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2009年05月05日

『近代日本外交とアジア太平洋秩序』酒井一臣(昭和堂)

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 本書のキーワードは、ふたつ。文明国標準と国際協調主義である。本書は、著者、酒井一臣が2002年に提出した博士論文「「文明国標準」の帝国-国際協調外交の選択と展開」をもとに、改稿したものである。博士論文のタイトルのほうが、本書の内容を正確にあらわしているが、一般にはわかりにくいために無難なタイトルになったのだろう。本書は、「文明国標準という観点から近代日本外交の背景にあった国際秩序認識を明らかにすることを目的としている」。

 これらふたつのキーワードを、著者はつぎのように説明している。「文明国標準には厳格な規則はなく、文明国が文明とするものがすなわち文明であった。「文明国標準は、ヨーロッパ文明のことではないとしても、ヨーロッパの標準であり続けた」ため、非文明国が文明国となる際、都合が悪ければ異なる標準をつくればよく、文明国になろうとする国は、「競技規則」が変わるたびに右往左往させられることになった。文明の基準が融通無碍なものであったとはいえ、一応の原則があると思われる時はまだしも、たとえば無主の地は切り取り自由というような大原則までも変化していった」。

 「本書で頻出する国際協調主義は、旧外交的か新外交的かという視点で使用しておらず、既述の文明国標準と国民帝国の両論にもとづき、次のような意味で用いていく」。「一 「国際」のメンバーは文明国=国民国家であったこと」。「二 相互の対立関係を解消しないままでの協調関係であり、勢力圏争いの負担を軽減するための調整がおこなわれたこと」。「三 相互協力を実現するためのメンバー選定の論理として文明国標準をもちだし、文明国標準に達しないもの(人・地域)には格差をつける」。「四 日本に限れば、前記三点のような問題を知りつつも、国際社会で生き残るためには、「世界の大勢」に従うしかないとする発想にもとづいていること」。そして、「第四点目こそが、前の三点と絡んで日本の国際協調主義外交の特徴」であるとしている。

 本書は、「文明国標準という観点を導入し、社会の雰囲気や国際秩序認識を背景に国際協調主義外交を見直していく」ために、著者は自ら名付けた「社会外交史」という研究手法を用い、つぎのように説明している。「日本が置かれていた国際環境と、それに対する日本の政策決定者の認識と、思考様式としての文明国標準主義との関係を分析することにより、外交史研究と社会史研究の接点を探っていこうと考える。政策決定者や論壇人は、彼らが生きていた時代の雰囲気や価値観に支配されていたのであるから、その思考や行動を考える際、社会の動静を無視することはできない。よって、前述のような難点をさけるため言説分析の手法はとらないが、文明観を社会情勢や外交文書にみいだしつつ、実際の外交政策とからめて論じていく」。

 本書は、3部9章からなる。「第Ⅰ部 原型-大勢順応路線の形成-」「第Ⅱ部 展開-太平洋秩序をめぐる攻防-」「第Ⅲ部 崩壊の予兆-ナショナリズムに揺れる文明国標準-」には、それぞれ冒頭に要約がある。各章の「はじめに」「おわりに」がないだけに、この各部の要約は読者の指針になる。著者は、この3つの段階を経て、国際協調主義外交が終焉を迎え、日本は「欧米列強の桎梏から解放された「極東の安寧福祉」形成が世界平和へ延長されていくという」新秩序に見果てぬ夢を抱きながら、「破滅の淵に落ちて」いった、と結論している。

 本書は、博士論文をもとにしているが、各章の多くは博士論文提出後に活字化され、さらに本書のために補筆された。「序章」「終章」は書き下ろしで、著者が本書をまとめるにあたって、数年間苦しみ抜いたことが想像される。それは、著者が「あとがき」で書いている「グローバル化に対応する」ことを求められた世代の苦しみであったかもしれない。しかし、この「グローバル化」と「世界標準」との関係に気づいたのは、著者が、「西洋史研究室で日本外交史に取り組んだ」からだろう。

 「西洋史研究室で西洋史研究に取り組んで」いる日本の研究者の多くは、自分たちが考えている「世界標準」がいかに欧米の身勝手なものにもとづいているかに気づいていない。しかも、欧米人が自らの「標準」を「世界標準」とするのとは違い、日本人が欧米の標準を「世界標準」とすることが、アジアの「国際協調」にいかに悪影響をもたらしてきたかに気づいていない。そのため、欧米中心主義の是正が長年唱えられながらも、改善されるどころか、逆にグローバル化の進展とともに欧米中心主義に疑問さえもたなくなってきている。2001年のアルカイダによる「テロ」を小学生で、05年の中国の「反日暴動」を中学生で「体験」した大学新入生は、イスラームや中国に悪感情を抱き、興味を示さなくなっている。日本と欧米を「標準」とする「世界標準」を当たり前のように思い、イスラーム教徒や中国人の「標準」を考える発想すらない。

 本書の帯にあるつぎの文章がわかってくれれば、グローバル化時代にふさわしい世界標準をもった国際人が日本で育ち、多文化社会のなかでの共生を実現するために大きな役割を果たすことになるだろう。「近代日本は、欧米に準拠した文明国標準に沿った国際協調主義外交を展開した」「西洋列強国との利害が対立し、国内で西洋崇拝論、アジア連帯論が複雑に交錯する局面で、日本政府はいかに舵取りしたのか。グローバル化がさらに進展するいまこそ、学ぶべき歴史がここにある」。

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