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2012年08月07日

『東南アジア占領と日本人-帝国・日本の解体』中野聡(岩波書店)

東南アジア占領と日本人-帝国・日本の解体 →bookwebで購入

 本書は、「南方徴用」された作家・文化人の徴用令書を受け取った戸惑いの様子からはじまる。「大東亜戦争」では、「多くの民間人が国家総動員法・国民徴用令により徴用され、陸海軍に勤務した。軍属とも言う。通常その任期は一年であった」。これらの民間人の体験にもとづいた「語り・回想narrative」は、おびただしい数にのぼった。「本書では、日本の南方=東南アジア占領が、戦後の日本と日本人に向けて開かれた歴史経験としてもった意味を、主として東南アジア占領に関わった日本人の「語り・回想」を読み解くことを通じて考えていく」。

 「本書は、日本帝国が直面した矛盾と限界を浮き彫りにする視点から」「「大東亜共栄圏」の「虚像」と「実像」という問題」に注目する。著者、中野聡は、さらにつぎのように説明している。「この対比から一般に想像されるのは、互恵・平等を想起させる「共栄」という宣伝文句(虚像)の一方で、東南アジア占領の実態(実像)は日本を支配者とする垂直的な支配であり、日本が占領下のビルマやフィリピンに与えた「独立」はカッコ付きに過ぎなかったという見方であろう。しかしはたして日本は、その「実像」を実現できたのであろうか。むしろ日本帝国が秩序の形成力に不足していたという現実が、日本帝国をその膨張の極点において揺さぶり、「共栄」や「独立」の観念をめぐる力関係にも影響を与えていったのではないか。このような観点から本書では、東南アジア占領に関係した日本人の「語り・回想」を通じて、日本帝国が東南アジア占領によって揺さぶられ、解体されていく契機-「南方=東南アジア占領の歴史的衝撃」-に注目していきたい」。

 「そして東南アジア占領とその破綻をめぐる日本人の「植民地経験」に注目するとき、東南アジアという「他者」に対して日本帝国のやり方が通用しないことを学ぶという経験そのものが日本人に与えた歴史的衝撃としての意味も浮かび上がってくる。この視点から、本書は、東南アジア占領者としての日本人の経験が日本と日本人の戦後に開かれた歴史経験としてもった可能性にも注目していきたい」。

 その「語り手」たちとして、つぎのような多様な日本人が登場し、「自らの経験を戦時においてどのように語り、また戦後においてどのように反芻してきたのかを辿っていく」。「まず、東京の戦争指導部とその周辺の人々」。「とくに、占領地から遠く離れた東京の密室とも言える状況のなかで、大本営参謀や戦争指導部がいかなる発想から南方=東南アジア占領に臨んでいたのかを、検討していきたい」。

 つぎに検討するのが、「南方派遣軍の将兵が残してきた記録・回想」で、「主として派遣軍の中枢において軍政・占領政策を担い、東京の戦争指導部と、被占領地の政治指導者・住民との間に立った人々の経験である」。「一方、地方レベルでの占領の現場についての記録・回想は断片的にならざるを得ないが」、「被占領地の政治指導者や住民との関係をめぐって日本の軍人がどのように思考し、行動しようとしたのかを検討していく」。また、「アジア・太平洋戦争のもっともめざましい特徴のひとつ」が、「徴用・雇用・企業派遣などのかたちで多数の民間の人材を軍が戦争と占領に活用した」ことであった。「彼らの「語り・回想」は、数量的には軍人のそれに較べると限られるものの、軍人には欠けがちな視点からの東南アジア占領史の「語り手」として、重要な意味をもっている」。そして、文民のなかでも、冒頭で登場した「文士をはじめとするいわゆる「文化人」」は、「その職責や作家的関心から」、「従軍当時から戦後にかけてきわめて多くの「語り・回想」」を著した。

 「陸海軍全体の定員で総計約二万人にのぼった軍属全体のなかでは、南方派遣軍全体で定数七六五二人の占領運営を支える軍政要員として官吏・官僚・企業人が「司政長官」・「司政官」として徴用され、さらに、陸海軍全体で定数一万三六九五人にのぼる、通訳・通信技手など軍の不足する人材を補う軍属が兵卒と同様の待遇で徴用された」。なかでも、著者は「経済人」たちの「語り・回想」に注目し、軍人や作家とは異なる視点で、「アジアの「他者」と向かい合う経験を語る、多様な民間人の記録・回想を本書では参照していく」。さらに、戦前からの在留邦人の経験を踏まえた回想を検討する。

 最後に、著者は、「本書には登場しない「語り手」たち」にも、思いを馳せる。「南方派遣の日本人の生還率は全体で四四%、東南アジアに限定しても五四%に過ぎない」。「語り・回想」は、おもにその生存者に限られる。また、「日本帝国の「日本人」としての台湾人・朝鮮人」も語られていない。しかし、著者は、「残されてきた「語り・回想」をテキストとして用いるがゆえに、語らざる人々(サバルタン)の視点が可視化されにくいことを自覚して」、「残されてきた「語り・回想」から紡ぎだされた「支配的な語り」に寄り添いながら、そこに「欠けていること」を含めて、それらを読み解いていくという方法を採っていきたいと考えている」。

