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2010年07月27日

『女性の目からみたアメリカ史』エレン・キャロル・デュボイス、リン・デュメニル著、石井紀子、小川真和子、北美幸、倉林直子、栗原涼子、小檜山ルイ、篠田靖子、芝原妙子、高橋裕子、寺田由美、安武留美訳(明石書店)

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 「世界各国史」の分担執筆をしたとき啞然とし、一瞬戸惑った。自分がこれまで研究してきたことが、通史のなかで書けないのだ。自分の研究姿勢が間違っているのか不安になったが、すぐにだからこそ自分の研究は必要なのだと気がついた。各国史の寄せ集めが世界史だという企画自体が現代にそぐわなくなっており、国民国家を念頭において書けば、当然首都を中心とした陸域の定着農耕民の成人男性中心の中央集権的な近代の歴史観になる。わたしの研究は、海域、辺境、流動的な海洋民、女性など、近代では「マイノリティ」として扱われてきた人びとからみた歴史をめざしてきた。各国史という枠組みではおさまらない人びとの生活の歴史を明らかにすることによって、時代や地域を越えた人間や社会の本質がみえてくると考えてきた。しかし、いざ通史のなかで書こうとすると、本文では書くことができず、補足説明や「コラム」など、「もうひとつの歴史」として書くのがせいぜいだった。

 本書は、そのようなわたしの悩みに一筋の光明を投げかけてくれた。本書は、アメリカの大学で教科書として使われることを目的として出版されたアメリカ通史で、女性史とアメリカ史を完全に統合することをめざした。基本原則は、つぎのように主張された。「女性は男性の行動の受身の対象としてではなく、自ら歴史の創り手として描かれるべきであり、歴史の流れから排斥されて別の物語のなかで語られるのではなく、女性の歴史は国家的体験全体の重要な部分を構成すると理解されるべきである」。

 しかし、人種のるつぼといわれるアメリカでは、そう単純に女性史とアメリカ史を完全に統合することはできず、つぎのようなことも同時に考えねばならなかった。「女性史とアメリカ史の概念を拡大し、アメリカの女性たちの生活を包括的に捉える見方を提供する。特権的な白人女性を強調する話を中心から外して周縁化し、少数派の人種やエスニック・グループの女性や女性賃金労働者を物語の中心に据えた。多様な人種、エスニシティ、階級、移民としての立場、また地理的違いや、性的志向の相違など多様性に富む女性たちを統合して分析するにあたり、私たちは、女性間の力学にも注目した。本書のページを繰るうちに、女性間の絆の事例や、階級や人種による階層的関係(ヒエラルキー)や、その他女性の間に壁を築くことになった対立の原因が浮き彫りになるだろう」。

 本書の原著は、章ごとに「歴史叙述、文献資料、視覚資料の三部構成」となっており、「巻末には憲法、最高裁判例や人口統計など補足資料も収録し、英文で八〇〇ページ近い大判の書物である」。本訳書は、歴史叙述の部分は全体、「文献・視覚資料については各章一〇点程度をめやすに選択し、翻訳したもので、訳出量は原著の約二分の一程度である」。大学で用いられる教科書は、これくらい厚くなければいけない。とくに、「マイナー」な分野と思われるものは、説明不足から誤解される恐れがある。本書の功績は、「訳者あとがき」でつぎの2点にまとめられているが、質だけでなく量も必要であったことがわかる。

 「本書は、アメリカ女性史の教科書として、次の二点で画期的であると言えよう。第一に、本書は、アメリカ合衆国の一般的通史を補完するための副次的分野としての女性史ではなく、これまでのアメリカ女性史の膨大な研究成果に依拠して、女性の視座から語るアメリカ合衆国一般通史の教科書となっていることである。また本書には、現代文化に精通するデュメニルの持ち味も生かして、女性に関わる幅広い文献・視覚資料がふんだんに収録されている。多文化的視点で選択されたそれらの一次資料を用いて、読者が「女性の目」を意識しながら、アメリカ合衆国の通史を再検討し、再解釈することが可能となっている。つまり、読者自身が、歴史研究における基本的な営みに参加できるという点が、本書のアメリカ女性史の教科書としての第二の功績である」。

 本書が成功したのは、「序」で2つのことを明確にしたからだろう。ひとつは、女性史をどのように考えるかで、もうひとつは歴史的アプローチについてである。「序」の第1節「女性史の歴史」の副題は「領域論から多文化主義へ」で、男性中心の近代からの離脱と多民族・多文化のアメリカ的特質から新たな女性史観を提示している。見出しの2つは、「「分離された領域」と一九世紀のジェンダー・システム」と「より包含的な女性史へ-人種とエスニシティ」である。第2節「「女性の目を通して」見るという歴史へのアプローチ」の見出しは、「仕事と、労働の性的役割分業」「ジェンダーと政治の意味」「家族の役割と個人的生活」の3つである。このように議論を限定し、明確にしたことが、首尾一貫した歴史叙述を可能にしたのだろう。

