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2009年02月28日

『未完のフィリピン革命と植民地化』早瀬晋三(山川出版社)

未完のフィリピン革命と植民地化 →bookwebで購入

 「著者のメッセージ」として、つぎのように書いた。「フィリピンは歴史的にアメリカの強い影響を受けながら、経済的に豊かにならず、政治的にも安定していない。アメリカがリードする時代であるなら、フィリピンはアメリカが理想とする模範的な国家になっていても不思議ではないのだが・・・。その謎は、未完に終わったフィリピン革命とアメリカ植民支配下の国家形成にある。また、フィリピンの近代に、日本はどのようにかかわったのか。今日のフィリピンの原像を明らかにし、アメリカ主導の世界、日本とほかのアジアとのかかわりを考える」。

 こういう教材に使われる本としてもっとも大切なことは、これまでの研究成果をもとに、正確でわかりやすく書くことだろう。しかし、それは、専門書・論文を書くより、はるかに難しい。歴史学の専門書・論文であれば、原史料を忠実に読み、根拠をひとつずつあげながら書けばいいのだが、一般書は違う。

 本書の後半の「③近代植民地国家の形成」「④フィリピン近代史のなかの日本」は、専門書・論文を書いたことがある部分で、記述の背後にこれまで読んできた膨大な原史料があった。しかし、前半の「①フィリピンにとっての近代」「②未完のフィリピン革命」は、原史料をほとんど読んでいない部分だ。『世界各国史6 東南アジア史Ⅱ 島嶼部』(山川出版社、1999年)や『山川 世界史小辞典(改訂新版)』(山川出版社、2004年)、『フィリピンの事典』(同朋舎、1992年)などで基本的事実を確認しながら、内外の関係書を参考にして書くことになる。一般書や事典・辞典の記述は、字数制限もあり、単純化してわかりやすく書かれている。それを読んだわたしは、単純化して理解し、さらに単純化してわかりやすく書こうとする。その結果、注意深く書かれた最初のものとはずいぶん違う、ずさんで誤りを含んだものになる危険性がある。

 さらに悪いことに、フィリピン史研究のように研究蓄積が充分でなく、日本に専門家が数人しかいない分野は、研究の発展や研究者個人の「新たな知見」によって、同じ執筆者でも一般書や事典・辞典の記述が違ってくることがある。わたしも、いくつかの事典・辞典の項目を書いてきたが、最近書いたもののなかには従来のものと違うものがある。わたしがかつて書いた記述を参考にして、新たに書いた原稿の訂正を求めてきた編者もいた。事典・辞典の項目のなかには、その分野で専門書・論文を書いたことのない者が書くこともあるので、注意が必要だ。

 このような背景から、本書も危うく初歩的な間違いに気づかず出版するところだった。それを救ってくださったのは、本書前半部分の日本の第一人者、池端雪浦先生だった。先生が読んでくださると申し出てくださったお蔭で、正確になっただけでなく、奥深いものになった。本リブレットでは、「謝辞」を書かないことになっているため、この場を借りてお礼を申しあげます。わたしが恥をかかずにすんだだけでなく、もっとも得をしたのは読者です。

 編集者の猪野甲紀さんにも、いくつも助けられた。世界史のなかでのフィリピン史を意識したため、「世界史」の事実確認で不充分なところがあった。たとえば、ヨーロッパ史にかんする記述で、2004年に出版された『山川 世界史小辞典 改訂新版』に従って書いたものが、同辞典の記述と違うという指摘を受けた。2007年3月20日発行の第2刷を見ると確かに違っていた。本書の原稿締め切りは2007年3月31日だったので、執筆時点で参考にしたのは2004年発行の第1刷だった。校正の段階で、最新の事典・辞典、それも複数にあたらなかったわたしのミスである。校了直前に指摘してくださった猪野さんに感謝します。

 しかし、このリブレットが高等学校で教材のひとつとして使われるのなら、「正確でわかりやすい」だけでなく、もうひとつ大切なことがある。2006年に明らかになった必修世界史未履修問題に答えるということだ。いまだ、世界史が必修であることに納得していない教育関係者、研究者、世間一般の人びとは多いと考えられ、その原因のいったんは教科書や本書のような教材にある。

