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2012年08月28日

『ヒューマニティーズ 政治学』刈部直(岩波書店)

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 本書のタイトルを「政治学」だけでなく、「ヒューマニティーズ」を加えた。普通、「ヒューマニティーズ」といえば、自然科学や社会科学にたいして使われる「人文学」「人文科学」あるいは「哲史文」すなわち哲学、歴史学、文学などのことを指す。「政治学」は社会科学の1分野とされる。それが、なぜ「シリーズ ヒューマニティーズ」の1冊に加えられたのか。その説明は、本書のどこにも書かれていない。はなはだ不親切なだけでなく、本書の位置づけがわからないため、本書を充分に理解できないという、執筆者にも読者にもたいへん不利益なものになっている。

 岩波書店のホームページを見ると、つぎのような説明があった。「断片化する学問のあり方に抗して、人文学的知の本質を問う。これからの人文学を担う世代のための新たな指針」。「現在の人文学的知は、グローバル化のもとでの制度的な変動とも結びつきながら、新たな局面をむかえつつある。学問の断片化、細分化、実用主義へのシフトなど、人文学をとりまく危機的状況のなかで、新たなグランド・セオリーをどのように立ち上げるのか。人文学のエッセンスと可能性を、気鋭の執筆陣が平易に語る」。

 本書の特色は、「1 その学問は、どのように生まれたか」「2 その学問を、学ぶ意味とはなにか」「3 その学問は、社会の役に立つのか」「4 その学問の、未来はどうなるのか」「5 その学問を、学ぶためになにを読むべきか」という、共通の問いに答える、5つの章から成り立っていることである。「この五つの問いに旧来の学問を投げ返したときに、いまなにが新しくみえてくるのか、そのことから、それぞれの学問のエッセンスが解き明かされます」。

 だが、本シリーズに、政治学や法学、経済学といった社会科学の分野が入っていることの説明はされていない。自然科学や社会科学といった近代に活躍した学問が、そのままでは役に立たなくなってきて、自然科学や社会科学にも人文学の知識や考え方が重要になってきていることは説明されていない。本書を、社会科学としての政治学の入門書と思って読んだ人は、期待はずれになるだろう。否、その前に読むのをやめてしまうかもしれない。我慢して最後まで読んだ者は、今後の政治学になにが必要なのかすこしわかったかもしれない。

 本書で、著者刈部直は、「高校での「現代社会」や「政治・経済」の学習内容と、大学で講義されている「政治学」関連のさまざまな学問の知識」との大きな断絶から話を始める。「二つのあいだには、質の違いと言ってもいいものが横たわっています。高校で「現代社会」や「政治・経済」が好きで成績がよかったので、同じようなものだと思って大学で政治学関係の講義に出席してみると、どうもなじめず、教師の話についていくことができない……そんな人に、この本は一番役にたつのではないでしょうか」。「それはなぜなのか。実はその問に対する答を全篇にわたって書いている」のが、本書である。

 そして、その結論は、帯の裏にある。「全体状況をリアルに見わたしてよりよい方向性を考えるとともに、過度な期待をみずから戒めること。その態度をとった上で、「政治というものは、われわれがわれわれの手で一歩一歩実現していくものだというプロセス」をふんでゆくこと。それはいかにも地味で、魅力に乏しいものであるが、一人一人の市民がその味気なさに耐えることこそが、政治を健全なものとして支えられる。-それが、現代において、一般の人間が政治にかかわるために適したあり方なのである」。

 本シリーズの「おわりに」で、著者自身がこのような入門書の書き手としてはふさわしくないと述べているものが目につく。本書の著者も、そのひとりである。それが本シリーズの特色であるにもかかわらず、著者自身にも充分に伝わっていないのだろうか。執筆者が胸を張って「わたし以外に、適任者はいない」と言え、読者が期待通りのものだったと感じられるような説明が、冒頭に欲しかった。この6月で、2009年5月に本シリーズ最初の『哲学』と『歴史学』が刊行されて3年間余で全11冊が出揃った。現代の人文学的知とななにか、シリーズ全体を通して流れるメッセージを各巻で確認しながら、読み進めたかった。


