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2010年02月23日

『フィリピン独立の祖 アギナルド将軍の苦闘』渡辺孝夫(福村出版)

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 本書は、「資料に基づいているが、学術的論考を試みたものではなく、平易な読み物(物語)を意図したもので」、「東南アジアでもっとも日本に近く、日本との長い交流の歴史がある」フィリピンへの関心を高めてほしいという、著者、渡辺孝夫の願いが込められている。著者は、日本輸出入銀行マニラ首席駐在員など長い海外勤務があり、フィリピンにたいして身近で、親しみを感じていることから、関係資料を集め、現地を訪ねて、本書をまとめた。

 著者の言うとおり、本書は学術書ではないため、今日の学術的評価と違っていたり、地名・人名のカタカナ表記などが間違っていたりで、たんなる物語として読むしかない。もっとも、日本の高校世界史教科書では、アギナルドが日本に亡命したなどという明らかな間違いがあるなど、フィリピン革命について正しい理解がされていないのであるから、研究・教育者でもない著者に、正確さを求めることには無理があろう。ちなみに、日本の高校世界史教科書にもっともよく出ているのが、フィリピン革命を代表する3人、アギナルド、リサール、ボニファシオのうちアギナルドで、大学入試センター試験にもよく出題される。しかし、フィリピンでは、国民第一の英雄はリサール、民衆史観で人気があるのはボニファシオで、アギナルドの人気はいまひとつである。

 本書では、フィリピンで「称賛と批判が相半ばしている」「アギナルド将軍に焦点を合わせ、フィリピンの変動の歴史をたどって」いる。アギナルドとは、どのような人物であったのか。『山川 世界史小辞典(改訂新版)』(2007年)で、その項目を見てみよう。「1869~1964 フィリピン独立革命政府の大統領(在任1898~1901)。マニラ近郊カビテ州の町長だったが、秘密結社カティプーナンに加入して1896年の決起に参加、97年ボニファシオ兄弟を粛清、処刑して最高指導者となった。スペインと和約を結び香港に亡命したが、98年アメリカ-スペイン戦争中にアメリカの協力で帰国して独立を宣言。アメリカへの併合後は抵抗して戦ったが、1901年に逮捕されると帰順を誓い引退。フィリピン独立運動指導者としての評価は今日でも定まっていない」。

 まず、94歳まで長い「余生」を送ったことがわかる。志半ばで亡くなったリサール(1861~96)やボニファシオ(1863~97)と対照的である。今年のNHK大河ドラマの主人公は坂本龍馬(1835~67)である。初詣がてら、霊山護国神社明治維新史跡公園にある坂本龍馬の墓を詣でた。上に木戸考允勅撰碑・妻幾松の墓、下にパール判事記念碑が瀬島龍三らの名とともにあった。墓の側にある坂本龍馬・中岡慎太郎の銅像は、円山公園にあるものよりかなり小さい。この史跡公園には、池田屋騒動、禁門の変、天誅組と生野の変などで命を落とした志士1356名の御霊が祀られている。リサールやボニファシオと同じく、30代で亡くなった者も多い。実際に政権のなかで手腕を振るったわけではないため、汚点も少なく、偶像化されやすい。それにたいして、アギナルドは革命を未完に終わらせ、逮捕後アメリカへの帰順を誓った。すでに過去の人となっていた1935年のフィリピン初の大統領選挙に出馬し、当選したケソンに4倍もの大差をつけられて惨敗した。生存中に、「英雄」になることはなかった。

 歴史上の人物の評価は、時代や社会によって変わってくる。リサールは、フィリピン革命をエリートの革命であるとしたアメリカ植民地政府によって、改革主義者として英雄にされた。それにたいして、1950~60年代のフィリピンの反米運動のなか、大衆の革命であったとする民族主義者によって、その民衆の代表としてボニファシオが評価された。そして、近年では、リサールは改革主義者ではなく、革命家であったとして、民族主義者にも受け入れられる英雄として、再評価されてきている。

 さて、アギナルドはどのような文脈で、フィリピン人に評価されることになるのだろうか。貧富の差など階級間格差の是正を求め挫折した革命運動で、有産階級の代表とみなされたアギナルドは、依然貧富の差が大きいフィリピンで認められることはむつかしい。「新しい時代を構想」し、「日本統一の演出者」となった坂本龍馬を、いまの日本人が求めているからもてはやされているのかもしれない。では、アギナルドに、いまのフィリピン人はなにを求めるのか。その答えは、未来を見据えるフィリピン人が出すことだろう。そして、日本人はそんなフィリピンの英雄論を通して、フィリピンの歴史や文化を知り、著者の願い通りフィリピンへの関心を高めていけばいいのだが・・・。

