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2012年09月25日

『三つの旗のもとに-アナーキズムと反植民地主義的想像力』ベネディクト・アンダーソン著、山本信人訳(NTT出版)

三つの旗のもとに-アナーキズムと反植民地主義的想像力 →bookwebで購入

 日本人にはちょっとわからない著者の博識を背景に、独特の言い回しがあって理解するのが困難な本書を、日本語で読むことできるようにしてくれた訳者に、まず感謝したい。著者アンダーソンは、その著書『想像の共同体』(原著1983年)で、世界的に有名になった東南アジアを中心とするナショナリズム研究者である。本書では、19世紀末という「グローバルなアナーキズムとローカルなナショナリズムがときに対立しながらときに連結するという独特な政治空間を醸しだした時代」を扱う。地域は、3つの旗「フィリピン独立運動派の秘密組織カティプーナンの旗、アナーキストの黒旗、そしてキューバ国旗」で象徴している。残念ながら、原著表紙に5つずつ描かれている3つの旗は、日本語訳の本書にはどこにもない。原著にもなんの説明もないため、門外漢にはなにをあらわしているのかわからないが、著者は読者に「未知の世界」の話を予告する意味で、意図的に説明しなかったのではないだろうか。

 本書の概略は、帯の裏でわかる。「フィリピン・ナショナリズムの父ホセ・リサール、人類学者イサベロ・デ・ロス・レイエス、活動家マリアノ・ポンセ。19世紀末に連鎖的に発生したキューバ独立運動、フィリピンの民衆蜂起、ヨーロッパの反政府活動に三人の足跡はどうつながり、なにを語るのか。100年前に現れた地球規模の政治空間を詳細に描写し、国家・共同体・グローバリズムの問題を現代にふたたび問いかける」。現代に問いかけているわけは、「序文」最後のパラグラフでこう書かれている。「本書にはわたしたちの時代に類似したもの、あるいは共鳴するものが多数あることに読者は気づくかもしれない」。

 本書を読むと、「読者は、アルゼンチン、ニュージャージー、フランス、バスクの内地でイタリア人と出会う」。「プエルトリコ人やキューバ人にはハイチ、アメリカ合州国、フランス、フィリピンで、スペイン人とはキューバ、フランス、ブラジル、フィリピンで、ロシア人とはパリで、フィリピン人とはベルギー、オーストリア、日本、フランス、香港、イギリスで、日本人とはメキシコ、サンフランシスコ、マニラで、ドイツ人とはロンドンとオセアニアで、フランス人とはアルゼンチン、スペイン、エチオピアで出会う」。このようなことになったのも、「一九世紀末の二〇年間に「初期グローバリゼーション」と呼びうる兆候が始まっていたからである」。通信、交通の発達が世界を「狭く」し、それにのってアナーキズムが世界へ広まった。

 そのアナーキズムがナショナリズムとどう呼応していったのか、その具体例が本書で語られている。「新世界における最後のナショナリストの蜂起(キューバ、一八九五年)とアジアにおける最初のそれ(フィリピン、一八九六年)とのあいだのほぼ同時性は偶然の発見などではない。伝説的なスペイン世界帝国の最後の、そして重要な遺物である現地住民、すなわちキューバ人(それとプエルトリコ人とドミニカ人も)とフィリピン人はお互いについての出来事を読むだけではなく、個人的な人間関係を築き、ある点までは互いに協調しながら行動した-そうしたトランスグローバルな相互関係が世界史上初めて可能になったのである」。

 著者は、「本書の構成は方法論と対象に基づいている」とし、続けてつぎのように説明している。「独断的ではあるが、本書の明快な出発点は一八八〇年代の静かで遠く離れたマニラとなる。それから、話題は次第にヨーロッパ全土に拡がり、そしてアメリカ大陸、最後には出発点以上に独断的な結末に向けてアジアにまで延びていく。こうであるから、本書にふさわしい終わり方は「結論」なしということであろう。本書は、言うなれば一八六〇年代初頭に生まれた三名のフィリピノ愛国者であった若者の人生を中心に描くことになる」。

