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2011年06月07日

『接続された歴史-インドとヨーロッパ』S・スブラフマニヤム著、三田昌彦・太田信宏訳(名古屋大学出版会)

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 本書は、決して読みやすい本ではない。それをここまで日本人読者のために翻訳し、訳注を付し、「訳者あとがき」を書いてくれたふたりの訳者に、まず感謝したい。

 本書は、「第1章 序論」を含む7章と短い「終章」からなる。それぞれの章は、1冊にまとめられることを想定して書かれたわけではないため、つながりは希薄であるが、これまで別々の視点で書かれた歴史をつなぐという意味で共通している。原題を直訳すると、『接続された歴史の探究-ムガル人とフランク人』で、フランク人Franksは西欧人一般をさしている。

 「第1章 序論-抑制された摩擦の時代のムガルと西欧」を読むと、著者の目的がわかるはずであるが、そう簡単ではない。その理由は、近世インド史を理解するためには、インド亜大陸はもちろんのこと、ムガルと密接な関係にあったペルシャ、新たに進出してきたポルトガルなどの西欧勢力のことも理解しておかなければならない、というだけでもなさそうである。インド史の基礎知識がないうえに、著者特有の難解な言い回しに遭遇すると、頭のなかがさっぱり整理できないまま読み進むことになる。各章の終わりに、「結論」など、まとめがあるのが救いだが、これがまたわかるとは限らない。

 とりあえず、「序論」で著者の目的を記述した部分の一部を抜き出すと、つぎのようになる。

 「私が論じようとしているのは、ある種の東洋的専制のイメージが、「東洋的専制」という用語が生まれる前に、ポルトガルの観察者たちによってつくられ、グジャラート王国、ビジャープル王国、アフマドナガル王国、またのちのムガル朝といったインドのスルタン朝国家に当てはめられていったということである」。

 「本書が概観するいくつかの図式の背景にあるものは、インド洋西部(スィンドとグジャラート)とベンガル湾両方のコンテクストにおけるムガル朝、地域的スルタン朝諸国家、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランスの諸関係の展開である」。

 「私が言いたいことは、「事件」の歴史はより大きな「心性」の歴史を対象とする研究において、無視されてはならないということであり、本書で主張したい方法論に関わる論点は、ひとつには、認識がもつ構造的対立と諸形態は、事件という良質の種籾からのみ読み取ることができるということである」。

 「この短い序論を結論づければ、私が論じようとしてきたことは、今日では解釈上の戦略が数多く存在し、そうであるからこそ、本書冒頭で軽く風刺した「斜め読み」の技法の落とし穴をさけつつ、その一方で、著者が表向きは描こうとしている対象に焦点をあてるのではなく、もっぱら著者自身に焦点をあてるたぐいのテクスト分析という罠にもはまらないことは、可能なのだということである」。

 この「序論」を理解しても、以下の章の各論とどう具体的に結びつくのかがよくわからなかったときは、「訳者あとがき」が助けてくれる。まず、著者サンジャイ・スブラフマニヤムの紹介がある。「インド・デリーで生まれた歴史学者」で、「最初の研究課題は、ポルトガルをはじめとする西ヨーロッパ勢力のインド進出と現地インド社会との関係を、もっぱら経済史的視角から分析することであった」。従来の研究の主役がポルトガルであったのにたいして、著者が主役としたのは南インドの政治経済であった。その後、著者の「関心の中心はポルトガルを含む西ヨーロッパ勢力とインドとの交渉の文化的側面へと移行」した。

 本書で、もっとも興味深かったのは、歴史を接続することによって、新たな「近世」像が浮かび上がってきたことである。訳者は、つぎのように説明してくれている。「スブラフマニヤム氏にとって「近世」(一四五〇年頃から一八世紀半ばまで)とは、「様々な地域に住む人々が、相互に隔てられているにもかかわらず、実際に世界規模で生じる出来事の存在を初めて考えられるようになった」(略)時代であった。ユーラシア規模の地域間の影響や相互連関が「近世」以前にはなかったと言っているのではなく、そうした「世界規模の出来事」が明確に人々の意識にのぼるようになったのが、この時代の特質だと考えているのである。だからこそ、氏の近世世界把握においては、地域間交流や「世界規模の出来事」そのもの以上に、それに関わる人々の意識(世界や異文化に対する認識、さらにそこに関わっていこうとする動機や思惑)が問題とされるのであり、そうした人々の意識がまた「世界規模の出来事」を作っていくというのが、著者の考える「近世」の時代的特徴ということになる」。

 インドは、歴史的に西アジア、東南アジア、中央アジア、中国と深く関わっていた。そこにヨーロッパが直接加わって、「近世」世界を作り出したということだろう。そして、中南米から唐辛子が伝わって、今日のインドカレーになった。たしかに、この議論をするのに、インドを中心とするとわかりやすい。ヨーロッパ中心史観をしりぞけ、東南アジアを専門とするリーバーマンやリードが展開する議論を、「近世世界の「地球規模の接続的な性格」を軽視している」、あるいは「東南アジアが「固有の領域」であり「自律性」をもつという点を強調し過ぎている」と批判するのも、うなずける。本書によって、「近世」という時代がますます興味深くなってきたが、ますます勉強しなければならないこともわかった。本書を読むと、わかりやすくしないことも、アバウトな「近世」という時代の研究の一手法だと思えてきた。

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