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2012年06月26日

『政府は必ず嘘をつく-アメリカの「失われた10年」が私たちに警告すること』堤未果(角川SSC新書)

政府は必ず嘘をつく-アメリカの「失われた10年」が私たちに警告すること →bookwebで購入

 著者の堤未果のもとに、東日本大震災と福島第一原発事故が起きた日の夜、海外に住む友人たちから次々に連絡がきた。そのなかに、つぎのように警告した友人がいた。「気をつけて。これから日本で、大規模な情報の隠ぺい、操作、統制が起こるよ。旧ソ連やアメリカでそうだったように」。その根拠は、アメリカで9・11の同時多発テロ以降に起こっている「大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義「ショック・ドクトリン」によって、貧困格差が拡大し続け」、「情報が操作され、市場化の名の下に国民が虐げられているアメリカの惨状」だった。「日本が二の舞になる」という警告を、どれだけの日本人が真に受ける受けないの知識をもっているだろうか。「ショック・ドクトリン」とは、「災害やテロ、クーデターや大規模伝染病など、人々が恐怖とショックで思考停止に陥っている間に、企業寄りの過激な市場化政策を推し進めてしまう手法だ」。

 本書は、2011年11月16日のウォール街デモの現場からはじまる。「アメリカでは上位1%の人間が、国全体の富の8割を独占している」。「想像を絶する資金力をつけた経済界が政治と癒着する<コーポラティズム>」が、「9・11テロをきっかけに加速し始め」、「大幅な規制緩和とあらゆる分野の市場化を実施、この10年でアメリカの貧困層を3倍に拡大させた」という。この<コーポラティズム>の最たる例が、「電力会社と官僚、学者、マスコミの4者がからむ利権構造である<原子力村>」で、「重要情報だからこそ出なくなる」という監視体制の強化も、たしかに3・11以降経験した。

 ことは、9・11と3・11だけではない。アラブの春も、TPPも、すべて同一線上にあるという。イラクのサダム・フセインは、「9・11後、テロの首謀者であるアルカイダと関係を持ち、大量破壊兵器を所有しているという理由で死刑にされた」が、いまだにアルカイダとの関係は不明で、大量破壊兵器はみつかっていない。

 そして、2011年10月、リビアのカダフィ大佐が殺害された。NATO軍は、「「カダフィ大佐の反政府軍に対する容赦なき弾圧から人民を救うために、あらゆる措置を容認する」という国連安保理決議を受け、以来2万回以上の出撃と8000回近い爆撃を行った」。

 しかし、本書では、つぎのように説明している。「カダフィは全ての国民にとって、家を持つことは人権だと考えており、新婚夫婦には米ドル換算で約5万ドルもの住宅購入補助金を、失業者には無料住宅を提供し、豪邸を禁止していた。車を購入する時は、政府が半額を支払う。電気代はかからず、税金はゼロ。教育、医療は質の高いサービスが無料で受けられる。もし、国内で必要条件に合うものが見つからなければ、政府が外国へ行けるように手配してくれる」。「大家族の食料費は固定相場、全てのローンは無利子でガソリンは格安。農業を始めたい国民には土地、家、家畜、種子まで全て国が無料で支給、薬剤師になりたい場合も必要経費は無料だ。42年前、カダフィが権力の座に就く前に10%以下だった識字率は、今は90%を超えている。これらの政策を可能にしていたのは、アフリカ最大の埋蔵量を誇る石油資源だった」。

 「ではなぜ、リビアは標的になったのか」。本書では、ロシア人ジャーナリストのつぎのような説明が引用されている。「リビアは144トンもの金を保有していました。カダフィはその金を原資に、ドルやユーロに対抗するアフリカとアラブの統一通貨・ディナの発行を計画していたのです。そこにはIMFや世界銀行の介入から自由になる<アフリカ通貨基金>と<アフリカ中央銀行>の創設も含まれていました」。そして、「統一通貨であるディナが実現すれば、アラブとアフリカは統合される。だが、石油取引の決済がドルからディナに代われば、基軸通貨であるドルやユーロの大暴落は避けられないだろう。これについて、フランスのサルコジ大統領もまた、リビアを「人類の金融安全保障への脅威」と呼び、危機感をあらわにしていた」。

