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2011年01月25日

『泰緬鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争(再版)』吉川利治(雄山閣)

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 本書が、再版されるのに際して、以下のような「解説」を書いた。

 本書は、再版ではなく、新版になるはずだった。二〇〇九年五月七日の日付の入った「まえがき」に、そのことが記され、「なるべく現地の立場から泰緬鉄道像を眺めてみよう」と、副題を「現地からの報告」としていた。タイの歴史を専門とした研究者として、日本がかかわったことをタイ側の視点で書き直そうとしていたのである。しかし、それは未完に終わった。二〇〇九年暮れ、著者の吉川利治先生はアユタヤのホテルで急逝された。

 残された原稿は、「まえがき」の後、「かつての泰緬国境」という見出しの短い文章があり、「泰緬鉄道の建設」「タイ政府と日本軍」というふたつの見出しの旧版を書き直した文章が続いていた。その後は、一九九四年の初版後に発行された出版物を中心とした抜き書きがあり、それに基づいたメモがあった。

 生前の著者が、近年気にしていたことのひとつが、日本の研究者やマスコミによる「日本占領下の東南アジア」という表現だった。アジア太平洋戦争中もタイは独立を維持し、日本とは同盟関係にあった。タイ国立公文書館に日本語の史料が残されていることが、日本とタイとの間で外交関係があった証拠で、当然のことながら日本が占領したほかの東南アジア諸国には、このような文書は存在しない。戦況が悪化するなかで、一九四三年に日本によって独立が許されたビルマ(現ミャンマー)にもフィリピンにも、このような対等な関係を示す外交文書は存在しない。したがって、同盟国タイを根拠地として建設されたタイ(泰)とビルマ(緬甸)を結ぶ泰緬鉄道であるからこそ、これらの史料を使って実態が明らかにされたのである。

 しかし、その後、同じ史料を使った村嶋英治氏から問題点が指摘された(「日タイ同盟とタイ華僑」『アジア太平洋研究』(成蹊大学)一三号、一九九六年、註六九)。また、タイの鉄道史のなかで泰緬鉄道を位置づけた柿崎一郎氏の本が二冊出版された(『鉄道と道路の政治経済学 タイの交通政策と商品流通1935-1975年』京都大学学術出版会、二〇〇九年;『王国の鉄路 タイ鉄道の歴史』京都大学学術出版会、二〇一〇年)。あわせて読むと、本書の理解も深まることだろう。

 筆者自身も気になることがいくつかあったが、訂正することは差し控えた。たとえば、「南方軍」は総軍のひとつとして一九四一年一一月に編制され、「南方総軍」とも呼ばれることはあったが、その略称ではない。泰緬鉄道建設第三代司令官は、遺稿集にあるとおり石田榮熊であるが、「石田英熊」になっている。タイ駐屯軍司令官中村明人などが「英熊」と書いているからかもしれない。左近允(さこんじよう)尚正海軍少将は、本書では「左近允正」になっている。原史料どおりかもしれない。原典の数値の合計が一致しないことはままみられるが、確かめることができないので、そのままにせざるをえなかった。そのほかにも、明らかな間違いであると思われるものがあるが、確認が困難なため、また、ほかの研究者が出版したものを中途半端なかたちで訂正することができないため、そのままにしたことをお断りし、お詫びを申しあげる。

 タイ国立公文書館の文書を、著者は丁寧に筆写しているが、日本語とタイ語で表記が違っていたり、手書きの日本語文書は旧字体であったり新字体であったり、タイの地名が正確に書かれていなかったりで、出版に際して限られた時間内で表記を統一することはできなかった。本書の不充分さをもっともよくわかっているのは、著者本人であろう。だからこそ、今後の研究の礎として本書を出版し、もう一度力を振り絞って改訂版を書こうとしていた。しかし、それにも限界があることを感じておられたのであろう。二〇〇七年にタイ語で出版された『同盟国タイと駐屯日本軍―「大東亜戦争」期の知られざる国際関係』(日本語版、雄山閣、二〇一〇年)の著者「まえがき」は、つぎのことばで終わっている。「タイ国立公文書館の公文書は、タイの現代史を知る資料としての重要さはもちろんであるが、当時の日本や日本軍を知る歴史資料としてもまだまだ探ることができる貴重な資料である。私にはもうその機会はなさそうであるが、若い研究者に今後を期待したい」。

 最後に、新版に向けて書かれた「まえがき」と書き出しの部分、追加文献目録を載せることにする。「まえがき」に出てくる「日本の学者仲間」とは、倉沢愛子氏(慶応大学)、山室信一氏(京都大学)と筆者のことで、二〇〇四年七月二四日~二五日にタイ側の泰緬鉄道、三〇日~三一日にクラ地峡横断鉄道、翌二〇〇五年二月二三日にミャンマー側の泰緬鉄道、それぞれの跡地を訪ねた。詳しくは、拙著『戦争の記憶を歩く 東南アジアのいま』(岩波書店、二〇〇七年)を参照していただきたい。泰緬鉄道に関する記述は、文字通り生き字引であられた著者から学んだことである。なお、著者の遺稿は草稿であるため、誤字などを改めたことをお断りしておく。

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