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2012年08月21日

『歴史のなかの熱帯生存圏-温帯パラダイムを超えて-』杉原薫・脇村孝平・藤田幸一・田辺明生編(京都大学学術出版会)

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 本書は、1冊の本として理解しやすいものではない。だからこそ、全体を通して読みたい本である。本書が目指しているものを端的にあらわしているのは、「終章 多様性のなかの平等-生存基盤の思想の深化に向けて-」のつぎの冒頭のことばである。「人間のなすあらゆる学問の目的は、世界に対する人間の関係を探求することにある」。しかし、学問の現状は、「世界に対する人間の関係」のほんの一部しか手をつけていないし、手をつけている分野でも、進んでいる分野はごく一部である。本書が、1冊の本として理解しやすいものではないのは、進んでいる分野のかなりこなれた記述と、手をつけはじめたばかりのまだ整理が充分でない記述が、混じりあっているからである。さらに、序章、4編14章、終章からなる本書のそれぞれの編と編、章と章とのつながりがよくわからないものがあるからである。それだけ、本書、本講座が目指しているものが、とてつもなく巨大なものだということだ。その現状を知るためにも、本書全体から個々の分野の位置を確認したい。

 本書は、全6巻からなる「講座 生存基盤論」の第1巻である。ほかの巻は、以下の通りである。「第2巻 地球圏・生命圏の潜在力-熱帯地域社会の生存基盤-」「第3巻 人間圏の再構築-熱帯社会の潜在力-」「第4巻 熱帯バイオマス社会の再生-スマトラの泥炭湿地から-」「第5巻 生存基盤指数-人間開発指数を超えて-」「第6巻 持続型生存基盤論ハンドブック」。

 本講座は、「京都大学グローバルCOEプログラム「生存基盤持続型の発展を目指す地域研究拠点」(2007-2012年)の最終報告書」である。本講座は、「これまでのアジア・アフリカ研究の多くは、欧米や日本の歴史的経験に基づいた、したがってアジア・アフリカ地域全体からみればバイアスのかかった認識枠組から自由ではなかった」という認識の偏りを克服するために、「これまで「地表」から人間の眼で見てきた世界を、より三次元的で複眼的な「生存圏」から捉え直すことを提案する」。「そして、現在なお広く共有されていると思われる二つの見方の根本的な転換を示唆する」。

 「その第一は、「生産」から「生存」への視座の転換である」。「現在必要とされているのは、生産性の向上や労働の尊さといった価値を否定することなく、しかしその意味を、もう一度この「生存」の観点から捉え直すこと」である。「第二は、「温帯」から「熱帯」への視座の転換である」。「われわれは、地球環境における熱帯の本質的な基軸性と、技術や制度の発達における温帯の主導性との間に大きなミスマッチをみる。これを矯正しなければ、人類が地球環境を理解し、それと共生していくことはできない」。

 そして、「本講座の刊行によせて」の最後に、本講座の課題をつぎのように説明している。「人類生存基盤が持続する条件をできるだけ幅広く探ることである。人間環境の持続性を分析する基本単位として「生存圏」を設定し、そこで個人が生きるために、あるいは地域社会が自己を維持するために必要な物質的精神的諸条件を「生存基盤」と呼ぶとすれば、われわれの最終目標は、ローカルな、リージョナルな、あるいはグローバルな文脈で、持続型の生存基盤を構築する可能性を具体的に明らかにすることである。生存基盤論は、そのための分析枠組として構想された」。

 この講座の第1巻である本書の課題は、「持続型生存基盤論の基礎となる長期の歴史的パースペクティブを示すとともに、それによって熱帯生存圏の新しい理解を提示することである」。4編それぞれ冒頭で、編の「ねらい」を簡潔に、つぎのように述べている。

