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2011年11月08日

『兵士たちの戦後史』吉田裕(岩波書店)

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 まず、この困難なテーマを研究する指針となる本を書いた著者、吉田裕に敬意を表し、感謝したい。「兵士たちの戦後史」といっても、兵士は敗戦時に陸海軍あわせて約789万人おり、玉砕した部隊のわずかな生き残りもいれば、「水汲みがたいへんだった」といって「負けた」という実感のない者もいる。それぞれさまざまな戦争体験をし、戦後の生活もさまざまであった。それをまとめて語ることなど、とうていできることではない。いわゆる「戦記もの」だけでも「ごまん(5万?)」とあり、それらをそうとう読みこなす必要がある。数も深さもだ。書いても、自分自身が満足のいかない部分が随所に出てくるだろうし、いろいろな立場で読むであろうさまざまな読者に満足してもらえるものなど書けるわけがない。というようなことは、実際に書いた著者がいちばんよくわかっていることだろう。だから、本書を読むことができる者は、まず著者に敬意を表し、感謝するしかない。

 本書は、戦争体験者が消えゆくなかで、「アジア・太平洋戦争を戦い、そして生き残った元兵士たちの戦後史を記録することを意図して」書かれた。かれらの戦後史にこだわる理由を、著者は2つあげている。「第一には、戦争の時代をより深く理解するためには、その戦争の戦後史を視野に入れる必要があると考えるからである」。「第二には、生き残った兵士たちの様々な営為が、戦後日本の政治文化を社会の奥深いところで規定していると考えられるからである」。

 そして、考察にあたって、つぎの4つの点を留意したいという。「一つは、できる限り、兵士や下士官を中心に彼らの戦後史を跡づけてみたいということである。そのことは将校であった人々の戦後史を重視しないということを全く意味しない」。「もう一つの留意点は、「戦争の記憶」に対する関心のたかまりを背景にして、歴史学や民俗学の分野で、戦死者の「慰霊祭」や戦争記念碑などに対する研究が急速に進展してきたことである」。「三つめは、自身の立ち位置の問題だが、あの戦争に直接のかかわりを持たなかったという「特権者」の高みから、彼らの戦後史を裁断してはならないということである」。「四つめの留意点は、自分自身の心の揺れをどこまで自覚しながら歴史分析を行うことができるかという問題である」。

 本書は、戦後を5章に別け、年代順に日本社会のなかでのかれらの位置づけをしていく。まず、「第一章 敗戦と占領」では、遠く故郷を離れた戦場から復員してきた兵士たちが、「戦争と敗北を、帰還兵たちの責任に帰そう」とする民間人の視線にさらされたことを記述する。その復員兵も、「被害者意識が強く加害者としての自覚が希薄」で、「戦死した戦友への後ろめたさの感覚もこの時点では希薄」であった。この復員兵への冷ややかな視線は、GHQの対日占領政策によって助長されたことを、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』を参考に、つぎのように述べている。「米軍がアジア・太平洋戦争中から実施していた対日心理作戦では、軍部と国民・天皇との間に「くさびを打ち込む」ことが重視されていた。つまり、米軍は、日本の軍部は、強力な情報統制と情報操作によって、国民だけでなく、天皇をも欺いたのだ、国民もそして天皇自身も、軍部を中心にした軍国主義勢力の犠牲者なのだ、ということを強調することによって、日本を戦争終結の方向に誘導しようとしたのである。この対日心理作戦の手法が対日占領政策にも援用されることによって、すべての責任を軍部に転嫁しようとする国民意識が形成されていくことになる」。

 つぎの「第二章 講和条約の発効」では、1952年のサンフランシスコ講和条約の発効、経済復興とともに、この流れが逆行しだすことを記述する。「靖国神社・護国神社の復権」「軍人恩給の復活」「戦犯の復権」をへて、「旧軍人の結集」がおこなわれ、旧軍人団体は政治圧力団体へと「成長」していく。

