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2010年11月16日

『岩波講座 東アジア近現代通史』和田春樹・後藤乾一・木畑洋一・山室信一・趙景達・中野聡・川島真編集委員(岩波書店)

岩波講座 東アジア近現代通史 →bookwebで購入

 1992年に、「国籍の異なる12名のヨーロッパ人歴史家たちが何度も討議を重ね、その上で共同執筆されたヨーロッパ史の教科書」が、EU(ヨーロッパ連合)加盟国の各国語で同時に刊行された(日本語訳:木村尚三郎監修『ヨーロッパの歴史』東京書籍、1994年)。その「フランス語版へのまえがき」には、つぎのような「注意書き」がある。「しかし、誤解しないで下さい! 本書の執筆者も刊行者も、地域史・各国史をおとしめる意図など毛頭ありません。それらの歴史は異論の余地なく一定の場を占めています。また、現代世界を理解するのに必要不可欠な、世界史とヨーロッパ以外の大陸の歴史を無視するつもりもありません。私たちの目的は補完的なものです-それはヨーロッパの行為なるものを、私たちの地域的過去や私たちの民族的現実、そして全人類の冒険と、つき合わせて考えてみる一助とすることです」。

 東南アジアを含む東アジア共同体が論議されている今日、わたしたちはこのような地域の共通教科書として、「東アジアの歴史」を書けるだろうか。今日使われている東アジア各国の教科書を見る限り、答えは「NO」である。とくに、近現代史は1国史中心で、近隣諸国の歴史とのかかわりはほとんど書かれていない。そのおもな原因は、日本にある。侵出してくる日本にたいして、いかに対応したかが近現代史の中心で、ほかの近隣諸国・地域との関係や世界のなかでの歴史を考える余裕がないからである。その意味で、本講座を日本で出版する意義は大きい。しかし、細心の注意も必要だ。本講座が成功すれば、東アジア共通の歴史認識として、東アジアの各国語に翻訳されることも期待される。ほかの東アジアの国ぐにでは、このような講座は無理だろう。

 本講座の特色として、つぎの4つが掲げられている。「東アジア史のアカデミック・スタンダードを提示」「複眼的視野からアジア史のリアリティに迫る」「ナショナル・ヒストリーの枠を超える歴史分析」「諸帝国が折り重なる場として「アジア」を問いなおす」。全体をあらわすものとしては、つぎの2番目に掲げられたものの説明が、いちばんわかりやすいだろう。「グローバル(世界)-リージョナル(広域圏)-ナショナル(国家)-ローカル(地方)の四層から、アジアの近現代の動態と動因を探る」。

 本講座は、第1巻の「東アジア世界の近代 一九世紀」にはじまり、第2巻以降20世紀をおおよそ10~15年ごとに区切って一括りにしている。別巻「アジア研究の来歴と展望」には、「アジア研究の泰斗10人へのインタビュー」と「10のテーマからアジアを通時的に捉える「アジア研究のフロンティア」が収録される。各巻は、「通史/通空間論題/個別史・地域史の3部だての16論文と、10のトピックコラム、人物コラム」から構成されている。

 講座が刊行されること自体、いまが時代の転換点であることを示している。これまでの学問の成果を回顧し、新たな時代に備えるのが目的のひとつだからだ。本講座の「編集にあたって」でも、「本講座が、未来に向けた歴史認識と国境や民族を超えた対話の可能性を切り開く出発点となることを願っている」と結んでいる。その背景として、「各国の歴史学は自国史の枠組みにとらわれ、「和解と協力の未来」を構想し得るような歴史認識を構築することは、依然として困難な課題であり続けている」ということがある。「グローバリゼーションの進展が、皮肉にも「閉ざす力」として機能し、ナショナリズムを鼓吹している状況もある」。

 近代国民国家の歴史教育は国民をつくるためにあり、ナショナル・ヒストリー中心であった。したがって、国家が中心であるかぎり、制度史を中心とした国益重視の歴史観になってしまう。それが共生社会をめざすグローバル化のなかで、国家間の争いの種になる。それゆえ本講座では、ナショナル・ヒストリーの枠を超えるために、「人・物・情報の越境的流れに着目した関係史・相関史の手法を用い、民衆史・女性史の視点も採り入れ、地域横断的に生起した共時的・連鎖的事象を捉えて分析を加える」ことになる。

 このような歴史理解は、国家がつくりだす紛争や戦争を防ぐことができる。東アジアに暮らすひとりひとりが、グローバル、リージョナル、ナショナル、ローカルの4つの層からなる歴史をバランスよく理解することによって、国家を「和解と協力の未来」へと誘う。そのためには、本講座の執筆者ひとりひとりが、とくに「国名」がついた表題を与えられた者が、いかにナショナルの枠を超えてナショナル・ヒストリーを書くかが重要になる。また、各編集委員が担当した各巻の最初の「通史」が、大国中心ではなく個々人を見すえた巻全体を見通せるものになっているかがポイントとなる。各巻を読み、全巻を通して読み終えたときに、新たな東アジア像が浮かぶことを期待したい。

 その意味で、第1巻からの刊行ではなく、第2巻から刊行が始まり、続いて第3巻、そして、3巻目にしてようやく第1巻が刊行されることは、この講座を台無しにした。「通史」と銘打った講座が、刊行順に時代の流れのなかで読むことができない、とくに全体の指針となる第1巻から読むことができないのは、読者を無視したまことに失礼なことだ。第2巻からでは、東アジアの歴史像・社会像が見えてこない。

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