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2011年11月29日

『老い衰えゆくことの発見』天田城介(角川選書)

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 こんな本、読みたくない! そう思って、書店でタイトルを見て、目をそらしている人もいるのではないだろうか。病人でもないし、障害者でもないが、ほっておけなくなった家族を抱えていたり、自分自身にその徴候が現れて、この先が怖くなっている人にとって、現実を知るだけ怖くなる。その「困った人」を抱えていたり、その「困った人」に自分がなろうとしている人にとって、個人個人の状況があまりに違うから、他人の例はあまり参考にならないこともわかっている。

 では、本書を読むことは無駄か? 結論からいうと、これからの日本の社会を生きていく者として、この現実を確認することは最低限必要なことに思えた。目を背け、かかわりあうことから逃れることは、どうもできそうにない。それならば、正面から向き合うしかない。

 本書は、著者、天田城介の専門書を一般書として、書き改めたものだ。第1章から第4章までは、具体的事例に基づいて臨床の現実が描かれている。最終章である第5章は、社会学者として、戦後日本社会が生んだ現実を直視している。

 「はじめに」で、著者は<老い衰えゆくこと>を、社会的出来事としてとらえて、つぎの3つに要約している。「第一に、年を重ねる中で次第に身体にままならなさを抱えるという経験だけではない。むしろ、ままならない身体の中で「あたしはもう駄目じゃ。馬鹿になってしもうた。生きとってもなんの楽しみもない……」と嘆きながらも、必死(ひつし)にそれに抗おうとする経験である」。「第二に、家族や夫婦などにとって、<老い衰えゆくこと>とは、たんに「介護」を誰がどのように提供するかといった問題に収まるものではない」。「第三に、先述したように、<老い衰えゆくこと>とは、それまでその当事者がどのように生きてきたのか、どのように食っていくことができたのか、いかなる資源を獲得してきたのか、等々によって形作られるものである」。

 その社会的出来事は、「戦後日本社会における歴史と体制のもとで作り出されてきた現実」であり、つぎの3つの視点で現実を直視することを通じて、「私たちの社会の有り様を「発見」していくことが可能となる」という。「第一に、<老い衰えゆくこと>を徹底的(てつていてき)に社会的な出来事として見ていくべきなのである。第二に、<老い衰えゆくこと>とは、老い衰えゆく当事者と周囲の関係上の社会的出来事というだけではなく、当事者が老い衰えゆく中で「私は生きていても仕方がない」というように自らの存在を否定し、幾重にも深い苦悩と葛藤を経験せざるを得ないこと、その苦悩と葛藤こそが当事者に様々なつまづきをもたらし、悪循環をもたらしてしまうことが、まさに私たちの社会によって形成されているという意味での社会的出来事として捉えていくべきなのだ。第三に、まさに「どっちつかずの身体」である<老い衰えゆくこと>を過酷な現実にしている社会において、<老い衰えゆくこと>をめぐる政策と歴史はどのように形作られてきたのか、その歴史的な見取り図を描くことが重要なのだ。言い換えれば、戦後日本社会は誰を(いかなる人びとの身体を)想定して社会が設計されてきたのかを照らし出すことが大切なのだ」。

 著者は、目指すべき仕事として、「断片をたんに「寄せ集める」のではなく、「断片」を「繋ぎ合わせる」こと、そして「繋ぎ合わせたもの」から「<社会>を描き出す」こととし、「<老い衰えゆくこと>の発見」ないしは「<老い衰えゆくこと>からの発見」という事実を読み解くことこそ、近代日本社会とりわけ戦後日本社会の歴史と体制を深く分析することに繋がる」と考えている。

 そして、「老い衰えることに、どのようにして否定的な価値が付加され、それが個別の関係をどのように縛(しば)り上げてしまうのかを微視的(ミクロ)に、そして巨視的(マクロ)に描き出すことを通じて、老い衰えゆくことが背負(せお)わされた否定的価値の棘(とげ)をゆっくりと取り去りながら、私たちの社会の中に、老い衰えゆくことを静かに着地させてゆくことへと向けて、本書は書かれている」。

