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2010年01月19日

『イギリス東インド会社-軍隊・官僚・総督』浜渦哲雄(中央公論新社)

イギリス東インド会社-軍隊・官僚・総督 →bookwebで購入

 本書は、2001年に出版され、絶版になって古書店で高値になっていた同著者の『世界最強の商社-イギリス東インド会社のコーポレートガバナンス』(日本経済評論社)の改訂版のような本である。目新しいものがあまりないのは、「日本におけるこの会社の研究者、研究業績は、その存在の大きさに比べると信じがたいほど少ない」ことによるためだろう。その理由を、「筆者の経験に照らして」、つぎのように説明している。

 「イギリス東インド会社の研究が少ないのは、その存在があまりにも大きく、全体像をつかみにくく、切り口が見つけにくいからではないだろうか。とくに会社がインドの支配者になってからは活動範囲が広がり、イギリス本国での活動と海外での活動の両方をカバーせねばならず、日本人研究者には荷が重い。インドとイギリスの両方について、政治・経済の知識を要求されるため、てっとり早く成果が出せないので、新規参入者が少ない。筆者がイギリス東インド会社に関心を持ちだした一九五〇年代末以来、日本では東インド会社に関する本は五本の指で数えられる程度しか出版されていない」。

 そのようななか、本書はイギリス東インド会社の基本を理解するための恰好の入門書となっている。「入門書」と書くと、簡単に本書が書けるように思われるかもしれない。研究蓄積の多い分野なら、たしかに小器用にまとめて書くことができるだろう。だが、少ない分野では、基本的なことさえ、ひとつひとつ確認しながらでないと書けないため、相当な博識が要求される。本書でも、その成果として数々の従来の間違いが指摘されている。たとえば、「シンガポールの建国者スタンフォード・ラッフルズ」準知事を、「東南アジア研究者には副総督と訳す人が多い。これは完全な誤訳である」という。当時のイギリスの官職は、現代の感覚で訳すとたいへんな誤訳になる。本書でも、プレジデントやカウンシラーなどを、カタカナ表記にしているのは、和訳することによって生じる誤解を避けるためにやむをえないことである。

 しかし、本書にも、いくつか不適切、正確でない記述がある。インド史を専門にしている者にとっては、インドでの領土獲得が本格化する18世紀半ば以降の歴史が主たる考察対象で、17世紀はその前史としてまともに考察がおこなわれていない。オランダ東インドについても、ジャワ島以外の歴史は植民地化が本格的になる19世紀以前のことについて、よくわかっていない。オランダ語にしても英語にしても、近代に国語として整備される以前は、単語のスペルがまちまちで、意味が違っていたりして、よく読めない。本書でも、和訳されているのはfactoryを商館、courtを役員会としているくらいで、東インド会社の社員をサーヴァントとよび、15歳くらいで見習いとして入社した後、「実務経験を積み、ライター、ファクター、ジュニア・マーチャント、シニア・マーチャント、プレジデント(ガヴァナー)と昇進していった」という風に、カタカナ表記しかできない。

 西欧中心史観でいう「大航海時代」以降、「世界史」が成立したといわれるが、世界史がわかっている者などほとんどおらず、西欧、中国、日本などの対外関係史がバラバラに語られ、その寄せ集めを「世界史」と勘違いしているにすぎない。17世紀の英蘭関係史を語るだけでも、本国それぞれの内政(イギリスの2度の革命、オランダのスペインからの独立など)に加えて、3次にわたる英蘭戦争、アメリカ大陸における英蘭の対立(1667年のブレダ協定でマンハッタン島と香料諸島の小さなルン島とを交換、スリナムをオランダ領とする)、香料貿易をめぐる争いなど、文字通り世界的な視野での知識が必要である。

 本書の正確ではない記述として、たとえば1623年のアンボン(アンボイナ)事件後のつぎの記述をあげることができる。「この事件を契機に、アジアでのイギリスとオランダの対立はさらに激化、海軍力の劣るイギリスはスマトラ島のアチェン(アチェ)、ジャワ島のバンタム(バンテン)以外の東インド諸島から撤退を決定した。イギリスはオランダとのスパイス戦争に敗れ、締め出されるかたちでモルッカ諸島、ジャワから撤退し、インドに向かった」。このアンボン事件は、今年の大学入試センター試験にも出題された。

 どの歴史事典にも、高等学校世界史教科書にも載っている、この記述は正確ではない。事件当時、要塞化した商館を根拠とした香料貿易は費用がかかるわりに利益が上がらなくなっており、イギリスはすでに現地から撤退し、ポルトガル私貿易商人や現地のマレー系商人などがもたらす香料に期待するようになっていた。事実、アンボン事件後、イギリスの香料取扱量は増加した。単純に「スパイス戦争に破れ」たとは言えない。また、17世紀半ばまでバンテンのプレジデンシー(管区)がインド各地のエージェンシー(プレジデンシーの下で、商館の上)を統括するなど、明らかにアジアのイギリス東インド会社の中心はバンテンにあり、インドは香料と交換する綿布の輸出地にすぎなかった。イギリスはポルトガル勢力の強いインド西海岸を避けて東海岸に根拠地をもったにすぎなかった。いっぽう、海域東南アジアではアチェの商館は1631年に閉じたが、スラウェシ島南部のマカッサルは67年、バンテンは82年まで存続した。

 というわたしも、あまり研究がされていない17世紀の海域東南アジアの歴史をすこししているので気づいただけで、わたし自身も世界史の知識不足、分析力のなさゆえに、書けば同じような正確ではない記述を、ほかの分野の研究者から指摘されることだろう。大切なことは、自分の研究分野を中心に語るだけでなく、世界史を意識して語ることによって、ほかの分野の研究者と対話し、世界史とはなにかをともに考えることだ。本書は、その意味において、イギリス東インド会社の基本的知識を提供することで、東南アジア史研究の誤りなどを指摘し、世界史を語る基礎的材料のひとつになっている。

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