来日時が彼三七歳でおよそ三年の滞日であった。エラスマスの来日は三六歳、彼は一四年間を日本ですごし、五〇歳にして去った。エーベルの来日は二三歳、離日そして引退も四〇歳という若さであったが、彼の日本滞在は足掛け一七年におよんだ」。

 「ガワー兄弟は教科書を飾るといった意味での歴史の主役ではなかった。しかしそれぞれの職業を通して開港期・日本の西欧化・近代化に大きな役割を果たした「異人たち」であった」と結論した著者は、つづけて司馬遼太郎『胡蝶の夢』のつぎの文章を引用している。「幕末から明治初年の日本は、濃厚に異質な世界であった。ここにきて物を教えることに熱中した幾人かのヨーロッパ人は、帰国後、海のそこから帰ってきた浦島のようにどこか茫々として後半生を送るところがあった」。

 本書の謎解きに、大いに役にたったものに、GROと文書館史料がある。戸籍登記所GRO(General Register Office for England and Wales / The Office for Registration of Births, Deaths and Marriages)は、1837年にイングランド、ウェールズで、すべての出生、死亡、結婚の登録が義務づけられたことにともなって設けられた。55年にはスコットランド、アイルランドでは45年に結婚、64年に出生、死亡の登録が強制された。そのおかげで、家系図を調べるのが容易になっただけでなく、既婚者による結婚詐欺の被害に遭うことも減った。イギリスなど欧米の文書館に行くと、あきらかに研究者には見えない多くの高齢者を見かける。それぞれ自身のfamily historyや郷土史などを調べている。ときには、研究者には思いもつかないような新たな発見があったりする。文書館や図書館の役割に、日本にはない受動的でないものを感じる。

 日本では、人名の読みにほとほと苦労する。外国人のカタカナ表記も同じであったようだ。日本史など日本研究が国際化して、英語で書くようになると、人名のローマ字表記が問題となる。このような役所や文書館があると助かる。「日本の西欧化・近代化に大きな役割を果たした」ひとりエーベルが、40歳で「失意をもって日本を去り、長い余生を送った」一因も、目に見えない「文化摩擦」に青壮年期の17年間さらされつづけてきたからかもしれない。本書を読むと、どこかで日本人と行き違いしたことがうかがえる。

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