 「第1編 生存基盤の歴史的形成-生産の人類史から生存の人類史へ-」が「目指すのは、「生産の人類史」から「生存の人類史」への歴史叙述の書き換えである。これまでの人類史(主として現生人類史)では、「狩猟・採集」の時代から「農業(と家畜使用)」の時代、さらには「産業」の時代へといったように、生業を基軸にして時代区分やそれぞれの時代の特徴が叙述されてきた。しかし本編では、「生存」を規定する諸条件に着目する「生存の人類史」を目指している。「生存の人類史」とは何か。それは、人類史すなわち「人間圏」の歴史を、「地球圏」および「生命圏」の論理との強い連関のなかで理解することにある」。

 「第2編 近代世界システムと熱帯生存圏」は、「近現代史を念頭に置き、人間圏、とくに温帯で生まれた技術革新が熱帯生存圏をどのように変容させてきたのか、変容させようとしているのかを論じる」。「本編は、熱帯生存圏が温帯における経済と技術の発展にどのようなインパクトを受け、いかなる対応を迫られてきたのかを論じた3本の論考を収録する。ここでの焦点は、温帯の発展を支えた近代的な技術でもなければ、熱帯地域に蓄積された在来の技術でもなく、温帯と熱帯のあいだに生じた、あるいは生じつつある、まさしく地球規模での技術革新とその伝播の帰趨をどう理解するかにある」。

 「第3編 モンスーン・アジアの発展径路と日本-発展を支えた農村制度に着目して-」は、「日本を含む東(北)アジアから東南アジア経由でインドまで広がる「モンスーン・アジア」について、同地域に特徴的な生態的基盤のうえに展開した、農業や森林利用・管理におけるさまざまな制度(institutions)に着目し、制度がいかに進化(evolve)し、技術の開発や外部からの受容を媒介として発展径路を規定してきたかを論じたものである」。

 そして、「第4編 熱帯における生存基盤の諸相-植民地支配・脱植民地化・石油依存-」は、生存基盤持続型発展のために熱帯地域が有する現代的可能性に着目する。とくに植民地期から現代までの長期ダイナミクスという歴史的視角およびグローバルなつながりのなかの地域の固有性という地域研究的視角から、熱帯の生存基盤の変容と現状を検討することをつうじて、温帯パラダイムを乗り越え、熱帯を焦点において歴史観・世界観を見直す試みをなす」。

 このような大きな構想の下での共同研究、しかもさまざまな分野の研究をまとめることは並大抵のことではない。それを批判することは、それほど難しいことではないが、それは逆説的で、このようにまとめられたからこそ、批判ができるようになったということができる。それだけ、本書、本講座の出版の意義があるということである。これを出発点として、さらなる共同研究、個々の研究の発展を期待したい。

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2012年08月07日

『東南アジア占領と日本人-帝国・日本の解体』中野聡(岩波書店)

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 本書は、「南方徴用」された作家・文化人の徴用令書を受け取った戸惑いの様子からはじまる。「大東亜戦争」では、「多くの民間人が国家総動員法・国民徴用令により徴用され、陸海軍に勤務した。軍属とも言う。通常その任期は一年であった」。これらの民間人の体験にもとづいた「語り・回想narrative」は、おびただしい数にのぼった。「本書では、日本の南方=東南アジア占領が、戦後の日本と日本人に向けて開かれた歴史経験としてもった意味を、主として東南アジア占領に関わった日本人の「語り・回想」を読み解くことを通じて考えていく」。

 「本書は、日本帝国が直面した矛盾と限界を浮き彫りにする視点から」「「大東亜共栄圏」の「虚像」と「実像」という問題」に注目する。著者、中野聡は、さらにつぎのように説明している。「この対比から一般に想像されるのは、互恵・平等を想起させる「共栄」という宣伝文句(虚像)の一方で、東南アジア占領の実態(実像)は日本を支配者とする垂直的な支配であり、日本が占領下のビルマやフィリピンに与えた「独立」はカッコ付きに過ぎなかったという見方であろう。しかしはたして日本は、その「実像」を実現できたのであろうか。むしろ日本帝国が秩序の形成力に不足していたという現実が、日本帝国をその膨張の極点において揺さぶり、「共栄」や「独立」の観念をめぐる力関係にも影響を与えていったのではないか。このような観点から本書では、東南アジア占領に関係した日本人の「語り・回想」を通じて、日本帝国が東南アジア占領によって揺さぶられ、解体されていく契機-「南方=東南アジア占領の歴史的衝撃」-に注目していきたい」。