 「第一章と第二章は、二冊の注目すべき書物を対照的に検討する。一つはイサベロの『フィリピンの民俗学』・・・、もう一つはリサールの二冊目の著作に当たる不思議な小説『エル・フィリブステリスモ』」。「第三章は、素人の文芸批評から離れて政治の領域に入るところから始まる」。そして、「ヨーロッパと東アジアにおけるビスマルクの影、産業用爆発物におけるノーベルの技術革新、ロシアのニヒリズム、バルセロナとアンダルシアでのアナーキズム、これらすべてが本章では明らかとなる」。「第四章は、一八九一年のリサールの帰郷から一八九六年の年の瀬も押し迫ったころに執行されたかれの処刑までのあいだの四年間を取りあげる。とりわけ、キューバにおける政情の変化と、フロリダとニューヨークでのキューバ人移民コミュニティにおける変化について議論する」。「第五章は最も複雑である」と冒頭に述べ、前半でバルセロナで発生したアナーキストによる爆破事件からドレフュス事件までもっていき、後半はイタリア人アナーキストによる暗殺事件に始まる。そして、「最後の主要な二つの節では、リサールの親友であるマリアノ・ポンセの活動とイサベロ・デ・ロス・レイエスを軸に議論を展開する」。たしかに複雑で、わかりにくい。

 ここまで読んで、とてもついていけないと読むのをあきらめる人がいるかもしれない。とくに『想像の共同体』のファンは、そう感じるかもしれない。『想像の共同体』の原著が出版されたのが、1983年である。この年を考えると、『想像の共同体』は近代科学のひとつの終着点であったかもしれない。「訳者あとがき」では、つぎのように説明している。「本書は前書[『想像の共同体』]の続編的位置づけにある。前書ではナショナリズムの誕生と展開の過程を非ヨーロッパ的視点から描写した。しかし、一九七〇年代における英国でのナショナリズムをめぐる言説に論争的に挑むという意図を秘めていたために、想定読者は英国の知的伝統を所与とする人びとであった」。「それに対して本書はそうした知的論争から自由であり、広い読者に開かれている」。

 しかし、もしわずか1頁の著者による「後記」が、重要な意味をもつなら、想定読者は「毛沢東主義の「新」共産党の影響が色濃く残っている」「急進的なナショナリストとして有名なフィリピン大学」関係者で、本書はかれらのフィリピン革命史観にたいする挑発かもしれない。本書の原著が2005年に出版されて、数年がたった。「日本語版への序文」のつぎのパラグラフは、日本人ではなくフィリピン人の読者に向けてのものかもしれない。「本書は、偏狭な国民国家主義的歴史叙述という枠組みに対する一種の批判の書として読むこともできる。その歴史叙述では、ひとえに国民国家の枠組みで構成されるために、個々のナショナリズムの特殊性を過度に強調し、その結果として外部世界は軽視される。ところが実際には、ナショナリストとして知られる思想家や指導者は少なからず、故郷を離れて異国の地を旅し、そこで生活し、教育を受けてきた。かれらは未知の言語を習得し、外国人が書いた新聞、冊子、小説を読み、反植民地主義的思想を有する自由主義者や左派活動家(特にアナーキスト)と親交を深めた。ここからもわかるように、ナショナリズムは国際主義(インターナショナリズム)と不可分であり、そのように理解する必要がある」。出版後数年間に、とくに反響のあったフィリピン人だけを対象にしたわけでもないだろう。著者は、前書『想像の共同体』を「偏狭な国民国家主義的歴史叙述」として読んだ者にたいして、わざと「正反対な事柄を話題」にした本書を書いたのかもしれない。本書についていけないと感じた人は、「偏狭な国民国家主義」者かもしれない。

 当然、著者の「挑発」にのったフィリピン人研究者は、個々の事実誤認を指摘したりして反論するだろう。それこそが、著者が批判の対象とした「偏狭な」ものにほかならない。本書でとりあげた3人は、国民国家という枠組みで発想もしていなければ、行動もしていない。「初期グローバリゼーションの展開」のなかで考え、行動した人びとである。「後期」に突入したいまだからこそ、「初期」のことがわかる。その意味で、「初期」の研究はいまが「旬」なのかもしれない。

 そして、本書がフィリピンを専門としているわけではない研究者によって翻訳されたことは幸いであっただろう。とくに近代に教育を受けたフィリピン研究者には、気になることがあまりに多く、翻訳することができなかったであろうし、訳注をつけはじめたら切りがなく、出版することができなかっただろう。出版できたとしても、もうとっくに「旬」をすぎたころかもしれない。訳者は、そのことを重々承知のうえで、このような時代と社会がわかるほんとうの意味での世界史を日本人にも伝えたくて、翻訳を決断したのであろう。その決断にも拍手を送りたい。

