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2011年06月28日

『インドネシアと日本-桐島正也回想録』倉沢愛子(論創社)

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 1960年代のインドネシアと日本との関係といえば、賠償ビジネスをめぐって汚職の噂が飛びかい、かかわった人びとが謎の死を遂げたり、心身に異常をきたしたりしたことが語られ、深田祐介の小説『神鷲(ガルーダ)商人』(新潮社、1986年)の題材にもなった。その主人公富永のモデルとなったのが、本書で回想を語る桐島正也で、深田の暁星小学校の同級生でもある。

 本書は、インドネシア現代史を専門とする著者、倉沢愛子が、1995年以来桐島氏を何度も訪ね、聞き書きしてまとめたものである。著者は、「まえがき」で「この回想録はサクセス・ストーリーではない。かといって苦労を重ねた日本人の苦労話などでは毛頭ない」と述べ、「桐島氏はその人生を気負いもなく淡々と語る」「その何でもない語りの一つひとつに日本とインドネシアの過去五〇年の歴史が生き生きと刻み込まれていて、われわれ歴史を追うものとして興奮を禁じえない」と、その重要性を強調している。

 著者の興奮は、多少なりとも1960年代のインドネシア、そして日本との関係を知っている者にとって、よく理解できる。なぜ、東日貿易や木下商店のような、一般には知られていない小さな商社が賠償ビジネスにからんだのか、東日貿易がジャカルタの独立記念塔の建設や巡礼船の手配などを受注することができたのか、不思議に思う人がいるかもしれない。そして、本書を読んだ人のなかには、「まともな」ビジネスではない、と嫌悪を感じた人がいるかもしれない。いっぽうで、日本の一流商社や企業が、なぜ自分たちで直接せずに、桐島氏を通じてインドネシアで事業を展開したのか疑問に思ったかもしれない。すべて、桐島氏が活躍する1960年からのインドネシアの歴史と、その背景にある社会や文化の理解抜きには、語れないことである。まさに著者は、この回想録をまとめるにあたって最適任者であり、本書がわかりやすいものになったのも著者の力量があってのことだといえる。

 それでも、本書を誤解して読む人がいるだろう。賄賂とコネがないとはじまらないインドネシアという国の「後進性」に嫌気を感じた人もいるだろう。だが、50年にわたってインドネシアの日本人を見てきた桐島氏は、「日本では常識で判断できることを、インドネシアでも常識を持って判断していただけたら幸いである」、「本書は別にインドネシアを一方的に擁護しているわけではない。長年にわたって私が見聞してきた真実だけを」語っているにすぎないという。つまり、インドネシアにはインドネシアの社会的ルールがあり、自分はそのルールに従って、インドネシアに骨を埋める覚悟でインドネシアのためにビジネスを展開してきた、本社での出世を夢見て腰掛けで来ている商社マンとは違う、といいたいのだろう。

 それが、昨今はそのインドネシアの社会的ルールが違ってきていると、つぎのように語っている。「私は半世紀をこの国で生きてきた。スカルノ大統領の時代、スハルト大統領の時代も、そしてその後の時代もすべて見てきた者として言うのだが、今のインドネシアはこれまでで一番ひどいと感じる。経済は一見好景気に見えるが、一皮むけば銀行なども、どれほど大量の不良債権を抱えているか知れたものではない。物価はどんどん上昇する。毎日の食に困る人がたくさんいる一方で、すさまじい腐敗や汚職疑惑が連日のように報道される」。

 そして、昔インドネシアの知人に言われたつぎのことばを、自分が乗り越えることができたかどうか、この回想録を通じて振り返っている。「日本人は、例えればインドネシアという川の底にある砂利だ。それに対し、中国人は苔、白人は岩だ。嵐がくれば、小砂利は全部なくなる。しかし岩と苔は、残る」。「今日、日本とインドネシアの関係は太く、強いものとなり、日本人・インドネシア人を問わず両国の間に立って日々活躍しておられる方々は数知れない。しかしだからこそ、自分たちの関係が互いにとって、嵐の後になお残る苔むす岩になったのか、改めて省みることも無駄ではあるまい」。