 「2010年10月に突如としてマスコミに現れた<TPP>」は、「2015年までに工業製品、農産物、知的所有権、司法、金融サービスなど、24分野の全てにおいて、例外なしに関税その他の貿易障壁を撤廃する」という投資家や企業にとって〝バラ色の未来〟となるものであるが、「政府が外資の参入に対し国民を守る責任を放棄してくれるだけでなく、自分たちの利益を損なう規制に関しては、その国を相手に訴訟を起こす権利(ISD条項)までついてくる」。そして、アメリカの大企業だけが有利になることを、つぎのように説明している。「全加盟国の中でアメリカ政府だけが、自国の国内法と異なるルールが<TPP>の検討事項に挙がった際、議会の承認が得られないことを理由に拒否できるのだ。これは、<TPP>が自由貿易ではなく、アメリカ政府が要求するルールに支配されるものであることを示している。だが、日本政府は国会で追及されるまでこれを認めず、マスコミもほとんど報道していない」。

 しかし、アメリカの<失われた10年>で、最も打撃を受けたのは、「何と言っても<公教育>」だという。つぎのような高校教師のことばが、紹介されている。「<コーポラティズム>が支配を強めるアメリカでは、2001年と2002年に導入された<愛国者法>と<落ちこぼれゼロ法>という二つの政策が、異なる意見を押しつぶす空気を拡大させている」。「9・11以降、政府が進めてきた教育改革は、強力に規格化された点数至上主義と厳罰化による教育現場の締め付けでした。<恐怖>は国民を萎縮させ、統制するのに有効なツールです。テストでいい点数を取れなければ、生徒は学校から切り捨てられ、教師は無能だとして処罰される。効果はあったようです。その結果、皆が恐がってモノを言わなくなってきましたから」。そして、「アメリカ社会にとって深刻な問題を引き起こす事態」になっていると、つぎのように語っている。「現場をまるで理解していない政府は、<国際的に通用する人材>と<落ちこぼれ>の二極化が、インセンティブを生むという。ですが、学力を全て数値化する点数至上主義は、教育から多様性を奪うのです。生徒の好奇心や批判的思考、物事の根拠を追求する姿勢や正当性のない権威に抗議するような姿勢を圧殺することにつながる」。「子供たちは自分の頭でものを考えなくなる。<改革>というと何か希望をもたらす印象を受けますが、実態は新しいタイプのファシズムです」。イギリスで、サッチャー政権のときに失敗した「市場原理ベースの教育改革」は、大阪でも<教育基本条例>を掲げておこなおうとしている。

 このような絶望的な内外の情勢を伝える本書は、つぎのことばで終えている。「それでも、人間を壊すこの価値観に飲み込まれそうな世界の中で、未来をあきらめない大人たちの存在が、子供たちの勇気になると信じたい」。「世界が変わるのを待っていないで、それを見る私たち自身の目を変えるのだ」。そのためには世界を見るための知識が必要だが、民主主義を標榜している国ぐにの学生の学力低下には目を覆いたくなる現状がある。<コーポラティズム>の支配を許しているのは、民力の低下だろう。選挙に勝つことを第一に考える政治家の一時しのぎの人気取りに惑わされない民力をつけるだけの教育が必要であり、その民力がないなら民主主義は健全に機能しないことを自覚すべきだろう。政治家だけの責任ではなく、自分たちの責任だと。

 著者が「胸がいっぱいになってしまった」NHK総合テレビの「課外授業 ようこそ先輩」で、子どもたちが自身で書いたつぎの「憲法前文」を忘れないで、大人になってほしい。そして、その実現のために、子どもが勉強する意義と社会をよくしていく楽しさを学ぶ環境を整えるのが大人の責務だろう。まず、大人が「嘘をつかない」を子どもに示さなければならない。「そこでは、みんなが安心して暮らせ、毎日家族一緒に安全でおいしいご飯を食べ、学校には笑い声が響き、一人ぼっちで寂しい人は一人もいなく、動物が大事にされ、世界から信頼され、知らない人同士が『ありがとう』と言い合える。そんな幸せな国をつくることを、ここに誓います」。

