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2009年05月26日

『モノから見た海域アジア史-モンゴル~宋元時代のアジアと日本の交流』四日市康博編著(九州大学出版会)

モノから見た海域アジア史-モンゴル~宋元時代のアジアと日本の交流 →bookwebで購入

 海を介した交流は、ある時代ある地域で、突如「沸いて」突如「消える」。文献に残されることもなく、人びとの記憶からも消え去ることが多い。しかし、謎が多く、人びとにロマンを感じさせ、なにかをきっかけに人びとの関心が突如海に向けられることがある。

 そんな「海域史」にとって重要な史料が、海底で眠っている「モノ」である。本書の内容について、編著者の四日市康博は、「はじめに」で、つぎのように要約している。「本書では、ユーラシア世界に東アジアが組み込まれ、東西交流が最も活発であった宋元時代とその前後の時代について、東洋史・日本史・考古学を専門とする五人の研究者が各自の専門から移動するモノを取り上げて「海域アジア世界」の交流のダイナミズムを解説する。また、海域アジアと日本の関係をより包括的に理解するために、行き交うモノやその流通拠点の最新事情に通じた専門家八人から対談という形でお話を伺った。本書によって、身近な地域でのモノの移動が海域アジアからユーラシア・インド洋海域にまで結びつき、「時代の流れ」を形成していたことを実感していただければ幸いである」。

 「海域史」を研究していると、文献史学でえられた事実とまったく逆の事実があることに気づくことがある。はじめは信じられなくて、なにかの間違いではないかと思い、そのまま見過ごすこともある。そういうときに、「モノ」が人びとの生活とどのように結びついていたのかを考えると、わかってくることがある。日常品となったモノは、どのようなかたちであれ手に入れようとする。あるいは、代替品がうまれる。また、海域には、国家と無縁の領域があり、文献で書かれている国家の歴史には登場しないことも多い。

 本書の対談でも、つぎのような発言がある。「元寇の時期よりも明の海禁の時期のほうが出土遺物に顕著な影響が見られるというのは面白いですね。ベトナムやジャワの場合もモンゴル襲来の直後に交易が途絶えたということは全くなく、むしろ盛んに通商しているので、博多にも同じことが言えるのかもしれません。しかも、天龍寺(てんりゆうじ)など有力寺社が造営経費を目的に派遣した交易船、いわゆる「寺社(じしや)造営(ぞうえい)料(りよう)唐船(とうせん)」はむしろ元寇以後のほうが盛んに往来しています。そうなると、元寇をもって中国商人が漢人としてのアイデンティティを失ったという説も多少見直す余地があります。文献史料としてその説を肯定する『武備(ぶび)志(し)』も明代後期の史料ですし、むしろ明の海禁のほうが影響が大きかったのかもしれません」。

 国家という枠組みを外して歴史を考えるとき、ひじょうに問題となるのが信頼できる史料がまとまって存在しないことである。内容がまちまちの史料の断片から歴史を再構築することは、不可能に近い。その断片を結びつける役割をするのが、本書に登場する「モノ」である。編著者は、「あとがき」で、そのあたりのことを適確につぎのように述べている。「特に海域史やモンゴル帝国史などという広範な範囲を扱う研究は、資料の壁に阻まれることが多い。資料の量や質に偏差があるのである。その場合、モノに語らせなければ歴史が見えてこないことが多々ある。ただし、その手法は様々である。モノから聞き出す手法も内容も分野それぞれで異なっている。そこから立体的に歴史像を引き出すには、各自の視点から聞き出した内容を相互に理解し、総合しなければならない。その時重要なのは対話である。その意味では、本書はモノに相対した各研究者の対話であるとも言える」。

 その対話から、新たな歴史像を生まれることを期待したい。

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2009年05月19日

『歴史は生きている 東アジアの近現代がわかる10のテーマ』朝日新聞取材班(朝日新聞出版)

