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2010年07月20日

『A Walk Through War Memories in Southeast Asia』Shinzo Hayase(New Day Publishers)

A Walk Through War Memories in Southeast Asia

 本書は、拙著『戦争の記憶を歩く 東南アジアのいま』(岩波書店、2007年)の英語版である。日本語版は、小泉純一郎首相の靖国神社参拝が問題となっていた2003~05年に東南アジア6ヶ国などの博物館や戦争記念碑を訪ねて、それぞれの国でのアジア太平洋戦争の伝えられ方を考察したもので、全学共通科目「戦争と人間」のテキストとして書いた。

 わたしを執筆へと駆り立てたのは、3つの理由によった。まず、日頃、基礎研究としての東南アジア史を研究している者として、基礎研究をしているからこそ、こういった時事問題に応える必要があるという思いがあった。いつ必要になるかわからない基礎研究ではなく、基礎研究を役立てるチャンスをいつもうかがう姿勢をもつことで役立てることができると思っていた。

 つぎに、歴史認識問題を語るとき、いつも中国や韓国が話題になり、東南アジアが語られることがあまりなかったからである。アジア太平洋戦争は、日本がつくった戦争空間である「大東亜共栄圏」が主戦場となった。とくに、タイを除く東南アジア諸国・地域は欧米の植民宗主国と日本との戦争に巻き込まれ、多くの人びとが犠牲になり、物的被害も大きかった。東南アジアを抜きにした議論はない、ことを主張したかった。

 3つめに、東南アジア6ヶ国と韓国、全行程をともに歩いた山室信一氏の励ましがあった。ちょうど氏の『キメラ-満洲国の肖像』(中公新書、増補版、2004年)や『日露戦争の世紀-連鎖視点から見る日本と世界』(岩波新書、2005年)が出版されたときで、「アジアと日本の断絶」の原因を若い人に知ってもらいたいという思いがひしひしと伝わってきた。にもかかわらず、本「書評空間」で、研究所勤務で授業経験の少ない氏にたいして、「学生相手に講義を積み重ね、学生の理解度を確かめながらでないと、教材を作るのは難しい」などと批判してしまった。批判した限りは、その批判に納得してもらえるだけのものを出さねばならなかった。

 その日本語版を執筆しているときから、気になっていたことがあった。日本語で書かれた歴史認識問題関連のもので、明らかに日本でしか通用しない議論をしているものがあったことである。歴史認識問題は、国際問題である。解決を目指すなら、日本語で書いても、国際的に通用するものでなければならない。また、日本人が靖国神社などにこだわる理由を、外国人に理解してもらわなければ、まともな議論はできない。議論のための共通の理解となるものが必要だと感じ、英語で出版することを考えた。

 そして、東南アジア各国の人びとにも、戦争空間としての「大東亜共栄圏」という枠組みで考えてほしかった。東南アジア各国でも、ナショナル・ヒストリーを基準として、アジア太平洋戦争が語られるため、ほかの国ぐにの状況をよく知っているわけではない。対日戦争・対日関係という枠組みではなく、アジア太平洋戦争あるいは世界戦争という枠組みで、東南アジア各国の若い人びとにも考えてほしかった。わたしは、戦争体験者の孫にあたる世代を、ポスト戦後世代とよぶ。ポスト戦後世代だからこそ、戦争を客観視し、いまを「戦前」にしないための議論ができると信じている。

 まずは、英語が大学の教授用語となっているフィリピンの学生100人あまりに、本書を読んでもらい、意見を聞くことにしている。それらの読後感を日本人学生に伝え、対話の第一歩を踏み出してもらいたいと思っている。

 日本・中国・韓国の3ヶ国で、歴史認識問題解決への努力が官民で続けられている。東南アジアのことも忘れないでほしい。


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