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2011年05月10日

『国旗・国歌・国慶-ナショナリズムとシンボルの中国近代史』小野寺史郎(東京大学出版会)

国旗・国歌・国慶-ナショナリズムとシンボルの中国近代史 →bookwebで購入

 ナショナリズムとシンボルとの関係を理解することは、各国の近代国民国家の形成を考察するための基本のひとつであり、どの国でも研究され、その成果は歴史教科書にも載っている。著者、小野寺史郎は、終章をつぎのように書き出している。「近代中国においては、政権の交代ごとにナショナル・シンボルが何度も変更された。したがってナショナル・シンボルの歴史を追うことは、そのまま近代中国の歴史を追うことになる」。しかし、それがこと中国となると、そう容易くないだろう。巨大な土地にさまざまな民族が暮らし、歴史的に中央政権との支配・被支配の関係もさまざまで、建前の支配と実効支配が一致しないこともめずらしいことではなかった。そういうなかで、漢・満・蒙・回・蔵の「五族共和」といっても、同列に統合できるわけがなかった。

 著者は、その困難さを充分に理解しているので、「序章 ナショナリズム研究とシンボルの歴史学」で、用意周到にこれまでの研究状況を説明したうえで、本書の課題についてつぎのように述べている。「近代中国の各時期の政府・政党・知識人などが、ナショナリズムの喚起に儀式やシンボルをどのように利用しようとしたのか。それは具体的にはどのような政策や運動として実行されたのか。人々はそれをどのように認識し、行動したのか」。そして、この10年で個別研究が飛躍的に進歩したにもかかわらず、近代中国のシンボルや儀式をめぐって、包括的な見取り図や枠組みの提示は充分でないとし、「社会文化史に加え、政治史や思想史からの把握を試みる。また、シンボル操作のプロセスに具体的に関与した主体の問題についても重点的に分析を加える」としている。

 本書で扱われたのは、国旗、国歌、国慶日を中心とする記念日体系という限られた対象であったが、考察・分析の結果、近代中国のナショナリズムのいくつかの特徴が浮かび上がり、「終章 ナショナル・シンボルの中国近代史」「第三節 結論」で、つぎのようにまとめられた。まず、「清末の立憲派・革命派を問わず、ことナショナル・シンボルの問題に関してはモデルとされたのは一貫して共和国であるアメリカとフランスであった。民国初年において国旗や革命記念日が非常に重視され、また「共和」や「文明」といった価値が強調されたのはそのためである」。

 つぎに、「政権の交代に際しては、前政権に強固に結びつけられたナショナル・シンボルは廃さざるを得なく」、しかし、かといって「新政権が作り出した新しいナショナル・シンボルも、やはり「伝統」の力を借りて正統化することは」できなかった。「したがってそのナショナル・シンボルを正統化するためには、それを新しい政権の歴史と結びつける言説が再び大量に生産されることとなる。これが近代中国のナショナル・シンボルの政治の特徴と言える」。その言説を展開した知識人たちに共通する特徴として、「彼らが総じて極めて論理的だったという」ことがあげられ、著者はつぎのような見解を述べている。「シンボリズムの政治は本来、論理的な合理性よりもむしろそれが人々の情緒に訴えかけるものであるところにその特徴と影響力の大きさの所以がある」。「しかし、近代中国の知識人たちには、一貫して、個々人の情念に訴えかけるような物語を作り上げるよりも、論理的な説得によって国民に国家を愛させようとする傾向があったように思われる」。

 さらに、近代中国にとって、国家は党と切り離して考えることができないという問題があった。その関係を著者はつぎのように述べている。「北京政府期は言うに及ばず、南京国民政府期においてさえ、党や国家がナショナル・シンボルの解釈を完全に独占することはできなかったということである。党と国家の一体化がその特徴とされる国民政府の下においても、党と国家のシンボルは分離すべきだという議論は一貫して伏在した」。

 そして、つぎのように問いかけて、「終章」を閉じている。「国歌を斉唱することで国家との一体感を得、「国恥」を自らの恥と感じ、国家の象徴する国旗のために死に、それを追悼し記念することでまた別の国民の国家のために死ぬという感情を掻き立てる。近代中国の知識人たちはある意味でこのような国民国家の理念をあまりに生真面目に追求しすぎたとも言える。彼らの「民族教育的FIRST STEP」の行きついた先は、どこだったのだろうか」。

 中国人は、国恥記念日を、たとえば満洲事変は九一八、廬溝橋事件は七七というように、月日で記憶し、その日が近づくと微妙に反応する。その国恥記念日に、日本と関係するものが多い。国旗、国歌についても、日本と無縁ではない。そう考えると、近代中国のナショナル・シンボルの歴史を知ることは、日本人にとって重要なことになる。「反日」の原点を知ることによって、今後の友好関係にいかせるからである。また、現在まで続く中国・台湾のナショナル・シンボルの問題は、「ひとつの中国」を考える基本でもある。

 本書を読んで、いかに「包括的な見取り図や枠組を提示」することが難しいテーマであるかがわかったが、もうすこしわかりやすく整理してくれると理解しやすくなっただろう。

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