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2012年06月19日

『東南アジアから見た近現代日本-「南進」・占領・脱植民地化をめぐる歴史認識』後藤乾一(岩波書店)

東南アジアから見た近現代日本-「南進」・占領・脱植民地化をめぐる歴史認識 →bookwebで購入

 本書の帯に、1991年に天皇が初めてインドネシアを訪問したとき、インドネシアの有力紙に掲載された社説の題「傷は癒えたが傷痕は残っている」が大書されている。「[日本の占領・軍国主義化の]苦しみと残虐な外傷はまだ残っており、彼ら[国民]の脳裏に焼きついているとしても当然であろう」という「国民感情の底流にあるものを厳しく凝視」したこの社説は、東南アジアで比較的犠牲者の少なかったインドネシアでも、深い傷跡を残していることをあらわしている。最大の激戦地となり人口の7%の110万余が犠牲になったといわれるフィリピンでは、その傷はさらに深く、「その傷口からの流血は見えないところで今でも続いて」いる、とフィリピン第一の研究者は述べている。

 それにたいして、日本では「欧米諸国の圧制に苦しんでいたアジア諸国の独立回復を早めた点は、評価すべきだ」という解釈が早くから根強く存在し、それは1995年の「終戦五十周年」を契機に強まった「歴史修正主義」派の積極的な言論活動で、一般とくに若者のあいだで受け入れられるようになってきている。

 著者、後藤乾一は、この東南アジアの人びとの認識と乖離していく日本の現実を踏まえて論考を書き、それらをまとめたのが本書である。1995年に出版され、2010年に岩波人文書セレクションに収録された『近代日本と東南アジア-南進の「衝撃」と「遺産」』の姉妹編でもある。

 本書の内容については、表紙見返しにつぎのように的確にまとめられている。「日本と東南アジアのあいだの戦前・戦中・戦後関係史を、それぞれ「南進」「占領」「独立と脱植民地化」をキーワードにしながら、いまなお決着していないアジアの近現代史をめぐる歴史認識問題に一石を投じる」。「第一部は日清戦争前後期から、対東南アジア軍政から敗戦を経て、東南アジア各国の脱植民地化・独立を通して新たな地域秩序を構築するにいたるまでの約六〇年間の歴史過程を扱う」。「第二部は、戦時期における日本の外交官・陸海軍武官・残留日本兵という重層的なインドネシア体験を通して、日本及び日本人にとってのインドネシア独立革命の意義と真実を描く」。「第三部は、一九三〇年代から戦時期にかけての民間輿論や知識人におけるアジア主義言説、及び戦後五〇年を経てにわかに浮上した「解放戦争」史観・「自衛戦争」史観・「独立貢献」史観をめぐる排外主義的なナショナリズム言説をたどり、言論空間における日本人の東南アジア像を明らかにする」。

 著者は、これまで原口竹次郎、大島正徳、若泉敬といった中央と周辺の両方からみることができる人物を通して、時代や社会を考察してきた。本書でも、それがいかんなく発揮されていることは、目次にあらわれた人物名からわかるだろう。日本とインドネシアという国家同士の関係史を制度史としてだけみるのではなく、人物を介在させることによって、人間同士の関係で成り立っていたことを明らかにしている。

 本書は、「過去十数年に執筆した諸論考を中心に編んだもの」で、「必要に応じ旧稿を補正するとともに、近年の内外の新たな研究成果も可能な限り反映させることに努めた」という。それは、たやすいことではない。それぞれの論考は、その時どきの研究状況や社会的背景によって書かれるもので、後から出てきたものをその時の文脈に書き入れることは、齟齬をきたす。したがって、ほんの付け足しにしか書けないのが、通常である。しかし、本書で感心したのは、新たな研究成果が論考のなかでうまくおさまっていることである。しかも、新たな研究成果というのは、日本・インドネシア関係や日本・東南アジア関係といった本書に直接かかわるものだけではない。各論考を相対化するために、より広い視野のなかで勉強したものである。それは、「負の遺産」を克服するためには、より客観視する必要であったからだろう。