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2010年02月16日

『帝国とアジア・ネットワーク-長期の19世紀』籠谷直人・脇村孝平編(世界思想社)

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 17世紀の東南アジアを世界史のなかに位置づけ、理解することは難しい、と浜渦哲雄『イギリス東インド会社』のところで書いた。19世紀になっても、アジアを世界経済史のなかに位置づけ、理解することが難しいことが、本書からわかる。

 本書は、「19世紀のアジアの広域市場秩序の形成を検討した共同研究の成果」で、「ヨーロッパ帝国主義のもと、ダイナミックに展開したアジアの商業的ネットワークに光を当て、18世紀から20世紀にまたがる「長期の19世紀」という新たな枠組みを提示する」ことを目的としている。そうすることによって、具体的には、アジアのふたつの大国である中国とインドが、「20世紀後半の長い期間、なぜ世界市場に背を向けていた」のかを、解く鍵があるという。

 「あとがき」で編者のひとり脇村孝平は、「20世紀前半に定着した世界経済イメージ」をつぎのように捉えている。「19世紀にアジアの諸地域は、ヨーロッパ諸国との関係において不利な国際分業(農工間分業)を強いられた」。「加えて、植民地支配の体制において、財政的な所得移転(いわゆる「国富の流出」)も存在したということになる。いずれにしても、19世紀に、ヨーロッパとアジアのあいだで非対称的な経済的変容が生じたという認識が帰結する。これは、輸入代替的な工業化を、閉鎖体系の中で推進するという第二次世界大戦後の経済戦略につながった」。

 「しかし、19世紀のアジア経済史には、このような認識では捉えきれない側面も存在した」とし、「本論文集が光を当てようとしているものこそまさに、そのような側面である」と、つぎのように説明している。それは、「アジアにおいて近世以来存在する商業的・企業家的な伝統が、イギリスが先導するヨーロッパの帝国主義の進出が著しかった19世紀においても継続したという歴史像である。もちろん、大きく変容を迫られたことは事実であるが、そのダイナミズムは失われなかった。最も象徴的に現れているのは、華僑や印僑の商業的ネットワークである。華僑の場合には東南アジアへ、印僑の場合にはインド洋海域周辺へと展開したが、これらは19世紀後半というヨーロッパ帝国主義の最盛期に最も伸張したとさえ言い得るのである。こうした現象は、工業化という側面だけで、経済発展を見る場合には認識できないであろう。このような新たな歴史像に立って初めて20世紀の第4四半世紀における世界史的大転換の意味を十全に理解できるのではないだろうか」。

 17世紀のアジア経済で見えたのは、国家という後ろ盾をもつヨーロッパ各国の東インド会社の活動などで、イスラーム商人、華僑、印僑などのアジア商人、ヨーロッパ人でも私貿易商人の活動、さらに東インド会社の社員がおこなっていた私貿易などは、実態としてよく見えなかった。それが、19世紀になって、交通・通信革命、近代的な金融システムの導入などで、ヨーロッパ帝国主義のもとで「見えない経済」が「見える経済」になっていった結果が、本書の成果として現れたのだろう。とすると、「長期の19世紀」でも、なお「見えない」経済が存在することが、大きな問題となる。

 本書を読むと、「アジア間貿易論」にもとづいた「新たな枠ぐみ」は、それなりに納得させられる。しかし、その基となっている「アジア間貿易論」は、本書評ブログでも取りあげたように、堀和生『東アジア資本主義史論』(ミネルヴァ書房)で激しく批判された。この批判にたいする回答を、本書に見いだすことは難しい。おもに取り扱っているのが19世紀と20世紀、「中国とインド、大国をつなぐ広域経済史」と東アジア経済史とで違うからというのは、あまり説得的ではない。

 要は、ある一定の枠をはめて議論し、「見えない」部分を無視しているからだろう。ともに、地域的には東南アジアが充分に語られていない。東南アジアは、独立を保ったタイを含め、経済的には帝国諸国に分断され、アジア経済史のなかに位置づけることが難しい。それぞれの言語に加えて、植民地宗主国の言語が違い、マクロな経済史の把握も困難である。植民地にならなかったタイは、近代的な統計資料作成の導入などが遅れ、研究の障害になっている。もうひとつ、ともに試みている節はあるが欠けているのが、ミクロ経済の把握である。わかったことから議論するだけでなく、わからないことを含め、全体像のなかで議論すると、「アジア間貿易論」の立ち位置も、より鮮明になることだろう。