 その納得していない人びとにたいして、なぜ高等学校での世界史履修が、卒業後の人生に重要であるかを伝えなければならない。「世界史履修無用論」の背景には、文献史学を基本とした近代歴史学が、もはやいまの社会にあわなくなってきていることがある。いま、そしてこれからの社会に必要な歴史を模索している歴史研究者は、いろいろな新しい概念を試みている。しかし、それがまだ近代の歴史観にとってかわるところまできていない。当然である。長い年月をかけて築いてきた近代の歴史観は、それなりに無難で安心できるからである。それに安住したことから、「世界史履修無用論」が出てきたのではないだろうか。いま必要なのは、安心して読める歴史叙述だけでなく、これからの社会に必要な歴史叙述に変わろうとしていることを示すことではないだろうか。そんなことを考えながら、書いたのだが、・・・。

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2009年02月24日

『森崎和江コレクション 精神史の旅』森崎和江(藤原書店)

森崎和江コレクション 精神史の旅 →bookwebで購入

 独特の文章で、人生を描きつづける森崎和江さんのコレクションが、昨年11月から毎月刊行されている。当初うかがっていた全8巻の選集ではなく、「すべて作品単位にばらし、また単行本未収録エッセイも考慮に入れて」、「森崎和江の精神の歴史を辿る旅」を試みる構成になっている。

 著者が伝えたかったことは、案内パンフレットにある「若い読者へ」と題したつぎのメッセージによくあらわれている。「昭和期を生きた植民二世の私には、戦後の方言界は迷路。女は商品でした。早稲田在学中の弟が自死。闇に閉ざされた私は、幼いいのちに教えられ、炭坑の地下労働者に学びつつ、列島各地の集落で働く人々に接しながら七ころび八起きで、生きることとは何かを自問し、日本の女へと生き直すべく努めました」。「今や二十一世紀。世代を越えた絆を大切にしながら、次世代孫世代の若い皆さまの未来への、苦悩を越えた開花を祈っています」。

 著者の「若い読者へ」のメッセージは、だんだん強くなっていったように思える。高等学校国語科用『精選現代文(改訂版)』(教育出版、2002年)に収録された「生きつづけるものへ」の「作品解題」では、つぎのように説明されている。「ここに収めた文章は、戦前を植民地朝鮮で育った筆者が、戦後五十年にあたってその苦渋の足跡を回想した著書の巻頭に置かれたもの。少女時代に「二つのことば」の中で生まれ育った筆者はその原点に立って、「二つのこころ」に自分を引き裂こうとするものを厳しく見据えようとしている。そのまなざしは、国家・民族の過去と未来、孫たちの時代へと注がれていく」。それだけ、著者は現在と未来に不安を感じているのだろう。

 森崎和江さんの人となり、生きざまについては、友人・知人たちが書いている各巻の「解説」「月報」を読めばさらによくわかる。わたしも、第4巻の「月報」につぎのような駄文を書いた。


時空を超えて

 歴史研究を専門とするわたしにとって、対象とする時代や社会の常識をつかむことが、最初の仕事になる。しかし、わたしたちは、どうしても、いまの社会の常識というフィルターでものごとを観てしまう。とくに、わたしのように一九八〇年前後に近代科学を基本として大学教育を受けた者は、近代の常識が邪魔をしてしまう。そこで、わたしは、過去なら、その時代、その社会の常識がわかっている人が書いたものを探す。フィールドなら、その社会を熟知している人の助言にしたがって行動をする。自分で勝手に判断し行動しては、フィリピン南部ミンダナオ島のような紛争地帯をフィールドにしている者にとって、文字通り命取りになる。

 ところが、森崎さんの書いたものを読むと、どうだ。知らぬ間に、明治時代の「からゆきさん」(海外の娼楼で働く娼妓)といっしょに座り込んで話したり、家族舟に漁師の家族といっしょに乗ったりしている。時も空間も超えて、その社会に溶け込んでいる森崎さんの姿が、読者の目に無意識にはいってくる。  森崎さんの本を最初に読んだのは学生のころで、『からゆきさん』(一九七六年)だった。当時は、女性の地位向上が盛んに唱えられ、その時流に乗るかのように「からゆきさん」も注目を集めた。老齢にさしかかった元「からゆきさん」を、故郷の天草や島原、マレー半島など海外に訪ねて、ノンフィクションが書かれ、ドキュメンタリーが制作され、映画も放映された。しかし、「からゆきさん」を「底辺」に位置づけたものには、違和感を覚えた。女性の地位向上も、男性と同等の権利を求めるのではなく、男性を含めた人間の地位向上に結びつかなければ、一時的なものに終わってしまう。「からゆきさん」を「底辺」に位置づけたり、特別な存在として観るようでは、探し求める社会はみえてこない。