 「はじめに」と第5章の社会学的な話から、いろいろ学ぶことができた。断片を繋ぎ合わせる試みも伝わってきた。しかし、第1~4章の具体例はわかりやすかったが、繰り返しが多く閉口した。だれを読者対象として書いているのだろうか。<老い衰えゆくこと>を、実際に体験している人を対象としているのだろうか。すくなくとも社会学的な話を期待して読んでいる者にとっては、少々苦痛だった。逆に、第1~4章を中心に読んだ人は、第5章を読むのが苦痛だったかもしれない。一般書を研究者が書くことは、実にむつかしい。一般書といいながら、研究者はほかの研究者が読むに堪えられる内容にしようと欲張るからで、<どっちつかず>になってしまう。専門的なことは専門書に書いたのだから、もう書かなくてもいいと思いながら、書かざるをえなくなってしまう。困ったものだ。

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2011年11月22日

『戦後日本=インドネシア関係史』倉沢愛子(草思社)

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 本書を読み終えて、「引き続く過去」ということばが浮かんだ。しかし、問題は、2国間関係のいっぽうのインドネシアの人びとがそれを重くとらえているのにたいして、もういっぽうの日本の人びとの多くがすでにまったく意識していないか、その意識を「なきもの」にしようとしていることである。著者、倉沢愛子は、その意識の違いを過去の問題としてではなく、今日さらに未来の問題としてとらえている。

 本書は、「序」で「歴史的背景」「本書の概要」「筆者の主張と問題提起」「先行研究」が要領よくまとめられ、その後具体例を7章にわたってあげて、理解を深められるようになっている。そして、「終章 インドネシアにおける対日歴史認識」で、「引き続く過去」がインドネシアでどのように受け継がれているのかをまとめている。

 著者は、「序」の冒頭で、「本書は、「大東亜」戦争終結以後の日本とインドネシアの関係を、広い意味での戦後処理という観点から、「戦争」の問題を常に念頭に置きつつ、また戦後の新たな関係への移行過程を踏まえつつ考察したものである」と述べている。そして、「本書は、タイトルに国家と国家の名前を冠しているが、国際関係論や外交史ではなく、できるだけ両国、とりわけインドネシアの内政問題や社会変容、さらには国家関係では見えてこない、歴史のアクターとしての「人間」(「人物」と言うよりは「人間」)にも焦点をあてることを目指している」とし、具体例としてつぎの3つのトピックに分けて考察している。「その一つは、戦争によって移動(招集、抑留、連行その他)させられた人々の、戦争直後における帰還や残留にまつわる諸問題と、その後、彼らが定住した社会における立場や役割の分析などである」。「第二のトピックは、日本が戦争によって被害を与えた対象(国家、社会、個人)への償いの問題である」。「第三のトピックは、戦争と賠償を引きずっていた戦後の日イ関係が、スハルト政権の誕生により人脈的にも新たな局面へと移っていく過程でどのように変化していったのかを、日本の企業進出、対日批判そして反日暴動(マラリ)(一九七四年一月)などを軸に分析する」。

 これら3つのトピックを論じるなかで、著者が主張し、問題提起としたのは、つぎの4つである。「ひとつは、戦後間もない時期(一九四五年から一九五八年頃まで)の日イ関係は、両国とも第一義的な国益そのものが明確でなく、混乱と試行錯誤の連続であったのではないかということである」。「第二の主張点は、やがてその混乱と試行錯誤のなかからも、最終的な路線が徐々に明確になってきたこと、そしてそれはインドネシアにとっては脱植民地化の徹底(オランダとの全面的対決)であり、日本にとっては東南アジア重視政策であったということである」。「第三に、少なくとも一九六〇年代中頃までは、戦前・戦中からの人的ネットワークの連続性が強く見られ、これが公的な政策決定に少なからぬ影響を与えていたのではないかという点である」。「第四に、「戦後」は本当に終わったのか、という問いである」。

 この第四の問いにたいして、著者は「結論にかえて」で、つぎのように「終わっていない」と明確に述べている。「これは微妙な形でインドネシア社会に生き続けている。確かに戦争の記憶を持たない新しい世代は、日々の生活のなかで経済大国としての日本のプラスのイメージを膨らませて育ってきた。日系の子供たちがその血筋をできるだけ隠そうとして過ごした一九五〇年代、六〇年代と比べて、今は日本の血を受け継いでいることをむしろ誇りにする子供たちも多い。一方で、戦争の被害に遭った当事者たちが年齢を重ね、一人二人と姿を消してゆき、戦後補償問題は立ち消えになりつつある」。「とはいえ、その子孫たちはまだ複雑なわだかまりを持っていることが少なくない。両国の当事者たちのあいだで、かつて一度も、問題をさらけ出して「和解」のための積極的な努力がなされなかったことにより、あたかも潰瘍を残したまま傷が癒えたときのような後味の悪い回復しかなされなかったのである。また、学校の歴史教育の場では依然として、〝残虐な日本軍政〟という言説が語り継がれている。その教科書は、改定のたびに感情的な記述からより客観的な記述に移りつつあるものの、まだ基本的な論調は不変である。それは「歴史的事実」として恐らく変わることはないだろう。日本にとって戦後は終わったようであるけれど、インドネシアにとってはまだ終わっていないのである」。

