« 『フィリピン独立の祖 アギナルド将軍の苦闘』渡辺孝夫(福村出版) | メイン | 『「沖縄核密約」を背負って-若泉敬の生涯』後藤乾一(岩波書店) »

2010年03月02日

『在郷軍人会-良兵良民から赤紙・玉砕へ』藤井忠俊(岩波書店)

在郷軍人会-良兵良民から赤紙・玉砕へ →bookwebで購入

 「矛盾に満ちた在郷軍人会の全貌を描き出す」。著者、藤井忠俊は、すでに『国防婦人会-日の丸とカッポウ着』(岩波書店、1985年)や『兵たちの戦争-手紙・日記・体験記を読み解く』(朝日選書、2000年)などの著書があり、民衆の視点で戦争に荷担していく実像を明らかにしてきた。戦争は、一部の軍国主義者が暴走しただけではなく、それに追随した多くの民衆がいたから起こった。それらの民衆に戦争責任がなかったとは言い切れないとともに、民衆がなぜ追随していったのかを検証する必要がある。なぜなら、それらの民衆は、いまのわたしたち同様、「侵略戦争」に荷担していくとは思いもよらなかったにもかかわらず、いつの間にか荷担していったからである。

 本書の概要は、表紙見返しにある。「「国体明徴運動」を主導し、戦前のファシズム体制を代表する組織としてのイメージが強い在郷軍人会。しかし、その実態はあまり知られていない。総力戦にそなえた社会の軍事的再編をも射程に入れた陸軍による組織運営は、地域秩序の中で生きる民衆でもある在郷軍人たちを前にしてどこまで貫徹されたのだろうか。軍隊的価値観と民衆的価値観との間で揺れ動き続けた在郷軍人会の歴史を、日露戦争後の発足からアジア・太平洋戦争敗戦による解体までを通して描く」。「国体明徴運動」とは、議会政治の役割を強調する美濃部達吉の天皇機関説を排撃するために、1935年に在郷軍人や右翼などは起こした政治「粛清」運動である。

 1910(明治43)年11月3日に発足した帝国在郷軍人会は、日露戦争後、将来の総力戦を見据えた軍部の思惑から設立された。しかし、著者は、「もっと基本的な問題として、在郷軍人自身にどのような主体的な動きがあるのか」を問い、「在郷軍人会の前身ともいえる在郷軍人団の共同体内での統合過程を性格づけるもっとも重要なファクターとして帰還兵と尚武会の関係、その戦後の動きに最大の注意を払っておきたい」という。尚武会とは、町村「共同体内の資産家有志による救済システム」である。

 在郷軍人会の設立とともに、市町村単位で分会が設立され、選挙で分会長が選ばれ、自治制的よそおいを見せた。分会事業としては、大正改元記念に各町村で忠魂碑が建てられた。しかし、大正デモクラシー影響下での軍備縮小論、軍隊批判のなか、在郷軍人会は米騒動、労働争議、小作争議、参政権運動に関与し、その風潮にのっていく。「民衆力の突出とその社会的再編、それに市民的価値の上昇」に危機感をおぼえ、「国民の後援なしには戦争はできない」と考えた軍部は、国家主義を主張し、在郷軍人会を総動員体制下に組み込もうとした。

 そして、1931年9月18日に起こった満洲事変を契機として、在郷軍人会は「銃後」の責任を負い、国防思想普及運動、慰問金運動、軍用飛行機献納運動などに積極的にかかわっていった。さらに「非常時を駆ける国家主義郷軍団」として、「戦争を強行する軍部の支援に、あるいは代弁者として日本国内と銃後に向かって発言し、宣伝役にのり出し」、「無制限の軍備拡張時代へ、さらに戦争の時代へと突入する」「非常時の流れにのった最大の国内団体」となっていった。

 このような「非常時」のなかで、人びとの感覚が麻痺していった例を、本書のなかに2つ見いだすことができる。ひとつは、日本人が「匪賊」とよんだ反満抗日軍に関連する。「匪賊」は、「当初は中国軍隊の残存兵だったが、やがて、日本人移民が極めて安い土地代を与えて収奪した土地で農業を営んでいた現地農民、生業を奪われたものたちが主体的になっていた」パルチザンである。日本人移民のすべてが荒野を開拓したわけではなく、収奪した土地に入植することに罪悪感はなかった。

 もうひとつは、満洲事変後、「皇軍」とよばれるようになった日本兵の「徴発」という名の略奪行為である。「兵たちが行軍中の小休止で、鶏や豚や羊をとったり、芋や野菜をとり、分隊で調理」する行為は、「ほほえましいエピソード」として、当時ベストセラーになったルポルタージュに描かれ、検閲にひっかからなかった。この「徴発への甘さ、時にはその奨励ともいえる態度が内部的には風紀にかかわり、外部、とくに戦地住民に対しては悪い印象を与えている。しかも、徴発は日本兵の戦地での強姦に結びつくことが多い」。

 「良民良兵を標榜して兵と農民を結合した」在郷軍人会のメンバーは、「農民から市民へと変化し」、やがて「赤紙召集を待つ立場の市民へと変貌していく」。「その行きつく先に玉砕が待っていた」。

 著者は、「終章」の最後で、「明治・大正・昭和にまたがる在郷軍人会は本当に必要だったのかとあらためて問いただすことは無駄ではない」とし、つぎのように結論している。「徴兵制を維持し、日本軍隊を強兵化することは、徴兵検査と入営までの教育制度に依存する国民教育だけでは無理であった」。「在郷軍人会の運営原理は、①まず良兵良民主義。それは明治期の軍国主義を構築する最良の方途と思われた。ところが大正デモクラシーにさらされて、②国民皆兵原理を反動的に導入する。そして新しい戦争を始めてみると、③総動員予備軍そのものになる。その間にはデモクラシー退治が必要であり教育の助けを得て国民の皇民化が必要になるのだった。だが、その時でも明治の原理が底を流れて、国民の支持を得るには良兵良民の地域社会に頼ってムラから送り出さなければならなかった」。「在郷軍人会は徴兵制を維持し、国民の支持を得るための最大の地域組織だったと結論できるであろう」。

 軍部は、「国民の後援なしには戦争はできない」ことを、よくわかっていた。国民が後援しなければ、戦争は起こせなかったのだ。ということは、近代に起こった国民国家の戦争の責任は、国民にあることになる。それを国民が認識することによって、新たな戦争は起きない。その認識のためにも、「明治・大正・昭和にまたがる在郷軍人会は本当に必要だったのかとあらためて問いただすことは無駄ではない」。

→bookwebで購入

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://booklog.kinokuniya.co.jp/mt-tb.cgi/3610