 だが、いっぽうで、アメリカ女性史を歴史叙述することの問題点も、随所で触れている。それらを総括するのが、最終章である「第10章 モダン・フェミニズムとアメリカ社会(1965年~現在)」だろう。「ウーマンリブの時代」「伝統的な女性らしさを守るために」「女性、仕事、そして家庭」の3節は、古くて新しい問題であり、アメリカだけではなく、今日あらゆる社会の問題となっている。

 本書によって、男性中心の近代の歴史像に変わる新たな歴史像の事例が示された。このような試みが、ひとつひとつ達成されることによって、世界史や全体史へと一歩一歩近づいていく。そして、「男性の目からみた」歴史が登場したとき、これまでの歴史がいかに偏ったものであったかが証明されるだろう。

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2010年07月20日

『A Walk Through War Memories in Southeast Asia』Shinzo Hayase(New Day Publishers)

A Walk Through War Memories in Southeast Asia

 本書は、拙著『戦争の記憶を歩く 東南アジアのいま』(岩波書店、2007年)の英語版である。日本語版は、小泉純一郎首相の靖国神社参拝が問題となっていた2003~05年に東南アジア6ヶ国などの博物館や戦争記念碑を訪ねて、それぞれの国でのアジア太平洋戦争の伝えられ方を考察したもので、全学共通科目「戦争と人間」のテキストとして書いた。

 わたしを執筆へと駆り立てたのは、3つの理由によった。まず、日頃、基礎研究としての東南アジア史を研究している者として、基礎研究をしているからこそ、こういった時事問題に応える必要があるという思いがあった。いつ必要になるかわからない基礎研究ではなく、基礎研究を役立てるチャンスをいつもうかがう姿勢をもつことで役立てることができると思っていた。

 つぎに、歴史認識問題を語るとき、いつも中国や韓国が話題になり、東南アジアが語られることがあまりなかったからである。アジア太平洋戦争は、日本がつくった戦争空間である「大東亜共栄圏」が主戦場となった。とくに、タイを除く東南アジア諸国・地域は欧米の植民宗主国と日本との戦争に巻き込まれ、多くの人びとが犠牲になり、物的被害も大きかった。東南アジアを抜きにした議論はない、ことを主張したかった。

 3つめに、東南アジア6ヶ国と韓国、全行程をともに歩いた山室信一氏の励ましがあった。ちょうど氏の『キメラ-満洲国の肖像』(中公新書、増補版、2004年)や『日露戦争の世紀-連鎖視点から見る日本と世界』(岩波新書、2005年)が出版されたときで、「アジアと日本の断絶」の原因を若い人に知ってもらいたいという思いがひしひしと伝わってきた。にもかかわらず、本「書評空間」で、研究所勤務で授業経験の少ない氏にたいして、「学生相手に講義を積み重ね、学生の理解度を確かめながらでないと、教材を作るのは難しい」などと批判してしまった。批判した限りは、その批判に納得してもらえるだけのものを出さねばならなかった。

 その日本語版を執筆しているときから、気になっていたことがあった。日本語で書かれた歴史認識問題関連のもので、明らかに日本でしか通用しない議論をしているものがあったことである。歴史認識問題は、国際問題である。解決を目指すなら、日本語で書いても、国際的に通用するものでなければならない。また、日本人が靖国神社などにこだわる理由を、外国人に理解してもらわなければ、まともな議論はできない。議論のための共通の理解となるものが必要だと感じ、英語で出版することを考えた。

 そして、東南アジア各国の人びとにも、戦争空間としての「大東亜共栄圏」という枠組みで考えてほしかった。東南アジア各国でも、ナショナル・ヒストリーを基準として、アジア太平洋戦争が語られるため、ほかの国ぐにの状況をよく知っているわけではない。対日戦争・対日関係という枠組みではなく、アジア太平洋戦争あるいは世界戦争という枠組みで、東南アジア各国の若い人びとにも考えてほしかった。わたしは、戦争体験者の孫にあたる世代を、ポスト戦後世代とよぶ。ポスト戦後世代だからこそ、戦争を客観視し、いまを「戦前」にしないための議論ができると信じている。

 まずは、英語が大学の教授用語となっているフィリピンの学生100人あまりに、本書を読んでもらい、意見を聞くことにしている。それらの読後感を日本人学生に伝え、対話の第一歩を踏み出してもらいたいと思っている。

