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2010年11月30日

『同盟国タイと駐屯日本軍-「大東亜戦争」期の知られざる国際関係』吉川利治(雄山閣)

同盟国タイと駐屯日本軍-「大東亜戦争」期の知られざる国際関係 →bookwebで購入

 本書は、2009年暮れにタイのアユタヤで急逝した著者、吉川利治の遺稿である。すでに2007年にタイ語で出版され、日本語版の出版に向けての改稿も終わりに近づいていた。

 本書をタイ語で出版するきっかけになったのは、著者がタイの大学に提出されたタイ人の博士論文の審査に加わったことだった。論文のなかに「日本占領下のタイ」という記述が何度もでてきたことに、驚いたのだ。タイでは、「大東亜戦争」という言い方がよくされるが、タイはその戦争の初期に日本と同盟を結んでイギリス・アメリカに宣戦布告した。ところが、戦後のタイでは、抗日運動を担った自由タイの功績が強調され、タイは外交力を発揮して敗戦国になることを免れ、1946年に国連に加盟することに成功した。

 さらに、アカデミー賞7部門で受賞した映画「戦場にかける橋」(1957年)で、戦争中に建設されたタイ(泰)とビルマ(緬甸、現ミャンマー)を結ぶ泰緬鉄道が「死の鉄道」として有名になると、建設に従事させられたイギリス人やオーストラリア人などの捕虜の関係者だけでなく、世界中から観光客が「死の橋」や連合国軍墓地のあるカーンチャナブリーなどを訪れるようになった。

 泰緬鉄道という戦争遺跡は、タイにとって重要な観光資源になるとともに、連合国との友好に一役買った。また、ASEANとしてのまとまりが強化されていくなかで、タイもほかの東南アジア諸国と同様の戦争体験をしたかのように錯覚し、さらに近年の中国との関係の深まりから中国の「反日」の影響を受ける者もでてきている。このような背景から、「日本占領下のタイ」という表現が博士論文にもでてきたものと思われるが、著者にとっては見過ごすことができないことであった。

 いっぽう、日本では「日本占領下の東南アジア」という表現が、研究者のあいだでもよく使われ、タイが独立国でアジアで唯一の日本の同盟国であったことを無視するような記述がまま見られる。たとえ、日本側でもタイ側でも、事実上、タイは日本の占領下にあったようなものであったと感じていた者がいたとしても、日本政府や日本軍はほかの東南アジア諸国・地域と同じようにはできなかったはずだ。その著者のおもいは、本書のつぎの最後の文章にあらわれている。「日タイ同盟を結んだ以上、日本軍もまたタイの主権を軽々に蹂躙することができなくなった。他の東南アジア諸国と同様の調子で、“日本占領下のタイ”という表現を、外国や日本の専門家が安易に用いているのを読むとき、果たして正鵠を射た表現であろうか、という疑問を禁じ得ない」。

 そして、タイが独立国で、日本と外交関係があったからこそ、タイ国立公文書館には、タイ語文書だけでなく、日本が提出した日本語の文書が残されている。その両国の資料を駆使することによって、本書は書かれた。

 タイ語版は、タイで高く評価された。そのことは、日本語版にその訳が掲載されたタンマサート大学元学長チャーンウィット・カセートシリの、つぎの「推薦文」からも明らかである。「本書は四章からなり、日本がタイを同盟国として関係を取り結ばねばならなかった理由や必要性について言及し、この同盟関係が日本側の政策に合致していたのかどうか、合致していればどのように合致していたのか、また五万の兵力の日本軍がタイに駐留していたときに日本は条約や協定に従ってなにをタイに要求したのか、タイはそれに応じたのか、独立と国家の威信を維持するためにどのような「策略」をとったのか、などを明らかにしている」。「本書で考察されているこれらの点は、第二次世界大戦期の知られざる本質であり、…第二次世界大戦期のタイ日関係を再検討するうえで学術的で非常に高い価値を有するもので、この時期の両国関係の要点の理解を促すものである」。