 著者の基本的モティーフは、「まえがき」でつぎの2点に集約されている。「第一は、近現代史の中で日本と東南アジアはどのような関係を築き、その歴史を双方とりわけ日本は、どのような認識枠組みの中で理解したのかという問題である。第二は、日本人が東南アジアに向けるまなざしという問題である。近代西欧を尺度として東南アジアを理解するある種のモダニズムが、はたして克服されたのか否かについての関心に発するものである。この二つは本質的なところで表裏一体の間柄にある」。  しかし、著者が思うように進んでいないのが日本と東南アジア関係であり、その原因は日本側の「東南アジアから見た近現代日本」像の欠如であることは明らかである。この現実をどうすれば改善できるのか、その答えがないことは本書の締めくくりのことばが少ないことであらわされているのかもしれない。

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2012年06月08日

『マンダラ国家から国民国家へ-東南アジア史のなかの第一次世界大戦』早瀬晋三(人文書院)

マンダラ国家から国民国家へ-東南アジア史のなかの第一次世界大戦 →bookwebで購入

 文字通り、小著である。だが、この小著でさえ、すこしこのテーマにかんして知識がある人なら、1冊の本になるとは想像だにしなかっただろう。著者であるわたし自身も、すこし調べて、とても無理だと思った。それが可能になったのは、参考文献を訊いてまわるわたしに親切にこたえてくれた東南アジア史研究者はもちろんだが、共同研究「第一次世界大戦の総合的研究」(京都大学人文科学研究所)のメンバーが有形無形に後押ししてくれたからである。

 2007年4月からもう5年になる月2回開催される研究会に出席しているうちに、自分の役割と書かなければならないことがだんだんわかってきた。書くことを決意したとき、「5年かけても、まともなものは書けそうにないので、半年で書くことにした」と、メンバーの何人かに告げた。ある人は、「わたしなら、書かない」と言った。わたしも、研究がある程度進んだ分野のテーマであるなら、一定レベルのものが書けないのなら書かない。しかし、わたしが書こうとしていたテーマは、これまで概説書や通史などでまったく触れられてこなかったものを多く含んでいる。また、東南アジア全体を見まわして書いたものがなかった。しかも、テーマが「世界」大戦である。主戦場となったヨーロッパや大戦を利用して東アジアで勢力を拡大しようとした日本の話だけでは、「世界」大戦にならない。当時の東南アジアは、多くの国・地域が欧米の植民支配下に入り、古くから密接であった中国との関係もつづいており、日本との関係も深まってきていた。東南アジアを通して、欧米と東アジアをつなぐことができるかもしれない、さらにそれが「世界」を理解する一助になる可能性がある、そう思うと、もう学問的レベルのことなど、どうでもよくなった。とにかく書けば、第一次世界大戦の「総合的研究」のとっかかりのひとつを提示することになると思った。

 だが、いざ準備をはじめると、まず日本語ではシンガポールにかんする桑島昭の論文以外まとまったものはなく、通史でもインドシナとタイを除いて具体的な記述は皆無だった。英語では、桑島などが書いたシンガポールにおけるインド兵の反乱についての本が何冊があり、フランス領インドシナとオランダ領東インドにかんしてそれぞれ第一次世界大戦期を扱った本が最近出ていた。アメリカ領フィリピンでは、国防隊創設のいきさつの論文がひとつあった。後は、英語の概説書や通史、事典の項目などから拾い出していくしかなかった。このような断片的な情報をつなぎ合わせて、それぞれの国・地域、そして東南アジア全体を見渡すことが、果たしてできるのだろうか。不安ななかで執筆をはじめた。

