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2011年04月19日

『葛藤する形態-第一次世界大戦と美術』河本真理(人文書院)

葛藤する形態-第一次世界大戦と美術 →bookwebで購入

 本書を読んで、あらためて芸術のもつ奥深さを感じた。だが、時間も空間も、あらゆるものを超えて、作品に込められたメッセージを読むことは、それほど簡単ではない。それだけに、著者のような優れた「翻訳者」がいると助かる。

 著者が本書で語ろうとしていることは、「はじめに」の終わりで、つぎのようにまとめられている。「本書では、第一次大戦と美術の関わりを論じるにあたって、直接的な戦争画だけではなく、第一次大戦前後の美術の諸相とその背景をも含めて幅広く考察していきたい。というのも、往々にして、戦争の破壊が絵画や言語の統一性やシンタックス(構文・構造)を解体した、あるいは既成の美術の概念を揺さぶったと言われることが多いが、そうした傾向はすでに戦前のモダニズム(キュビスム・未来派・表現主義……)に現われていたからである。戦前からの継続と断絶が交錯する第一次大戦期は、「~イズム(~主義、~派)」の次は「~イズム」といった線状の歴史ではなく、前線と銃後で、相反する様々な美術の傾向が同時に噴出した時代であった」。

 「全体戦争である第一次大戦は、同時に世界の経験を断片化していくものでもあり、「断片化」による喪失を埋め合わせる「綜合芸術作品(略)」の理念が重要となっていく」。「そういう訳で、本書では、断片化と綜合という、相反する極の間を絶え間なく揺れ動く、第一次大戦前後の美術の諸相を照射することによって、第一次大戦が美術に対して持ち得た意味を探っていきたい」。

 本書は、それぞれ10頁ほどの短い2章(「第1章 モダニズムと来(きた)る戦争」「第2章 視角媒体(メディア)とプロパガンダ」)の後、長い2章の「第3章 芸術家と戦場体験」(66頁)と「第4章 戦中戦後の美術の万華鏡(カレイドスコープ)」(50頁)へと続く。

 第3章では、「戦場体験が芸術家たちにどのような影響を与えてきたのか、芸術家たちはそうした体験を踏まえ、戦争をどのように表象してきたのかを、個々の事例に沿って」みている。その結果、「戦争を瞬時に記録することのできる媒体として登場した写真」にたいして、著者は「絵画(または彫刻)の場合、写真と異なるのは、(一)時間性-戦場体験を内的に咀嚼するためにある程度の時間が必要とされる、(二)造形的綜合-戦争画は、単に戦場の光景を写した「逸話」や「記録」ではなく、「解釈」によって「綜合」されたものである、という点である」とまとめている。

 そして、第4章では、「戦中戦後に同時に噴出した様々な美術の動向-「秩序への回帰」・ダダ・抽象美術・「綜合芸術作品」-を見ていく」。その結果、「こうした多岐にわたる「綜合芸術作品」には、二つの起源があると考えられる」とした。「一つは、フランス革命とドイツ・ロマン主義以降、芸術家が社会から切り離されることと引き換えに得られた、芸術の自律性である。芸術家は、教会や国家の庇護から離れて自由な個人に還元され、この結果、芸術がそれぞれの分野に細分化・特殊化されることになった。しかし、この自由の代償は大きく、芸術家はもはや世界を全体的に把握することができなくなったのである」。「第二の起源は、ギリシア悲劇で」、「神話的形象に民族ごと一体化することによって、民族としてのアイデンティティを確立した」。

 そして、本書全体を「おわりに」の冒頭で、つぎのようにまとめている。「戦争に明け暮れていたにもかかわらず、この時期は美術にとって決して不毛な時代ではなく、前線と銃後で、相反する様々な美術の傾向が同時に噴出したのである。その中には、戦前のモダニズムから継続していたものもあれば、この大戦によって文字通り絶たれ、断絶を余儀なくされたものも少なくない。いずれにせよ、大量の破壊と殺戮をもたらした第一次大戦が、人間の文明に対して突きつけた根本的な不信は、意識するとせざるとにかかわらず、その後の美術の底流をなすようになったように思われる」。

 本書が簡単に書けたわけではないことは、門外漢のわたしのもよくわかった。「はじめに」は、「第一次世界大戦のただ中に描いた」ドイツ人画家ベックマンの看護師としての自画像の説明からはじまる。表紙になっているカラーの油彩画を見ながら読むと、「ベックマンの左耳が、ハイライトを施されてくっきりと描かれていることから、画面の外で起こっている何かに耳を澄ましているようにも見える」という説明が理解できた。しかし、前の頁にある白黒の自画像をみても、その説明はわからなかった。その後、白黒で縮小された絵画から、著者の苦心の説明にもかかわらず、イメージしやすい専門家ならわかるのだろうが、わたしにはよくわからないことがあった。美術の専門書ではなく、また限られた枚数のなかで、わたしのような者にわからせることは並大抵ではない。

 本書で取りあげた画家が激動の時代の前後になにを描こうとしていたのか、それは新しい媒体として写真と映画が登場したことと無縁ではない。「現代戦争をいかに表象するか、あるいは現代戦争はなお表象可能なのかという先鋭な問題が、芸術家に突きつけられ」、「古い」媒体としての絵画を通して、芸術家はそれに答えなければならなかったのだ。新しい時代の到来に悩み、活路を見いだそうとしていた芸術家の姿が、わたしにもすこし見えてきた。

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