歴史は生きている 東アジアの近現代がわかる10のテーマ →bookwebで購入

 日本人の多くは、9月18日や7月7日が中国人にとってどういう意味をもつのか、まったく意識していない。これらは、それぞれ1931年の満洲事変と37年の廬溝橋事件が起こった日で、中国人にとって忘れてはならない国辱的な記念日である。5月4日も、第一次世界大戦を機に日本が袁世凱政府に認めさせた山東のドイツ利権の譲渡や南満洲への権益拡大など、21ヵ条の要求の撤廃を求めた19年の抗議運動に因んだ、中国人にとっては重要な記念日である。しかし、この五・四運動が、同年3月1日に朝鮮各地ではじまった抗日・独立運動とどう関連していたのか、中国人の多くはまったく意識していない。

 本書を読むと、歴史認識の問題がそれぞれの国・地域の「国史」教育にあることがはっきりわかる。その「『異なり』を理解する」ことの重要性は、「あとがき」でつぎのように語られている。「「教科書を比べる」でお分かりの通り、日本、中国、韓国、台湾の中学校で用いられている歴史教科書の内容は、それぞれが重視する視点によって随分と異なっています。私たちは、その違いを批判するのではなく、なぜ違っているのかを各教科書の執筆者らに取材し、掘り下げることにしました」。

 では、東アジア共通の歴史教科書をつくるために必要なものはなにか。「2007年6月から08年3月まで、毎月1章ごと掲載されたシリーズ「歴史は生きている-東アジアの150年」」のしめくくりにあたって、東京で08年4月19日に開催された国際シンポジウム「歴史和解のために」で、「基調報告」をおこなった山室信一はつぎのように語っている。「歴史認識の共有を課題として研究や教育教材の国際交流を進めていく際に、具体的にはどのような領域が今後は設定されるべきか。「連関史としての東アジア世界史」を各地域から出し合ってみよう、というのが私の第一の提言です。それは将来的には東アジアの歴史史料を共有するためのセンターを設置し、そのうえに東アジア共同歴史研究所の創設をめざす、予備作業ともなるものです」。

 さらに、山室はつぎのように指摘している。「アヘン戦争以来、東アジアは思想の連鎖と文化の連関の中で推移してきており、一国史としてだけでは描けません。にもかかわらず、その関連性を視野に入れた歴史像を、現在でもなお国民全体として共有できていないことに一番の問題の根があるはずです」。

 本書で語られていることを真摯に受け止め、「東アジアの「つながり」と「異なり」を理解」すれば、問題は簡単に解決するように思われる。しかし、その試みは、すでに20年近く前に3冊の本の出版によっておこなわれていることを知ると、問題が指摘されても解決へと結びつかない根の深い問題があることに気づく。その3冊とは、東京書籍から1990-92年に出版された『近現代史のなかの日本と朝鮮』『近現代史のなかの日本と中国』『近現代史のなかの日本と東南アジア』である。本書で「東アジア近現代史の10大出来事は?」に答えた20人のうちのひとり小倉和夫国際交流基金理事長が指摘する「問題は、日本の若い世代が、歴史認識を論ずる以前に、歴史そのものに関心がなく知識も乏しいことだ。無知は偏見につながり、互いに誤解を生む」は、「若い世代」の問題だけでなく、なぜ「若い世代」がそうなったのかを考える必要があるだろう。そして、いつのまに「東南アジア」が抜け落ちたのか。

 若い世代の歴史離れとアジア離れは、ひどい。しかし、それは若い世代の両親、祖父母の世代がアジアとの歴史的関係にまともに向き合わなかった結果でもある。関心と知識がないままに、アジアを旅行し、仕事でアジアに行く。3月1日も5月4日も、7月7日も9月18日も知らないで、アジアの人びとと交流することが、どういう意味をもつのか、若い世代の日本人が思い知らされる日がいつか来るのか、知らないままに過ぎ去ってしまうのか、わたしにはわからない。しかし、いずれにせよ、歴史的知識を欠いたままの異文化交流は、日本人の国際的協調力を弱くし、好ましい結果にはならないだろう。

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2009年05月12日

『ヴェルサイユ条約-マックス・ウェーバーとドイツの講和』牧野雅彦(中公新書)

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 本書を読み終えて、まず第二次世界大戦の戦後処理を理解するには、第一次世界大戦の戦後処理を理解する必要があると思った。欧米各国は、第一次世界大戦の戦後処理の経験を、そのままいかして第二次世界大戦の戦後処理をおこなったように思えた。