 アジア太平洋戦争について書かれた日本語の書籍の多くは、外国人が読むことができない。もし、これらの日本語の書籍が日本人だけに通用する論理で書かれているなら、歴史認識を共有することは不可能である。本書のように、日本語とタイ語で出版することによって、共通の基盤のうえに歴史を語ることができるようになる。著者は、歴史的事実は事実として理解することで、タイと日本の友好関係が深まると信じていた。そのおもいを、行間からぜひ読みとってほしい。

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2010年11月23日

『難民への旅』山村淳平(現代企画室)

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 「うまれかわり、もう一度機会があれば、わたしたち[難民]は[定住先として]日本をえらびません」「[UN]HCR[国連難民高等弁務官事務所]は、欧米のNGOとともに新しい支配者としてやってきた」。著者の山村淳平が、日本に定住した元難民やバングラデシュで難民支援をしている地元NGOの医師から聞いたことばである。いま、日本で、世界で、難民になにがおこっているのだろうか。

 著者は、フィリピン、バングラデシュ、タイ、ザイール、パキスタンなどで難民のための医療活動に従事し、日本では外国人診療にたずさわっている経験をもとに、援助、民族、国家とはなにかを問いながら、難民が発生する原因や社会背景を探り、さらに「難民保護」や「人道支援」の名のもとに、どのような「暴力」がおこなわれているのか、その実態に迫ろうとしている。

 HCRは、東西冷戦構造下で共産主義陣営から西側に逃れてきた人びとを難民として受け入れるために、1950年に設立された。当初から政治性が強く、先進国を中心とした資金からなり立っているため、日本をふくむ先進国の「国益」を無視した「人道支援」ができないという。その援助金の多くも事務所経費や人件費などに使われ、実際に難民に届くのは2~3割だと言われている。そして、HCRの職員はファーストクラスの飛行機に乗り、豪華なホテルに泊まり、地元の有力者と優雅なパーティを楽しんでいる。

 いっぽう、日本の条約難民認定者は1982年から2009年までに538人で、認定率は7%にすぎない。2009年は22人、1%である。しかも、認定を待つあいだ、日本語教育もなく、仕事もなく、なにもしないだけでなく、外出することも許されず、あたかも犯罪者のように扱われたと、屈辱感をあらわにする者もいる。入管は難民条約の原則をやぶって強制送還をおこない、入国できても外国人収容所では差別と蔑視から暴行がおこなわれている。著者たちは、その実態を『壁の涙-法務省「外国人収容所」の実態』(現代企画社、2007年)で明らかにした。

 日本に長く暮らす外国人は、日本人の仕事仲間や隣人がとても親切だと言う。しかし、その日本人個人が、国家を意識するととたんに、国益を重視して外国人を排除する。戦争中、心優しい日本の兵隊さんが、上官の命令、つまり天皇の命令で、お国のためと言われたとたん、国家の忠実な下僕となって、住民を虐殺する無慈悲な人間に変貌したのとなんらかわりない、収容所などの日本人職員の難民を扱う姿が、本書に描かれている。グローバル化が進み、多文化共生社会が唱えられても、難民の居場所は、とくに閉鎖的な日本にはないことがわかる。

 本書を読んで、一方的で極端な見方だと、嫌悪を感じた人がいるかもしれない。その原因は、著者個人より、もっと深いところにある。本書で取りあげられた民族名を、すべて知っている日本人は、極々少数だろう。著者は、1991年のフィリピンで火山噴火の被災民の医療支援を通じて「目覚めた」。しかし、多くの日本人は、世界各地で難民となって生まれ故郷を離れざるをえなくなった人びとのことを知らないし、関心もない。まず、著者のように、これら一般の人が聞いたこともないような民族のことを理解しようする人が現れ、本書のように、その実態を知らせることが必要だろう。そのためには、これらの民族の歴史と文化を知る基礎研究が大切になる。著者のように難民とかかわりをもった者が、まず最初に困ることは、基本的知識を得るための一般書・教養書がないことだ。先進国や国際機関にだけ目を向けるようでは、いまの世界は理解できないし、未来も展望できない。