 「そして東南アジア占領とその破綻をめぐる日本人の「植民地経験」に注目するとき、東南アジアという「他者」に対して日本帝国のやり方が通用しないことを学ぶという経験そのものが日本人に与えた歴史的衝撃としての意味も浮かび上がってくる。この視点から、本書は、東南アジア占領者としての日本人の経験が日本と日本人の戦後に開かれた歴史経験としてもった可能性にも注目していきたい」。

 その「語り手」たちとして、つぎのような多様な日本人が登場し、「自らの経験を戦時においてどのように語り、また戦後においてどのように反芻してきたのかを辿っていく」。「まず、東京の戦争指導部とその周辺の人々」。「とくに、占領地から遠く離れた東京の密室とも言える状況のなかで、大本営参謀や戦争指導部がいかなる発想から南方=東南アジア占領に臨んでいたのかを、検討していきたい」。

 つぎに検討するのが、「南方派遣軍の将兵が残してきた記録・回想」で、「主として派遣軍の中枢において軍政・占領政策を担い、東京の戦争指導部と、被占領地の政治指導者・住民との間に立った人々の経験である」。「一方、地方レベルでの占領の現場についての記録・回想は断片的にならざるを得ないが」、「被占領地の政治指導者や住民との関係をめぐって日本の軍人がどのように思考し、行動しようとしたのかを検討していく」。また、「アジア・太平洋戦争のもっともめざましい特徴のひとつ」が、「徴用・雇用・企業派遣などのかたちで多数の民間の人材を軍が戦争と占領に活用した」ことであった。「彼らの「語り・回想」は、数量的には軍人のそれに較べると限られるものの、軍人には欠けがちな視点からの東南アジア占領史の「語り手」として、重要な意味をもっている」。そして、文民のなかでも、冒頭で登場した「文士をはじめとするいわゆる「文化人」」は、「その職責や作家的関心から」、「従軍当時から戦後にかけてきわめて多くの「語り・回想」」を著した。

 「陸海軍全体の定員で総計約二万人にのぼった軍属全体のなかでは、南方派遣軍全体で定数七六五二人の占領運営を支える軍政要員として官吏・官僚・企業人が「司政長官」・「司政官」として徴用され、さらに、陸海軍全体で定数一万三六九五人にのぼる、通訳・通信技手など軍の不足する人材を補う軍属が兵卒と同様の待遇で徴用された」。なかでも、著者は「経済人」たちの「語り・回想」に注目し、軍人や作家とは異なる視点で、「アジアの「他者」と向かい合う経験を語る、多様な民間人の記録・回想を本書では参照していく」。さらに、戦前からの在留邦人の経験を踏まえた回想を検討する。

 最後に、著者は、「本書には登場しない「語り手」たち」にも、思いを馳せる。「南方派遣の日本人の生還率は全体で四四%、東南アジアに限定しても五四%に過ぎない」。「語り・回想」は、おもにその生存者に限られる。また、「日本帝国の「日本人」としての台湾人・朝鮮人」も語られていない。しかし、著者は、「残されてきた「語り・回想」をテキストとして用いるがゆえに、語らざる人々(サバルタン)の視点が可視化されにくいことを自覚して」、「残されてきた「語り・回想」から紡ぎだされた「支配的な語り」に寄り添いながら、そこに「欠けていること」を含めて、それらを読み解いていくという方法を採っていきたいと考えている」。

 本書は、以上の「序章 歴史経験としての東南アジア占領」と5章からなる。最大の特色は、「第五章 帝国・日本の解体と東南アジア」で、戦後を見据えて、「1 終焉に向かう戦局とアジアのナショナリズム」「2 「学びの場」としての東南アジア占領」が論じられていることだろう。著者が得た結論のひとつは、「日本人にとってアジア・太平洋戦争が、南方=東南アジアの被占領者という「他者」の存在を通じて、帝国・日本のやり方が通用しないことを学習する機会ともなったという点であった。その意味で最大の焦点となったのが、「他者」のナショナリズムにどう向かい合うかという問題だった」。もうひとつは、「変化すべきは「かれら」東南アジアではなく、実は「われわれ」日本人ではないのかという「答え」である」。