 「まだ終わっていない」から、インドネシア政府は、日本の国連安保理事会の常任理事国入りの決議に際して反対に回ったのであり、「日本ももっと大人になって、歴史から学ぼうという姿勢を持てば」、インドネシアの人びとも政府も「引き続く過去」へのこだわりを捨て、新たな日本との関係を築いていこうとするだろう。「引き続く過去」に無頓着な日本人は、つぎのインドネシア人の警告を重く受けとめなければならないだろう。「今の日本政府があの戦争は崇高なものであり、日本にとって不可欠な戦争だったと考えているなら別だが……。もし日本がそのように考えているのだとすれば、われわれも考え直さなければならない」。もはや、「経済大国の脅し」で、過去を不問にすることはできないことが、本書から伝わってくる。

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2011年11月08日

『兵士たちの戦後史』吉田裕(岩波書店)

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 まず、この困難なテーマを研究する指針となる本を書いた著者、吉田裕に敬意を表し、感謝したい。「兵士たちの戦後史」といっても、兵士は敗戦時に陸海軍あわせて約789万人おり、玉砕した部隊のわずかな生き残りもいれば、「水汲みがたいへんだった」といって「負けた」という実感のない者もいる。それぞれさまざまな戦争体験をし、戦後の生活もさまざまであった。それをまとめて語ることなど、とうていできることではない。いわゆる「戦記もの」だけでも「ごまん(5万?)」とあり、それらをそうとう読みこなす必要がある。数も深さもだ。書いても、自分自身が満足のいかない部分が随所に出てくるだろうし、いろいろな立場で読むであろうさまざまな読者に満足してもらえるものなど書けるわけがない。というようなことは、実際に書いた著者がいちばんよくわかっていることだろう。だから、本書を読むことができる者は、まず著者に敬意を表し、感謝するしかない。

 本書は、戦争体験者が消えゆくなかで、「アジア・太平洋戦争を戦い、そして生き残った元兵士たちの戦後史を記録することを意図して」書かれた。かれらの戦後史にこだわる理由を、著者は2つあげている。「第一には、戦争の時代をより深く理解するためには、その戦争の戦後史を視野に入れる必要があると考えるからである」。「第二には、生き残った兵士たちの様々な営為が、戦後日本の政治文化を社会の奥深いところで規定していると考えられるからである」。

 そして、考察にあたって、つぎの4つの点を留意したいという。「一つは、できる限り、兵士や下士官を中心に彼らの戦後史を跡づけてみたいということである。そのことは将校であった人々の戦後史を重視しないということを全く意味しない」。「もう一つの留意点は、「戦争の記憶」に対する関心のたかまりを背景にして、歴史学や民俗学の分野で、戦死者の「慰霊祭」や戦争記念碑などに対する研究が急速に進展してきたことである」。「三つめは、自身の立ち位置の問題だが、あの戦争に直接のかかわりを持たなかったという「特権者」の高みから、彼らの戦後史を裁断してはならないということである」。「四つめの留意点は、自分自身の心の揺れをどこまで自覚しながら歴史分析を行うことができるかという問題である」。

 本書は、戦後を5章に別け、年代順に日本社会のなかでのかれらの位置づけをしていく。まず、「第一章 敗戦と占領」では、遠く故郷を離れた戦場から復員してきた兵士たちが、「戦争と敗北を、帰還兵たちの責任に帰そう」とする民間人の視線にさらされたことを記述する。その復員兵も、「被害者意識が強く加害者としての自覚が希薄」で、「戦死した戦友への後ろめたさの感覚もこの時点では希薄」であった。この復員兵への冷ややかな視線は、GHQの対日占領政策によって助長されたことを、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』を参考に、つぎのように述べている。「米軍がアジア・太平洋戦争中から実施していた対日心理作戦では、軍部と国民・天皇との間に「くさびを打ち込む」ことが重視されていた。つまり、米軍は、日本の軍部は、強力な情報統制と情報操作によって、国民だけでなく、天皇をも欺いたのだ、国民もそして天皇自身も、軍部を中心にした軍国主義勢力の犠牲者なのだ、ということを強調することによって、日本を戦争終結の方向に誘導しようとしたのである。この対日心理作戦の手法が対日占領政策にも援用されることによって、すべての責任を軍部に転嫁しようとする国民意識が形成されていくことになる」。

