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2011年08月09日

『移民研究と多文化共生』日本移民学会編(御茶の水書房)

移民研究と多文化共生 →bookwebで購入

 本書は、日本移民学会創設20周年記念論文集である。学会の記念誌は、その分野の研究史と最先端の研究動向がわかることが期待され、期待通りのものは長く重宝される。本書も、その期待を裏切らないものになっている。

 日本移民学会が創設された当時、研究の主流は、日本からアメリカ合衆国やブラジルなどへの出移民が現地社会とさまざまな文化摩擦を起こしながら、「同化」または「適応」していったプロセスを、文献によって検証するものだった。それが、今日では地域的にも分野的にも格段に広がり、「研究のための研究」ではなく、実際にいま世界で起こっていること、日本で起こっていることを念頭において、問題を解決する術を模索するというものになっている。そのキーワードは、「多文化共生」である。

 本書は4部からなる。「第一部 海外における多文化主義・社会的統合論」では、「日本における多文化共生の今後のありようを考えるために、海外の多文化主義(あるいはその不在)の現状と課題を検証する」。「第二部 日本から海外へ-移民の経験とアイデンティティ」では、「海外に渡った日本人移民・殖民の歴史的経験やその子孫のアイデンティティがテーマになっている」。「第三部 日本で生きる-越境から共生へ」では、「日本国内に居住する外国にルーツをもつ人々を対象とする論考で構成されている」。最後の「第四部 移民研究へのアプローチ」では、「移民研究の方法論について、従来のように歴史学、社会学、文学等の学問分野別に、つまりタテ割にアプローチするのではなく、研究対象と課題に応じた多角的な研究方法論を提示する」。

 本書あるいは本学会が目指しているものを、もっとも顕著に表しているのは第一部だろう。「多文化共生」といえば、オーストラリアやカナダの例がよくあげられ、モデルとされてきた。いま、この2ヶ国で考えが変わってきている。それは、失敗したからではなく、ある意味で成功したからだという。いったいどういうことなのだろうか。

 「第1章 隠された多文化主義-オーストラリアにおける国民統合の逆説」では、つぎのように問い、答えている。「1990年代から2000年代のオーストラリア政治において、なぜ多文化主義は「隠された」のか。それは、多文化主義が統合や社会的包摂という目的に反する「分裂」の要素をもったからである」。「公定多文化主義が分裂の要素をはらむことになったのは、それが成功したがゆえ、すなわち国民統合を目指す論理として制度化され、政府にとって「使い勝手の良い」論理になったがゆえなのである。「使い勝手が良くなった」ために、政府は多文化主義を新自由主義的な考え方に適合させ、グローバル資本主義を勝ち残るための多様性の活用を奨励する論理へと変えることができた。しかしその結果、多文化主義は主流白人中心のナショナリズムとの結びつきを失い、主流白人であろうがなかろうが「活用できない」人々を排除することを黙認する「帝国」の論理の色彩を強めていった」。

 カナダでも、1990年代になると問題状況の変化が意識されるようになった。「第2章 多文化主義をめぐる論争と展望-カナダを中心に」では、つぎのように説明されている。「移民法の改正によって増加した非ヨーロッパ系の移民は、かつてのヨーロッパ系移民と比べて、親族関係や宗教などの文化的背景の異質性が大きく、統合の遅れが危惧されるようになる。実際、収入格差が長期間にわたって持続し、また二世になってもカナダへの帰属意識が強まらない例が見られる。また、その文化・宗教的慣習がしばしば保守的であり、自由民主主義の基本原理と対立することが危惧されるようになる。多文化主義の政策は、当初ヨーロッパ系の移民を念頭に開始されたものであるが、非ヨーロッパ系移民の増加のなかで、その有効性や妥当性を疑問視する声も強まっている」。この第2章では、「カナダの状況を通して、多文化主義の到達点と、それが直面する困難を、明らかにする」ために、「「文化」の実体への懐疑、「分離」への危惧」「抑圧的なマイノリティ文化をどう扱うか」「公共空間における宗教表現の問題」の3つに分けて考察している。

 この2ヶ国の例から、これまでの「多文化主義」の議論が、近代のヨーロッパ拡張主義に則って行われてきたことがわかる。それが、非ヨーロッパ系を含むグローバル化のなかで、ヨーロッパ系の優位が保てなくなったことから問題が複雑化した。

 「序論 移民研究から多文化共生を考える」では、「多文化共生」先進国の問題点を理解したうえで、「日本の多文化共生が、諸外国の多文化主義と同じ道を辿るのではなく、軌道修正しながらも日本独自の発展形態をとるためにはどうすればよいのか。それを考えるために、多文化主義をめぐる議論をどのように援用することが可能なのか、日本で生まれた事情は何かについて整理しておくことが肝要であろう」と指摘している。「多文化共生」をめぐって、いま世界が直面している共通の問題を理解するとともに、各国で起こっている個別の問題に対処するための「移民研究」が唱えられているのである。

 20年前に主流であった出移民の文献を主とした研究も、新たな展開を迎えている。20世紀前半の東アジアにおける人口移動は、日本帝国の形成・膨張そして崩壊によって規定されたと捉え、日本内地から外地へとその逆だけでなく、外地のなかでもたとえば朝鮮人が満洲、沿海州、樺太などへ移動したことを、東アジアという歴史空間のなかで考察しようとしている。また、戦後の外地から内地の引き揚げだけでなく、「現地へ定着、残留した中国朝鮮族、在日朝鮮人、そして遅れて帰国した中国帰国者」を、戦前からの連続性をもって考察しようとしている。ナショナル・スタディーズの延長としての出移民や2国間関係史から解放されることによって、近代のディシプリンや国民国家の枠を超えて、世界に通用する学際的研究として、日本の「移民研究」を発展させようとしている。

 近年増加している日本への入移民であるニューカマーについては、いままで見落とされてきた母国に帰国できない無国籍者など、「少数民族にも難民にもなれない」人びとのことも考える。また、在日ブラジル人を、世界にディアスポラした在外外国人として考察を試みる。このように、従来対象外にされてきた人びとを可視化して、考察の俎上にのせることによって、より総合的に捉えようとしている。それでも、本書で取りあげているのは、ほんの数例に過ぎない。いったいいくつの「多文化」の事例があり、考察の対象としなければならないのか。「移民研究へのアプローチ」も、文献中心から多様化してきている。気づいたことから問題設定し、わかったことから書いてきたこれまでとは違い、気づかなかったこと、わからないことはなにかを考えながら、相対的に研究をすすめる必要性が出てきている。

 本書から、「移民研究」は、「研究のための研究」ではないと意識した多分野の研究者によって、それぞれの分野の専門性をいかしながら「科学する総合的な領域」になりつつあることがわかるが、その未来はそれほど平坦ではないようだ。

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