 本書は、初期グローバリゼーションだけを扱うのではなく、その前後やグローバリゼーションの影響が少ない国や地域も考慮に入れて、グローバリゼーションを相対化しているという意味で、グローバル史ではなく世界史である。グローバリゼーションを強調するあまり、帝国中心のバランスを欠いた歴史叙述になることからも免れている。その免れえた理由のひとつは、英語がまだ「国際語」ではなかった時代を、その雰囲気を感じてもらうために、スペイン語、ドイツ語、フランス語、タガログ語などで書かれた史料を原文のまま引用し、著者自身の英訳を添えていることからもわかる。これだけの言語が理解できる著者だからこそ、「失われた知識人」たちの世界に入っていった本書が書けたといえる。日本語訳でも、原文はそのまま掲載している。アナーキストもナショナリストも、この多言語社会のなかで交流し、「つながった」。英語だけが支配的な「国際化」への警告かもしれない。ひとつの「国際語」だけでは、とくに人文学的なことは、多文化共生社会とは無縁な「知の帝国主義」的理解に陥る危険性がある。

 本書のような「冒険」は、フィリピンを専門としている研究者だけでなく、ヨーロッパや中南米などを専門としている研究者からも批判されるだろう。その批判が、この「冒険」を読んだからできたのであるなら、その「冒険」をつぶすのではなく、「冒険」の先にあるさらなる「冒険」をめざさなければならない。著者は、この3つの旗とその「つながり」がわかることによって、現代のグローバリズムがよりよくわかるようになるのだと言っているような気がした。

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2012年09月18日

『稲の大東亜共栄圏-帝国日本の<緑の革命>』藤原辰史(吉川弘文館)

稲の大東亜共栄圏-帝国日本の<緑の革命> →bookwebで購入

 いままでいちばんおいしかったコメは、フィリピン南部ミンダナオ島ダバオ市街地から少し内陸に入ったカリナンで食べた陸稲の赤米ジャバニカだ。日本人が普通に食べる白米ジャパニカより粒が大きく、香りとともにじっくり味わうことができた。1985年に調査のために下宿していた家の奥さんは、市場でちょっと変わったものがあると、買ってきて食べさせてくれた。たくさんの種類の地場もののコメやイモ、野菜があることがわかった。タイのバンコクのスーパーマーケットに行っても、いろいろなコメがあることに驚かされる。ジャスミンライス(香り米)として世界的に有名になった輸出用とは違い、人びとが食生活を楽しむためのコメがあるのだ。

 本書では、ただたんに人びとから豊かな食生活を奪っただけではなく、「コメの品種改良の歴史にひそむ、「科学的征服」の野望」が語られている。裏表紙には、つぎのような本書の概略がある。「稲の品種改良を行ない、植民地での増産を推進した「帝国」日本。台湾・朝鮮などでの農学者の軌跡から、コメの新品種による植民地支配の実態の解明。現代の多国籍バイオ企業にも根づく生態学的帝国主義(エコロジカル・インペリアリズム)の歴史を、いま繙(ひもと)く。」

 この概略を読まないで、帯に大書された「稲も亦(また) 大和民族なり」だけ見て読みはじめると、日本の稲作文化とそれを支えた農学者たちの礼賛の本ではないかと思ってしまう。著者、藤原辰史は、農学者たちの功績を認めつつ、それでも罪悪のほうがはるかに深刻で後世まで引きつづく問題を遺したことに鋭く切りこんでいく。そして、その功績は市場原理と結びついていったものであり、とくに自家消費用の在来米を栽培する人びとの生活を豊かにするものではなかったことを明らかにする。著者は、植民地産米の増産について、つぎのように述べている。「移出する側の植民地の農民は、良質(と内地の市場で評価される)品種を食べることはまれであり、在来の食味の悪い(と内地の市場で評価される)米や、粟(あわ)や黍(きび)を食べる。内地米は基本的に自給米ではなく商品であった」。

 植民地台湾で導入された蓬莱米は、肥料を購入できる農家には歓迎されたが、「妻君」は「夫婦喧嘩をしてまで導入を拒んだ」。その理由を、著者は「三重の違和感があったのではないか」と述べ、「肥料依存型の農業構造のみならず、台湾の社会構造と心理構造をその両面からダイナミックに改変した」と指摘している。いったん導入され、肥料、農薬、水への依存度が高まると、収穫量が減る恐怖から抜け出すことができなくなる「薬物依存」と同じ状況に陥る。それを日本は朝鮮、台湾につづいて「大東亜戦争」で占領した東南アジアにも導入し、さらに戦後の「緑の革命」にも影響を与えることになった。