 つぎの「第二章 講和条約の発効」では、1952年のサンフランシスコ講和条約の発効、経済復興とともに、この流れが逆行しだすことを記述する。「靖国神社・護国神社の復権」「軍人恩給の復活」「戦犯の復権」をへて、「旧軍人の結集」がおこなわれ、旧軍人団体は政治圧力団体へと「成長」していく。

 「第三章 高度成長と戦争体験の風化」では、「戦後民主主義」が定着し「戦中派」が社会の中堅となっていくなかで、戦友会や旧軍人団体が発展していくいっぽう、戦争体験の風化が叫ばれるようになり、戦後生まれが成人して「戦無派」世代が登場する過程を追う。

 「第四章 高揚の中の対立と分化(一九七〇年代-一九八〇年代)」では、「戦中派」世代が定年を迎え、戦友会・旧軍人団体の活動が最盛期となり、残された問題を解決しようと「圧力」を強めていくいっぽうで、元兵士個々人が語り始めることを述べる。

 「第五章 終焉の時代へ」では、「旧軍人団体の活動の停滞」「侵略戦争論への反発」「持続する変化」の3節で、総決算をおこなうとともに、自分たちの経験を引き継いでもらう試みが語られている。

 そして、「終章 経験を引き受けるということ」の「経験を持つ意味」で、元兵士たちの戦時・戦後経験が、どのような意味をもっていたのかを問い、つぎの3つにまとめている。「第一には、戦争という行為の悲惨さや虚しさを身をもって体験し、「帝国陸海軍」がいかに非人間的・非合理的な組織であり、深い亀裂の入った分断された組織、つまり構成員間の一体感が欠如した組織であったかを知りぬいた多数の人々がこの社会の中に存在していたこと自体の重みである」。「第二には、彼らが過激なナショナリズムの温床とはならなかったことがあげられる」。「第三には、戦争や戦場の生々しい実態についての無数の記録や証言を、とりわけ下級兵士の記録や証言を彼らが残してくれたことがあげられる」。

 著者は、「あとがき」で「自分史のような著作を書いてしまった」と吐露し、「思春期、青年期の私は、なぜあれほどまで無慈悲に、父親の世代の戦争体験に無関心、無関係を決めこんでいられたのだろうか」と、「自責の念」を告白する。そして、その「自責の念」があったからこそ本書を書くことができ、書き終えて「責めを果たしたような気がする」と達成感を抱いている。つぎの課題は、つぎの世代にどう繋いでいくかのようだ。それは、戦争体験者がいなくなるだけ、より難しい課題になるかもしれない。

 本書を読むと、アジア・太平洋戦争が「総力戦」であったはずなのに、日本人が一致団結していなかったことがわかってくる。ならば、日本の戦後史は、日本人の団結力を強めることに努力した歴史であったということができるかもしれない。いまの「がんばろう! 日本」も、その延長線上にあるのだろうか。

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 第一次世界大戦の記念碑を確認するために、シンガポールに行った。MRT東西線が延びて、終点ジョー・クーン駅から徒歩数分で行くことができるようになったシンガポール・ディスカバリー・センターにも行ってみた。シンガポール軍訓練施設の一角にある体験型テーマパークである。そう、戦争を体験するキッズ向けの「娯楽」施設である。小学低学年に臨場感あふれる戦場シーンを音と光で体験させ(敵は出てこない)、中学生は迷彩服に着替えて射撃のシミュレーション体験をしていた。男子は17歳で徴兵検査を受け、2年間徴兵される。いずれ、女子もといわれている。最近、MRTの地下駅でテロ爆発が起こり、幼い娘が血みどろになって両親を捜す生々しいシーンも加わった。小国シンガポールの国防教育がよくわかる施設だ。フィリピンでは、普通の女子学生がピストルを所持し、毎週射撃訓練に通っている。日本にもこのような施設が必要で国防教育を徹底しなければならない、自分自身と家族を守るために自衛しなければならない、という意識を日本人が高めなければならない状況にはしたくない。しかし、若者の友好交流を推進するためには、交流相手が日本人よりずっと戦争を身近に感じて、幼いころから教育され、訓練していることを知っておく必要はあるだろう。往きの便に、修学旅行の女子高校生が乗っていた。かの女たちのなかに、このことを知っている者がいるのだろうか。

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