 この回想録で何気なく話されていることから、著者は「興奮を禁じえない」ものを感じた。それは、この回想録で語られなかったことを思い浮かべたからだろう。回想者の意図かどうかはわからないが、たとえば日本の政治家の名前は登場しない。それは、まだ日本人としての「自覚」が残っているためかもしれない、あるいは、かつて週刊誌で「スキャンダル」として取りあげられたことに懲りたためかもしれない。いずれにせよ、この回想録から、インドネシアと日本の「常識」が交差した1960年以降の関係を読み取った者は、これまで気にかかっていた「なぞ」が解けて、興奮を禁じえなかったことだろう。

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2011年06月21日

『ミャンマー概説』伊東利勝編(めこん)

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 画期的な本である。いままで靄がかかってすっきりしなかったミャンマーが、ところどころ一気に澄み渡ってくっきり見えるようになった感じがした。まず、数々の苦悩の末に「強権的に介入」をして、1冊にまとめた編者の伊東利勝に、お礼を述べたい。そして、このような貴重だが手にとりやすいとはいえない本を、この価格で出版した出版社のめこんの英断に敬意を表したい。

 なぜ画期的なのか。まず、「文化や世界に優劣はないという理解のもとに」、人口の6割を占めているといわれるビルマ人の世界と、同じスペースを主要7民族・世界に割り当てていることだ。その7民族・世界が単独で語るにふさわしい豊かな独自の歴史と特有の文化もっていることを、本書はよく表している。つぎに、自由に研究ができない現在のミャンマーの国状を考えれば、日本人で適当な執筆者がみつからない分野を、第一線のミャンマー人研究者が執筆していることは、奇跡に近いことかもしれないことだ。日本人研究者の視点だけでなく、現地の研究者の視点で書かれたものが半分以上を占めていることの意味は、普通の日本人では想像できない大きなものだろう。

 本書は、「序章 ミャンマー的国民国家の枠組」と「終章 官製民族世界の形成」と、そのあいだの「ビルマ世界」「モン世界」「カレン世界」「カヤー(カレンニー)世界」「シャン(タイ)世界」「カチン世界」「チン世界」「ヤカイン世界」の8章からなっている。それぞれの世界は、教科書的に多くの人が納得するように書かれているわけではない。それが当然だと、編者はつぎのように説明している。「ビルマ世界とかカレン世界としているが、そこに描かれている事柄でこれを説明しようという意図はない。つまりビルマ文化の一般的形態とか、カレン文化の本質とかがここに描かれていると思ってもらっては困る。そういう要素が観察される、もしくは見ようによってはそういう姿も浮かび上がるといったことが示されているにすぎない。だからといってこれらの論考が、まだ完成途中で、全体像を描ききっていないということでもない。そもそも文化の本質なるものが存在するとは考えないからである」。

 では、どのように読めばいいのか。編者は、つぎのように読者に期待する。「当然執筆者の視点はさまざまである。相互に歴史観が食い違っていたり、特に当事者による叙述は、標準的な「歴史」に照らせば、明らかに矛盾するような「史実」も含んだりしている。あるいは専門的な訓練を受けていないなどの批判もあろう。しかし、それはそれとして当事者を取り巻く世界には受け入れられているのであり、部外者が、実証性に乏しい、学会の動向を押さえていない、古い学説をそのまま採用しているとして、これを頭ごなしに否定してもあまり意味がない。読者は、そうした状況が作り出されている政治的事情も考えつつ、当事者がなぜそのような見解を採用しているのかを読み取ってほしい」。

