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2009年09月15日

『東部ジャワの日本人部隊-インドネシア残留日本兵を率いた三人の男』林英一(作品社)

東部ジャワの日本人部隊-インドネシア残留日本兵を率いた三人の男 →bookwebで購入

 「第二次大戦後、オランダとの独立戦争中のインドネシア・東部ジャワで発生した残留日本兵による特別遊撃隊。この部隊を率いた三人の男たちは、いかなる思想を持ち、いかなる来歴を経てそこにたどり着いたのか。彼らの等身大の生と死を追いかけながら、「帝国」以後の日本とアジアとの関係を再検証する、新進気鋭の長篇評論」と、帯にある。

 インドネシア独立戦争に参加した残留日本兵は903人、その内訳は戦没243人(27%)、生存324人(36%)、日本に帰国45人(5%)、行方不明288人(32%)である。また、残留元日本兵による互助組織「福祉友の会」会員が死後に埋葬された場所は、英雄墓地65人(29%)、国民墓地148人(66%)、火葬8人(4%)、その他3人(1%)である。このふたつの資料だけからも、残留日本兵の1945年の敗戦後がみえてきそうだ。

 著者、林英一は、「序章 <スカルノ>の日本人部隊?」で、本書の「主題」をつぎのように説明している。「本書においては、一九九〇年代以降、日本社会の中で英雄視されてきたインドネシア残留日本兵が、一九四八年七月に東部ジャワという地域で日本人部隊として集団化したことの意味を、史実を通して明らかにしつつ、国民国家の論理に翻弄され、排除/包摂されてきたインドネシア残留日本兵の典型像に例外と一般の双方から迫る。そのことによって「残留」という現象を帝国解体をめぐる複合的な人の移動の一環の中で把握し、現代の日本社会に生きる私たちに引揚者と残留者は実は表裏一体の存在なのであり、ゆえに引揚者の末裔も残留者の末裔も歴史という時空を超えて現在につながっているのではないかという問いを投げかけ、「アジアの中の日本」を目指すことを促すものである」。

 そして、著者は「終章 離散者-帝国解体と脱植民地化の展開」で、つぎのように結論する。「残留日本兵とは、「逃亡兵」、「棄民」、「英雄」ではなく帝国の離散者であった。そして東部ジャワの日本人部隊とは、インドネシア軍の再編合理化計画が進み、インドネシアの「内戦」が最高潮に達する時期に、残留日本兵の例外と一般が融合することで誕生した組織であり、それは脱植民地化を志向するインドネシア・ナショナリズムの仲介者と妨害者という二つの社会的機能を内在していたというのが、本書の結論である」。

 1945年8-9月の日本の敗戦後、日本への帰国を望まず、「戦場」に残った日本兵は、「大東亜共栄圏」内の各地に存在した。そのなかで、なぜジャワ島とスマトラ島では日本人部隊にまで発展したのか、著者はつぎのように考えている。「そもそも、独立戦争の主戦場となり、オランダ植民地時代と独立戦争期との間にダイナミックな変化が起こったジャワとスマトラでは日本人が残留し得たが、オランダによる連邦国家政策の要諦として、東インドネシア国(一九四六年一二月樹立)の一部となったバリ島にみられるように、主戦場とならなかった地域では、日本兵は残留しにくかったと推測される」。「つまり、戦闘が展開され、戦場が生じることが、残留日本兵たちが異国で生き残る上での前提条件だった」。

 本書では、日本人部隊を率いた3人のライフ・ヒストリーを中心に物語が展開している。3人のうちの2人は、それぞれ1928年、32年にスマトラ島に渡り、30年代の南進論の国策化の影響を受けた「「渡南第二世代」として、「国難に尽くす」という共通の時局認識をもっていた。平凡な生活に魅力を感じず、放浪癖があり、新婚早々の新妻を残して独立戦争の渦中に飛び込んで徹底抗戦路線を主張してやまなかったのも同じだ。ゆえに、「体験的アジア主義者」として相通じ合うことができたのである」。かれらは、帝国日本の南進論に積極的に加担し、自らの生き方(死に方)を追求していった。それは、日本の敗戦によっても変わらなかった。

 いっぽう、3人目は軍人で「大東亜戦争」の開戦とともに憲兵隊員としてジャワ島にやってきた「渡南第三世代」で、「日本人部隊に参加した背景には、「内戦」と同時進行で起こっていたインドネシア国軍の再編合理化計画への危機感があったと考えられる」。かれらは、「自らの名誉と生命が保証される「最も安全な集団」」をめざした。このように、「渡南第二世代」と「渡南第三世代」のあいだには、「部隊結成当初、時局認識や情勢判断能力、インドネシアでの人脈という点で」大きな隔たりがあった。  本書は、帝国日本とインドネシアの民族独立運動、さらに戦後の歴史観に翻弄された日本人のライフ・ヒストリーをみごとに描いている。その点で、読みごたえのある作品である。しかし、読み終えて、まず思ったのは、なぜこんなに書き急ぐのだろうか、ということであった。「あとがき」に書かれている何度も「御話をお聞かせいただき」、「貴重な資史料をご提供いただいた」人が急逝された後、「何があっても本書を書き上げなければならないと誓った」というようなことが、急がせたのだろう。本書は「長篇評論」であるから、それでいいのかもしれない。だが、本書はそのスタイルをとっていない。

 文学的表現の多い「序章」を読んでいて、物語として楽しめる作品と思っていた。ところが、突然「主題」としてこ難しいことを語りだし、各章の終わりには多くの文献註と長い説明註が並んでいた。読み物として楽しむための文学的表現が、これらの文献から読みとれたということなのだろうか。学問的に考察するなら、書けない部分が多い。たとえば、海軍支配地域の東インドネシアについては、これまで多くの研究者が史料の不足などから書くことをためらってきた。インドネシア研究と銘打ちながら、現実には史料が比較的豊富なジャワ・スマトラ研究であると揶揄されてきたのも、理由があってのことである。そういう学問的に語ることをためらうようなことも書けるのが、評論でありノンフィクションである。本書が新しいスタイルで、従来の学術書・論文あるいは評論・ノンフィクションでは充分に書くことのできなかったことを書こうと試みたのであれば、その試みには拍手を送りたいが、「序章」を読み終えて、本書をどのように読めばいいのか、混乱してしまった。

 本書に推薦文を寄せている中島岳志の著作についても、同じことが言える。評論ならともかく、学術的には史料や考察に問題があるという指摘が、旧来のスタイルで研究をおこなっている者からだされている。日本の女性学のように、近代アカデミズムにかかわらないことによって、独自の発展を遂げた分野もある。ところが、いまはその女性学もアカデミズムのなかで考えようとしている。近代のアカデミズムを超えるという意味で、本書のような試みはひじょうに大切で、批判的なことは書きたくなかった。ただ、書き急ぐことのマイナス面も考えてほしかった。

 書き急ぐ必要があるものないもの、評論でも学術論文でもある。残留元日本兵と深いつながりのあるトラジャ・コーヒーでも、ゆっくり飲んで考えてみましょうか。

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