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2009年02月03日

『イスラーム金融』櫻井秀子(新評論)

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 石油が高騰し、オイルマネーが日本経済にもあちこちで少なからぬ影響を与えるようになってくると、安直にイスラーム経済について知りたくなる。しかし、本書は、その期待を見事に裏切っている。著者、櫻井秀子は、「はじめに」で、つぎのように上手にイスラームとつきあうことは、そう容易いことではないことを説明している。

 「イスラーム市場に参入する際に、イスラーム的ビジネスのテクニックにとどまらず、その体系の根底にある文化と思想、さらにはその基層にある世界観や存在論までの理解をもてば、まさに鬼に金棒である。別段これは、イスラーム圏の市場に参入する際に限られたことではない。中国やインドなどの非欧米地域の市場への参入にも、同様の姿勢が重要である」。「日本企業はかつて欧米市場に参入する際に、多くの人材を欧米諸国に留学させ、西欧思想を筆頭に、歴史、経済、政治、法、文化にいたる幅広い知識を習得させ、さらに人脈づくりを奨励した」。

 日本は、いまイスラームについて、本気で知ろうとしているのだろうか。著者は、その現実を知っているから、つぎのように警告する。「日本の生命線といってもよいエネルギーに対しては、市場を介せばいつでも調達できるという安易な考えが、いまだに優勢である。資源獲得競争が激化している現在、日本は資源供給地域に対して、経済的要素の他に深い理解を示し、文化・社会的な関係を構築することがきわめて重要であることを再認識する必要がある」。

 こういう風に言っても、それを納得できる日本人は少ないだろう。著者は、その理由を、日本が「近代化の過程においてオリエンタリズムの強い影響を受けてきた」ことに求め、「<脱オリエンタリズム>をめざすためには、欧米文化の鏡ばかりでなく、他の異文化の鏡に自文化の社会を照らすことは欠かせない」と主張する。

 いま日本は、かつて欧米から学んだように、まずとくに経済的関係が深まってきた東南アジア、インド、イスラーム諸国に学ぶ姿勢をもつことからはじめなければならないだろう。その意味を理解するためには、教育の現場で、欧米だけでなく、非欧米諸国・地域のことがわかる人材を配するべきだ。小学校でも、中学校でも、高等学校でも、もちろん大学でも、たとえばイスラームを理解する先生がひとりでもいれば、社会に出てイスラームとの接し方は違ってくる。安直に理解しようとする発想ははじめからなく、本書に書かれているような基本から学ぶのが当たり前だという認識をもつだろう。残念ながら、本書を充分に理解できる日本人は、それほど多くない。

 本書は、出版時期が時期だけに、サブプライムローン問題をきっかけに起こった現在の金融危機をかなり意識して書かれている。したがって、歯止めがかからなかったキリスト教徒の資本主義社会に対して、イスラーム金融の長所が存分に述べられている。たとえば、「ビジネスと倫理」にかんしては、「聖俗二元論にもとづくキリスト教世界と好対照をなしている。米国社会では、「ビジネスと倫理は、両立しない」「ビジネスマンは天国にいかない」といった、<ビジネスの非道徳性の神話>があると指摘されている」。それにたいして、イスラーム世界のビジネスは、シャリーア・コンプライアンスによって倫理が守られているという。

 シャリーアとは、イスラーム法を指すアラビア語で、欧米の近代法と区別される。利子を取らないことで代表されるシャリーア・コンプライアンスは、つい最近まで、「時代遅れで改革すべき対象とされてきた」。それがいまでは、「世界のいたるところで実体経済の箍がはずれたことにより、規制なき市場と経済が社会に対して破壊的に襲いかかりつつあることを考慮するならば、実体性を堅持することの社会的合理性をいま一度再考すべきであろう」というのも、容易に納得できる。具体例として、「土地の所有については、特に社会的責任が大きく問われることから、適切な活用がなされていなければ、その所有は認められない。たとえば地主が不在で死地となって活用されない土地は国家によって没収される。また土地ころがしのように土地そのものを商品化し売買したり、仲介手数料を得ることなども禁じられている」といわれれば、いますぐにでもイスラームのビジネス・エートスを導入したくなる。しかし、そう単純ではないだろう。

 サブプライムローンは結果を知っているだけに、なんで許されたのだろうと、不思議に思っている人が多いだろう。しかし、サブプライムローンのいいところを知っていれば、なぜやめられなかったのかもわかってくる。サブプライムローンによって家を持つことができた人びとがおり、その家を担保にお金を借りて消費財を購入するなど、経済活性化に大いに役立った。問題は、経済環境が悪化してローンが返せなくなり、住宅価格が下がって問題が表面化したときに、債券化していたために危機の実態が把握できなくなっていたことにある。問題を早期に発見し対処できるセイフティネットが構築されていれば、ここまで金融危機は深刻なものにならなかったはずだ。膨張を前提とする資本主義経済では、サブプライムローンはその膨張のための1手段としての架空経済だった。

 一方、その資本主義の膨張に抵抗してきたのが、シャリーア・コンプライアンスであった。膨張が宿命の資本主義経済をやめるのか、資本主義社会が共産主義・社会主義からセイフティネットを学んだように、イスラーム経済からセイフティネットを学ぶのか、グローバルな英知が求められている。その一方で、自分たちの身近な社会をどうするのか、コミュニティとしての自律も求められているように思う。

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