 本書が、ミャンマー研究者にとって、第一歩となり、通過点となり、終着点となる大きな指針になることは、間違いないだろう。それは、同時に本書が「完成」しえないものを扱っていることとも関係している。カレン人の人口420万人のところが4200万人になっていたり、○○民族、○○族、○○人などの表記の不統一など、ケチを付けだしたら切りがないが、それは執筆者や編者の責任ではない。元の資料で信頼できる最新のものが手に入らない、研究・調査自体がされていない、あるいは理屈ではなくそう書かざるを得ない、といったことなどにもよるからである。このあたりのことがわかると、編者が「この本のねらい」や「あとがき」などで書いていることが、さらによくわかる。

 ミャンマー研究者以外の者にとっては、「多文化共生社会」や「異文化交流」といったことばが軽々しく使えない現実を知ることになるだろう。編者は、「終章」の最後で、つぎのようにまとめている。「民族性はこの連邦民族村に表れるごとく、ミャンマーの観光資源として利用されるだけではない。ミャンマーが文化で統合される過程では、その独自性を確認するために、異文化の存在が必要である。国民統合の中心となるマジョリティの結束を確かにせんとする動きは、異文化の存在によって担保されなければならない。ミャンマーがミャンマーとして自己の姿を作る動きを正統化するためには、異文化の存在がどうしても必要であり、これはその外側だけでなく、内側にも絶えず生み出してゆく必要がある。多元一体社会、多文化共生社会などという戦略の本質が、そこにあるように思えてならない。民族を実体化しない異文化交流とはどのようなものであるか、今このことが世界的に問われている」。

 そして、ミャンマーと言えば、今日国際社会が「民主化」を求めていることで知られているが、そんななかでつぎのことばは、「詭弁にすぎない」と感じるかもしれない。「日本人には理解できないかもしれないが、ミャンマーにはたくさんの民族がいる。そういう中で、軍が政治に関わっていかないと国が維持できないんですよ」。先週も、ミャンマー北部の国境付近で、政府軍と少数民族の「独立軍」との戦闘があって、死者が出たことが伝えられた。「民主化」と正義を唱えることは大切だが、無理をすれば多数の死者が出る。本書の執筆者たちは、そのことも充分にわきまえたうえで書いている。その意味でも、本書は心して読みたい。本書の執筆や翻訳を通して、日本のミャンマー研究者の力量が問われているだけでなく、日本人の読者の良識が問われている。

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2011年06月07日

『接続された歴史-インドとヨーロッパ』S・スブラフマニヤム著、三田昌彦・太田信宏訳(名古屋大学出版会)

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 本書は、決して読みやすい本ではない。それをここまで日本人読者のために翻訳し、訳注を付し、「訳者あとがき」を書いてくれたふたりの訳者に、まず感謝したい。

 本書は、「第1章 序論」を含む7章と短い「終章」からなる。それぞれの章は、1冊にまとめられることを想定して書かれたわけではないため、つながりは希薄であるが、これまで別々の視点で書かれた歴史をつなぐという意味で共通している。原題を直訳すると、『接続された歴史の探究-ムガル人とフランク人』で、フランク人Franksは西欧人一般をさしている。

 「第1章 序論-抑制された摩擦の時代のムガルと西欧」を読むと、著者の目的がわかるはずであるが、そう簡単ではない。その理由は、近世インド史を理解するためには、インド亜大陸はもちろんのこと、ムガルと密接な関係にあったペルシャ、新たに進出してきたポルトガルなどの西欧勢力のことも理解しておかなければならない、というだけでもなさそうである。インド史の基礎知識がないうえに、著者特有の難解な言い回しに遭遇すると、頭のなかがさっぱり整理できないまま読み進むことになる。各章の終わりに、「結論」など、まとめがあるのが救いだが、これがまたわかるとは限らない。

