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2012年06月05日

『マイノリティと国民国家-フィリピンのムスリム』川島緑(山川出版社)

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 本書全体を通して、どうしても武力をともなう紛争がイメージとしてつきまとう。著者、川島緑はそれだけではないことを伝えようとしているが、それも紛争抜きには語ることができない。

 著者は、「差別、抑圧、搾取、不平等など、国民国家の構造とそこにおける周辺化(マイノリティ化)と、それに対するマイノリティ側の対応という枠組みで説明されることが多い」「国民国家とマイノリティに関する問題」に、「イスラーム運動という視点を取り入れ、それとの関係に注目しながら、二十世紀のフィリピンで、ムスリムが展開してきたさまざまな宗教・政治・社会運動を理解しようと努めてきた」。そのイスラーム運動について、著者はつぎのように説明している。「ムスリムの宗教・政治・社会運動を考えるとき、基本的に国家に対して自律的で、それ自身のダイナミズムをもち、国家をこえた広がりをもつ、イスラーム運動というとらえ方が必要であろう。イスラーム運動の指導者や参加者にとって、国民国家がどのような存在であり、それに対してどのような態度をとり、それをイスラームのなかにどのように位置づけようとしたか、すなわち、イスラーム運動の側から国民国家をみるという視点が重要と思われる」。

 しかし、イスラーム運動の側からといっても、従来は欧米の言語中心に研究がおこなわれきたため、結局は国民国家の側からしかみることができなかった。そこで著者は、「現地の人びとの協力をえて、マラナオ語やタウスグ語などの現地語資料や、マレー語、アラビア語などの文書を少しずつ集め、各分野の専門家との共同作業によって読み進めてきた」。本書は、「その成果も取り入れて、この一〇〇年ほどのあいだに、フィリピンのムスリムがおこなってきたさまざまな宗教・政治・社会運動の全体像を描き、そのなかにモロ民族独立運動を位置づけ、それをつうじてマイノリティ・ムスリムと国民国家の関係を多面的・動態的に理解しようとするものである」。そして、「具体的には、一九六〇年代末に開始されたモロ民族独立運動に焦点をあて、その運動の展開過程と指導者の政治思想、社会的基盤をわかりやすく説明し、それ以前の諸運動や、近年の新しい動きとの関連を考えてみたい」という。

 本書は、5章からなり、最後の「第5章 新局面のムスリム政治・社会運動」では、「フィリピンで民主的政治制度が復活した一九八〇年代後半以降、参加民主主義、地方分権、グローバル化という新しい状況下で、ムスリムの政治・社会運動がどのように展開し、どこに向かおうとしているかをみていく」。この章では、まず「漸進的イスラーム政治運動 オンピア党」「イスラーム過激派」「フィリピン左翼とムスリム」について述べた後、「イスラーム教育の新展開」をみる。まず、これまでフィリピン公教育とイスラーム学校教育は別々におこなわれてきたが、「英語やフィリピンの公教育科目を取り入れて、政府の認可を受けた「統合イスラーム学校」の設立を推進し、それに対する政府の支援を求めるようになった」ことを説明する。つぎに、「女性のイスラーム教育への参加」をみて、「今日では、全生徒の過半数を女子が占めているマドラサ[イスラーム学校]が多く、経営者も教員も全員女性という学校もある」ことを伝えている。「こうした歩みは、分離独立運動などのような派手な活動ではないので、社会的に注目をあびることは少ないが、このような地道な取り組みは、フィリピン・ムスリム社会に大きな変化をもたらす可能性をもっている」。基礎研究を地道におこなっている著者らしい結論である。

 そして、つぎのように本書を結んでいる。「モロ民族独立運動の源流となった諸運動、すなわち、イスラーム教育改革運動、防衛ジハード運動、リベラルな改革運動、左翼政治社会運動などは、今日、新しい状況のなかで活発に展開されている。それらにおいては、モロ民族独立運動のなかでつくり出され、広められた「モロ民族」という観念が、さまざまに再解釈されつつ、運動の拠り所とされている。モロ民族独立運動は、モロ民族国家の分離独立という政治的目標の達成には成功していない。しかしそれは、モロ民族としての主体性の確立に貢献し、その後のムスリムの政治運動、社会運動の発展の基盤を築いたのである」。

 ムスリムといっても、地域、社会、家族、個人などによって、そのとらえ方はさまざまである。「フィリピンのムスリム」は、ムスリムとしての自覚が強いいっぽうで、フィリピン共和国という国民国家の一員としての自覚もあることが、本書からわかる。アラブや近隣のインドネシアなどのイスラーム運動の影響を受けながらも、独自の価値観をもって運動している。したがって、紛争の解決にも、まずはフィリピン共和国政府との対話からはじめなければならないことが理解できる。

 長年地元の人びとの協力を得ながら、調査をつづけている著者だけあって、紛争から解放されたい人びとの気持ちが伝わってくる。いっぽうで、紛争が常態化しているなかで生まれ、育つ子どもたちのことが気がかりなのだろう。最後は、教育、とくに女性の教育に期待をかけて本書を結んでいる。平和な日が訪れることを願いたい。

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