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2011年04月26日

『表象の傷-第一次世界大戦からみるフランス文学史』久保昭博(人文書院)

表象の傷-第一次世界大戦からみるフランス文学史 →bookwebで購入

 音楽史、美術史とみてきて、著者、久保昭博の文学史の見方も変わってきた。それは、本シリーズ「レクチャー 第一次世界大戦を考える」の既刊だけではなく、2007年から4年間にわたって、月2回ペースで研究会を続けている共同研究の成果でもある。どのように変わったか、著者は、「あとがき」で以下のように述べている。

 「最初はひとつの世代のタブローを描こう」とし、それによって「大戦が生み出したとされる「現代性」にアプローチすることができ」、「ひいては通常ほとんど一緒に論じられることのない作家を関連づけることによって、二〇世紀のフランス文学史を新たな角度から理解する視座を得ることができるのではないか」と目論んだ。

 しかし、研究会で議論を重ねていくうちに、その目論見に疑問を抱くようになったことを、つぎのように吐露している。「私の見方はあまりに「戦後」を意識したものであり、怒れる若者とか科学と進歩への幻滅とか不信の時代のニヒリズムとかいった、いわゆるロスト・ジェネレーション的な紋切り型に影響されすぎているのではないか。これではかえって大戦の実態を見失いかねない。あるいは大戦が作家たちの精神に深い刻印を残したとして、その影響は、必ずしも戦争を主題にした作品のなかにのみ現れるわけではない。ほんとうに重要なことは、作家が戦時の経験を内面化したあとで、一見それとわからないようなかたちで現れるのではないか。考えてみれば当たり前のことかもしれないが、音楽史や美術史同様、文学史においても、重要な出来事は戦争の前か後に起きているのである。芸術史において大戦を扱うことが難しい理由の一端はそこにある」。

 「ではいったい、文学史において大戦はどこにあるのだろうか。それを理解するためには、まずはやはり、芸術的には不毛の時代と言われる戦時中の状況に正面から向き合い、そのとき何が起こっていたのかを明らかにする必要があるだろう。そう考えて本書の構成を練り直した。ただし、いわゆる戦争文学論にはしたくなかった。あくまで文学的な感性や、文学をとりまく社会的な条件が、戦争によってどのような変化を被り、その状況に作家たちはどのように向き合ったのかという点に狙いを定めたかったからだ。別の言い方をすれば、文学にとって大戦とは何だったのかという問いと、大戦にとって文学とは何だったのかという問いが交差する点に焦点を当てたかった。このように当初の目論見を軌道修正してゆくなかで出会ったのが、歴史学で提唱された「戦争文化」という考え方であり、それを自分なりに解釈して書かれたのが本書である」。

 20世紀のフランス文学史では、同時代のフランス人作家たちは、第一次世界大戦を「断絶」の経験として受けとめ、新たな時代の決定的な刻印を見いだした、と理解されてきた。しかし、著者は、「開戦から百年となる年を数年後に控え、大戦の歴史的な意義について考えようとしている私たちが、この「断絶」を振り返り、そこに二〇世紀文学の決定的な出発点を認めることはできない」という。それは、つぎのような理由による。「政治史や社会史の観点からは、一九世紀の延長線上にあるベル・エポックに暴力的な終止符を打ち、新たな時代を開いた出来事と考えられる大戦も、文学史においては、その数年前から始まっていた芸術的革新の「疾風怒濤の時代」を終わらせ、芸術の流れを一転して退行に向かわせた出来事となる。...(略)...。事実、大戦に先立つ数年間の芸術的成果には目覚ましいものがある」。そして、その概念は、「外交史、軍事史に重点がおかれた従来の大戦研究を見直し、文化史の観点から、戦争の時代を生きた人々の心性に迫ろうとした歴史研究者たちによって、一九九〇年代に提唱された」ものであった。

 本書は6章からなる。「第1章 戦争への期待-大戦前夜の文学状況から」では、戦争待望論と結びついた戦争文化の予兆を論じ、「第2章 総動員体制下の文学」では「開戦当初に吹き荒れた愛国主義的風潮について概観する」。そして、「戦場を経験した作家によって書かれたルポルタージュ的な戦争文学」から戦時中の文学状況を、「第3章 戦争を書く-アンリ・バルビュス『砲火』をめぐって」「第4章 モダニズムの試練」で考察する。さらに、「第5章 文学の動員解除」で、「戦争直後の文学者や知識人たちが直面せねばならなかった」「動員された文化の状態をどのように解消し、戦争文化を終わらせるかという問題」を扱う。最後に、「第6章 言語の不信-ブリス・パラン『人間の悲惨についての試論』をめぐって」で、「それまでの議論を踏まえた上で、戦争と戦争文化が文学にもたらしたものについて考察する」。

 この共同研究「第一次世界大戦の総合的研究」のように開かれた研究会は、そのときどきの報告者やテーマによって、出席者の顔ぶれが大きく変わる。しかし、そこにはほぼ皆勤のコアとなるメンバーがいる。著者は、そのメンバーのひとりである。「総合的研究」とは、たんなる個々の研究者の成果の寄せ集めではない。個々の研究者が総合的にひとつのテーマを理解したうえで、自分自身の研究を相対化して、そのテーマのなかに位置づけ、議論のなかでその位置を確認しながら、研究をすすめていく、そういうことだろう。したがって、その成果は、多様でありながら、なにかしら統一されたものを感じさせるものになる。はじめ自分の専門であるフランス文学史を深めるために共同研究を手がかりにしようと目論んだ著者は、やがて個々の研究にとって共同研究とはなにか、共同研究にとって個々の研究とはなにかという問いが交差する点に焦点を当てて、自分の研究を考えるようになったのだろう。さらに、見直した外交史や軍事史、政治史や社会史の観点とどう交差させるかが、今後の課題となろう。本書から、2014年に世に問う共同研究の最終的な成果の一端がみえてきたような気がした。

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