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2010年01月26日

『教育の職業的意義-若者、学校、社会をつなぐ』本田由紀(ちくま新書)

教育の職業的意義-若者、学校、社会をつなぐ →bookwebで購入

 本書は、「若者に希望を!」と、若者を応援するための教育論を展開している本田由紀(東京大学教育学研究科教授)の最新刊である。

 まず「序章 あらかじめの反論」で、著者はこれまでの経験から予想される5つの否定的反応を取りあげ、反論を加えている。それだけ、著者が展開してきた教育論にたいして風当たりが強いということだろうか。

 本書は、5章からなる。まず、「第1章 なぜ今「教育の職業的意義」が求められるのか」では、1990年代半ば以降大きく変貌した日本の若年労働者市場の現状を紹介する。つぎに、「第2章 見失われてきた「教育の職業的意義」」では、その変貌に対応できない日本社会を、歴史的経緯を振り返りながら説明する。そして、日本における状況が、いかに国際的に見ても問題であるかを、「第3章 国際的に見た日本の「教育の職業的意義」の特異性」で確認する。さらに解決に向けて、まずその障害となっている問題点を、「第4章 「教育の職業的意義」にとっての障害」で検討し、「第5章 「教育の職業的意義」の構築に向けて」で、「「戦後日本型循環モデル」が内包していた問題、そしてその崩壊が今もたらしている問題を乗り越え、かつ「キャリア教育」や「生きる力」のような過剰に抽象的で汎用的な人材像への要請にも抗うためには、「柔軟な専門性」という原理に沿った教育課程・教育制度や、労働市場の再設計が不可欠となるということについて論じる」。

 冒頭で述べた「日本で長く見失われてきた「教育の職業的意義」の回復を、広く世に訴える」本書の目的は、つぎのように「序章」の最後で言い換えられている。「問題が山積している現代の日本社会の再編という大きな課題に、教育という一隅から取り組もうとすることであり、魔法のような解決策というよりは、言わば社会の体質改善ともいうべき地味な提言であることは否めない。しかしそれでもなお、本書で述べてゆくことの必要性について、筆者は確信をもっている。それができるだけ多くの人に届き、受け止めてもらえることを願う」。著者は、教育を手段として、日本社会の再編という大きな課題に挑もうとしている。

 それがもっともよくあらわれているのは、本書で著者が主張している「教育の職業的意義」と似て非なる「「キャリア教育」という施策・理念であり、またそれと密接に関わる「人間力」や「生きる力」などの概念や発想」にたいしてである。その問題点と解決策について、第4章でつぎのようにまとめている。「進路選択とは、若者が自分自身と世の中の現実とをしっかり摺り合わせ、その摩擦やぶつかり合いの中で、自分の落ち着きどころや目指す方向を確かめながら進んでゆくことだと筆者は考えている。そのようなしっかりとした摺り合わせが生じるためには、ひとつには職業人・社会人としての自分自身の輪郭が暫定的にでも一定程度定まっていること、もうひとつは世の中の現実についてのリアルな認識や実感、という二つの条件が必要となる。そのような自分の輪郭や現実認識を得る機会を若者に与えないままに、つまり選択のための手がかりがないままに、ただ選択を強いるという性質を「キャリア教育」はもっている」。「筆者は、少なくとも高校以上の教育段階においては、特定の専門領域にひとまず範囲を区切った知識や技術の体系的な教育と、その領域およびそれを取り巻く広い社会全体の現実についての具体的な知識を若者に手渡すことが、上記のような摺り合わせを可能にすると考えている」。

 先日、わたしは授業のなかで学生に謝った。「みなさんの世代にたいして、学校教育も家庭教育も失敗しました」と。そして、学校にも家庭にも頼らず、本や新聞などをよく読んで、現実を理解し自分自身で判断して生きていく知識や技術を身につけること、親身に考えてくれる両親と対話できるよう両親の時代とどう違うのかを説明できるだけの知識を持つことなどを話した。

 著者も、同じ思いを抱いており、最終章の第5章をつぎのように結んでいる。「教育から外の社会や労働市場に出れば、ある程度安定した収入や働き方をどうすれば獲得できるかの方途も不明であり、一度不安定なルートに踏み込めば、その後の挽回の機会は著しく制約される。度を越して過重な仕事、あまりに賃金の低い仕事にはまりこむ危険の高さは、まるでおびただしく地雷の埋まった野原を素足で歩いていかなければならない状態に似ている」。「今の日本社会が若者に用意しているのはこのような現実だ。それを作ってきたのも、それに手を拱(こまね)いているのも、多くは若者たちより上の世代の人間たちである。このままでは、教育も仕事も、若者たちにとって壮大な詐欺でしかない。私はこのような状況を放置している恥に耐えられない」。

 著者のこの声に、まず応えなければならないのは、高校以上の教育に携わっている個々の教職員だろう。受験のためや研究者養成のためだけの教育ではなく、まず生徒・学生が社会に出て働く姿を想像することだろう。そのためには、まず1990年代後半以降、非正規社員の増加、不安定な雇用、劣悪な賃金といった、若者の仕事が大きく変わった現実を理解することだ。そして、日本の企業が日本人を雇うとは限らない状況のなかで、日本のこれからの社会をどのように考えるのか、副題にあるとおり「若者、学校、社会をつなぐ」議論を深めていかなければならない。

 いっぽう、このような状況のなかで、年々ひどくなるように感じる学生の学力低下の問題がある。その根本に、なぜ勉強するのか、勉強したことが自分の人生とどう結びつくのかがわからないことがあるように思える。漫然と退屈そうに座っている学生を見ていると、教壇に立っていても授業に集中できなくなる。そんな学生は、ほかの学生にも悪影響を与える。

 かつて近代公教育が普及しはじめたころ、学習意欲のない児童・生徒の存在が授業の妨げになり問題になった。戦争が総力戦になったように、強い国民国家をつくるためには国民の総力を高める必要があり、日本では「お国のため、天皇陛下のため」の皇民化教育がすすめられ、集団的学力向上が図られた。いま、大学の大衆化のために、本来なら学習意欲のある者だけがいるはずの教室に、なんの目的意識ももたない者がいることによって、学生全体の学力低下のひとつの原因になっている。

 世界的規模で考えなければならない環境、紛争、災害、貧困などの問題に取り組む地球市民として、また高度に複雑化し現状維持さえ困難になった日本社会を安定させる国民として、義務と責任があることを意識することによって、集団あるいは個人としての問題意識を高めることができる。そのためには、まず「若者に希望を!」であると著者は言いたいのだろうが、生やさしいことでないことを充分承知しているからこそ、本書で「地味な提言」をおこなうしかなかった。若者が本書を読むことによって現状を理解し、その解決に積極的に取り組むことによって、教育が変わり、社会が変わる。その環境を整備するのが、上の世代の責務である。

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