 本書全体では、比較的シニアの広域マクロ経済と比較的若手の個別研究が、充分に結びついていないように感じた。個人的には、広域マクロ経済のほうから学ぶことが多かった。それは、「18世紀から20世紀にまたがる「長期の19世紀」」という時代的にも連続した視点をもっていたからのように思う。それが15~17世紀の[商業の時代]とどう結びつくのか、東南アジアのミクロ経済の把握が鍵のように思える。

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2010年02月02日

『ヒューマニティーズ 教育学』広田照幸(岩波書店)

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 出だしをどうするか、迷った。帯の表も裏も使える。表紙の見返しも使える。「はじめに」にも使えるものがある。それだけ、今日の教育学は問題が多く、切り口も多いということだろうか。まず、これら4つを引用して、本書の概略をつかんでみよう。

 まず、帯の表には、つぎのように書かれている。「普遍的な基礎づけを失ったいま、われわれは、希望を持って教育学を語れるのか。実感主義/体験主義を超え、教育学的思考の未来を切り拓く」。

 裏は、もっと具体的である。「ポストモダン的な価値の相対化の地点から、「教育の目的」をたなあげにしてしまうのは、「教育学のシニシズム」を生んでしまう。……誰をも屈服させるような強力な「教育の目的」を、ある社会がもってしまうことも危ない。二つの極の間で、「教育の目的」をどう論じることができるのか。これからの教育学に求められているのは、これである。社会が多元的であるにもかかわらず、教育はある体系性や統一性をもって組織される必要がある-この難題に教育学者がどう取り組むのか、ということである」。

 表紙の見返しでは、大きな視野のなかでの教育について語られている。「教育は社会のあり方やその変化と無縁ではありえない。その思想や制度は、近代の大きな変動のなかで変容を遂げ、経済のグローバル化や地球規模の課題が、現代の教育にさらなる変容を迫っている。未来の人間や社会のあり方を考え、そこに働きかけていく営みに向けた知として、いま教育学の何が組み換えられていくべきなのかを考える」。

 「はじめに」では、本書をどのように読んでほしいのかが述べられている。「教育学をこれから学びたいと思っている人も、教育学を見直してみたいと思っている人も、一つひとつの細分化された専門領域の問題に閉じこもるのではなく、「教育を全体としてどう考えたらよいのか、教育学を全体としてどういう知として考えたらよいのか」といったことに注意を向けてほしい」。教育学は、「単なる教師養成の技術知としてではなく、人間や社会のあり方を深い次元で見つめ直し、社会の組み立て方や人間の生き方に示唆を与える学問としても発展してきた。その意味で、教育学は、総合人間科学でもあり、総合社会科学でもある」。

 本シリーズ「ヒューマニティーズ」では、それぞれの学問の過去、現在、未来を語るということで、それぞれの章の副題を「どのように生まれたのか?」「学ぶ意味は何か?」「社会の役に立つのか?」「未来はどうなるのか?」「何を読むべきか」で統一している。

 「一、教育論から教育学へ」では、「哲学を基盤に据えた一九世紀の教育学」から「実証科学をモデルとした二〇世紀の「教育の科学」」への変遷を、「議論の根拠はあやしいもの」から「危うさがつきまとっていた」ものの変遷ととらえて論じている。

 「二、実践的教育学と教育科学」では、「よりよく教育を組織・実施するための知と、教育に関連した諸事象を科学的なルールに従って考察し、記述しようとする知」の「教育学内部の二つの知について」考察している。また、ここでは「教師になる人にとっての必要な教育学の知」と「一般市民(になる人)にとって、教育学を学ぶ意味」についても考察している。

 「三、教育の成功と失敗」では、「一九世紀の末に登場してきた二〇世紀の教育学の本流を作る、進歩主義教育運動」が論じられている。この運動の根本には、「「子ども一人ひとりがちがっているから、それに応じた教育をする」という、革命的な考え方」があった。そして、それに対して登場したのが、「すべての子どもにバラバラなことをさせつつ、同時に、どの子も学習が進むような教授技術であった」。このような技術が必要になったのも、「すべての子どもが就学する公教育の制度が発達」したためである。以前は、「学校は困った子どもを追い出し(放逐)、子どもは学校がつまらなければ簡単にやめた(退出)」。公教育が、近代教育学にとって大きな問題となったのである。