 しかし、日本が東南アジア占領から「学んだこと」は、戦後どのようなかたちとなったのだろうか。本書は、つぎのように結ばれている。「本書で検討してきた、日本の東南アジア占領とその崩壊の日々は、日本人に、「他者」の眼を通じて自己を見据える機会を与えた貴重な時間でもあった。そこから浮かび上がる戦後の日本と日本人に向けて開かれた歴史経験としての東南アジア占領の意味とは、日本が東南アジアを欧米植民地支配の軛(くびき)から解放したという歴史の陽炎(かげろう)よりも、もっとたしかな現実である。それは、敗北と絶望と自己否定を通して、そして東南アジアという「他者」との遭遇を通して、帝国・日本が語る「其所を得る」大東亜共栄圏像の虚妄を悟り、帝国・日本の過去との決別が戦後の良い出発となるであろうことに気がつき始めた日本人の姿である。そして敗戦のわずか数年後、サンフランシスコ平和会議で国際社会に復帰した日本と東南アジア諸国は賠償問題で向かいあうことになる。そこで、あまりにもあっさりと過去と決別した身軽な平和国家としての「戦後日本」と、生まれ変わったように平和を愛する健忘症の「戦後日本人」を-まだその多くが日本占領期から始まった独立戦争・内戦・政治的混乱の疾風怒濤のただ中にあった-東南アジア諸国の人々は、驚きの眼をもって迎えることになる。だとすれば、日本の東南アジア占領とは、日本が東南アジアを解放したのではなく、むしろ帝国・日本の軛から日本人を精神的に解放する営みであったとさえ言えるように思われるのである」。

 東南アジアは、日本によって初めて占領されたわけではない。国・地域によっては、古くから中国人、インド人、イスラーム教徒によって占領されたり、植民によって土地を奪われたりした経験がある。近代になって、タイを除き欧米の植民地になった。しかし、それは今日の東南アジアの国ぐにが全土に渡って植民地支配されたことを意味しない。植民地行政の中心となる主都で、制度的に整備されていったに過ぎず、都市や新たに開発された地域以外では、幅広い自治が認められ事実上「独立」していたところもあった。西欧の植民地支配が、「完全」ではなかったところで、日本が力づくで軍政をはじめたのである。フィリピンだけが、もともと南部のイスラーム地域を除き王国らしい王国がなく、「間接支配」を許すだけの地方の「くに」がなかった。民族運動も主要民族中心におこなわれ、周辺民族への介入は当初避けた。そのような東南アジアでは、一般に中央での「宥和」と地方での「様子見」が、占領地・植民地行政の基本であったはずである。それがわからず、「圧政」したことが、「日本の支配に対する全民衆的な怒りと恨み」になった。「民度が低い」と決めつけた東南アジアの歴史と文化を、少しでも理解していれば、東南アジア占領から学んだことが戦後すぐに消え去ることもなかっただろう。戦後においても、東南アジアの歴史と文化を理解し、「学ぶ」発想が、なかなか広まらなかった。

 近代の帝国では、一時的な軍事的占領はできても、恒久的な植民地支配は難しいことがわかってきたため、同化政策やら協同政策、倫理政策が議論された。日本も、欧米の帝国主義諸国家と「悩み」を共有し、植民地支配のあり方を議論し、台湾や朝鮮、満洲が、その実験場となった。さらに、これらの植民地支配の経験のある軍人、行政官が、東南アジア占領にかかわった。にもかかわらず、さらに「民度の低い」と考えられた東南アジアでは、その経験がいかされなかった。帝国日本の崩壊、解体は、近代帝国の解体と現代への変容という世界史の文脈で考察することも必要だろう。戦後の日本では、帝国が解体され、アメリカの庇護下で復活したために、東南アジアとの新たな関係を築くことは議論されず、東南アジア占領から学んだことがいかされることはなかった。

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