 「戦争責任」や戦争の「不法化」という観念は、第一次世界大戦以前にはなく、その戦後処理の議論を通じて出てきた。そして、ドイツとドイツ皇帝の「戦争責任」が問われていった。その「勝者の裁き」の不当性を訴えたのが、ドイツ人の社会科学者であるマックス・ウェーバーであった。「講和条約受諾ならびに戦犯引き渡し問題に対するウェーバーの態度は、ドイツ国民の名誉という観点から、戦争責任を一方的にドイツに求める連合国の不正を訴えるという姿勢に終始していた」。

 本書の要約は、帯の裏につぎのように適確に述べられている。「第一次世界大戦は、アメリカの参戦とドイツ帝国の崩壊を経て休戦が成立し、パリ講和会議が開かれる。だが、「十四箇条」に基づく「公正な講和」を求めるドイツ、「国際連盟」による世界秩序の再編を目指すアメリカ大統領ウィルソン、そして英仏の連合国首脳の思惑には大きな隔たりがあった。それまでの講和のルールになかった「戦争責任」をドイツに求めるべきなのか。人類初の世界戦争の終結をめぐる息詰まる駆引を描く」。

 本書を、著者、牧野雅彦は「専門とするウェーバー研究の副産物である」としている。これまでの業績一覧を見ても、第二次世界大戦の研究を本格的にしたようにはみえない著者が、どこまで第二次世界大戦後の日本を意識していたかわからない。しかし、第二次世界大戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)やサンフランシスコ講和会議の情況を多少知っていれば、その議論の原点が本書に描かれていることに驚きを感じたことだろう。天皇の戦争責任や戦争犯罪についての議論の基本が、第一次世界大戦後にあったことがわかる。また、アメリカとヨーロッパとの新たな関係が描かれている。今日に至る欧米諸国間の国際秩序は、このときできたということができる。

 しかし、この国際秩序のなかに欧米以外の国・地域は入っていなかった。ウィルソンが提唱したことのひとつである「民族自決」はヨーロッパ内の話であって、植民地体制下のアジア、アフリカなどには及んでいなかった。そのため、第二次世界大戦後、1945年の国連憲章や66年の国際人権規約で、全世界に適用されることがうたわれた。この点でも、第一次世界大戦と第二次世界大戦との関係がうかがわれる。

 第一次世界大戦はヨーロッパ内での戦争で、アジアへの影響は限定的で、日本では第二次世界大戦に比べ、研究があまり進んでいない。しかし、世界史のなかで第二次世界大戦を理解するためには、第一次世界大戦を理解しなければならないことが、本書からよく理解できた。本書自体を、著者は「副産物」としているが、第二次世界大戦やアジアを専門としている者が、読むともっと多くの「副産物」をえることができるだろう。

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2009年05月05日

『近代日本外交とアジア太平洋秩序』酒井一臣(昭和堂)

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 本書のキーワードは、ふたつ。文明国標準と国際協調主義である。本書は、著者、酒井一臣が2002年に提出した博士論文「「文明国標準」の帝国-国際協調外交の選択と展開」をもとに、改稿したものである。博士論文のタイトルのほうが、本書の内容を正確にあらわしているが、一般にはわかりにくいために無難なタイトルになったのだろう。本書は、「文明国標準という観点から近代日本外交の背景にあった国際秩序認識を明らかにすることを目的としている」。

 これらふたつのキーワードを、著者はつぎのように説明している。「文明国標準には厳格な規則はなく、文明国が文明とするものがすなわち文明であった。「文明国標準は、ヨーロッパ文明のことではないとしても、ヨーロッパの標準であり続けた」ため、非文明国が文明国となる際、都合が悪ければ異なる標準をつくればよく、文明国になろうとする国は、「競技規則」が変わるたびに右往左往させられることになった。文明の基準が融通無碍なものであったとはいえ、一応の原則があると思われる時はまだしも、たとえば無主の地は切り取り自由というような大原則までも変化していった」。

