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2009年09月08日

『皇軍兵士の日常生活』一ノ瀬俊也(講談社現代新書)

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 「あとがき」冒頭で、著者一ノ瀬俊也は、つぎのように書いている。「本書の執筆中、第三章の「応召手当」の項では、現在社会問題となっている「派遣社員切り」のことを、第四章の戦死者「死亡認定」の項ではいわゆる「宙に浮いた年金」問題のことをそれぞれ想起せざるをえなかった。われわれの住む国も社会も、じつは六十数年前から変わっていないということがわかったように思う」。

 著者が、このように書くことができるのは、「はじめに」の終わりで、つぎのように書いているからだろう。「どうか読者諸賢におかれては、もし自分があの時代に生まれて戦争に行くことになったらどうなっただろうか、あるいはどう思っただろうかを考えながら読んでいただきたい。私も自分がそうだったら、と思いながら書いている」。そして、「おわりに」の最後は、つぎのような言葉で締めくくっている。「戦争の時代を考えるとき一番大切なのは、その時自分だったらどうしたかを思うことではないだろうか。それができていない発言や思考法がいまの日本にはあまりにも多い」。

 60年以上前のことから学ぶことのできる人は、自分とは関係のない遠い昔のことととらえず、いまの自分と密接に関係する問題ととらえることができる。たとえば、学生ならおばあさんの戦争体験を時代の違うものとしてではなく、自分と同じ年齢のときのものとして考えると、おばあさんの話を真剣に聞き、いろいろな質問ができる。

 本書では、ふたつの課題を設定ている。第一の課題は、「昭和の人びとが徴兵され、兵士になっていく過程を、自ら志願して兵となった少年たち-その意味で彼らはもっとも純粋な「兵士」だったはずである-もふくめ、制度と心情の両面から、戦後書かれた「従軍体験記」やさまざまな史料にもとづき明らかにすることである」。第二の課題は、「戦時下の日本社会には徴兵制がもたらした人びとの生と死をめぐる「不平等」、「不公平」が蔓延(まんえん)しており、誰もそれを助けようとしなかったことを再確認することである」。

 著者が4章にわたって描いてきた「生と死をめぐる「皇軍」兵士たちの群像」や「そのかたわらで呻吟(しんぎん)する家族や遺族たちの姿」から、ふたつの課題はクリアできただろう。本書を読んで、もうひとつ明らかになったのは、戦争にかんする話は都合のいいように脚色されたり、捏造されたりしただけでなく、とても話すことができないこと、話しても信じてもらえないことなどから、それぞれの体験が戦後に充分伝わっていないことである。

 たとえば、「死没者の遺族へ差出す戦闘詳報なるものを書く」功績係を命じられた者に、「上官は「兎(と)に角(かく)、遺族の気持ちになれ。その為に多少の誇張は認めるが、要はお前の書く文章一つで参列者を泣かせるか否かだ」といい、彼がここはどう書けばいいのかと聞くと、「文章は勝手に考えて書け」と叱咤した。遺族にとってはそれが本当に「正しい」状況報告であるのか知るすべはない。この遺族向け作文にかんしては、日露戦争以来の伝統(?)が守られていたのである」。

 また、生還者が遺族に話せないことから苦悩する様子が、つぎのように語られている。「あんなに嘆かれるには私の話しに物足りなさがあったのではないか? 私は三人の昏睡状態に入る前の断末魔の苦悶と遺体を水葬にしたことを話せなかった」。遺族は、生還者から肉親の最期の状況を聞きたがったが、実際に聞くと生還者を「おめえはよかったなー」と恨むこともあった。大量死という事実が、生還者に負い目を抱かせたのである。

 戦争について学ぶ前の学生は、戦前・戦中の日本人と自分たちは違うと思っている。しかし、戦争について学んだ後の学生は、すくなくとも戦前・戦中の日本人と自分たちが違うことを、日本から被害を受けた中国や東南アジアの人びとに説明できないことに気づく。説明できなければ、日本の再軍備、軍国主義化に警戒する東・東南アジアの国々との友好関係は築けない。戦争を学ぶことが、自分たちの将来に役に立つことをわかってくれるといいのだが・・・。

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