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2012年03月07日

『戦争の記憶を歩く 東南アジアのいま(3刷)』早瀬晋三(岩波書店)

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 ちょこっと4頁ほど、増補した。だが、この差は大きい。

 本書の英訳A Walk Through War Memories in Southeast Asia (Quezon City: New Day Publishers)を2010年に出版し、それを読んだアテネオ・デ・マニラ大学の学生(20歳前後)51人から感想文が届いた。それらをまとめて、「戦争認識のすれ違い-日本人学生とフィリピン人学生-」(『大学教育』大阪市立大学、第9巻第1号、2011年9月、25-32頁)を書いた。増補した4頁は、そのダイジェストである。

 日本と中国、日本と韓国の歴史認識の相違については、内外でたびたび取りあげられ、共通教科書作成の試みもされている。中国人や韓国人で日本語文献を読むことができる者も多く、また日本語から中国語、韓国語に翻訳されたものもある。しかし、日本が戦場とした東南アジアの国ぐにの研究者で日本語の文献を読むことができる者はほとんどいない。したがって、歴史認識の違いについて取りあげられたとしても、共通の文献を読んだうえでの話ではない。増補した部分は、本書の英訳を母国語同様に読むことができるフィリピン人エリートに限られているとはいえ、日本人学生と同じ本を読んだうえでの歴史認識の違いを明らかにしたものだ。

 ついでに、書評などで指摘された間違いや誤解を招く表現を書き改めた。研究者でない者にとっては、出版されたものに間違いがあるなど、とんでもないことのように思えるかもしれない。しかも、岩波書店のように内容チェックが厳しいところでは、そのようなことはありえないと思われるかもしれない。しかし、現実は高校歴史教科書にも間違いがあることを、拙著『未来と対話する歴史』(法政大学出版局、2008年)などで指摘し、その原因も示した。

 専門の殻に閉じこもり、原史料からわかることだけを書いていれば、恥をかかないですむ確率は高くなる。しかし、自分の専門を相対化するために、視野を広げることは、グローバル化時代の歴史学にとって必要不可欠なことだ。日本史と中国史、朝鮮史を寄せ集めても東アジア史を語ることができないように、日本がつくった戦争空間としての「大東亜共栄圏」を語るには、それぞれの国の専門家が書いたものを寄せ集めるだけでなく、ひとりで執筆することも重要である。自分の専門領域なら、概説書を書くときも原史料や専門書が頭に浮かぶ。だが、原史料を読んだことがなく、専門書も限られたものしか読んだことがない領域は、単純な間違いをしても気づかない。その危険を冒しても、書く必要があるのは、マイナス面よりプラス面のほうがはるかに大きいからである。「専門外のことは書くな」と言えば学問の発展はないし、人びとはひじょうに視野の狭いものしか読むことができず、偏狭なナショナリズムのもとでは国際紛争・戦争にまで発展してしまう。専門家が100度行っても書けないことが、専門外の者が別の視点から見て1度行っただけで書けることもある。

 研究者を長年やっていれば、他人のあら探しはそれほど難しいことではない。ましてや専門外の者が、視野を広げて書いたものはケチをつけやすい。批判するときは、自分が書くことを想定して、いかに建設的なことがいえるかが重要になる。言い換えれば、自分自身の執筆のために、いかに生かすかを考えると、まず執筆者から学ぶという姿勢が重要であることに気づく。学ぶという観点で批判するなら、まず自分自身が執筆者の視点に立って正確に読むことができたかが気になるはずだ。読めていないのに、批判はできないのだから。研究者が多く成熟した分野ならいざ知らず、東南アジア史のような研究者が極端に少ない分野では、互いの長所・短所を認めあってともに発展していきたい。

 ともあれ、どのように正当化しようが、間違いや誤解を招くことを書いたことは恥ずべきだ。指摘されたことに、素直に感謝したい。そのお蔭で今回訂正することができ、読者により正確に伝えることができたのだから。

 本書タイトルの一半は、「東南アジアのいま」である。本書を読んで、東南アジアの戦跡巡りをした人には、たいへん申し訳ないことをした。本書日本語版が出版された2007年には、本書に書かれた内容とは違う状況になっていた。すでに「いま」ではなかったのだ。とくにシンガポールがそうで、今回つぎのような追記を入れた。「二〇一一年一一月にシンガポールを再訪したところ、博物館の展示内容が大きく変わっていました。「シンガポールのイメージ」館から「降伏の間」がなくなり、日本占領期のものは一コーナーしかありませんでした。「降伏の間」の展示は、シロソ砦に分散展示されています。また、晩晴園は孫文に集中した展示の孫中山南洋紀念館となり、日本占領期にかんするものはなくなりました。ディスカバリー・センターの日本占領期関連のものもなくなりました。代わって、新たに日本占領期にかんする博物館Memories at Old Ford Factoryが、二〇〇六年にオープンしました。山下中将がパーシバル中将に降伏を迫り、イギリス軍が降伏した場所です。国立博物館も二〇〇六年に再オープンし、記録と証言を中心に歴史と文化を紹介する「歴史ギャラリー」で充実した展示をしています」。また、マレーシアの国立歴史博物館は2007年に閉館し、展示は国立博物館に移っています。

 本書では、そのことを見越して、2007年に出版したとき「序章」でつぎのように書いていた。「記念碑は壊されることがあり、博物館の説明文は時代によって変わります。後世の歴史研究のために「史料」として記録し、残すという役割も果たします」。本書も、現地調査してから10年近くになり、けっして「いま」ではなくなった。しかし、フィリピン人学生が本書を読んでどう思ったのかの「いま」を加えることができた。新たな視点で、読んでいただけることを期待している。

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