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2012年05月08日

『日本をめざしたベトナムの英雄と皇子-ファン・ボイ・チャウとクオン・デ』白石昌也(彩流社)

日本をめざしたベトナムの英雄と皇子-ファン・ボイ・チャウとクオン・デ →bookwebで購入

 「15歳からの「伝記で知るアジアの近現代史」シリーズ」第1巻として取り上げられたのが、ベトナムのファン・ボイ・チャウとクオン・デである。表紙には、「独立の闘士たちが見た日露戦争後の日本とは? 壮絶な人生ストーリー」とあり、ホー・チ・ミンなら知っているという人のために、裏表紙にはつぎのように書かれている。「逃亡、追跡、仲間たちの非業の死…… 何度も挫折し、命がけで闘った数々の若き人々。ホー・チ・ミン出現前夜、もうひとつのベトナム独立運動史」。

 国際空港に行くリムジンバスのなかで、若い女性が「ホー・チ・ミンって、人の名前なの?」と言ったのを聞いたことがある。そんな人も、本シリーズを読むことができるよう、執筆者・編集者は配慮している。シリーズの目的は、つぎのように説明されている。「欧米中心の偉人伝とは一線を画す、アジアの伝記シリーズ。本シリーズは、その国の歴史でヒーローとして扱われる抗日派だけではなく、「親日」とみなされてきた人々も積極的に取り上げる。日本にあこがれ、日本を目指したがために、「現実の日本」と直接向き合い、格闘せざるを得なかった彼らの目線をとおして、大人も知らなかった日本の近現代を逆照射する。日本とアジア、そして世界の歴史が変化していく中で、彼らはどのように翻弄され、どのような迷いや悩みを抱いたのか- 目的をとげ成功をおさめた偉人ばかりでなく、挫折し、失意のうちに生涯を終えた人びとの生き様を中高生に伝える」。

 静岡県袋井市(旧浅羽町)常林寺境内に「浅羽佐喜太郎公紀念碑」がある。建てたのは、本書の主人公のひとり、ファン・ボイ・チャウである。漢文で書かれた碑文の訳(前半)と書き下し(後半)を、袋井市観光協会浅羽支部のホームページからみつけることができる。「われらは国難(ベトナム独立運動)のため扶桑(日本)に亡命した。公は我らの志を憐れんで無償で援助して下さった。思うに古今にたぐいなき義侠のお方である。ああ今や公はいない。蒼茫たる天を仰ぎ海をみつめて、われらの気持ちを、どのように、誰に、訴えたらいいのか。ここにその情を石に刻む」。「蒙空タリ古今、義ハ中外ヲ蓋ウ。公ハ施スコト天ノ如ク、我ハ受クルコト海ノ如シ。我ハ志イマダ成ラズ、公ハ我ヲ待タズ。悠々タル哉公ノ心ハ、ソレ、億万年」。この後、「戊牛春」「越南光復会同人謹誌」「大杉旭嶺鐫」とあり、紀念碑裏面には、「大正七年三月。賛成員 岡本三治郎、岡本節太郎、浅羽義雄」とある。

 浅羽佐喜太郎は、1907年にベトナム人留学生のひとりが道端で疲労で倒れているのを介抱したのが縁で、かれの学費を援助し、さらに日本政府の弾圧で苦境に陥ったベトナム人留学生にたいして1700円の大金を提供した恩人として、本書で説明されている。「光復会」は、立憲君主制を目指した「ベトナム維新会」を引き継いで1912年に設立された組織で、共和制を目指した。

 本書で注目されるのは、ふたりの活動の舞台の広がりと、国内での地域性である。ファン・ボイ・チャウは北部のハノイと中部のフエのちょうど中間にある教育熱心で華僑合格者を多数輩出した貧しい農村地帯で生まれた。いっぽう、クオン・デは、阮朝初代皇帝の長男の直系でありながら、初代皇帝より先に長男が死んだために傍流に追いやられた家系に属していた。とくに初代皇帝の出身地で、フランスの直轄領になった南部にゆかりがある。しかし、国境近くの山岳地帯には、阮朝もフランス植民地政府も手を出せなかった「大親分」がおり、各地に「海賊や山賊の親分みたいな人物」がいたことが記されている。

 いっぽう、独立運動の舞台は、中国を中心に日本やタイにも及んでいたことが、本書からわかる。ベトナム人留学生が日本に来たのも、日本が中国人の革命運動の拠点のひとつとなり、ベトナム人も日本滞在中の梁啓超や孫文などと交流があったからである。また、日本はインド人やフィリピン人などの民族運動の活動拠点のひとつでもあった。アジア人活動家の集う場所であり、それにたいして日本人アジア主義者や軍部がかかわった。

 ベトナム国内で弾圧を受けた者は、中国やタイ、日本に逃れた。中国では、中国国民党や軍閥の保護を受けた。タイとの歴史的かかわりは、つぎのように説明されている。「タイの東北部や東南部にはベトナム人が古くから定住して、あちこちに固まって住んでいました。グエン・フク・アィン(後のザー・ロン皇帝)が阮王朝を創始する以前タイに一時亡命した際に付き従った部下や兵士たち、1880年代の反仏蜂起に参加して敗れた後に逃れてきた難民、そしてフランス人宣教師とともに移住してきたカトリック教徒や、その子孫たち」、クオン・デが「とりわけ当てにしたのは、ザー・ロン皇帝ゆかりの移住者たちの子孫」だった。

 2010年11月3日、フエンのファン・ボイ・チャウ旧居敷地内に、ファン・ボイ・チャウ没後70年、浅羽佐喜太郎没後100年を記念して、「東遊運動が生んだ日越友好之碑」が、日本人有志によって建立された。袋井市では、シンポジウムが開催され、ベトナムとの交流が続いている。

 「15歳から」というシリーズの意図はよくわかるが、このことは大人であっても、なにも知らないことを前提に本を企画し、執筆しなければならない嘆かわしい状況にあるということをもあらわしている。ベトナムに観光旅行に行く若い女性が、ホー・チ・ミンの名前を知らないことに、驚きもしない現実がある。

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