 著者は、本書の基本的立場をつぎのように述べて、結論へと誘っている。「品種改良の政治的および社会的影響を、高橋[昇]や菅[洋]のように無害化することでもなく、山元[皓二]や高木[俊江]のように政治による科学技術の独占としてとらえることでもない。あるいは、盛永[俊太郎]のように発展史のなかに埋め込むのでもない。そうではなく、品種改良が編み出す技術的連関の網のなかで人びとが生き、生かされるという状況を記述することであった」。

 そして、著者は「育種技術は「人を殺すこととまったく関係がない」」というきれい事は、「事実ではない」ときっぱり言い、最後の節「日本植民地育種の遺産」でつぎのように結論している。「育種技術が社会の矛盾を温存して人間と空間を人間の生活実感を通して支配するこのシステムは、警察権力や軍事力で人間を支配するよりもいっそう持続的で摩擦が少なく、それだけに、かえってとてつもなく厄介な統治システムでもある」。

 そして、エピローグ「日本のエコロジカル・インペリアリズム」で、つぎのように警告する。「二一世紀の帝国主義が、国家の枠を超えて、遺伝子操作技術をはじめとするバイオ・テクノロジーによって人間と人間以外の生物を同時に支配するという、新しい段階に突入することは間近に迫っているように思われる。医薬品産業と種子産業はしばしば同一の企業に担われている。古い時代の偶然が新しい時代に必然になることで、歴史は進展してきたからである」。

 わたしたちは、なんのためらいもなく日本のコメはおいしいと思い、その日本のコメを守り、広めていくことになんの疑問も思っていない。だから、それに真摯に取り組む農学者たちを立派な科学者として尊敬してきた。しかし、本書を読むと、日本のコメは戦前・戦中の帝国主義・植民地主義と深く結びつき、それが戦後のアメリカの食糧戦略にも結びついていったことがわかる。そして、「稲も亦 大和民族なり」というように民族文化と絡み、世界に誇ることができると思っているために、さらにやっかいである。すくなくとも、日本人の稲のもつ特殊性を理解したうえで、その神聖性は国内にとどめ、外国に押しつけることだけはやめた方がよさそうだ。

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2012年09月11日

『ヒューマニティーズ 文学』小野正嗣(岩波書店)

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 このシリーズ、全冊を読む人のことを考えているのだろうか。5章の章立ては守られているが、その内容は各執筆者に任されているようだ。頁数も、もっとも多い200頁ほどのものともっとも少ない100頁ほどのものとで倍ほど違う(定価は同じ)。本書は、もっとも頁数が多く、各章の内容、とくに「五、何を読むべきか」では1冊(リルケ『マルチの手記』)の参考文献しかあげられていないという異質なものになっている。

 まず、著者、小野正嗣は「一、文学はどのようにして生まれたのか」という問いにたいして、「そんなことを訊かれて、いまわれわれはとても困惑している。そもそも文学とはなんなのか、よくわかっていないのに」と吐露し、カフカの『変身』などを題材に具体例を示しながら考えていく。そして、つぎのようなことを発見する。「文学において何よりも重要なのは、語りの力だということである。語られる内容がかりに荒唐無稽なものであっても、語り方ひとつで、どのように語るかによって、それを読者にとってリアルなものに、それどころか現実以上に現実的なものにすることができるのだ」。「カフカのこの短いテクスト[「巣作り」]には、われわれが文学と呼びたいものがすべてある。まず、語っているのが誰なのかもよくわからない。声の主である「私」は地中の巣穴で暮らしており、この巣穴を自分の爪で土を掘ることによって建設したというのだから、どうも人間ではないようだ。しかしその姿を思い浮かべるのはきわめて困難だ。そういう意味では、「私」の存在は声そのものである」。「巣を作ることは、おそらく文学に取り憑いて離れぬ欲望のひとつだ。それは、言うことの可能性をたえず新たにし、言葉をつねに甦らせるという文学の本質と特権的な関係を取り結んでいると言ってもよい」。

 そして、本章はつぎの文章で終わっている。「書くということは、ふだんの「いま」と「ここ」と「わたし」を忘れて、この「どこにもないところ」に連れて行かれることにほかならない。「どこにもないところ」、そこは文学の巣穴であり、ふるさとである。ということは、われわれすべてのふるさとでもある。耳を澄ませてほしい。この文学の巣穴が張り巡らされた「どこにもないところ」を通過した者たちによって、いたるところで新しい巣穴が掘られている音が聞こえてくる」。