 本書は全6章からなり、その最後の章が「歴史をひもとく」である。暗記を要求される日本の学校の歴史の授業を苦手とした著者が、現代に起きている事象と過去の出来事とを結びつけることによって、未来を考えるようになった。その結果、難民を生み出したのは、「近代」が民族や国家によって人びとを分断し、争いを引き起こす意識を生んだからであるとし、難民を生み出さないためには、まず国家の武装を解くことだと説く。そして、この複雑な難問を解くために、複数の文化のあいだを行き交う「難民」こそが重要な役目を果たすことを指摘する。

 いま大切なことは、自分の国だけ、ある一部の国ぐに・地域だけの平和も繁栄も、あり得ないことに気づくことだろう。世界のどこかで戦争や紛争がおこって、不幸な人びとが出現すれば、それが巡り巡って自分たちの生活を脅かす危険性がある。「国益」を超えて考えることの意味を、本書は教えてくれる。

[本稿をもとに書いた書評を、11月22日に時事通信社から配信した]

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2010年11月16日

『岩波講座 東アジア近現代通史』和田春樹・後藤乾一・木畑洋一・山室信一・趙景達・中野聡・川島真編集委員(岩波書店)

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 1992年に、「国籍の異なる12名のヨーロッパ人歴史家たちが何度も討議を重ね、その上で共同執筆されたヨーロッパ史の教科書」が、EU(ヨーロッパ連合)加盟国の各国語で同時に刊行された(日本語訳:木村尚三郎監修『ヨーロッパの歴史』東京書籍、1994年)。その「フランス語版へのまえがき」には、つぎのような「注意書き」がある。「しかし、誤解しないで下さい! 本書の執筆者も刊行者も、地域史・各国史をおとしめる意図など毛頭ありません。それらの歴史は異論の余地なく一定の場を占めています。また、現代世界を理解するのに必要不可欠な、世界史とヨーロッパ以外の大陸の歴史を無視するつもりもありません。私たちの目的は補完的なものです-それはヨーロッパの行為なるものを、私たちの地域的過去や私たちの民族的現実、そして全人類の冒険と、つき合わせて考えてみる一助とすることです」。

 東南アジアを含む東アジア共同体が論議されている今日、わたしたちはこのような地域の共通教科書として、「東アジアの歴史」を書けるだろうか。今日使われている東アジア各国の教科書を見る限り、答えは「NO」である。とくに、近現代史は1国史中心で、近隣諸国の歴史とのかかわりはほとんど書かれていない。そのおもな原因は、日本にある。侵出してくる日本にたいして、いかに対応したかが近現代史の中心で、ほかの近隣諸国・地域との関係や世界のなかでの歴史を考える余裕がないからである。その意味で、本講座を日本で出版する意義は大きい。しかし、細心の注意も必要だ。本講座が成功すれば、東アジア共通の歴史認識として、東アジアの各国語に翻訳されることも期待される。ほかの東アジアの国ぐにでは、このような講座は無理だろう。

 本講座の特色として、つぎの4つが掲げられている。「東アジア史のアカデミック・スタンダードを提示」「複眼的視野からアジア史のリアリティに迫る」「ナショナル・ヒストリーの枠を超える歴史分析」「諸帝国が折り重なる場として「アジア」を問いなおす」。全体をあらわすものとしては、つぎの2番目に掲げられたものの説明が、いちばんわかりやすいだろう。「グローバル(世界)-リージョナル(広域圏)-ナショナル(国家)-ローカル(地方)の四層から、アジアの近現代の動態と動因を探る」。

 本講座は、第1巻の「東アジア世界の近代 一九世紀」にはじまり、第2巻以降20世紀をおおよそ10~15年ごとに区切って一括りにしている。別巻「アジア研究の来歴と展望」には、「アジア研究の泰斗10人へのインタビュー」と「10のテーマからアジアを通時的に捉える「アジア研究のフロンティア」が収録される。各巻は、「通史/通空間論題/個別史・地域史の3部だての16論文と、10のトピックコラム、人物コラム」から構成されている。