 つぎに大きな転機になったのは、「一九八〇年代から九〇年代にかけて広がったポストモダン論」で、「もともと脆弱だった教育学の認識論的足場を、根底から破壊することになった」。「四、この世界に対して教育がなしうること」では、困惑し迷走する教育学の現状から「未来」を考えている。そのポイントは、帯の裏に述べられているとおりであり、その解決のためには、表紙見返しにあるようなことを考えねばならなくなった。

 考えるためには、当然、本をじっくり読むことが必要であり、「五、教育学を考えるために」では「何を読むべきか」、どう読むべきかが紹介されている。まず、「本をじっくり読むためには、線を引いたり、書き込みをしたり、付箋を貼ったりして、読みながら考えたことや感じたことを形に残しておくことが、とても重要である」と説く。つぎに「本を読み進めるうえで決定的に重要なのは、読む側が問題意識や関心を持っているかどうかである」。「また、本を面白く読むためには、ある程度の予備知識が必要なことも多い」という。

 しかし、本を買って、「線を引いたり、書き込みをしたり、付箋を貼ったりして」じっくり読んだことのない者は、本を読むための予備知識もなければ、問題意識もない。大学4年生になって「「私は教育学の本は読んだことありません。大学に入ってからの自主的な読書は、ほとんど小説だけです」などと言い放つ者」は珍しくともなんともない。そう思っている大学教員は、超一流といわれる大学の教員を含めて当たり前で、小説を読んでいるだけ、ましだと思っているだろう。

 まずもって、多くの学生は、教科書に書かれていないこと、学校で教えてくれなかったことを知らないのは当たり前で、恥ずかしいことではないと思っている。それだけで、日本の学校教育、家庭教育が失敗であったと言わざるをえない。学校教育は、自主的に学ぶための基本ときっかけを与える場にすぎないはずだ。それが目的化したために、学んだことが実生活、実社会でいかされない状況になっている。教育が生きる力になっていない。

 本を読むことも、本書で書かれている卒業論文という課題に直面してはじめて読むことを知った学生は、まだ「幸運」である。卒業論文を課していない大学も多いので、本を読むことを知らない「学士」様は珍しくない。ほんとうは、高校で新書くらい読む習慣をつける教育をしてほしいのだが(もっとも最近の新書のなかには、これはちょっと…、というものもあるが)、そうも言っておれないので、大学で本を読むための予備知識や問題意識をもつための教育からはじめなければならない。本シリーズ「ヒューマニティーズ」も、本を読めない者(学ぶ姿勢ができていない者)には無用の長物となる。著者の言うように、「本当に奥が深い知や情報は、大学図書館の書庫や巨大な書店の片隅に眠っている。誰かに決めてもらったテキストや、誰かの講義から学ぶのではなく、自分で読むべき本を探して、本と自分とで対話をしていくことが必要である」。

 著者は、「「教育学しか知らないバカ」にならないように、広い読書を心がけてほしい」と言い、「たくさんの講義や演習で教育学に関する勉強をしてきたとしても、授業で教わったものが「教育学」なのではない。講義や演習だけで身についた知識は、断片的で限界がある。その知識を活用しながら、自分自身で教育学の本を読むことによって、初めて教育学を深めることができるのだ」と説く。そして、「おわりに」で、「教育学内部でのタコツボ化が進む中で、無責任な御用学者や視野の狭い個別トピックの専門家ばかりが増殖している」現状を、「大問題である」と警告する。

 本書は、おもに「教育学をこれから学びたいと思っている人」、「教育学を見直してみたいと思っている人」を対象に書かれている。本書が「ヒューマニティーズ」の1冊であるなら、わたしのようなヒューマニティーズの1つの歴史学を専門としている者が、議論に参加できるようなかたちでの問題提起もほしかった。これは、本書だけでなく、本シリーズの各巻に言えることで、「思考のフロンティア」シリーズのように、総括する別巻があると、「ヒューマニティーズ」としての各巻の立ち位置がよりわかってくることだろう。本書でも繰り返し述べられているように、教育学は教育学者だけで議論する時代ではない。教育学は、いまの時代・社会、これからの時代・社会に必要な知識・技術を提示してくれる学問なのだから。

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