 日本・中国・韓国の3ヶ国で、歴史認識問題解決への努力が官民で続けられている。東南アジアのことも忘れないでほしい。


2010年07月13日

『チャリティとイギリス近代』金澤周作(京都大学学術出版会)

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 「チャリティは、福祉国家の「諸起源」の一つであるのみか、その構成要素として生き続けている」。「二〇世紀後半以降にグローバルな規模で、ときに国境や国家主権を乗り越えて展開する国際人道支援の動きも、イギリスにとってみればことさら新しいものではない」。「終章 「チャリティの近代」のゆくえ」のこの2つの文章だけでも、本書の意義がよくわかる。現在、多くの社会が国家福祉のあり方について議論している。また、災害、紛争、貧困などといったグローバルな問題への国家の役割とNGO/NPOの役割とのあいだで議論が生じている。著者、金澤周作は、これらの議論に「他者救済の世界史」研究の成果をもって参加しようとしている。

 チャリティ(慈善)やフィランスロピ(博愛活動)といったイギリス社会にとってありふれたものが、歴史学的に考察されなかった理由は、ありふれたものだからこそ、そして近代になって公的な救貧行政と区別されたからこそ、「まとまった史料が残りにくく、堅実な実証研究をしようとすれば、いきおい史料の集中している一都市ないし一篤志協会における与える側の活動内容の詳しい検討ということにならざるを得ない」からだという。しかし、「本書は、これまで部分的にしか知られていなかった、この近代イギリスにおけるチャリティないしフィランスロピを、「民間非営利の自発的な弱者救済行為」と広く定義した上で、「全体」として再構成し、歴史上に位置付け、一つの歴史像を立ち上げることを企図している」。

 本書は、序章、3章、終章からなる。それぞれの章のはじめに、それまでの考察で明らかになったことをもとに、著者の意図が示されており、わかりやすい。「序章 偽善・不合理・前近代?-博愛活動とイギリス」で問題設定、構成を語った後、「第一章 さまざまなチャリティのかたち」では、近代英国のフィランスロピが5つの形態(信託型、結社型、友愛組合支援型、慣習型、個人型)の混成物であることを明らかにしている。つづく「第二章 近代国家とチャリティ」では、レッセ・フェール(自由放任)的傾向にあった英国国家は、弱者救済において、フィランスロピとどのような関係を取り結んでいたのかを考察している。これら2章から「近代英国におけるフィランスロピから五つの形態と巨大な財政的・実効的内実を持ち、帝国におけるフィランスロピとは対照的に、国家に対して関連しつつも相対的に自立した領域を保持していたこと」を明らかにした著者は、「第三章 慈善社会で生きるということ」で、「こうした英国内の独特な時空間において、人々はどのように振る舞い、また何を感じたのだろうか」を問題にする。そして、「終章」では、これらの考察・分析を踏まえて、「近代英国におけるチャリティのありかたとその後を、結論として語り直してみたい」という。

 本書の結論は、現代まで下ってきた後、「近代」に戻って述べる最後の部分で、的確につぎのようにまとめられている。「一八世紀後半から一九世紀後半にかけての近代英国において、自助と互助の次、そして公的救貧の手前にフィランスロピが占めていた位置は、前後の時代と比べても、おそらく同時代の大陸諸国と比べても、相対的に空前の規模に達していた。とかく前近代的なイメージを持たれがちではあるが、フィランスロピは、近代において、一つの自立領域を構成し、具体的な諸実践による多彩な弱者救済のみならず、都市化・工業化に伴う混乱への対応や主体およびナショナル・アイデンティティ形成にも積極的に関与した。英国の近代を考える際、地域・国・帝国・世界いずれのレベルにおいても、かくも人々の生活と心性に浸透していたフィランスロピを無視することは到底できない」。

 「そうすると英国の「近代」とは、フィランスロピ的志向を組み込んだ現象だといえるのではないか。ほとんどの中世のチャリティとは異なり、かならずしもキリスト教的倫理のみに収斂せず、身近にいる社会的・経済的な弱者のみならず、国も文化も異なる見知らぬ弱者へ救いの手を差し伸べるという態度・心性が社会の各層に浸透して自明化してゆくことは、善悪の判断はおくとしても、あるいは人類史上でもまれな根本的な人間観の転換、英国における「近代人」の誕生を示しているのではないだろうか」。