 講座が刊行されること自体、いまが時代の転換点であることを示している。これまでの学問の成果を回顧し、新たな時代に備えるのが目的のひとつだからだ。本講座の「編集にあたって」でも、「本講座が、未来に向けた歴史認識と国境や民族を超えた対話の可能性を切り開く出発点となることを願っている」と結んでいる。その背景として、「各国の歴史学は自国史の枠組みにとらわれ、「和解と協力の未来」を構想し得るような歴史認識を構築することは、依然として困難な課題であり続けている」ということがある。「グローバリゼーションの進展が、皮肉にも「閉ざす力」として機能し、ナショナリズムを鼓吹している状況もある」。

 近代国民国家の歴史教育は国民をつくるためにあり、ナショナル・ヒストリー中心であった。したがって、国家が中心であるかぎり、制度史を中心とした国益重視の歴史観になってしまう。それが共生社会をめざすグローバル化のなかで、国家間の争いの種になる。それゆえ本講座では、ナショナル・ヒストリーの枠を超えるために、「人・物・情報の越境的流れに着目した関係史・相関史の手法を用い、民衆史・女性史の視点も採り入れ、地域横断的に生起した共時的・連鎖的事象を捉えて分析を加える」ことになる。

 このような歴史理解は、国家がつくりだす紛争や戦争を防ぐことができる。東アジアに暮らすひとりひとりが、グローバル、リージョナル、ナショナル、ローカルの4つの層からなる歴史をバランスよく理解することによって、国家を「和解と協力の未来」へと誘う。そのためには、本講座の執筆者ひとりひとりが、とくに「国名」がついた表題を与えられた者が、いかにナショナルの枠を超えてナショナル・ヒストリーを書くかが重要になる。また、各編集委員が担当した各巻の最初の「通史」が、大国中心ではなく個々人を見すえた巻全体を見通せるものになっているかがポイントとなる。各巻を読み、全巻を通して読み終えたときに、新たな東アジア像が浮かぶことを期待したい。

 その意味で、第1巻からの刊行ではなく、第2巻から刊行が始まり、続いて第3巻、そして、3巻目にしてようやく第1巻が刊行されることは、この講座を台無しにした。「通史」と銘打った講座が、刊行順に時代の流れのなかで読むことができない、とくに全体の指針となる第1巻から読むことができないのは、読者を無視したまことに失礼なことだ。第2巻からでは、東アジアの歴史像・社会像が見えてこない。

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2010年11月09日

『天皇陛下の全仕事』山本雅人(講談社現代新書)

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 住所は、「東京都千代田区千代田 皇居 御所」、姓はない。職業選択の自由もなければ、定年も引退もない。休日出勤は当たり前、休暇先にも仕事が運ばれてくる。もし、天皇がいなくなったら、本書に書かれている仕事のかわりは、だれがどのようにするのだろうか。いなくてもなんとかなるのか、いたほうがいいのか、本書から考えてみよう。

 著者、山本雅人は、「昭和四二(一九六七)年、東京都生まれ、学習院大学文学部日本語日本文学科卒業後、産経新聞社に入社」。「平成一五(二〇〇三)年二月~同一七年二月、宮内記者会(宮内庁記者クラブ)で皇室取材を担当」。その経験を基に本書を執筆したが、そのきっかけは、「宮内庁の担当として実際に毎日見る以前と以後との「天皇像」に大きなギャップがあり、一般の人もほぼ同様なのではないかと思ったからだ」。この手の本は、著者がどのような背景をもち、どのような意図で書かれたかによってずいぶん違ったものになる。

 たしかに、学校教育で習う天皇の仕事は国事行為で、「衆院の解散」「総選挙の公示」など数年に一度しかないものが含まれている。いっぽう、テレビニュースなどで映しだされる天皇は、「一般参賀や地方訪問での「お手振り」、展覧会鑑賞など」で、その全体像はあまり知られていない。その第一の理由は、皇居内での行事が多く、公開されないものが多いためだという。