 まず、事実関係から整理をはじめたが、もちろん第一次世界大戦期だけで、1冊の本になるとは思えなかったので、その前後をどう結びつけるかを考えた。東南アジアの場合、従来、第一次世界大戦を契機に民族運動が高まり国民国家への形成へと向かっていったことと、輸出経済が進展したことがいわれてきたので、この2点を中心に話を進めることにした。ほんとうは、国・地域ごとに語りたくなかったが、第一次世界大戦への対応は当然欧米の植民宗主国ごとになるため、東南アジアを一括りで語ることができなかった。それでも、1冊の本の分量にしては少ないように思えたので、第4章として、現在の各国の歴史教科書で、第一次世界大戦がどのように語られているのかを加えた。その基として、世界の教科書で2つの世界大戦の語られ方を比較したディスカッション・ペーパー(名古屋大学大学院国際開発研究科http://www.gsid.nagoya-u.ac.jp/bpub/research/public/paper/article/186.pdf)があった。ヨーロッパと日本で、ずいぶん違うことを研究会で学んでいたから、その語られ方を整理していた。

 このように、研究会で学んでいたことから、書くべきことがわかっていたのか、最初に考えていた以上に書くことがあった。つまり、研究会はヨーロッパや日本にかんすることが中心であったが、5年間で100も報告を聞いていれば、自ずと自分が書くことがわかってきていたのだ。あるいは、共同研究のメンバーが、「門外漢」のわたしがいることで、わたしが書くべきことを、意識的であろうがなかろうが、発表や質疑応答のなかで示唆してくれていたのかもしれない。このように考えると、本書はわたしが書いたというより、研究会が書かしたといっていいだろう。

 ナショナル・ヒストリーに限界があるように、東南アジアという地域史にも限界がある。とくに、古代から中国、インドといった大国の影響を受け、近代には欧米との関係も密接になった東南アジアは、グローバルに歴史を考える格好の材料を提供してくれる。また、地域性豊かな「マンダラ国家」は国民国家が成立した後も、社会的基盤として地域社会に根強くいきつづけている。ナショナル・スタディーズから抜け出せない東南アジアの各国の研究者や西洋中心史観から抜け出せない西洋学研究者、ともにそれを意識さえしなかった人びとに、本書がなんらかの刺激を与えることができたなら、望外の喜びである。

 したがって、自分の関心のあるところだけ拾い読みするというのは、著書であるわたしにとっていちばん大きな失望で、しかもそれをほめられるとしばらくボー然として立ち直れないのではないかと思ってしまう。国・地域ごと、分野ごとなら、それぞれの専門家が分担執筆すれば、もっといいものになったことは明らかである。しかも、間違いや不適切な文章は格段に少なくなる。かつて、ある概説書の再版を出版したときに、数百ヶ所訂正したという話を聞いたことがある。その本を全学共通科目の教科書にしていたわたしは、なかば冗談で100ヶ所以上訂正箇所を見つけた者には、先着1名に限り100点の成績をつけると言った。初版と再版を丁寧に比べて読まなければわからないだろうから、教科書の内容を充分に理解してくれると思ったからである。ところが、わたしの想像を超える、内容をまったく理解しない方法で100ヶ所以上を見つけてきた学生がいた。概説書の執筆というのは、それだけリスクがある。しかし、それを補ってあまりあるものがあると信じたからこそ、無理を承知で書いたのである。拾い読みせず、文字通り小著なのだから一気に全部読んで、全体像からこの本の長所を読みとってほしい。そして、いたらぬところに気づいて、自分自身の課題にしてほしい。本書を通して、歴史から学ぶことを発展的にとらえる人が増えることを願っている。

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2012年06月05日

『マイノリティと国民国家-フィリピンのムスリム』川島緑(山川出版社)

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 本書全体を通して、どうしても武力をともなう紛争がイメージとしてつきまとう。著者、川島緑はそれだけではないことを伝えようとしているが、それも紛争抜きには語ることができない。

 著者は、「差別、抑圧、搾取、不平等など、国民国家の構造とそこにおける周辺化(マイノリティ化)と、それに対するマイノリティ側の対応という枠組みで説明されることが多い」「国民国家とマイノリティに関する問題」に、「イスラーム運動という視点を取り入れ、それとの関係に注目しながら、二十世紀のフィリピンで、ムスリムが展開してきたさまざまな宗教・政治・社会運動を理解しようと努めてきた」。そのイスラーム運動について、著者はつぎのように説明している。「ムスリムの宗教・政治・社会運動を考えるとき、基本的に国家に対して自律的で、それ自身のダイナミズムをもち、国家をこえた広がりをもつ、イスラーム運動というとらえ方が必要であろう。イスラーム運動の指導者や参加者にとって、国民国家がどのような存在であり、それに対してどのような態度をとり、それをイスラームのなかにどのように位置づけようとしたか、すなわち、イスラーム運動の側から国民国家をみるという視点が重要と思われる」。