 「あえて強調するならば、フィランスロピは、英国の近代を構成し、現代までその刻印が押されている、「本質的」な要素なのである」。

 公権力中心に語られてきた近代は、公権力を過大評価しすぎていたことが本書から明らかになった。「一九世紀後半にあらわれる公教育も、チャリティの補完といった性格が強かった。また、病人、身体障害者、貧者、精神障害者、妊婦らに無料で医療を提供する各種の医療フィランスロピは、大半が毎年の寄付金を主要な財源」としていた。「国家とフィランスロピは別々の領域で互いに関連しあっているが、国家がチャリティに干渉することはなく、むしろチャリティが国家に干渉、言い換えれば国家を浸食していた。それゆえ、公的救貧は明らかにフィランスロピに期待していたのに対し、フィランスロピの側は公的救貧からの協力を求めず、かえって公的救貧を支援する立場を維持した」。フィランスロピは本質的に公権力によらなかったからこそ、一貫した活動ができたのであり、著者は「長い伝統と強固な構造を維持するフィランスロピの要素を考慮に入れずに二〇世紀以降の国家福祉を論じることは、不可能であろう」と述べている。

 そして、「チャリティの近代」を主張するにあたって、現代まで引き続く問題を念頭において、つぎのように「フィランスロピの時空間の有していた深い歴史的重要性を示している」。「この歴史像を受容するならば、医療や教育といった問題のみならず、国家レベルでレッセ・フェール的な政策決定や、救貧法実施を含む地方の行財政のあり方や、諸企業の雇用方針(賃金設定や福利厚生を含む)や、マクロ経済における営利活動の位置づけや、労働者の生活水準や、民衆運動や、ミドルクラスの階級教育や、社会集団間の結びつきかたや、知識人層の抱く社会・政治・経済思想や、「イギリス」人の帝国住民や国内の弱者へのまなざしやとりくみ、植民地人および後発国の「イギリス」観や、王族・貴族の社会的存在意義や、政治的なパトロネジの意味など、実にさまざまな論点を、フィランスロピ偏在というコンテクストを考慮して再検討せねばなるまい。同時代人にとって自明すぎたこの要素は、現在書かれている歴史の表面下に潜みがちであったが、実際には、時代を大きく規定していた」。

 英国に限定された議論のなかで、2つのことを考えさせられた。ひとつは、国家を超えておこなわれるフィランスロピについてで、もうひとつは王族との関わりである。より具体的には、前者は今日の国際救助・救援活動、後者は近年のタイの内乱がわたしの頭にあった。

 前者について、著者はつぎのように述べている。「海外におけるフィランスロピと国家(政府)による「自由」の名とは、翻って国内の英国人に、帝国(支配)を正当化する論理を提供し、また国内における国家からの干渉を受けつけないチャリティ実践と相俟って、フィランスロピに際立つ国民というアイデンティティを付与していった」。いま、わたしたちは国家戦力のなかでおこなわれる国際救助・救援活動と地球市民としておこなうものとの関わりをどう考えたらいいのだろうか。前回扱った国際赤十字の歴史とともに考えてみたい。

 後者については、著者はつぎのように述べている。「王族が、パトロンや会長といった名誉職に就いたり、多額の寄付をしたりといったように熱心に慈善に取り組んだことの意味、すなわちフィランスロピ戦略はどのようなものだったのか」。「王族は、一八世紀後半以来、徐々に低下してゆく政治力と反比例するようにフィランスロピに力を入れることによって、ミドルクラスをはじめとする社会の各層からの支持を受け、「人民の父(母)」としての自らの存在意義を保ち続けたのだ。社会の頂上たる王族から弱者救済事業に対してパトロネジを与え、団体の方でもそれを熱望するという現象は、とりもなおさずパターナリズムの発現であり、(略)、王族のパトロンの下に貴族(王族も含む)・大ジェントリの会長・副会長、さらにその下に富裕なミドルクラスの運営委員を配する篤志協会が、こうした華やかな貴顕・富裕の列に連ならんとする寄付者たち(大半は生活に余裕のある者だった)から財政面で支えられ、さらに下の貧者・弱者を救済するというありかたは、現行の社会階層秩序を体現すると同時に維持する力になった」。タイ国王は、王室財政をもって貧者・弱者を救済することによって、国民の敬愛の対象とされてきた。その王が高齢化し、跡継ぎに不安のあるなかで、タクシン元首相は都市貧困層や地方の民衆にたいする福祉政策をおこない、王と国家の役割分担が不明確になったことが、内乱の一要因だといわれる。本書の英国の例から、タイのことを考えるヒントが得られる。また、日本赤十字社の代々の名誉総裁が皇后であることなどから、日本のことも考えることができる。

 「専門バカではいけない、蛸壺は避けよ」を念頭において、「近代、歴史、ヨーロッパ、世界、日本、現在、他者救済の世界史といったものをたえず意識しながら書いてきた」著者だけに、本書は、英国の近代だけでなく、現代社会がかかえるさまざまな問題を考えるためにも、極めて有効な歴史的事例を示している。歴史学における西洋中心史観からの解放だけでなく、歴史学がほかの分野と協働していけるだけのものを本書から感じた。

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