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2009年06月23日

『新編 日本のフェミニズム10 女性史・ジェンダー史』加納実紀代解説(岩波書店)

新編 日本のフェミニズム10 女性史・ジェンダー史 →bookwebで購入

 1994年に全7冊、別冊1冊で刊行された「日本のフェミニズム」が、増補新版され全12巻で刊行される。新たに立てられた2巻が「グローバリゼーション」と、本書「女性史・ジェンダー史」である。旧版になかったのは、「ジェンダー概念の女性史への導入は女性学より一〇年遅れ、九〇年代に入ってからだった」ことによる。

 旧版と新版との間の15年間は、「増補新版の編集にあたって」で、つぎのように説明されている。「日本においてジェンダー政策が主流化し、女性学が制度的な知の再生産のもとで若手の研究者を次々に送り出すなど、多様で多産な時期でした。その成果に脅威を感じるかのように、フェミニズムに対するバックラッシュすら登場しました」。

 本書の加納実紀代による解説「<近代>をひらく」を読むと、日本の女性史研究の特徴、課題がよくわかる。まず、日本の女性史は、「フェミニズムとともに研究が始まった欧米に対し」、「すでに厚い蓄積を持っていた」。そして、「女性史はたんにこれまでの歴史に女性を書き加えるだけでなく、近代知としての歴史学そのもの、その「科学」性に問い直しを迫るもの」であった。文献史料だけでは充分に書くことのできない女性史は、「オーラル・ヒストリーを位置づけることによってher-storyを発掘してきた。それはたんに文献史料の不足を補うというよりは歴史学そのものの問い直しでもあった」。したがって、本書は、「女性・ジェンダー視点による近代知としての歴史学批判を基本姿勢」とし、「<無告>の声を聴く」、「「大日本帝国」と女性」、「日本近代とジェンダー」の三本の柱を立てた」構成になっている。さらに、「本書は、男性排除という偏狭な姿勢」をとっている。その理由は、「まず、フェミニズムを当事者による自己解放と考えるということ。したがって最近研究の進展が見られる男性史ははずす。第二に「民間学」としての女性史を重視したいということだ」という。この「制度化されたアカデミズムの外で手弁当でなされる学問を指す」「民間学」としての女性史が、近代知としての歴史学を超える原動力になっているといえるだろう。

 いっぽう、解説者は、男性中心の近代史のなかで、女性が「主体」的に歴史にかかわっていた事実を語ることも忘れていない。「愛する夫や息子を失い家を焼かれ……といった被害者」としての女性が「生き生きと戦争協力する」姿や、「日露戦争にあたって「君死にたまうことなかれ」とうたい、女性の経済的自立を説いた与謝野晶子も、韓国併合に際して「韓国(からくに)に綱かけて引く神わざを今の現(うつつ)に見るが尊さ」と祝賀の歌を詠んでいる」と、「帝国主義とフェミニズムは共存する」ことを指摘している。

 本解説は、「日本の歴史学においてジェンダー概念はいまなお有効だとする」荻野美穂の考えをまとめるかたちで終わっている。「荻野によれば、ジェンダーをたんに性別役割や男女の関係としてでなく、権力関係の生成・維持にあたって動員される「差異化の実践」と考えれば、その研究対象はあらゆる「公的」世界に及ぶ。また性別は階級・人種などさまざまな差異化のカテゴリーの中でももっとも「自然」化されているが故に強靱であり、歴史家自身をも規定しているという。たしかに、実証の史料におけるジェンダー・バイアスだけでなく、それを解釈・叙述する歴史家自身の立場性を自覚化する上でも、ジェンダー史の意義は大きいといえるだろう」。

 いま、歴史学は近代に「つくられた」歴史像から脱しようと苦しんでいる。その歴史像は、近代的価値観のもとで、それなりに国民国家を支え、国民の生活を豊かにしたかもしれない。近代のいわゆる先進国は、温帯の定着農耕民社会を基盤とし、男性エリート中心の中央集権的制度の下で合理的な近代社会を築いた。しかし、この近代社会で「マイノリティ」とされた人びとは、歴史から抹殺された。そのひとつの集団が女性であった。本書を読むと、女性学が二項対立的に男性と対比しただけのものではないことは明らかである。女性学の発展が事例となって、近代に「マイノリティ」として歴史から抹殺された人びとが浮かびあがってくると、歴史記述はもっと多様になり、ナショナル・ヒストリーや西洋中心史観からも解放される。そして、現実に歴史学の成果をいまの社会にどう活かすか、これからの社会を築くためにどう活かすかが、明らかになってくる。そうなってくると、歴史学無用論も消える。その意味で、女性史・ジェンダー史に期待するものは大きい。

 女性史は、制度化されたアカデミズムから外されたことで、近代知としての歴史学を超える現代知をもたらしている。大学・研究所で女性史を研究・教育する女性研究者の数も充分とはいえないが増えた。現代のアカデミズムのなかで、歴史学のなかで、「バックラッシュ」にこたえながら、どう自律した役割を担うのか。まだまだ課題は多いが、本書を読み、先達たちとともに考えていきたい。

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