 本書は、天皇制をめぐるさまざまな議論の前提として、「そもそも天皇はどのような仕事をしているのか」をきちんと知ることが重要だという観点で書かれた。その構成として、「まず、皇室の構成や天皇の行事の法的な分類、仕事内容の内訳について説明する。天皇の行為は、1憲法に明記された「国事行為」、2「公的行為」、3「その他の行為(私的行為)」の大きく三つに分かれる。「国事行為」と「その他の行為」の中間に、「公的行為」という分類があるのである。政府の見解によると、公的行為とは「象徴という地位に基づき公的な立場で行われるもの」だという。国体開会式も歌会始も外国訪問も、この「公的行為」に属している。国事行為以外に、この「公的行為」についてもきちんと知ることが、天皇というものを理解するうえで不可欠なのである」。

 つぎに、「このような概略説明に続けて、法的にもっとも重要な国事行為の実務である「執務」(上奏書類の決裁)、皇室内部でもっとも重要であり、天皇制存立の根幹にかかわる「祭祀(さいし)」、そして全仕事の約四分の一を占める「外国との交際(国際親善)」関係の行事、地方訪問も含めた国内のさまざまな「公的行為」の行事、「その他の行為(私的行為)の順に、天皇の仕事の解説を試みた。その際、宮内庁担当になったばかりのころの新鮮な驚きと一般の人の目線を大切にするよう心がけた」という。それは、「平成琉」とよばれる相手の目線と同じ高さで語りかける今上天皇から学んだことかもしれない。

 本書を読むと、劇的な時代を駆け抜けた昭和天皇とは明らかに違う天皇像がある。それは、本書の裏に羅列してある見出し語のいくつかを拾ってみてもわかる。「平成琉の「お声かけ」の後、「福祉施設ご訪問/ハンセン病療養所ご訪問/災害被災地へのお見舞い/広島、長崎のご訪問/サイパン島ご訪問/・・・」と続く。また、福祉とならんで、皇室の果たしている役割の柱として、芸術や学問など文化振興がある。「文化振興は世界の歴史をみても、近代国家の君主の役割として共通するものである。日本では戦後、天皇は政治的権限を持たない存在となったが、文化の分野は政治性が薄く国民の合意も得やすいため、象徴天皇の時代となっても引き続き重要な「仕事」として取り組まれている」。

 「天皇の政治的利用」がされないかぎり、天皇・皇族の存在は、日本国、日本国民に利益をもたらしているように思える。しかし、これまでも国民が気づかないうちに「天皇の政治的利用」が行われてきた。本書では、1989年の天安門事件後の1992年の両陛下の中国訪問が、「西側諸国が発動した経済制裁を解除させる突破口」に使われたことなどが紹介されている。いつ、どのようなかたちで、利用されるかわからないという危険性は否定できない。

 最後に、2002年の世論調査で、天皇制を「廃止するほうがよい」と答えた人が8%であったことを記している。ほかの調査でも、積極的に廃止に賛成する者はすくない。しかし、無関心である者が半数を占めるという結果もあるということは、なにかのきっかけで半数以上が廃止に傾くこともあり得るということである。いずれにせよ、年間数億円が「内定費」「皇族費」として使われており、少なからぬ影響がある存在だけに、もうすこしは天皇陛下の仕事を知ってもいいだろう。

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2010年11月02日

『皇族と帝国陸海軍』浅見雅男(文春文庫)

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 1960年にエリザベス2世女王の次男として生まれたヨーク公アンドルー王子は、78年に海軍に入隊し、82年に起こったフォークランド戦争にヘリコプターのパイロットとして従軍した。当初、後方事務の仕事へ異動させる話があったが、母の女王が許可したため、副操縦士として、対潜戦や対水上戦作戦などの任務をほかの将兵と同様に遂行した。そして、戦争終了後、女王夫妻は、ポーツマスの軍港まで、ほかの家族に混じって王子の帰港を出迎えた。

 フランス革命による王制廃止以来、ヨーロッパ各国・地域の王族・貴族は存続の危機にあった。その生き残り策のひとつが、王族・貴族が幼少のころから軍に入り、徴兵制などで集められた兵士からなる国民国家の軍隊を、自ら率いることだった。そして、それを日本の皇族は、明治初期のヨーロッパ留学で学んだ。