 「第三章 高度成長と戦争体験の風化」では、「戦後民主主義」が定着し「戦中派」が社会の中堅となっていくなかで、戦友会や旧軍人団体が発展していくいっぽう、戦争体験の風化が叫ばれるようになり、戦後生まれが成人して「戦無派」世代が登場する過程を追う。

 「第四章 高揚の中の対立と分化(一九七〇年代-一九八〇年代)」では、「戦中派」世代が定年を迎え、戦友会・旧軍人団体の活動が最盛期となり、残された問題を解決しようと「圧力」を強めていくいっぽうで、元兵士個々人が語り始めることを述べる。

 「第五章 終焉の時代へ」では、「旧軍人団体の活動の停滞」「侵略戦争論への反発」「持続する変化」の3節で、総決算をおこなうとともに、自分たちの経験を引き継いでもらう試みが語られている。

 そして、「終章 経験を引き受けるということ」の「経験を持つ意味」で、元兵士たちの戦時・戦後経験が、どのような意味をもっていたのかを問い、つぎの3つにまとめている。「第一には、戦争という行為の悲惨さや虚しさを身をもって体験し、「帝国陸海軍」がいかに非人間的・非合理的な組織であり、深い亀裂の入った分断された組織、つまり構成員間の一体感が欠如した組織であったかを知りぬいた多数の人々がこの社会の中に存在していたこと自体の重みである」。「第二には、彼らが過激なナショナリズムの温床とはならなかったことがあげられる」。「第三には、戦争や戦場の生々しい実態についての無数の記録や証言を、とりわけ下級兵士の記録や証言を彼らが残してくれたことがあげられる」。

 著者は、「あとがき」で「自分史のような著作を書いてしまった」と吐露し、「思春期、青年期の私は、なぜあれほどまで無慈悲に、父親の世代の戦争体験に無関心、無関係を決めこんでいられたのだろうか」と、「自責の念」を告白する。そして、その「自責の念」があったからこそ本書を書くことができ、書き終えて「責めを果たしたような気がする」と達成感を抱いている。つぎの課題は、つぎの世代にどう繋いでいくかのようだ。それは、戦争体験者がいなくなるだけ、より難しい課題になるかもしれない。

 本書を読むと、アジア・太平洋戦争が「総力戦」であったはずなのに、日本人が一致団結していなかったことがわかってくる。ならば、日本の戦後史は、日本人の団結力を強めることに努力した歴史であったということができるかもしれない。いまの「がんばろう! 日本」も、その延長線上にあるのだろうか。

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 第一次世界大戦の記念碑を確認するために、シンガポールに行った。MRT東西線が延びて、終点ジョー・クーン駅から徒歩数分で行くことができるようになったシンガポール・ディスカバリー・センターにも行ってみた。シンガポール軍訓練施設の一角にある体験型テーマパークである。そう、戦争を体験するキッズ向けの「娯楽」施設である。小学低学年に臨場感あふれる戦場シーンを音と光で体験させ(敵は出てこない)、中学生は迷彩服に着替えて射撃のシミュレーション体験をしていた。男子は17歳で徴兵検査を受け、2年間徴兵される。いずれ、女子もといわれている。最近、MRTの地下駅でテロ爆発が起こり、幼い娘が血みどろになって両親を捜す生々しいシーンも加わった。小国シンガポールの国防教育がよくわかる施設だ。フィリピンでは、普通の女子学生がピストルを所持し、毎週射撃訓練に通っている。日本にもこのような施設が必要で国防教育を徹底しなければならない、自分自身と家族を守るために自衛しなければならない、という意識を日本人が高めなければならない状況にはしたくない。しかし、若者の友好交流を推進するためには、交流相手が日本人よりずっと戦争を身近に感じて、幼いころから教育され、訓練していることを知っておく必要はあるだろう。往きの便に、修学旅行の女子高校生が乗っていた。かの女たちのなかに、このことを知っている者がいるのだろうか。

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