 本書は、以上の「序章 歴史経験としての東南アジア占領」と5章からなる。最大の特色は、「第五章 帝国・日本の解体と東南アジア」で、戦後を見据えて、「1 終焉に向かう戦局とアジアのナショナリズム」「2 「学びの場」としての東南アジア占領」が論じられていることだろう。著者が得た結論のひとつは、「日本人にとってアジア・太平洋戦争が、南方=東南アジアの被占領者という「他者」の存在を通じて、帝国・日本のやり方が通用しないことを学習する機会ともなったという点であった。その意味で最大の焦点となったのが、「他者」のナショナリズムにどう向かい合うかという問題だった」。もうひとつは、「変化すべきは「かれら」東南アジアではなく、実は「われわれ」日本人ではないのかという「答え」である」。

 しかし、日本が東南アジア占領から「学んだこと」は、戦後どのようなかたちとなったのだろうか。本書は、つぎのように結ばれている。「本書で検討してきた、日本の東南アジア占領とその崩壊の日々は、日本人に、「他者」の眼を通じて自己を見据える機会を与えた貴重な時間でもあった。そこから浮かび上がる戦後の日本と日本人に向けて開かれた歴史経験としての東南アジア占領の意味とは、日本が東南アジアを欧米植民地支配の軛(くびき)から解放したという歴史の陽炎(かげろう)よりも、もっとたしかな現実である。それは、敗北と絶望と自己否定を通して、そして東南アジアという「他者」との遭遇を通して、帝国・日本が語る「其所を得る」大東亜共栄圏像の虚妄を悟り、帝国・日本の過去との決別が戦後の良い出発となるであろうことに気がつき始めた日本人の姿である。そして敗戦のわずか数年後、サンフランシスコ平和会議で国際社会に復帰した日本と東南アジア諸国は賠償問題で向かいあうことになる。そこで、あまりにもあっさりと過去と決別した身軽な平和国家としての「戦後日本」と、生まれ変わったように平和を愛する健忘症の「戦後日本人」を-まだその多くが日本占領期から始まった独立戦争・内戦・政治的混乱の疾風怒濤のただ中にあった-東南アジア諸国の人々は、驚きの眼をもって迎えることになる。だとすれば、日本の東南アジア占領とは、日本が東南アジアを解放したのではなく、むしろ帝国・日本の軛から日本人を精神的に解放する営みであったとさえ言えるように思われるのである」。

 東南アジアは、日本によって初めて占領されたわけではない。国・地域によっては、古くから中国人、インド人、イスラーム教徒によって占領されたり、植民によって土地を奪われたりした経験がある。近代になって、タイを除き欧米の植民地になった。しかし、それは今日の東南アジアの国ぐにが全土に渡って植民地支配されたことを意味しない。植民地行政の中心となる主都で、制度的に整備されていったに過ぎず、都市や新たに開発された地域以外では、幅広い自治が認められ事実上「独立」していたところもあった。西欧の植民地支配が、「完全」ではなかったところで、日本が力づくで軍政をはじめたのである。フィリピンだけが、もともと南部のイスラーム地域を除き王国らしい王国がなく、「間接支配」を許すだけの地方の「くに」がなかった。民族運動も主要民族中心におこなわれ、周辺民族への介入は当初避けた。そのような東南アジアでは、一般に中央での「宥和」と地方での「様子見」が、占領地・植民地行政の基本であったはずである。それがわからず、「圧政」したことが、「日本の支配に対する全民衆的な怒りと恨み」になった。「民度が低い」と決めつけた東南アジアの歴史と文化を、少しでも理解していれば、東南アジア占領から学んだことが戦後すぐに消え去ることもなかっただろう。戦後においても、東南アジアの歴史と文化を理解し、「学ぶ」発想が、なかなか広まらなかった。

 近代の帝国では、一時的な軍事的占領はできても、恒久的な植民地支配は難しいことがわかってきたため、同化政策やら協同政策、倫理政策が議論された。日本も、欧米の帝国主義諸国家と「悩み」を共有し、植民地支配のあり方を議論し、台湾や朝鮮、満洲が、その実験場となった。さらに、これらの植民地支配の経験のある軍人、行政官が、東南アジア占領にかかわった。にもかかわらず、さらに「民度の低い」と考えられた東南アジアでは、その経験がいかされなかった。帝国日本の崩壊、解体は、近代帝国の解体と現代への変容という世界史の文脈で考察することも必要だろう。戦後の日本では、帝国が解体され、アメリカの庇護下で復活したために、東南アジアとの新たな関係を築くことは議論されず、東南アジア占領から学んだことがいかされることはなかった。

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