 「二、文学を学ぶことに意味はあるのか」では、「他者をより深く知ろうとするとき、自分が見えてくる」といい、「文学を学ぶことには何も意味がないと断言するのは、人間として生きることには何の意味もないと認めることに等しい」と、この章を結んでいる。具体的には、つぎのような説明がされている。「文学がやっていることも、子供にとっての遊びと基本的にはなんら変わるところはない。想像力の動きがより大きく、より精緻に、より複雑に、より構造的になっているだけの話だ。遊びが子供にとって不可欠なように、文学に代表される創造的活動、芸術は、人間が人間であるために不可欠な本質的活動である」。「宗教、ジェンダー、人種、階級、国民性などの差異を持つ人々を理解するために、文学が最良の手段を提供してくれると言う。なぜなら文学は他者の立場に身を置くことを可能にするからだ」。

 第二章を引き継ぐように、「三、文学は社会の役に立つのか」では、社会を「市場」と理解している人には無駄で無用に思えるかもしれないが、この問いをつぎのように読み替えれば、答えは「イエス」しかないと明瞭にこたえている。「「文学はわたしたちの心を豊かにしてくれるのか」あるいは「文学はわたしたちのものの感じ方・考え方を広げてくれるのか」「文学はわたしたちがこの世界でともに生きる他者をよりよく理解することを助けてくれるだろうか」。

 「四、文学の未来はどうなるのか」では、人間社会が存在するかぎり、文学も存在することを、つぎのように帯の裏でも述べている。「絶滅収容所のような極限的な場所において文学は無力である。・・・にもかかわらず・・・地獄の底に沈みつつあった一人の苦しむ人間を支えることができる。その人を、悲痛や絶望を通して、彼と同様に苦悩する無数の人びとと結びつける。文学とは何よりも「わたし」と「他者」とをつなぐものである。そして社会とは人と人とのつながりの場である以上、社会が社会であるために、文学は何よりも必要とされる。逆の言い方をすれば、文学のないところに社会はない。文学の死はすなわち、人間社会の死である」。

 最後の「五、何を読むべきか」では、まず本章の主題は「何を読むべきか」ではなく、「どのように読むべきか」であるとし、つぎのように説明している。「「何を読むべきか」というのは、あまり意味のない問いである。大切なのは、出会った人とどのようにつきあっていくかを学ぶように、出会った本とどのようにつきあっていくか、つまりどのように読むかを学ぶかではないか」。「しかし作品を読むということは、実はそれほど簡単なことではない」として、説明を続けている。

 小説家でもある著者は、科学的な説明を避けたためであろう、繰り返しが多い。しかし、具体例をあげながらで、よりわかりやすくなっている。そして、著者は作品を理解するために、視野を広げ、いろいろな角度から観ようとしている。たとえば、歴史学や地域研究について、他人の説を引いたつぎのような言及がある。「歴史学の言説と歴史小説の言説を区別するのは、内面の透明性だと指摘している(歴史学の言説では、「ナポレオンは・・・と考えたにちがいない」とは書けても、「ナポレオンは・・・と思った」とは書けない。そう書いてしまえば、それは歴史学ではなくて歴史小説だ)」。「非西洋地域の作品を読むときに、気をつけたいことがある。作品をもっぱらそれが書かれた国の社会や文化のネイティブ・インフォーマントとして読んでしまうようなアプローチをできるだけ避けながら、まず自分たちの社会や文化との差異を理解すること。そしてそうした差異を超えて普遍的な人間の経験を共有すること。この二つが同時になされなくてはならない」。加えていえば、歴史学にしろ地域研究にしろ、学問であるならば説得ある根拠をあげる必要がある。

 本書を読んで、文学の必要性がよくわかった。よくわかっただけに、文学の未来について心配になった。まず、本を読まなくなったことである。しかも、1冊丸ごと理解することや、作家1人丸ごと理解しようとする読者が少なくなったことだ。インターネットで調べれば、簡単にわかったつもりになるので、ゆっくり「他者」と向かうことがない。自分と同じ考えの人を見つけて安心し、自分とは違う意見に耳を傾けようとしない人が増えてきているのではないだろうか。文学作品よりもっと手軽なものにテレビドラマがあるが、そのドラマも観なくなっている。韓流ドラマを観ても、違いがわかるはずだ。
 「わたし」と「他者」をつなぐものが希薄になっているからだろう。学生が就活でさかんにいうのが、コミュニケーション能力である。大学入学直後から就活テクニックを気にするより、じっくり本を読むことが重要なことが本書からわかる。文学も実学であることがわかる人が増えると、この社会ももっとおもしろくなる。


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