 森崎さんの『からゆきさん』に、時流に乗る派手さはなかった。明治時代の福岡や長崎の新聞をていねいに読み、元「からゆきさん」を養母にもつ友人から広がる時空を超えた「からゆきさん」の世界に、自分自身をすべり込ませ、それを日常のなかに描いていく。のちに、わたしも長崎県立図書館などに行って、明治時代の新聞を読み漁った。全四面の新聞の第三面は、文字通り三面記事で当時の日常を知る宝庫だった。森崎さんの「不思議さ」は、このような地道な作業にあることを、わたし自身体験した。しかし、追体験はできても、森崎さんのように時空を超えることは、わたしにはできない。
 ・・・

 [続きは、2月28日発行の第4巻の「月報」をご覧ください。]

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2009年02月10日

『シーボルトの眼 出島絵師川原慶賀』ねじめ正一(集英社文庫)

シーボルトの眼 出島絵師川原慶賀 →bookwebで購入

 「いま、手元に『紅毛交接図』なる妖しげな絵図をひろげて、異装の男女が荒々しい房事にふける情景を鑑賞している。本書の冒頭にあるシーンをそのまま描いた図を、運よく書棚から拾い上げられたおかげで、本書を読むことが一段と楽しくなった。それにしても、長崎絵師をあつかったこの物語の各章を、縁のある実在の絵によって括ろうという発想は、じつに洒落ているではないか。この小説の楽しみ方は、章題に示された絵図をどこぞから探し出してきて、傍に置きながら読むことだぞ、とヒントを与えられているようなものだ」。荒俣宏は文庫版の「解説-本書と作者に関する余計なお話」の冒頭で、このように述べている。

 実証を基本とする研究者としては、川原慶賀が描いた絵図を1枚もあげることなく話を進めるこの小説の事実関係に、疑いをもってしまう。しかし、「だから、研究者のやる仕事は、事実から遠のくのだ!」という著者、ねじめ正一の声が聞こえてきそうだ。研究者にはわからない「事実」を、臨場感をもって描くのが小説家の仕事だ。その意味で、川原慶賀はいい題材だった。数多くの絵図を残し、シーボルトと密接な関係があったにもかかわらず、低い身分の町絵師だったせいか、生没年さえはっきりしない「謎」の人物だからだ。

 ここに2005年11月3日に開館した長崎歴史文化博物館の特別展にさいして発行された長崎歴史文化博物館・ライデン国立民族学博物館共同企画『長崎大万華鏡-近世日蘭交流の華 長崎-』がある。この図録には、川原慶賀の絵図も多数収められている。枕絵はないが、たしかに本書を読んだ後に見ると、本書をもういちど楽しめる。川原慶賀については、つぎのような説明がある。「江戸時代後期の長崎派の絵師。オランダ人医師・シーボルトに重用され、彼の科学的態度に基づいた日本研究のために、膨大な記録画的作品を残した。唐絵目利である石崎融思と関係があり、フランス人デ・フィレニューフェにも洋風表現を学んだ」。この小説には登場しないデ・フィレニューフェという洋風画の「師匠」がいたことがわかる。

 本図録所収の「日本人の一生」では、「出産」から「墓参り」まで23枚の川原慶賀の作品を楽しむことができる。川原慶賀の作品の大半は、「長崎の歳時記や職人、生活風俗、図譜など、日本研究のための記録画」であった。その「まじめな記録画」をよく見ると、吹き出してしまう「いたずら」に気づく。「葬迎(1)」のお寺の門の前に6人の僧侶がおり、その横に「不許輩酒肉入山門」の文字が見える。「墓参り」では、墓石に「酔酒玄吐行」「淫好助兵衛腎張」と書いてある。こんなところから、ねじめ正一は川原慶賀像を得て、小説の主人公にしようと思ったのかもしれない。

 本小説ほど「事実」は伝わってこないかもしれないが、すこし確実な川原慶賀の人物像は、図録所収の論文のひとつである岡泰正「川原慶賀とデ・フィレニューフェ-石橋助左衛門の肖像図をめぐって-」からわかる。

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2009年02月03日

『イスラーム金融』櫻井秀子(新評論)

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 石油が高騰し、オイルマネーが日本経済にもあちこちで少なからぬ影響を与えるようになってくると、安直にイスラーム経済について知りたくなる。しかし、本書は、その期待を見事に裏切っている。著者、櫻井秀子は、「はじめに」で、つぎのように上手にイスラームとつきあうことは、そう容易いことではないことを説明している。

 「イスラーム市場に参入する際に、イスラーム的ビジネスのテクニックにとどまらず、その体系の根底にある文化と思想、さらにはその基層にある世界観や存在論までの理解をもてば、まさに鬼に金棒である。別段これは、イスラーム圏の市場に参入する際に限られたことではない。中国やインドなどの非欧米地域の市場への参入にも、同様の姿勢が重要である」。「日本企業はかつて欧米市場に参入する際に、多くの人材を欧米諸国に留学させ、西欧思想を筆頭に、歴史、経済、政治、法、文化にいたる幅広い知識を習得させ、さらに人脈づくりを奨励した」。