 「本書で頻出する国際協調主義は、旧外交的か新外交的かという視点で使用しておらず、既述の文明国標準と国民帝国の両論にもとづき、次のような意味で用いていく」。「一 「国際」のメンバーは文明国=国民国家であったこと」。「二 相互の対立関係を解消しないままでの協調関係であり、勢力圏争いの負担を軽減するための調整がおこなわれたこと」。「三 相互協力を実現するためのメンバー選定の論理として文明国標準をもちだし、文明国標準に達しないもの(人・地域)には格差をつける」。「四 日本に限れば、前記三点のような問題を知りつつも、国際社会で生き残るためには、「世界の大勢」に従うしかないとする発想にもとづいていること」。そして、「第四点目こそが、前の三点と絡んで日本の国際協調主義外交の特徴」であるとしている。

 本書は、「文明国標準という観点を導入し、社会の雰囲気や国際秩序認識を背景に国際協調主義外交を見直していく」ために、著者は自ら名付けた「社会外交史」という研究手法を用い、つぎのように説明している。「日本が置かれていた国際環境と、それに対する日本の政策決定者の認識と、思考様式としての文明国標準主義との関係を分析することにより、外交史研究と社会史研究の接点を探っていこうと考える。政策決定者や論壇人は、彼らが生きていた時代の雰囲気や価値観に支配されていたのであるから、その思考や行動を考える際、社会の動静を無視することはできない。よって、前述のような難点をさけるため言説分析の手法はとらないが、文明観を社会情勢や外交文書にみいだしつつ、実際の外交政策とからめて論じていく」。

 本書は、3部9章からなる。「第Ⅰ部 原型-大勢順応路線の形成-」「第Ⅱ部 展開-太平洋秩序をめぐる攻防-」「第Ⅲ部 崩壊の予兆-ナショナリズムに揺れる文明国標準-」には、それぞれ冒頭に要約がある。各章の「はじめに」「おわりに」がないだけに、この各部の要約は読者の指針になる。著者は、この3つの段階を経て、国際協調主義外交が終焉を迎え、日本は「欧米列強の桎梏から解放された「極東の安寧福祉」形成が世界平和へ延長されていくという」新秩序に見果てぬ夢を抱きながら、「破滅の淵に落ちて」いった、と結論している。

 本書は、博士論文をもとにしているが、各章の多くは博士論文提出後に活字化され、さらに本書のために補筆された。「序章」「終章」は書き下ろしで、著者が本書をまとめるにあたって、数年間苦しみ抜いたことが想像される。それは、著者が「あとがき」で書いている「グローバル化に対応する」ことを求められた世代の苦しみであったかもしれない。しかし、この「グローバル化」と「世界標準」との関係に気づいたのは、著者が、「西洋史研究室で日本外交史に取り組んだ」からだろう。

 「西洋史研究室で西洋史研究に取り組んで」いる日本の研究者の多くは、自分たちが考えている「世界標準」がいかに欧米の身勝手なものにもとづいているかに気づいていない。しかも、欧米人が自らの「標準」を「世界標準」とするのとは違い、日本人が欧米の標準を「世界標準」とすることが、アジアの「国際協調」にいかに悪影響をもたらしてきたかに気づいていない。そのため、欧米中心主義の是正が長年唱えられながらも、改善されるどころか、逆にグローバル化の進展とともに欧米中心主義に疑問さえもたなくなってきている。2001年のアルカイダによる「テロ」を小学生で、05年の中国の「反日暴動」を中学生で「体験」した大学新入生は、イスラームや中国に悪感情を抱き、興味を示さなくなっている。日本と欧米を「標準」とする「世界標準」を当たり前のように思い、イスラーム教徒や中国人の「標準」を考える発想すらない。

 本書の帯にあるつぎの文章がわかってくれれば、グローバル化時代にふさわしい世界標準をもった国際人が日本で育ち、多文化社会のなかでの共生を実現するために大きな役割を果たすことになるだろう。「近代日本は、欧米に準拠した文明国標準に沿った国際協調主義外交を展開した」「西洋列強国との利害が対立し、国内で西洋崇拝論、アジア連帯論が複雑に交錯する局面で、日本政府はいかに舵取りしたのか。グローバル化がさらに進展するいまこそ、学ぶべき歴史がここにある」。

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