 とりあえず、「序論」で著者の目的を記述した部分の一部を抜き出すと、つぎのようになる。

 「私が論じようとしているのは、ある種の東洋的専制のイメージが、「東洋的専制」という用語が生まれる前に、ポルトガルの観察者たちによってつくられ、グジャラート王国、ビジャープル王国、アフマドナガル王国、またのちのムガル朝といったインドのスルタン朝国家に当てはめられていったということである」。

 「本書が概観するいくつかの図式の背景にあるものは、インド洋西部(スィンドとグジャラート)とベンガル湾両方のコンテクストにおけるムガル朝、地域的スルタン朝諸国家、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランスの諸関係の展開である」。

 「私が言いたいことは、「事件」の歴史はより大きな「心性」の歴史を対象とする研究において、無視されてはならないということであり、本書で主張したい方法論に関わる論点は、ひとつには、認識がもつ構造的対立と諸形態は、事件という良質の種籾からのみ読み取ることができるということである」。

 「この短い序論を結論づければ、私が論じようとしてきたことは、今日では解釈上の戦略が数多く存在し、そうであるからこそ、本書冒頭で軽く風刺した「斜め読み」の技法の落とし穴をさけつつ、その一方で、著者が表向きは描こうとしている対象に焦点をあてるのではなく、もっぱら著者自身に焦点をあてるたぐいのテクスト分析という罠にもはまらないことは、可能なのだということである」。

 この「序論」を理解しても、以下の章の各論とどう具体的に結びつくのかがよくわからなかったときは、「訳者あとがき」が助けてくれる。まず、著者サンジャイ・スブラフマニヤムの紹介がある。「インド・デリーで生まれた歴史学者」で、「最初の研究課題は、ポルトガルをはじめとする西ヨーロッパ勢力のインド進出と現地インド社会との関係を、もっぱら経済史的視角から分析することであった」。従来の研究の主役がポルトガルであったのにたいして、著者が主役としたのは南インドの政治経済であった。その後、著者の「関心の中心はポルトガルを含む西ヨーロッパ勢力とインドとの交渉の文化的側面へと移行」した。

 本書で、もっとも興味深かったのは、歴史を接続することによって、新たな「近世」像が浮かび上がってきたことである。訳者は、つぎのように説明してくれている。「スブラフマニヤム氏にとって「近世」(一四五〇年頃から一八世紀半ばまで)とは、「様々な地域に住む人々が、相互に隔てられているにもかかわらず、実際に世界規模で生じる出来事の存在を初めて考えられるようになった」(略)時代であった。ユーラシア規模の地域間の影響や相互連関が「近世」以前にはなかったと言っているのではなく、そうした「世界規模の出来事」が明確に人々の意識にのぼるようになったのが、この時代の特質だと考えているのである。だからこそ、氏の近世世界把握においては、地域間交流や「世界規模の出来事」そのもの以上に、それに関わる人々の意識(世界や異文化に対する認識、さらにそこに関わっていこうとする動機や思惑)が問題とされるのであり、そうした人々の意識がまた「世界規模の出来事」を作っていくというのが、著者の考える「近世」の時代的特徴ということになる」。

 インドは、歴史的に西アジア、東南アジア、中央アジア、中国と深く関わっていた。そこにヨーロッパが直接加わって、「近世」世界を作り出したということだろう。そして、中南米から唐辛子が伝わって、今日のインドカレーになった。たしかに、この議論をするのに、インドを中心とするとわかりやすい。ヨーロッパ中心史観をしりぞけ、東南アジアを専門とするリーバーマンやリードが展開する議論を、「近世世界の「地球規模の接続的な性格」を軽視している」、あるいは「東南アジアが「固有の領域」であり「自律性」をもつという点を強調し過ぎている」と批判するのも、うなずける。本書によって、「近世」という時代がますます興味深くなってきたが、ますます勉強しなければならないこともわかった。本書を読むと、わかりやすくしないことも、アバウトな「近世」という時代の研究の一手法だと思えてきた。

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