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2009年08月11日

『よくわかる質的社会調査 技法編』谷富夫・芦田徹郎編著(ミネルヴァ書房)

よくわかる質的社会調査 技法編 →bookwebで購入

 文献だけでは充分に理解できない歴史研究をしてきた者にとって、歴史をつくり、守ってきた人びとの社会を理解することが、調査の第一歩となる。歴史を理解するための社会調査とはいえ、社会調査に変わりはない。これまで自己流に、いい加減にやってきたので、その自己流がどの程度社会学の調査としても通用するのか、またこのテキストから学ぶことによって歴史研究にどういかせるのかを知りたくて、本書を読んでみた。

 「なお、本書は一般社団法人社会調査協会(旧社会調査士資格認定機構)が定める社会調査士標準カリキュラムの「F.質的な分析の方法に関する科目」に対応」している。「また、専門社会調査士標準カリキュラムの「J.質的調査法に関する演習(実習)科目」でも活用」できるという。社会調査士なる資格があるということは、それだけ社会が必要としているからだろう。文学部の専門として心理学とともに人気のあるのも、高校生が社会学を学べば、社会が安直にわかると考えているからかもしれない。しかし、本書を読むと、そんな簡単なものではないことがわかる。

 まず、社会調査と言えば、アンケート調査を思い浮かべる人が多いだろうが、大きな壁にぶつかっていることが、「まえがき」でつぎのように説明されている。「近年、社会調査を取り巻く環境が非常に厳しくなってきました。とりわけ質問票を用いた大量調査(いわゆるアンケート調査)が大きな壁にぶつかっています」。「ランダム・サンプリングがそう簡単にはできなくなったし、配布した質問票の回収率もかなり低い。最近の学会報告で、回収率50%を超える調査報告にはめったにお目にかかれなくなりました。これでは大量調査の最大の強みであるサンプルの「代表性」がなかなか確保できず、データの信憑性も著しく低下します」。「社会学では長い間、量的調査こそ社会調査の王道であるとされてきました。しかし、もはやそういう時代は過ぎ去ろうとしています。もちろん量的調査が無意味になったわけではないし、質的調査が量的調査の機能を代替することも困難です。しかし、質と量とを問わず、さまざまな方法を研究テーマに応じて使い分けたり、組み合わせたりすることが、今後ますます重要になってくるでしょう。その意味で、質的調査の役割は相対的に大きくなっているとも言えます」。また、「情報(化)社会」は同時に「不知」を産出する「不知(化)社会」だという。

 「では、質的調査と量的調査はどこが同じで、どこが違うのでしょうか」。編著者のひとりは、つぎのように説明している。「違いを一例あげると、扱うデータの形態が違います。前者が文書、図表、音声、映像といった非数量的、すなわち質的データを扱うのに対して、後者は数量的データを統計的に扱います(「アンケート調査」をイメージして下さい)。違いは他にもいろいろあります。一方、社会調査としての共通点もあります」。ということで、4部からなる本書の第1部では、「そもそも社会調査と何なのか、質と量の違いを超えた社会調査の概説から始め」、「量的調査との違いや関連に目配りしつつ、質的調査の考え方を説明」している。そして、第2部では「質的な「調査技法」」、第3部では「分析技法」を学び、「「質的調査の現場」と名づけた」第4部では問題を立ててから報告書や論文を書き上げるまでのプロセスを解説している。

 本書を読むと、質的調査が現代の社会を理解するためにひじょうに有効な手法であることがわかる。だが、問題点もあることを充分にわきまえておかなければならないことが、つぎのようにまとめられている。「調査技法・分析技法を含め、質的調査がさまざまな強みをもっていることに気づかされただろう。特に、質的調査が具体的な人びとの生活のありように迫ることができること、量的調査で用いるサンプリング名簿が存在しないようなマイノリティの人びとの社会的世界を描くことができることは大きな魅力である」。「その一方、人びとの具体的な生活のありように迫ることができるからこそ、あるいはマイノリティの人びとの社会的世界を描くことができるからこそ、調査対象者との関係については倫理的な観点が必要とされる。したがって、調査者は調査を始める前に、その調査の倫理的側面について十分な配慮をもたなければならない。と同時に、調査研究を行うことによって生じる調査対象者やフィールドにもたらす社会的影響についても一定の責任を負わなければならない」。

 この倫理について、頭ではよくわかる。しかし、現場に入ると、それがわからなくなってしまう。現場でよき助言者を得ることができるかどうかが鍵になる。所詮、調査者は「よそ者」で、その社会の一員にはなれない。都合が悪くなれば、その社会から逃げて、二度と関係をもたなくてすむ。「一定の責任」とはそういうことで、最後まで責任を負うことができないことを銘記すべきだろう。

 歴史研究を目的とした調査でも、「フィールドにもたらす社会的影響」について、計り知れないものがある。それまで文字化されてこなかった歴史を文字化することは残すことにおいて長所はあるが、歴史の語りは語る人びとによって常に変化するという特性を失わせてしまう。そして、書き残されたものが「権威」をもって、「正統」とされる。とくに、わたしのような異邦人が、かってに文字化したものを残してしまう場合、その後の社会的影響については、まったく無責任になってしまう。考え出したら、研究することが恐ろしくなって、やめたくなる。このような問題は、量的調査より質的調査のほうが深刻だろう。だからこそ、現場でよき助言者をみつけることが重要になる。よき助言者は、異邦人の意図を翻訳して、その社会の人びとに伝えてくれ、負の社会的影響を最小限にしてくれる。

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