 しかし、イスラーム運動の側からといっても、従来は欧米の言語中心に研究がおこなわれきたため、結局は国民国家の側からしかみることができなかった。そこで著者は、「現地の人びとの協力をえて、マラナオ語やタウスグ語などの現地語資料や、マレー語、アラビア語などの文書を少しずつ集め、各分野の専門家との共同作業によって読み進めてきた」。本書は、「その成果も取り入れて、この一〇〇年ほどのあいだに、フィリピンのムスリムがおこなってきたさまざまな宗教・政治・社会運動の全体像を描き、そのなかにモロ民族独立運動を位置づけ、それをつうじてマイノリティ・ムスリムと国民国家の関係を多面的・動態的に理解しようとするものである」。そして、「具体的には、一九六〇年代末に開始されたモロ民族独立運動に焦点をあて、その運動の展開過程と指導者の政治思想、社会的基盤をわかりやすく説明し、それ以前の諸運動や、近年の新しい動きとの関連を考えてみたい」という。

 本書は、5章からなり、最後の「第5章 新局面のムスリム政治・社会運動」では、「フィリピンで民主的政治制度が復活した一九八〇年代後半以降、参加民主主義、地方分権、グローバル化という新しい状況下で、ムスリムの政治・社会運動がどのように展開し、どこに向かおうとしているかをみていく」。この章では、まず「漸進的イスラーム政治運動 オンピア党」「イスラーム過激派」「フィリピン左翼とムスリム」について述べた後、「イスラーム教育の新展開」をみる。まず、これまでフィリピン公教育とイスラーム学校教育は別々におこなわれてきたが、「英語やフィリピンの公教育科目を取り入れて、政府の認可を受けた「統合イスラーム学校」の設立を推進し、それに対する政府の支援を求めるようになった」ことを説明する。つぎに、「女性のイスラーム教育への参加」をみて、「今日では、全生徒の過半数を女子が占めているマドラサ[イスラーム学校]が多く、経営者も教員も全員女性という学校もある」ことを伝えている。「こうした歩みは、分離独立運動などのような派手な活動ではないので、社会的に注目をあびることは少ないが、このような地道な取り組みは、フィリピン・ムスリム社会に大きな変化をもたらす可能性をもっている」。基礎研究を地道におこなっている著者らしい結論である。

 そして、つぎのように本書を結んでいる。「モロ民族独立運動の源流となった諸運動、すなわち、イスラーム教育改革運動、防衛ジハード運動、リベラルな改革運動、左翼政治社会運動などは、今日、新しい状況のなかで活発に展開されている。それらにおいては、モロ民族独立運動のなかでつくり出され、広められた「モロ民族」という観念が、さまざまに再解釈されつつ、運動の拠り所とされている。モロ民族独立運動は、モロ民族国家の分離独立という政治的目標の達成には成功していない。しかしそれは、モロ民族としての主体性の確立に貢献し、その後のムスリムの政治運動、社会運動の発展の基盤を築いたのである」。

 ムスリムといっても、地域、社会、家族、個人などによって、そのとらえ方はさまざまである。「フィリピンのムスリム」は、ムスリムとしての自覚が強いいっぽうで、フィリピン共和国という国民国家の一員としての自覚もあることが、本書からわかる。アラブや近隣のインドネシアなどのイスラーム運動の影響を受けながらも、独自の価値観をもって運動している。したがって、紛争の解決にも、まずはフィリピン共和国政府との対話からはじめなければならないことが理解できる。

 長年地元の人びとの協力を得ながら、調査をつづけている著者だけあって、紛争から解放されたい人びとの気持ちが伝わってくる。いっぽうで、紛争が常態化しているなかで生まれ、育つ子どもたちのことが気がかりなのだろう。最後は、教育、とくに女性の教育に期待をかけて本書を結んでいる。平和な日が訪れることを願いたい。

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