 しかし、ヨーロッパ各国民国家の軍隊の成立過程が、それぞれの事情でまちまちであったように、近代日本の軍隊も明治維新後の立憲君主制国家への模索のなかで生まれた。まず、天皇の後継者問題と天皇家をつねに支えるために、皇族が増加した(このことにかんしては、同著者の『皇族誕生』(角川書店、2008年)に詳しい)。江戸時代末期まで、宮家は伏見、桂、有栖川、閑院の4つしかなく、後継ぎ以外は出家して子孫を残さなかったために増えることもなかった。それが、幕末に久邇、山階、王政復古直後に華頂、北白川、小松、梨本、さらに明治20~30年代に賀陽、東伏見、竹田、朝香、東久邇宮家が創られた。これらは皆、北朝第3代崇光天皇(位1348-51年)を祖とする伏見宮家から分かれたもので、弟の梨本宮を除きすべて邦家親王(1802~72年)の子どもたちが立てたものである。皇族といっても、姻戚関係を除き、天皇とは数百年前に共通の祖先をもつにすぎなかった。

 本書は、この増えた皇族が、ごくわずかな例外を除いて軍人になった経緯を、「なるべく具体的に紹介し、皇族たちが軍人となったことが、日本という国や戦前の陸海軍、そして天皇や皇族たち自身にどんな影響をおよぼしたのかを考えるために書かれた」。皇族たちが軍人となった理由は、つぎのように説明されている。「それまで「武」とは無縁だった天皇が軍の頂点に立ったこと、国民皆兵をうたう徴兵令ができたこと、皇族の出家が禁じられたこと、それらの結果として、皇族には軍人となる義務を課せられたのだが、その代償であるかのように、皇族は軍の中で徹底的に優遇された」。

 日本最初の軍歌、俗称「トコトンヤレ節」で「宮さん宮さん、お馬の前でひらひらするのはなんじゃいな」とうたわれたように、近代日本の軍隊は、宮様を先頭に「ひらひらする」錦の御旗を掲げた明治維新の「官軍」を起源とし、宮様は天皇の分身として皇軍を率いた。そして、明治15年に発した軍人勅諭冒頭で、「我国の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にぞある」と明記し、皇族参謀本部長制が確立した。

 さらに、皇軍は、対外戦争を経て神軍となっていった。したがって、敵は「神」に刃向かう「賊」で人間扱いされず、会津白虎隊にみられたように、敵兵の戦死者は葬られることなく野晒しにされた。日中戦争を経て、中国人が日本人の残虐性を強調する原因のひとつは、皇軍・神軍の兵士が中国人を人間扱いしなかったことにあり、皇民化教育を受けた日本人に罪の意識はなかった。その罪の意識のなさは、敗戦後においても改めて考えられることなく、今日に至っている。

 日本の軍国主義化は、軍人が皇族を利用した結果であった、ということもでき、著者は「おわりに」で、つぎのように述べている。「軍人たちは天皇と最も近い人々、つまり皇族を、さまざまな形で利用しようとすることもためらわなかった。皇族を通じて、天皇を自分たちに都合よく動かそうと目論んだのである。そして、何人かの皇族は、意識的にか無意識のうちにかはともかく、そのような軍人のたくらみに同調し、他の皇族たちもそれを積極的に止めようとはしなかった。西園寺が言う、「常に陛下のお味方である」との「建前」は通用しなかったのである」。

 敗戦後、軍はなくなり、自衛隊として復活しても、天皇・皇族が自衛隊とかかわることはなくなった。しかし、天皇・皇族を「利用」しようとする人がいなくなったわけではない。著者は、つぎのように警告して、本書を閉じている。「外国要人と天皇の会見を自分たちの都合で強行し、そうした行為を居丈高に正当化する歴史に学ばない政治家がいるのを見ると、皇族と軍隊といういかにも時代離れしているかのように見えるテーマを中心にして日本の近代を振り返ってみるのも、あながち意味の無いことではなかろう。天皇や皇族を利用しようとたくらんだ軍人たちのおこないが、どんな結果をもたらしたか、是非そういう政治家たちにも知ってもらいたい」。

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