 日本は、いまイスラームについて、本気で知ろうとしているのだろうか。著者は、その現実を知っているから、つぎのように警告する。「日本の生命線といってもよいエネルギーに対しては、市場を介せばいつでも調達できるという安易な考えが、いまだに優勢である。資源獲得競争が激化している現在、日本は資源供給地域に対して、経済的要素の他に深い理解を示し、文化・社会的な関係を構築することがきわめて重要であることを再認識する必要がある」。

 こういう風に言っても、それを納得できる日本人は少ないだろう。著者は、その理由を、日本が「近代化の過程においてオリエンタリズムの強い影響を受けてきた」ことに求め、「<脱オリエンタリズム>をめざすためには、欧米文化の鏡ばかりでなく、他の異文化の鏡に自文化の社会を照らすことは欠かせない」と主張する。

 いま日本は、かつて欧米から学んだように、まずとくに経済的関係が深まってきた東南アジア、インド、イスラーム諸国に学ぶ姿勢をもつことからはじめなければならないだろう。その意味を理解するためには、教育の現場で、欧米だけでなく、非欧米諸国・地域のことがわかる人材を配するべきだ。小学校でも、中学校でも、高等学校でも、もちろん大学でも、たとえばイスラームを理解する先生がひとりでもいれば、社会に出てイスラームとの接し方は違ってくる。安直に理解しようとする発想ははじめからなく、本書に書かれているような基本から学ぶのが当たり前だという認識をもつだろう。残念ながら、本書を充分に理解できる日本人は、それほど多くない。

 本書は、出版時期が時期だけに、サブプライムローン問題をきっかけに起こった現在の金融危機をかなり意識して書かれている。したがって、歯止めがかからなかったキリスト教徒の資本主義社会に対して、イスラーム金融の長所が存分に述べられている。たとえば、「ビジネスと倫理」にかんしては、「聖俗二元論にもとづくキリスト教世界と好対照をなしている。米国社会では、「ビジネスと倫理は、両立しない」「ビジネスマンは天国にいかない」といった、<ビジネスの非道徳性の神話>があると指摘されている」。それにたいして、イスラーム世界のビジネスは、シャリーア・コンプライアンスによって倫理が守られているという。

 シャリーアとは、イスラーム法を指すアラビア語で、欧米の近代法と区別される。利子を取らないことで代表されるシャリーア・コンプライアンスは、つい最近まで、「時代遅れで改革すべき対象とされてきた」。それがいまでは、「世界のいたるところで実体経済の箍がはずれたことにより、規制なき市場と経済が社会に対して破壊的に襲いかかりつつあることを考慮するならば、実体性を堅持することの社会的合理性をいま一度再考すべきであろう」というのも、容易に納得できる。具体例として、「土地の所有については、特に社会的責任が大きく問われることから、適切な活用がなされていなければ、その所有は認められない。たとえば地主が不在で死地となって活用されない土地は国家によって没収される。また土地ころがしのように土地そのものを商品化し売買したり、仲介手数料を得ることなども禁じられている」といわれれば、いますぐにでもイスラームのビジネス・エートスを導入したくなる。しかし、そう単純ではないだろう。

 サブプライムローンは結果を知っているだけに、なんで許されたのだろうと、不思議に思っている人が多いだろう。しかし、サブプライムローンのいいところを知っていれば、なぜやめられなかったのかもわかってくる。サブプライムローンによって家を持つことができた人びとがおり、その家を担保にお金を借りて消費財を購入するなど、経済活性化に大いに役立った。問題は、経済環境が悪化してローンが返せなくなり、住宅価格が下がって問題が表面化したときに、債券化していたために危機の実態が把握できなくなっていたことにある。問題を早期に発見し対処できるセイフティネットが構築されていれば、ここまで金融危機は深刻なものにならなかったはずだ。膨張を前提とする資本主義経済では、サブプライムローンはその膨張のための1手段としての架空経済だった。

 一方、その資本主義の膨張に抵抗してきたのが、シャリーア・コンプライアンスであった。膨張が宿命の資本主義経済をやめるのか、資本主義社会が共産主義・社会主義からセイフティネットを学んだように、イスラーム経済からセイフティネットを学ぶのか、グローバルな英知が求められている。その一方で、自分たちの身近な社会をどうするのか、コミュニティとしての自律も求められているように思う。

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